賭けるゆえに我あり、というすごい神本
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下の方にある「ページのサンプル」をクリックすれば読めます 本書は2000年代に徳間書店から発売された本を
扶桑社で叢書として加筆したものです
そのため、2000年代の古いカジノ戦績が掲載されていますが
これは徳間書店版が出版された前年の最新の戦績になっています バカラの札を配るルール表で
プレイヤーが引かなかった場合(0)の記載が抜けていますが
これは、1997年に飛鳥新社から出版された森巣博のデビュー作『博奕の人間学』
からそのまま転載されたものです 本書はAmazonの書評の評価も高く、5つ星中で星4.1をマークしています(Amazon参照) 「賭けるゆえに我あり」は攻略本に分類されるものではありませんが
実質的なカジノゲーム指南書になっています
森巣博氏は1970年代にイギリス人女性のテッサ・モリス=スズキ教授と結婚して渡英
以後はロンドンやヨーロッパのカジノでプロデビュー
オーストラリアに移住してからは主に、シドニー、キャンベラ、メルボルン、マカオなどのカジノを
転戦しているハイローラーです
小説や政治社会評論の著書も多く
『ナショナリズムの克服』集英社、2002年刊は姜尚中氏との共著で話題になりました
「賭けるゆえに我あり」はノンフィクションの形態を取っていますが
フィクションとファクトを融合されせたファクションという構成になっており
事実を元にしながらフィクションを織り込んだカジノ紀行書になっています 攻略法に分類される本は、とかく説教じみた内容になりがちですが
賭けるゆえに我ありは、様々なエピソードを交えて
ギャンブラーが陥りやすい失敗がなぜ起きるかを、カジュアルな語り口調で
紐解いていく作品です 本書は攻略本ではないと森巣氏は断りを入れていますが
筆者の数あるカジノ関連の作品の中でも
ノンフィクションスタイルの中に、とりわけ攻略的要素を深く滲ませた特異な作品です
ネタバレになるので核心的な内容には触れませんが
この本の重要なキーワードは「必敗法」になると思います
勝ち方というよりも、ギャンブラーが負ける原因に多くのページを割いています
非常に挑発的な言葉が多く見受けられ
気分を害される方も多いと思われますが、これは核心部分に迫っているからと思われます
ここに注意せよと、強く喚起しているわけです
読んで、絶対に損はない本です。少し大きい図書館には、ほぼ置いてありますよ このゴールドコーストの野球選手って清原のことだよな キンドルで拝見しました
「必敗法を潰していけば、必勝法とまでは言えないが、勝機に繋がる」
という記述は、なるほどと思いました 最終的にギャンブラーは、こういうやり方でいかないと生き残れないよな。 森巣さんの本はどれもそうだけど
この本は特に
「カジノ初心者向け」なのに、中級者以上でないと理解できない
わざと難解に書かれているのが性格悪い
中級者以上であればすでに知ってることばかりで新たな発見はないし
初心者はおそらく、これ読んでもチンプンカンプンだろう
ギャンブラーにとって大事な心得が書かれているのは確かだが 『ニッポンのハイローラー』以降、新刊出ないよね
酒や麻薬が好きだから体壊したかな。もう71だものな 表現が嫌ったらしい
年収100万円の人が賭ける1万円と年収10億円の人が賭ける1000万円は同じことと
と思っている人がいるが、それは全く違う行為だ
1万円でベンツは買えない、せいぜい通販の座布団しか買えない、とか
何のためにそんな当たり前のこと言ってるのか、さっぱり分からん
貧乏人をバカにする人間じゃないし、本人も若い頃は貧乏だったと言っている
10万ドルも賭けるハイローラーなのに、上と比較して貧乏人だと卑下してるしな
ほんとに深読みして、これは年収の1%でも1千万円賭けは重いってことかと思ったが
おそらくそうじゃないと分かった
金持ちが1千万円を賭けるような重みで、貧乏人は1万円を賭けていない
それを批判しているんだな。負けてもいいやという気で賭けてると、到底勝てないと それから、馬鹿では博打は勝てないとか、そんな言わずもがなのこと何で言うのかと
だって、馬鹿が勝てないのは能力上の問題なんだから仕方ないじゃん
東大卒が一般人を馬鹿呼ばわりするようなもので彼はそんなこと言う人間じゃない
これも、深読みしてみれば、頭が悪いということではなくて
人は分かっているのにカジノの特殊な雰囲気に飲まれて馬鹿をやってしまう
