「汚い言葉」に対して「猫なで声」という極端な言葉を提示し
それを自ら否定して自らの「汚い言葉」の不当性を和らげようとするやり口

前から頭がおかしいだの超理論だの文盲だの呼ばわりしたり
嘘認定や挙句に氏ねなどと言っている相手が
不愉快でも正しいことは正しいと認められる人間たる自分と同じ
という前提で書いているだなんて、いまさら虫が良すぎる話では?