だから、馬鹿を馬鹿にしているわけじゃなく、馬鹿な行為を批判しているわけだ
森巣さんは、こういう風に、わざと誤解させるようなことを言う
だから言葉を額面通りに受け止めた読者が本を放り出してしまう
何で、こういう紛らわしいことを言うんだろうと、深読みしてみた
で、思った結論は、森巣さんは「博打はやるな」というのが本心だということだ
博打打ちになんかなるな、しかしどうしてもやりたいなら
あるいは成功したいと思うなら、これぐらいで諦めるようじゃ駄目
そう、言いたいのだろうな、と思う。この本読めば、誰でもムカつく
それを承知の上で、読み進んでいけば色々と分かることもあると思うし
内容を理解することと、この本とか著者のファンである必要もないと思うんだ
それぞれ別物であってね 森巣氏は秋元康とも対戦していると、この本の後書きに書かれている
駄法螺じゃないと思う
秋元康のカジノ好きはAKBヲタクなら誰でも知ってるから
でも、秋元氏のナチュラル8をナチュラル9で捲くった話はホラ話だな 未成年のミホを手篭めにする所を見ると森巣博はロリコン 確かに読みごたえのある興味深い本だね
バンカーにしか賭けないと言ってるくせにニコイチPにしれっと賭けてる所が一貫性がなくて面白い 「いい罫線だ」とか抜かして10万ドル1撃で勝ち逃げする中国人はたまたまラッキーなだけやろ(笑) 森巣博の資金10%勝ちを続けるというのはずっと謎で
この本にも記述されているように
森巣氏は5万ドルバイインして5千ドル勝ったら止めると言っているし
実際に調子が良ければ100日連勝で50万ドル勝てると言っているが
別のページでは詳細なカジノの収支を出していて年間1000万円程度の儲け
と言っている(コンプキャッシュバックは別途)
どっちが本当なの?と、思うんだ
1日10%勝ちの連勝はキツいと思う。森巣さんレベルなら勝てるのか
自分はこの10日の間で資金の25%をやっとの思いで勝った
ちょっと無理したと思っている。勝ったが今は自信を欠いた気分だ
いや、このペースは長期的には無理だと思った。半分の1日1%でも自信ないかも
0.2%ならはずさないと思うが、元金が貯金のマックスなら、やっぱ自信ねぇ!
この本に書かれている1割戻半ちぎりと言うのは
あくまで、例えば月収の中で自由にできる金が例えば毎月10万円ある人が
毎日、1万円までなら勝てるとか、そういうレベルの話じゃないのかな?
つまり、負けてもいい金で1割戻し狙うってこと。それなら分かる まぁ確かに、この本でだったと思うけど
「絶対勝たねばならない人の博打はいじましい」と森巣さんは言っている
でも、あえていじましいレベルで、森巣さんならどのレベルまで勝てるんだろうと思う
それを聞いてみたい
常打ちギャンブラーとは確固とした収入基盤がある人のことと
「神はダイスを遊ばない」新潮文庫 で書いている
一方でカジノプロのことを「200ドル程度の資金で身を削るような細心の注意と
最大の集中力を要したこまい賭博の集積の結果、資金の倍になったらいずこへ消える」
と、実に具体的に観察した様子を描写しているが、それって若い頃の自分じゃないのか
そのようにも思えるのである
「そしてそのわずかな資金を失うと2、3日いなくなって侘しきやさで死んだ振り」
「1枚だけ残った最後の便所紙の使用法のごときしみじみとした博打を打つのがプロ」
そう書いてる(笑)
ところが、森巣さんは別の本では、自分自身の賭け方を「しみじみとした賭博」と形容する
やっぱりそれ、金額が違うだけでアンタ自身のことじゃねぇの?と思ってしまうのだ
負けるわけにはいかない金を賭けるとなると確かに身を削るような賭け方になる
それで必ず勝てるという保証すらないのだ
庶民感覚で言わせてもらうと、100万円失うのはマジやばい
だから100万円をバイインして毎日5千円抜くのだって、無理だな(笑)
森巣さんだってカジノに持ち込む5万ドルは資産の1/10とか1/20だろうと思う とすると、自分の場合は千ドルバイインまでで、1日に10ドルかー、と
森巣さんの本を読んで思ったりするのだ。やっぱね、100万円の資金で10日がかりで25万稼ぐのは捨て身よ
けれども、邪推するに、森巣さんだって、元金は色々な方法で確保したのだろうけど
壁にぶつかっては倒され、ぶつかっては倒され、そういう捨て身でデカい資金を作ったから
5万ドルをバイインできるようなハイローラーになれたんだろうな
だから、森巣さんが言うような一定率の勝ちをずっと積み重ねて財形できると思ったが
それは無理でしょ?結局、短期決戦でのるかそるかでしょ
それで生き残れるかどうか、大金をつかめるかどうかの博打でしょ?と
聞けるものなら聞いてみたいが、答えはもう出てるようなものだよな
それが何とも言えず空しいのだ。
森巣さんの言葉を引用してみよう
「プロは勝利を前提とした博打を打たねばならない宿命があるから、
負けは許されない。勝ちたいではなく、勝たねばならない博打を打たねばならない
これは辛く厳しい」
乳飲み子と当時大学院生だった奥さんを養っていた森巣さんは
ズバリ、この辛い博打の経験をしていた その森巣さんがそう言うのだから、カジノプロは無理かー、と思うのだ
「博打の人間学」で書かれているロンドン時代の苦しい賭博
毎日、ルーレットで50ドル稼ぐ大変さが書かれていた
あの森巣さんでさえ、若き日にはマーチンゲールで大火傷しているのだ
「生き残れるギャンブラーとは負けることを前提として勝負卓に座る者たち」
と森巣さんは定義している。厳しい言葉だね
負けるのが当たり前と思っているから、まさか勝ったら、転げまわりたいほど嬉しい
それが、常打ちギャンブラーであり、プロとの違いらしい
これはミーガンという美貌の若い女がプロを目指そうとしているエピソードで出てきた(神はダイスを遊ばない)
多くが消えていく世界だから、プロになることを森巣さんは止めようと諭すのだが
ミーガンはプロになり、ハイローラーへと成長していく
森巣作品で一貫しているのは、カジノの専業は無理だ、ということだ
ずっとプレーしているギャンブラーは、別に本業を持つ金持ちだけ
そのように規定している
だが、彼自身は例外と言っているが、これだけ精力的に本を書いているのを見れば
やはり、例外ではないのかもしれないな
そうだとすれば、あの悲しげな顔もよく理解できる
森巣さんは作家やおそらく何か知的な仕事を本業に持つが
カジノも皆勤するほどどっぷり浸かっている
だから彼自身は果たして「負けを受容」できる博打を打てる身分なのかどうか
もし、必ずしもそうでないとしたら…
かなり厳しい賭博を打っているということにもなる
そのあたり、実際、どうなのだろうな 森巣博が様々な著書で繰り返し繰り返し用いている言葉
カジノギャンブラーは
風蕭蕭(として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず)
死屍累々。嫌になるほど死屍累々
これは始皇帝暗殺に旅立つ勇者を見送った時の漢詩で
ここで分かれたら、本懐を遂げても遂げられなくても、彼は二度と帰れない
彼は死に逝く者であり、そのような勇者たちの死体が次々と積みあがっていく様を
カジノギャンブラーに重ねて表現している
風蕭蕭、死屍累々
森巣博は言う。勇敢なギャンブラーがかげろうのようにコロコロと死んでいった
もし、今も生き残っている勇敢なギャンブラーがいるとしたら、死ぬ。必ず死ぬ
結局、カジノはカジノ以外の収入があって、負けたところで打撃がない人でないと
生き残れない、それは単純に収支をプラスに持ち込むのが難しいというよりも
「リスクを負わないのが最大のリスク」と森巣氏が言う通りならば
負けられない博打は、負けてもいい博打よりも、勝ちにくい、不利だということだろうな 負けにくい方法に徹すると勝ちにくくなる。相当に勝ちにくくなる
一方で、じゃあ負けてもいいから、ひとつ一攫千金を目指そうぜと思ってガンガン勝負したら
風蕭蕭、死屍累々 となるわけだ
森巣博は自分自身がギャンブラーとして生き残れたのは豪運があったからと言っているが
言外に、他に収入があったから、いざとなれば大学教授の妻の家に帰ればよかったから
そういうことかもしれない
パチンコ攻略本の出版社の社長がカジノで必ず大金をすっていくそうだ
森巣氏は言う。「アイツらはカジノは金を捨てるところだと思って来ている」
「うなるほど金があるらしい」
森巣氏は結局のところ、ギャンブラーのあるべき立ち位置というのは
カジノで稼ぐ必要もない人たちと、カジノで負けるわけにはいかない人たちの
間に身を置くべきだとと、言っているように思われる
博打場で捨てるような金があるなら他に使えとか
負けたら終わりの負けられない博打を打つのは茨の道だぞとか
余計なお世話といえば余計なお世話ではあるが
これがカジノギャンブルの現実ということだ
それをよく理解した上で、地獄と天国の間を行き来するギャンブルの世界にようこそ
と、そういうことになるのかな 「賭人の4大要素」の章の「ツラを取れるか取れないか」の意味がちょっとわからへんのやけど
ツラに張るのは当たり前やし、取れたらラッキーだよな
倍パーレーやれってことかいな?でも、森巣さんもパーレーやってないよな??
ツラは誰だって取りたいよな。取れるもんならな
これ何か深い意味あるんかいな
ワイは長ツラ取れたら必ず、いったんセッションを切って、休憩する派や モニカがどうして
せっかくコツコツ稼いで増やした金をオールインする必要があったのか
謎 一気に読みきりました
深いですね
完全に理解できたとは思っていません
1つだけ私でも理解できた所は
というよりも、目からうろこが落ちたのは
「10連敗は、絶対に、100%の確率で、9連敗の次に起きる」
これは、自分の考え違いをズバリ、指摘された気持ちでした
私はつい、9連敗したら10連敗はしないだろうと思って、ベットアップしちゃうんですよね
それが、駄目だってことに気づけませんでした
「連敗したら打たれ越せ」と森巣先生はおっしゃいます
それがなかなかできない自分に気づかされました
それなんですよね。連敗している時はリスクオンの局面なんですよね
ところが、連敗しているのにリスクテイクしてしまう
なぜそんなことをやってしまうのか、自問してみました
やはり、一時的に金を失う恐怖や不安や不快感や対抗心のようなものがそうさせるのです
連敗は必現するから、打たれ越さないと生き残れないと思いました 森巣先生はこうも言います
「ミニマム10ドルで100連敗したっていい。千ドルのベッツを1本取れば帳尻があうし100連敗はしない」
極端な話ですけど、そういうことですよね
連敗している時は逆らっちゃ駄目なんですよね。連敗はやり過ごす。これ、本当に大事です
損切りって難しいですよね。森巣先生は最終的にはマネーマネジメントと言います
それはどこでベットアップするか、ベットダウンするかということですけど
損切りはマネーマネジメントの要ですよね
私は、とりあえずは連敗した時は、一時的に凹むことは受け入れて
森巣先生の言葉を使えば「微傷に抑えて」体勢立て直しすることから改めようと思いました
そうすると、負けを取り戻せないかもしれません
しかし、その場その場の敗北は受け入れた上で、前を向いていかなければなりません
場合によっては凹みっぱなしになるかもしれない
それでも、この局面を落としたら後がキツくなると思ってリスクテイクすると
さらに後がキツくなるし、何よりも、そういうことを諸々、考えてしまうと
資金に対してごく小さい比率でしか勝負できないですよね
それはギャンブルとして、もはや意味がないかもしれません
難しい道のりですが、まずは「打たれ越し」から始めてみたいと思いました 不動産王の柏木社長や、石井狛江市長や、大王製紙井川会長など
なぜ、自分自身が使い切れもしないような50億100億という途方もない大金をバカラに賭ける必要があるのか?
凡人には訳がわからんよ 賭けるゆえに我あり、というタイトルに込められた意味
「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの有名な命題をもじったのだろうが
これは、すべてを疑え、というデカルトの手法が
ギャンブルにも当てはまると森巣博が思ったからだろう
「一度でも間違った事象が起きたらそれを信用するな」というのがデカルトの哲学だ
自分は何者なのか?という問いに対して
森巣博は、プロギャンブラーかもしれぬし、常打ち賭人かもしれぬが
「俺は俺を常打ち賭人と認識している俺という存在は紛れもない実体だ」
ということだろうな
森巣博はプロギャンブラーと呼ばれることを嫌う
アイツらと一緒にしないでくれ、という記述がこの本にも見られる
ある人が博打を打ったからと言って、ギャンブラーであるとは限らない
ただ博打を打つという行為をした人=ギャンブラーではないからだ
私は何者なのか、と自問自答した時
作家であり編集者でありコンサルタントであり、趣味はギャンブルの人なのか
プロギャンブラーだが、それだけでは生計が立たないので
作家などをしてシノいでいる人なのか
森巣博は、そのどちらでもないと、位置づけたいと願った
その結果として、常打ち賭人という、いいとこどりのキャラクターが誕生したわけだ
所謂、二束のわらじを履いているわけだが
彼の生活状態は秘密のベールに包まれている 自分は、森巣博が彼自身が言うように生活に余裕のあるハイローラーであって欲しいと願っている、あるいはそう信じたい
けれど、何か余裕のない人のようにも見えてしまうのだ
小物の木曽とか、大物の河合隼雄まで噛み付くし(河合さんはお亡くなりになったが)
金持ちケンカせずと言うから、実体は違うのかなぁと思ってしまうのだ
ああ、自分もデカルトの「すべてを疑え」に毒されてしまっている
これも森巣博の影響だろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています