賭けるゆえに我あり、というすごい神本
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下の方にある「ページのサンプル」をクリックすれば読めます 本書は2000年代に徳間書店から発売された本を
扶桑社で叢書として加筆したものです
そのため、2000年代の古いカジノ戦績が掲載されていますが
これは徳間書店版が出版された前年の最新の戦績になっています バカラの札を配るルール表で
プレイヤーが引かなかった場合(0)の記載が抜けていますが
これは、1997年に飛鳥新社から出版された森巣博のデビュー作『博奕の人間学』
からそのまま転載されたものです 本書はAmazonの書評の評価も高く、5つ星中で星4.1をマークしています(Amazon参照) 「賭けるゆえに我あり」は攻略本に分類されるものではありませんが
実質的なカジノゲーム指南書になっています
森巣博氏は1970年代にイギリス人女性のテッサ・モリス=スズキ教授と結婚して渡英
以後はロンドンやヨーロッパのカジノでプロデビュー
オーストラリアに移住してからは主に、シドニー、キャンベラ、メルボルン、マカオなどのカジノを
転戦しているハイローラーです
小説や政治社会評論の著書も多く
『ナショナリズムの克服』集英社、2002年刊は姜尚中氏との共著で話題になりました
「賭けるゆえに我あり」はノンフィクションの形態を取っていますが
フィクションとファクトを融合されせたファクションという構成になっており
事実を元にしながらフィクションを織り込んだカジノ紀行書になっています 攻略法に分類される本は、とかく説教じみた内容になりがちですが
賭けるゆえに我ありは、様々なエピソードを交えて
ギャンブラーが陥りやすい失敗がなぜ起きるかを、カジュアルな語り口調で
紐解いていく作品です 本書は攻略本ではないと森巣氏は断りを入れていますが
筆者の数あるカジノ関連の作品の中でも
ノンフィクションスタイルの中に、とりわけ攻略的要素を深く滲ませた特異な作品です
ネタバレになるので核心的な内容には触れませんが
この本の重要なキーワードは「必敗法」になると思います
勝ち方というよりも、ギャンブラーが負ける原因に多くのページを割いています
非常に挑発的な言葉が多く見受けられ
気分を害される方も多いと思われますが、これは核心部分に迫っているからと思われます
ここに注意せよと、強く喚起しているわけです
読んで、絶対に損はない本です。少し大きい図書館には、ほぼ置いてありますよ このゴールドコーストの野球選手って清原のことだよな キンドルで拝見しました
「必敗法を潰していけば、必勝法とまでは言えないが、勝機に繋がる」
という記述は、なるほどと思いました 最終的にギャンブラーは、こういうやり方でいかないと生き残れないよな。 森巣さんの本はどれもそうだけど
この本は特に
「カジノ初心者向け」なのに、中級者以上でないと理解できない
わざと難解に書かれているのが性格悪い
中級者以上であればすでに知ってることばかりで新たな発見はないし
初心者はおそらく、これ読んでもチンプンカンプンだろう
ギャンブラーにとって大事な心得が書かれているのは確かだが 『ニッポンのハイローラー』以降、新刊出ないよね
酒や麻薬が好きだから体壊したかな。もう71だものな 表現が嫌ったらしい
年収100万円の人が賭ける1万円と年収10億円の人が賭ける1000万円は同じことと
と思っている人がいるが、それは全く違う行為だ
1万円でベンツは買えない、せいぜい通販の座布団しか買えない、とか
何のためにそんな当たり前のこと言ってるのか、さっぱり分からん
貧乏人をバカにする人間じゃないし、本人も若い頃は貧乏だったと言っている
10万ドルも賭けるハイローラーなのに、上と比較して貧乏人だと卑下してるしな
ほんとに深読みして、これは年収の1%でも1千万円賭けは重いってことかと思ったが
おそらくそうじゃないと分かった
金持ちが1千万円を賭けるような重みで、貧乏人は1万円を賭けていない
それを批判しているんだな。負けてもいいやという気で賭けてると、到底勝てないと それから、馬鹿では博打は勝てないとか、そんな言わずもがなのこと何で言うのかと
だって、馬鹿が勝てないのは能力上の問題なんだから仕方ないじゃん
東大卒が一般人を馬鹿呼ばわりするようなもので彼はそんなこと言う人間じゃない
これも、深読みしてみれば、頭が悪いということではなくて
人は分かっているのにカジノの特殊な雰囲気に飲まれて馬鹿をやってしまう
だから、馬鹿を馬鹿にしているわけじゃなく、馬鹿な行為を批判しているわけだ
森巣さんは、こういう風に、わざと誤解させるようなことを言う
だから言葉を額面通りに受け止めた読者が本を放り出してしまう
何で、こういう紛らわしいことを言うんだろうと、深読みしてみた
で、思った結論は、森巣さんは「博打はやるな」というのが本心だということだ
博打打ちになんかなるな、しかしどうしてもやりたいなら
あるいは成功したいと思うなら、これぐらいで諦めるようじゃ駄目
そう、言いたいのだろうな、と思う。この本読めば、誰でもムカつく
それを承知の上で、読み進んでいけば色々と分かることもあると思うし
内容を理解することと、この本とか著者のファンである必要もないと思うんだ
それぞれ別物であってね 森巣氏は秋元康とも対戦していると、この本の後書きに書かれている
駄法螺じゃないと思う
秋元康のカジノ好きはAKBヲタクなら誰でも知ってるから
でも、秋元氏のナチュラル8をナチュラル9で捲くった話はホラ話だな 未成年のミホを手篭めにする所を見ると森巣博はロリコン 確かに読みごたえのある興味深い本だね
バンカーにしか賭けないと言ってるくせにニコイチPにしれっと賭けてる所が一貫性がなくて面白い 「いい罫線だ」とか抜かして10万ドル1撃で勝ち逃げする中国人はたまたまラッキーなだけやろ(笑) 森巣博の資金10%勝ちを続けるというのはずっと謎で
この本にも記述されているように
森巣氏は5万ドルバイインして5千ドル勝ったら止めると言っているし
実際に調子が良ければ100日連勝で50万ドル勝てると言っているが
別のページでは詳細なカジノの収支を出していて年間1000万円程度の儲け
と言っている(コンプキャッシュバックは別途)
どっちが本当なの?と、思うんだ
1日10%勝ちの連勝はキツいと思う。森巣さんレベルなら勝てるのか
自分はこの10日の間で資金の25%をやっとの思いで勝った
ちょっと無理したと思っている。勝ったが今は自信を欠いた気分だ
いや、このペースは長期的には無理だと思った。半分の1日1%でも自信ないかも
0.2%ならはずさないと思うが、元金が貯金のマックスなら、やっぱ自信ねぇ!
この本に書かれている1割戻半ちぎりと言うのは
あくまで、例えば月収の中で自由にできる金が例えば毎月10万円ある人が
毎日、1万円までなら勝てるとか、そういうレベルの話じゃないのかな?
つまり、負けてもいい金で1割戻し狙うってこと。それなら分かる まぁ確かに、この本でだったと思うけど
「絶対勝たねばならない人の博打はいじましい」と森巣さんは言っている
でも、あえていじましいレベルで、森巣さんならどのレベルまで勝てるんだろうと思う
それを聞いてみたい
常打ちギャンブラーとは確固とした収入基盤がある人のことと
「神はダイスを遊ばない」新潮文庫 で書いている
一方でカジノプロのことを「200ドル程度の資金で身を削るような細心の注意と
最大の集中力を要したこまい賭博の集積の結果、資金の倍になったらいずこへ消える」
と、実に具体的に観察した様子を描写しているが、それって若い頃の自分じゃないのか
そのようにも思えるのである
「そしてそのわずかな資金を失うと2、3日いなくなって侘しきやさで死んだ振り」
「1枚だけ残った最後の便所紙の使用法のごときしみじみとした博打を打つのがプロ」
そう書いてる(笑)
ところが、森巣さんは別の本では、自分自身の賭け方を「しみじみとした賭博」と形容する
やっぱりそれ、金額が違うだけでアンタ自身のことじゃねぇの?と思ってしまうのだ
負けるわけにはいかない金を賭けるとなると確かに身を削るような賭け方になる
それで必ず勝てるという保証すらないのだ
庶民感覚で言わせてもらうと、100万円失うのはマジやばい
だから100万円をバイインして毎日5千円抜くのだって、無理だな(笑)
森巣さんだってカジノに持ち込む5万ドルは資産の1/10とか1/20だろうと思う とすると、自分の場合は千ドルバイインまでで、1日に10ドルかー、と
森巣さんの本を読んで思ったりするのだ。やっぱね、100万円の資金で10日がかりで25万稼ぐのは捨て身よ
けれども、邪推するに、森巣さんだって、元金は色々な方法で確保したのだろうけど
壁にぶつかっては倒され、ぶつかっては倒され、そういう捨て身でデカい資金を作ったから
5万ドルをバイインできるようなハイローラーになれたんだろうな
だから、森巣さんが言うような一定率の勝ちをずっと積み重ねて財形できると思ったが
それは無理でしょ?結局、短期決戦でのるかそるかでしょ
それで生き残れるかどうか、大金をつかめるかどうかの博打でしょ?と
聞けるものなら聞いてみたいが、答えはもう出てるようなものだよな
それが何とも言えず空しいのだ。
森巣さんの言葉を引用してみよう
「プロは勝利を前提とした博打を打たねばならない宿命があるから、
負けは許されない。勝ちたいではなく、勝たねばならない博打を打たねばならない
これは辛く厳しい」
乳飲み子と当時大学院生だった奥さんを養っていた森巣さんは
ズバリ、この辛い博打の経験をしていた その森巣さんがそう言うのだから、カジノプロは無理かー、と思うのだ
「博打の人間学」で書かれているロンドン時代の苦しい賭博
毎日、ルーレットで50ドル稼ぐ大変さが書かれていた
あの森巣さんでさえ、若き日にはマーチンゲールで大火傷しているのだ
「生き残れるギャンブラーとは負けることを前提として勝負卓に座る者たち」
と森巣さんは定義している。厳しい言葉だね
負けるのが当たり前と思っているから、まさか勝ったら、転げまわりたいほど嬉しい
それが、常打ちギャンブラーであり、プロとの違いらしい
これはミーガンという美貌の若い女がプロを目指そうとしているエピソードで出てきた(神はダイスを遊ばない)
多くが消えていく世界だから、プロになることを森巣さんは止めようと諭すのだが
ミーガンはプロになり、ハイローラーへと成長していく
森巣作品で一貫しているのは、カジノの専業は無理だ、ということだ
ずっとプレーしているギャンブラーは、別に本業を持つ金持ちだけ
そのように規定している
だが、彼自身は例外と言っているが、これだけ精力的に本を書いているのを見れば
やはり、例外ではないのかもしれないな
そうだとすれば、あの悲しげな顔もよく理解できる
森巣さんは作家やおそらく何か知的な仕事を本業に持つが
カジノも皆勤するほどどっぷり浸かっている
だから彼自身は果たして「負けを受容」できる博打を打てる身分なのかどうか
もし、必ずしもそうでないとしたら…
かなり厳しい賭博を打っているということにもなる
そのあたり、実際、どうなのだろうな 森巣博が様々な著書で繰り返し繰り返し用いている言葉
カジノギャンブラーは
風蕭蕭(として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず)
死屍累々。嫌になるほど死屍累々
これは始皇帝暗殺に旅立つ勇者を見送った時の漢詩で
ここで分かれたら、本懐を遂げても遂げられなくても、彼は二度と帰れない
彼は死に逝く者であり、そのような勇者たちの死体が次々と積みあがっていく様を
カジノギャンブラーに重ねて表現している
風蕭蕭、死屍累々
森巣博は言う。勇敢なギャンブラーがかげろうのようにコロコロと死んでいった
もし、今も生き残っている勇敢なギャンブラーがいるとしたら、死ぬ。必ず死ぬ
結局、カジノはカジノ以外の収入があって、負けたところで打撃がない人でないと
生き残れない、それは単純に収支をプラスに持ち込むのが難しいというよりも
「リスクを負わないのが最大のリスク」と森巣氏が言う通りならば
負けられない博打は、負けてもいい博打よりも、勝ちにくい、不利だということだろうな 負けにくい方法に徹すると勝ちにくくなる。相当に勝ちにくくなる
一方で、じゃあ負けてもいいから、ひとつ一攫千金を目指そうぜと思ってガンガン勝負したら
風蕭蕭、死屍累々 となるわけだ
森巣博は自分自身がギャンブラーとして生き残れたのは豪運があったからと言っているが
言外に、他に収入があったから、いざとなれば大学教授の妻の家に帰ればよかったから
そういうことかもしれない
パチンコ攻略本の出版社の社長がカジノで必ず大金をすっていくそうだ
森巣氏は言う。「アイツらはカジノは金を捨てるところだと思って来ている」
「うなるほど金があるらしい」
森巣氏は結局のところ、ギャンブラーのあるべき立ち位置というのは
カジノで稼ぐ必要もない人たちと、カジノで負けるわけにはいかない人たちの
間に身を置くべきだとと、言っているように思われる
博打場で捨てるような金があるなら他に使えとか
負けたら終わりの負けられない博打を打つのは茨の道だぞとか
余計なお世話といえば余計なお世話ではあるが
これがカジノギャンブルの現実ということだ
それをよく理解した上で、地獄と天国の間を行き来するギャンブルの世界にようこそ
と、そういうことになるのかな 「賭人の4大要素」の章の「ツラを取れるか取れないか」の意味がちょっとわからへんのやけど
ツラに張るのは当たり前やし、取れたらラッキーだよな
倍パーレーやれってことかいな?でも、森巣さんもパーレーやってないよな??
ツラは誰だって取りたいよな。取れるもんならな
これ何か深い意味あるんかいな
ワイは長ツラ取れたら必ず、いったんセッションを切って、休憩する派や モニカがどうして
せっかくコツコツ稼いで増やした金をオールインする必要があったのか
謎 一気に読みきりました
深いですね
完全に理解できたとは思っていません
1つだけ私でも理解できた所は
というよりも、目からうろこが落ちたのは
「10連敗は、絶対に、100%の確率で、9連敗の次に起きる」
これは、自分の考え違いをズバリ、指摘された気持ちでした
私はつい、9連敗したら10連敗はしないだろうと思って、ベットアップしちゃうんですよね
それが、駄目だってことに気づけませんでした
「連敗したら打たれ越せ」と森巣先生はおっしゃいます
それがなかなかできない自分に気づかされました
それなんですよね。連敗している時はリスクオンの局面なんですよね
ところが、連敗しているのにリスクテイクしてしまう
なぜそんなことをやってしまうのか、自問してみました
やはり、一時的に金を失う恐怖や不安や不快感や対抗心のようなものがそうさせるのです
連敗は必現するから、打たれ越さないと生き残れないと思いました 森巣先生はこうも言います
「ミニマム10ドルで100連敗したっていい。千ドルのベッツを1本取れば帳尻があうし100連敗はしない」
極端な話ですけど、そういうことですよね
連敗している時は逆らっちゃ駄目なんですよね。連敗はやり過ごす。これ、本当に大事です
損切りって難しいですよね。森巣先生は最終的にはマネーマネジメントと言います
それはどこでベットアップするか、ベットダウンするかということですけど
損切りはマネーマネジメントの要ですよね
私は、とりあえずは連敗した時は、一時的に凹むことは受け入れて
森巣先生の言葉を使えば「微傷に抑えて」体勢立て直しすることから改めようと思いました
そうすると、負けを取り戻せないかもしれません
しかし、その場その場の敗北は受け入れた上で、前を向いていかなければなりません
場合によっては凹みっぱなしになるかもしれない
それでも、この局面を落としたら後がキツくなると思ってリスクテイクすると
さらに後がキツくなるし、何よりも、そういうことを諸々、考えてしまうと
資金に対してごく小さい比率でしか勝負できないですよね
それはギャンブルとして、もはや意味がないかもしれません
難しい道のりですが、まずは「打たれ越し」から始めてみたいと思いました 不動産王の柏木社長や、石井狛江市長や、大王製紙井川会長など
なぜ、自分自身が使い切れもしないような50億100億という途方もない大金をバカラに賭ける必要があるのか?
凡人には訳がわからんよ 賭けるゆえに我あり、というタイトルに込められた意味
「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの有名な命題をもじったのだろうが
これは、すべてを疑え、というデカルトの手法が
ギャンブルにも当てはまると森巣博が思ったからだろう
「一度でも間違った事象が起きたらそれを信用するな」というのがデカルトの哲学だ
自分は何者なのか?という問いに対して
森巣博は、プロギャンブラーかもしれぬし、常打ち賭人かもしれぬが
「俺は俺を常打ち賭人と認識している俺という存在は紛れもない実体だ」
ということだろうな
森巣博はプロギャンブラーと呼ばれることを嫌う
アイツらと一緒にしないでくれ、という記述がこの本にも見られる
ある人が博打を打ったからと言って、ギャンブラーであるとは限らない
ただ博打を打つという行為をした人=ギャンブラーではないからだ
私は何者なのか、と自問自答した時
作家であり編集者でありコンサルタントであり、趣味はギャンブルの人なのか
プロギャンブラーだが、それだけでは生計が立たないので
作家などをしてシノいでいる人なのか
森巣博は、そのどちらでもないと、位置づけたいと願った
その結果として、常打ち賭人という、いいとこどりのキャラクターが誕生したわけだ
所謂、二束のわらじを履いているわけだが
彼の生活状態は秘密のベールに包まれている 自分は、森巣博が彼自身が言うように生活に余裕のあるハイローラーであって欲しいと願っている、あるいはそう信じたい
けれど、何か余裕のない人のようにも見えてしまうのだ
小物の木曽とか、大物の河合隼雄まで噛み付くし(河合さんはお亡くなりになったが)
金持ちケンカせずと言うから、実体は違うのかなぁと思ってしまうのだ
ああ、自分もデカルトの「すべてを疑え」に毒されてしまっている
これも森巣博の影響だろうか 村本みたいな奴、カジノによくいるよな(笑)最近も韓国で見た
最初はカードカウンターなのかなーって思う
だって、ずっとミニマムで賭けてて、突然、大玉を打ち込むんだから
そして、それが見事にはずれる。カウンターじゃねぇ!
何やねん?何で今、勝負したのって思う。何を感じたの?
何を根拠に?
で、次にダブルアップ(勝負手のフォローアップ)するとこもそっくり(笑)
そういう賭け方はバカラではよく見るけど、BJでそれは、何だかなー 森巣博って、こうすれば勝てるという話は一切なくて
こうすると負けるとか、こういう奴は負けるとか、すごく負けた奴の話とか
自分の武勇伝と、辛かった過去の話と、世の中に対する怒りが多いよな 結局、森巣理論の土台というのは「ギャンブラーは破滅する」ということなんだな
有名な「ギャンブラー破産問題の公式」がその土台理論になっている
ギャンブラーはどうやっても破産する。だが博打は止めたくない
だから、ギャンブラーが常打ちとして成立する絶対的な条件を明確に挙げている
負けた時に備えて、あらかじめ金の算段を確立させておくということだ
収入でも資産でも、タカリでも盗みでも借金でも、金の出所は何でもいい
重要なのは、いかなる状況に追い込まれてもギャンブルの資金を確保できる前提を
ギャンブラーは自己成立させておかなければ常打ちは無理だと繰り返し言っている
口の悪い森巣博でさえ、さすがに直裁に言えないこと
それは貧乏人と金の当てがない奴は博打を打つな、ということだ
それを迂遠な言い回しで伝えようとするのは、つまりは、「貧乏人は博打を打つな」
「だが、そんなに博打が好きなら俺も仲間だ。博打をできる環境を整えろ」ということになる
博打で負ける奴は馬鹿だ愚かだと、容赦なく罵詈雑言を浴びせかけるのも
「そんなことじゃ、お前、好きな博打を打ち続けられないだろ」という、彼流のクンロク
叱咤と説教なのである。博打以外の収入の確保も当然、それに含まれる
だから、無職の自称プロギャンブラーというものを彼は評価しないのだ それは一時期の彼自身の姿でもあるから。
ある程度は凌げる博打打ちだって、追い込まれるのは避けられない
博打で追い込まれても常打ちを続けていくには「博打以外の収入の手段」と「徹底した受身」
博打の徳目たる自制心、マネーコントロールを、本書では深く語っているわけだ
これは穿った見方をすれば、プロになれそうだと思っても本業を手放すな、という訓戒であり
「だが、何事にも例外はある」と但し書きをつけているところが、さすがにカジノ経験が豊富なところだ
人間はリスクの塊だから、生きていること自体がギャンブルだ
いつ、病気や事故や犯罪に見舞われるか分からないし、どんなトラブルに巻き込まれるか分からない
去年の今頃、誰が見ても絶対に死ぬはずもないという人が、今、生きていないのだ
そして、人間はいつか、必ず死ぬ。生存の破綻と肉体の破滅が宿命づけられている
それを思えば、ギャンブルの破産など大した問題ではないが
多くの人々が「たかがギャンブル」による破滅で自ら命を絶っているのだ そうなってしまうのは、ギャンブルの帰結としての破産問題を
想像し、受容し、諦観するというギャンブルの前準備がなってないからである
博打も種類は様々だが、丁半博打に関して言えば、簡単に勝つし、簡単に負ける
そこんところは、この上なくシンプルなのである。そこを複雑に考えても仕方ないのだ
大事なのは、破産後にどうそれを乗り越えるか、あるいは破産をどれだけ先延ばしできるかだ
「転がされてもいい。転がされても立ち上がれない負け方が悪い」と森巣博は言う
その通りである。じゃあ、人はなぜ、立ち上がれないような大敗北を喫するのか
それは、破産を想像し、受容し、諦観するマインドが欠けているからである
反省はするし、理屈も分かっているのに、同じ事を何度も繰り返してしまう
結局、「知っている」ということと「体得している」ことは天地ほどの違いがあるからだろう 賭けるゆえに我ありは、博打で失敗するエピソードで彩られている
一人ひとり、それぞれ失敗した理由があって、一様ではない
村本が負けた原因はギャンブル依存。ミホが負けた原因は未熟さと軽率さと甘さ
野球選手が負けた原因は尊大さ。そしてモニカが負けた原因は……
モニカほど才気煥発なギャンブラーでさえ破滅した
それがカジノギャンブルだと言うことだ。ギャンブルには遠い地平の先に敗北があり
それに、いかに想いを寄せることができるか、ということだ
博打における小さな敗北は、ギャンブラーなら誰でも経験しているが
真の敗北を骨身に想像し受容し諦観の域に達することができない領域の金を
人はまともな状態なら絶対賭けられない
もし不幸にも一時的に錯乱して、その準備なくして賭けて敗北したら
人は破滅してしまう。森巣博がこの本で言いたかったのは、そのことだと思うのだ この金を失ったら大変なことになる、そんな大金を賭けるのは愚行の極みではあるが
大きな賭けに負けた自分自身を想像して(心に生じた亀裂を本気で想像し)
敗北の塗炭の苦しみを受容して、諦観する自分自身を俯瞰しきった後に賭ける大勝負が
もたらすものは、その結果いかんに関らず、持続的に耐えられるギャンブルの行動領域を広げる
ギャンブルで大勝するチャンスはそんなにあるものではないが
もしあるとしたら、短期的に、大勝負に打ち勝つこと。それしかない
だが、大敗北と背中合わせに、ギャンブラーはどれだけ転がされて
そして起き上がれるだろうか
博打で成果を上げるというのは、真の破滅に至る道か
あるいは、破滅の直前で、ぐっと踏みとどまる。それを繰り返す
決して負け切らない。何度転がされてもむっくりと起き上がる胆力
それはきっと、持って生まれたもので、訓練などでは身につかないのだろうけれど
ギャンブルをする者は、すべからず、大敗北に耐えられる強靭なメンタルを養わねばならない
「これがギャンブラーの器量の限界を決める」「そして飛べる高さを決定的にする」
自慢好きな森巣博も、ここだけは謙虚に、直截な表現は控えているようである。 無謀な大博打を打つ奴はバカだが
小さいションベン博打ばっかり打ってる奴はマヌケ
バカもマヌケもどっちもやだけど
マヌケは一生、大金は拝めないからバカの方がマシということなのかな? 一番最後の章にある「必勝法と攻略法について」の部分は大事よ 森巣博の二人の兄は東大卒なのに森巣博は高卒だから
この人はコンプレックスが強いんだよなぁ
母校の都立豊多摩高校は宮崎駿(学習院大卒)などがOBの進学校なんだけどね
高校時代から博打に夢中になって学業をおろそかにしたと言い訳している
でも地頭はいいんだろうな 森巣氏いわく
「必勝法知ってたら1冊売って百円の印税しか入らない本にそれ書くわけないだろ」って(笑)
納得 「鉄板!」と言って清原がニコイチツラ張りで1万ドル賭けるとこで
森巣がニコイチツラ切り(逆張り)で1万ドルを賭ける話は出来すぎだよな
モニカの7もくリャンコツラ切りに森巣が乗るのも同じ
実はツラ切り大好きオッサンなんじゃね? >>30
俺もそこが、森巣博がギャンブラーの中で白眉だと思えるとこだと思う
俺らはちょっと初心者から脱した頃に
「ツラのほとんどは切れるがツラ切りしたらランが走って一巻の終わり」であることを
最初に学ぶ
だけど、連敗こそが「最大のラン」なんだよな
だから、少なくとも最初に起きた連敗の負の波は、走ってるツラそのものだから
その連敗は止められない。止められなのに、止めようとするから
1つの連敗で大きくやられる
連敗とツラは深追いしちゃいけないんだな
打たれ越す(森巣の言葉は何か馬糞臭い。ちなみに同窓の宮崎駿も昔、宮崎の作品は馬糞臭いと言われたそうだ)
言葉が、香ばしいよね。−−馥郁とした下肥の香り漂う−−とか
ツラには張れるが自分が連敗する方には賭けられない
だとしたら、手を引くか、ベットダウンするしかない。悔しいが、それしかない
最初の連敗に立ち向かうはツラ切りと同じ けれども、いちど連敗のツラを見送った次は攻めたい
また、連敗するかもしれないが、その時はまた見送って、三度目のチャレンジに賭ける
そして、三度目の連敗の波をかぶったら、諦めるしかない。負けを受け入れる
しかしだ。このように辛抱する森巣メソッドを取り入れて、少しは負けを先送りできるようになった
勝てるかどうかとは別の次元の話として
ギャンブラーはあまりにも、とっとと負けてしまい過ぎる気がするがどうだろう
こういう風に踏ん張るべきではないか?
森巣氏が攻冠征伐隊とかでメルボルンのクラウンカジノで大負けした時も
「我慢が効かずに崩れた」「博打は我慢なのである」と言っている
5連敗をベットアップで取り戻すのは7もく走っているツラを大玉で取り返すも同じ
連敗とツラは行かせるしかない。そこが我慢のしどころだよな 俺は、必ず勝ちで終わる動画配信者を信じない。勝ちを切り取ってるだけだから
どう損切りして、大きなマイナスからどう立て直すか、そこを見せられないんじゃ話にならない 森巣先生のギャンブラーの4大要素
★勝ち逃げできるか出来ないか
★受身に徹することができるか
(村本は勝ち逃げは出来たが負け逃げが出来ない弱点が身を滅ぼした)
(森巣博の負けている時の受身は一撃離脱)
★ツラを取れるか取れないか
★マネーマネジメント
(モニカは1割勝ったら止める、半分負けたら止めるを実践していたが、メンタルが崩れて大敗北した)
以上の4点ですが
これは簡単なようで、なかなか守れないものですよね
私も守れませんでした
これを守れないと、どうなるかと言いますと、まさにモニカ状態に近くなりますね
これは極端な例ですけど、本質的には、こういうことやらかします
気持ちがささくれだって、雑に、負けを一気に取り戻そうとしてやられてしまうのです
あるいは、やられないまでも、危ない橋を何度も渡って、結果勝てたとしても
ゲームが終われば深い後悔に苛まれて、暗澹とした気持ちに沈んでしまうのです
「これは破産への道で」と思うからです。今日は助かったが次は助からないと…
ツラを取れ、というのは、その通りだと思いますが
これは、相当に勝っている時や、資金量が大きくてミニマムが小さい時しか張れません
ツラ張りは「由緒正しい正攻法」だと思っていますが
私の賭け方の中では、ややリスキーな部類に入ります
なぜなら、ツラ張りは勝ち負けが偏るからです
特にゲームスタートの出だしで、収支が一進一退の時は
うまくツラが取れれば一気にリードですが、しくじればジリ貧スタートです
これを私は避けたいのです
ツラ取りたいと、思う気持ちをぐっと堪えて、ルックします マネーマネジメント・マネーコントロールは
詰まるところ、バカラのすべてですね。核心部分です
クルマに例えれば、バンクロールはエンジンです
1千万円のバイインはV8ターボエンジンで百ドルのバイインは軽の3気筒エンジンです
得られるものは当然違いますが
マネーコントロールをミスしてクラッシュ(全損)したら
最後尾でフィニッシュした軽自動車に抜かれてしまいます
マネーマネジメントとは自分の資金(エンジン)をよく理解して
アクセル、ブレーキを適切に使いこなすことだろうと思います
せっかくタイムを伸ばしても(金を増やしても)ブレーキを踏んだら元の木阿弥
けれども、ブレーキを踏まねばスピンオフして最悪、全損(破産)です
しかし、冷静沈着なモニカがまさにそうであったように
人間には感情がありますから、ロボットのようにはいきません。崩れるのです
ケンカに例えれば、連打されるのも、ダウンを喫するのも屈辱ですよね
カッとなってしまうのです。人間ですから
特にランドカジノの場合は、自分以外の勝者が見えますし、ディーラーもいます
だから余計に、影響を受けやすいというわけです
でも、カッとするのは、心に潜む傲慢さが露出した状況とも言えるのです
謙虚であろうと心がけている時でさえ、それは起こり得るのです
「一時的な負けは受容する約束だったじゃないか」という、もう1つの自分の声がかき消される
だから、バカラは誰との戦いでもなく、自分自身との(孤独な)戦いなのです
外野はただの雑音でしかありません マネーマネジメントで私が実践しているのは
千ドルバイインしたら、今日は50ドル勝ちたいと思うとします
その時は、10ドル勝ったら必ずセッションを切って休憩します
それはあまり意味がないのではないか、と私も最初は思っていましたが
これは私の弱点なので、そうせざるえないのです(意思強固な人は続けられるでしょう)
続けると私はメンタルの弱さのボロが出てしまうのです
50ドル目標を10ドル5セットに分割して、1セット終わった時に
マズい賭け方(マネーコントロール)を振り返って、自戒するのです
自分自身が作り出した悪い流れを、セッションを切ることで止めるわけです
もう1つの目的は、やはりプレー時間が長引けば長引くほど
集中力を失って、見落とし、ミスをしやすくなります
これは、時に深手を負う原因になりかねません
コンディションも勝負の波も良くて、セッションを切るのは惜しい時もあります
でも「良い波は悪い波でもある」と思って、ショートセッションでやっています
ショートセッションでやっていると
「ここは100ドル取れる、100ドル狙いたい」という局面が回ってくることもあります
悪魔の誘惑ですね。それに乗ってこそのギャンブルの醍醐味ではありますが
私は狙いません そこで100ドルを狙い、見事に取れたなら
10ドルを勝つということは、そのゲームにぎっしりと詰め込まれていた情報と集中は
スカスカなものになることを知っているからです
10ドルなど誤差の範囲内、いわばノイズ
でも違うのです。千ドルのバンクロールにおける10ドルのショートセッションの中には
情報がぎっしりと詰まっているのです。コップの中の嵐などと矮小化することは出来ません
この情報の質というのは、バンクロールが1万ドルになった時でも変わらないのです
もし、10ドルと100ドルのショートセッションは違うとしたら
それは、千ドル失う恐怖と1万ドル失う恐怖の差だけです
お金の勝ちは人それぞれですから、それは仕方ないことです
森巣先生もこう言います
「カジノでは5ドルチップ2枚を手を震わせながら賭ける人もいれば
1万ドルチップを犬に骨を与えるように放り投げる者もいると」
公園に、幅15cm高さ3cmの木道が100mに渡って設置されています
私たちは、軽くバランスを取る時もあるでしょうが、難なく渡りきるでしょう
足の幅より広い木道ですら、リラックスしてまっすぐ歩けばいいだけです
しかし、これが、地上20階のビルとビルに渡された木道だったらどうでしょうか?
目も眩む高さを渡る。無風だとしても、足はすくみます
その緊張から、足を踏み外して転落する者が必ず出てくるでしょう
ギャンブラーが間違える時の背景には、恐怖と欲が心に根を張っている時です
もっと言えば、自身が抱える恐怖と欲に対して無理をしている時です
ギャンブルはスリルがたまらない、という人も中にはいますが
そのスリルの恐怖は、テレビでホラー映画を見る恐怖のレベルです
実際に本物の化け物や殺人鬼に直面する恐怖はスリルを超えています 賭ける資金が少ない時は、恐怖からは開放されます
これも、少ないというのは「その人にとって少ない資金」ということですが
でも、恐怖がなければ無理が可能です。リスクを取るメソッドが染み付いてしまうと
より大きな資金でそのメソッドを試すのは、逆に難しくなる理由は分かるでしょう
恐怖から開放されるとギャンブラーは欲が強く出てきます。これは危険な兆候です
踏み込んではいけないハイリスクハイリターンを当然のように狙い始めるからです
森巣先生はおそらく、マネーマネジメントとは欲と恐怖をコントロールすることだと
合理的に平常心で、それを受け入れることだと言いたいのだと思います
この4つ目の「賭人の器量を決める要素」が、おそらく最も重要に思われます
金持ちはギャンブルで有利だとはよく言われます
本書では大負けした石井市長、柏木社長、井川会長などが紹介されてはいますが、これは別格で
普通は資産が大きければ、今日はカジノで10万円勝ちたいな、と思って1000万円バイインすれば
それは決して難しいことではありますまい。簡単とは言わないが、難しいとまでは言えない
しかし、10万円バイインした人が10万円勝つのは、なかなかの大仕事です
さらに、1万ドルのバイインで10万円勝つのは、至難の技(ほぼ不可能)
だからカジノでは多くの一攫千金狙いの小金が、巻き上げられていくわけです
賭人は恐怖と欲によって追い詰められ負けていくのです
それは単純に確率的な結末として負けていくのとは全く別の要因で負けていくのです 森巣のオヤジはセッションを切れ、と口をすっぱくして言うが
90年代に書かれた初期の作品では、バカラ打ちは長っ尻(長時間プレイヤー)でなければならない
と言っている
途中で考えが変わったわけだな
あるいは、森巣本人はセッションを切らない長時間プレイヤーだが
一般的に勧める方法としては「セッションを切れ」ということなのかもしれない
ただ、バカラの止め時、というのと、セッションを切るというのは
似て非なるものだ
止める時というのは、勝っている時は勝ち逃げのタイミング
負けている時は、撤退(負け逃げ)のタイミングであり
これは資金や想定ロスカット水準、益出し目標水準、体調、時間的スケジュール
プレー時間、メンタル、あるいは嫌な予感がするから今日はここまで、など
辞め時というのは、総合的に、柔軟に決めていくべきものだが
セッションの場合は、ほとんど水面に顔が浮かない時があるようなプレー時間では
設定セッションが長過ぎると思うのだ もちろん、それはどれだけ負けられるか、あるいは本人のメンタルやフィジカルの強さ
続けられると思える根拠があるかどうかで、当然、個人差はあると思う
だが、一般論として言えば、セッションの利確ターゲットが100ドルの時に
比較的、頻繁に800ドルものドローダウンに沈むのは
セッションが長すぎるか利確ターゲットが高すぎるかのいずれか、あるいは両方だ
セッションをどう設定するか
それは、ギャンブラーのギャンブルに対する価値観や思想にも深く関ることだから
セッション設定に問題があるとか
そもそもセッションを切るべきかどうかも含めて
それはこうだと、断定的で強制的なことは言えないことも承知している
しかしながら、1セッションで沼ってしまう率が高いのは
やはり何かしら問題があるのではないかと疑う
また、誰もが森巣博のような常打ちギャンブラーではない
ギャンブルできる時間には制約がある
セッションを切っている時間的余裕がないこともあるが
しかし、これだけ稼ぎたいとか、資金はこれしかないとか、時間がこれだけしかない
という個人的な事情を聞いて、博打が斟酌することはないのである
博打は厳しいのだ
博打はまるで容赦ない
だから、可能な限り、不利な要因は排除しておくべきではないかと思うのである 何か、もうやりたくねぇな、と思った時がやめどき
やりたくねぇのに惰性でやってる時はろくなことがない ギャンブラーは3つの運に左右されている
●1つ目は、平均勝率の運。この波が悪い時は苦戦する
●2つ目は、勝負ハンドの運。大きい手を落としたらトドメをさされる
●3つ目は、持って生まれた金銭運。人間は平等じゃない 森巣氏がバカラをロッククライミングの三点確保に例えているのは
言い得て妙だね
ボルダリングではないと思う。長い道程だから
やはり、刻んで刻んで登るしかない
カジノでバカラやってる人は二種類に分かれるね
見るからに極楽トンボな快楽の塊みたいなタイプと苦行僧タイプ
どちらでもいいと思うけれど、やっぱり山登りしてるわけだからさ
負けて滑落しても「うぇーい!」みたいな楽しみ方はねぇな、と思うのだが
これも人それぞれか
人間の集中力は持続しない。こまめに休まないと、つまらんミスで足元すくわれる
快楽型のギャンブラーは、それが本懐だろうけど、脇が甘いよ。それも一興か 森巣博「最近の私はカジノに5万ドル持ち込み5千ドル勝ったらやめる
ギャンブラーじゃねぇなぁ、とお思いの方。これだって百日勝てば50万ドルになる
実際に百日間連勝するのは難しいかもしれないが、調子のいいときはそれに近い」
これ 2000年代の平均カジノ収益は1000万円で
キャッシュコンプが1000万円で合わせて2000万円と本書では言うとるね
悪くない稼ぎやな あとがきで、家を売りに出し、最後の賭けの旅に出る森巣博
これがギャンブラーの生き方か
投資家は目標達成のみ向かうだけだが、ギャンブラーは違う。目的は金であって金でないから 博打打ちの世界は流転が激しいと森巣氏は言う
「今日の鯨、明日の物乞い」
博打一筋60年か
森巣氏は長年に渡る賭博経験によって
生き残れない博打とは何かというものを自覚している
分かってはいるものの、そういう「最後は生き残れない博打」を打たないと
依存症は快楽を得ることが出来ない
森巣氏はギャンブル依存を楽しみ、かつ苦しんでいた
モニカが敗北していくのは、もしかすると自分自身を投影したエピソードかもしれない
自制心を働かせて勝ち続けた
しかし、大勝負への欲望を抑えることができない
加えて、崩れた時に、ついにタガがはずれて暴走し自滅してしまう
これも穿った見方をすれば、森巣氏自身がかつてやってしまったことではないかと邪推する 博打の世界は厳しい
ハイローラー用のレーティングカードのロット番号はどんどん使われていくが
自分よりも若い番号は1人しか見たことがないという
それが、本文に出てくる中国人の鯨だ
大きく賭ける金持ちなら、カジノにはいくらでもいる
だが、いつの間にか消えてしまう。気化したアルコールのように
そのようなカジノの移り変わりを見てきた森巣氏である
カジノギャンブラー(あるいはカジノハスラー)として生き残るのが
いかに難しいかということが分かるだろう
カジノは楽しいところだが、それに費やした金を合計して考えた時
家が買える、ポルシェが買える、ロレックスが買える、アルマーニなら何着買えたか
キャバクラに何回通えたか、旅行に何度行けたか
あるいは、その金は「タダ働き」ということになるのではないか?
おそらくそのような考えに至り、カジノを卒業していくのではないかと思われる
それでも尚、ギャンブルの世界にぐっと踏みとどまる人間が
ごく少数だが、存在する。比率にしていったい何%だろうか
千人に1人いるかいないか
それは運や、大資金や、ズルや、あるいはそれ以外の何かのおぼしめしによって
運命づけられているのかもしれない
宝くじで億り人になる人は年間千人程度と言われるが彼らは黙して語らない
こっそりと、己の幸運をかみしめているわけだ
中には家族にさえ秘密にしている人もいるかもしれない
カジノで生き残っている者がいるとしたら、それはどす黒いまでの孤独だろう
敗北や貧乏は無数の人たちが共有し、共感し、傷をなめあえる(だから駄目なのだろうが)
勝てないという愚痴で繋がっている絆がある
カジノでサバイバルしている人間というのは一匹狼。常に一人ぼっちなのではないか?
森巣氏が時折見せる淋しげな表情は、それを意味しているのかも知れない ビッチなのに言葉遣いの上品なミホ嬢は森巣博の妄想上の人物だよね。
事実だったら、奥さんのテッサ・モーリス教授に怒られるだろ。 オレの森巣博評はみんなとはちょっと違うな
これは個人的な経験則なんだけど
博打って必死だからさ
自分の大事な銭を賭けながら方法論云々を模索している精神的な余裕はないと思うよ
だから、若い時から実践経験豊富な森巣博の賭け方は
若い時からそれほど変わってないと思う(専攻とする牌九は別として)
動画とか見ても、実戦で研究してますみたいな人多いけど
勝負が厳しい時は(誰でもそうなるけど)言葉が止まる、息が止まる
そんな状況で方法論もないものだ
森巣博が言っている通り
博打は、緊張−高揚−開放−弛緩のプロセスだっけ?それに支配されてる
頭なんかアリの脳みそぐらいしか働いとらんわ
森巣博が生き残れていると仮定するなら
しぶとさ、豪運、狡猾さ、何でも利用する根性、そして頭の良さは認める
だけど、本人も語っているように、バカラはあまりに単純すぎるゲームゆえ
底が見えすぎているから
バカラは奥が深いと勘違いしやすい的なこと言ってるけど
実際本人も、そう思っているのだと思う
これは、大王製紙井川元会長も似たようなこと言っていた
とすればだよ。バカラの勝敗を決めるものは、これといってない、という結論となる それをさらに敷衍すれば、誰もが、これといった理由もなくバカラで負けるように
森巣博も実は勝てていなのではないか?とも思うのだ
もちろん、勝つ年もたくさんあっただろうけど
総合収支はどうなのだろう
あれだけ本を書ける、知識もあるということは、読書もたくさんしている
そしてカジノゲームもする
その多忙の中で、バカラなんかとうの昔に、見切ってしまっていると思うのだ
だとすれば、あの人も、俺らも、そんなに差はないんじゃないかと思うが
違うかな? 70年代に競輪で当てた大金でアメリカ旅行した話を本にすればいいのに 家を売ったんだから森巣は負け込んできたんだろ
博打打ちは村本みたいに「ピクチャー!」と叫んで最後は… ギャンブルに必勝法はないが
必敗法はあるというのは
その通りだと思う 50年以上、丁半博打やってる人も負けてしまう
厳しい世界よ、博打は。何の気休めもない
そういや、昔「気休めの報酬」というスパイ映画があったよな 神はダイスを遊ばない<新潮文庫>
は興味深い本だった。ギャンブラーの教則的な価値は「賭ける」に譲るが
本としての高級感は、この本がベストかな、という気がする
牌九プロの森巣博の面目躍如といったところか
個人的には「越境者たち」が一番面白いけどね 日本人で有名なのってカジノでは
山梨の不動産王だろ
スコセッシのカジノのK Kイチカワのモデルの人。
常にMaxbetでオーストラリアのカジノ潰した後、確かトランプの所有していた
アトランティックシティのカジノで大負けしたんだっけ。 10年近く前に読んだやつには家売った事なんて書いてなかったけど、加筆されて再販
されてるんだろうか?
かなり気になるんだが、その家を売った下り、どんな内容だったか教えてくれ。 サンズのトイレで商売している兄ちゃんが清掃員のじいさんにお金渡していた。あれ馘になるんじゃないかな。 >>83
後書きのその部分だけでもここに書いてくれまいか。 >>85
勝てるゆえに我あり の扶桑社の叢書版(元は徳間書店刊)のために書かれたあとがきによると
家を売った理由は、博打が直接の原因ではないらしい。別荘に引っ越すのだそうだ 結局アイツは下手なバカラ打ちだったのか、それとも達人だったのか リボミック勝負
【コロナウイルス関連】
リボミック(4591)東大発の創薬ベンチャー
(2021年1月8日 株価380円)
ACE2をターゲットにしているためコロナ変異株にドンピシャ
まだ注目度は低いが救世主になる可能性もある
リード化合物が完成したらテンバガーの可能性も出てくるお宝銘柄。
コロナウイルスの変異株にも対応できる治療薬を開発中。時価総額は100億程度と割安な上に現金50億以上保有のため当分は増資の可能性も少ない。
新型コロナウイルス感染症の治療用アプタマーの開発において標的タンパク質と結合するアプタマーを複数特定することに成功。
新型コロナウイルスは、ウイルス表面のスパイクたんぱく質が細胞表面上の受容体ACE2たんぱく質と結び付き、感染・増殖する。このため、両者の結合を阻害、または細胞への侵入を阻止すれば良いことになる。
新型コロナウイルス感染症に対する治療用アプタマーの創製について、東京大学の井上純一郎・特命教授、東京大学医科学研究所アジア感染症研究拠点の合田仁・特任准教授らのグループと共同研究契約を締結。
シュードタイプウイルス(偽型ウイルス)を利用した実験系でウイルスの感染予防効果が確認。
【アプタマー医薬】
・変異したコロナにも有効
・がんやインフルエンザにも有効
・水溶性のため吸入以外にも鼻腔内噴霧OK
・マスク、防護服、消毒液にも応用できる
・国内でアプタマーを扱ってるのはリボミック 最近、森巣の新作出ないよなぁ。色々、聞きたいのに
森巣は、下品で煽情的なイランことを言うから煙たがれる
売れるタイプの作家じゃないし
だが、カジノとはどういう所か、カジノゲームとはを何か語らせたら天下一品だ 「日本のハイローラー」は面白かった
だけど、叢書シリーズは第三弾で終了か。売れなかったんだな この本は、答えは教えてはくれないが
「答えが存在する」ことだけは、一部のギャンブラーだけには教えてくれる
もしも答えがないと最初から思い込んでいたら
絶対に次のステップには進めない。だから、答えがあることを確信できるかどうかは重大なポイントだ
絶対的自力で、上に行かねばならないが、開眼するまでは迷いによって断念する者も出る
この本は、最後まで断念しなかった一部の賭人の大きな励ましとなるだろう
バカラ賭博とは矛盾の海
その矛盾を乗り越えた先にしか、常打ちの生きる道は無いということだ 10万ドル使って1万ドルを抜いたのではなく
1万ドルを抜くために10万ドルが必要だった
これが分からない人はカジノギャンブルには向いていない
まさしく森巣オヤジの言う通りだ。穴党はカジノゲームには全く向いていない 「森巣はツラは必ず取れ」と指南しているが、それは基本であっても
それをシステムとしてやったら、必ずジリ貧になる
「システムを信じるな、受け身を取れ」とも指南しているが
ロスカットして沈んだ時は、どう取り返していくかには触れられていない
「1割戻し半ちがり」の戦法についても
どのタイミングでベットアップするために大きい資金が必要かも触れていない
つまりその部分こそが
森巣いわく「一冊売れて印税100円なんかで教えられるか」の部分だ
欠けている部分のピースを嵌める作業が、森巣読みというもの
「下手なツラ張り素寒貧」「ツラ切りは破産の一里塚」という賭場の格言も
ツラの扱いがいかに難しいかを現わしている
システマチックにツラに張っても、システマチックにツラを切っても負ける
そういう科学に従ったら、科学的必然によって敗北する
オカルトというのは、とどのつまりは「ツラよ切れてくれ」とか「ツラよ伸びてくれ」
といった祈りでしかない。祈りに結果は左右されないからオカルト法と信じるわけだ
時間をかけてカードを絞って。足がついただの、スートが飛んだだの、何条件だの
そういうやり方に持続可能性がないのは言うまでもない 勝つために必要なことは、2つ以上のロジックによって、予想目が合致するシグナルハンドや
それぞれのロジックが別々に予想を主張する、いわゆるクロスハンドが頻繁に起こるだろう
しかしこれも、クロスハンドはルックで、シグナルハンドが勝負ハンドとはみなせない
もっと、前後の状態が重要なのだ
つまり、落とした時に取り戻しにくい展開なら、シグナルでもクロスでもルックするしかないが
取り戻しやすい展開であるならば、クロスハンドを起点に一気に勝負ベットで深追いするのも手だ
そこの所は、所詮ギャンブルだから、展開有利と見たらえいやっと斬り倒しに太刀を交えねばならない
そういうサムライスピリットがないと駄目だけれど
それは臥薪嘗胆、我慢に辛抱を重ねて、ここぞとやらねばならない
展開有利と見るためには、100万回1000万回の乱数の傾向をデータとして
整理して、どこが勝負手かを自分で決めなくてはならない
また、3連敗後に4連敗しそうだと思ったら、そこはベットダウンしたり
場合によっては、完全にロスカットしてしまうのも手だ
だがミニマムで打たれ越して見る。実際に連敗したかどうかの確認は重要だからだ
どんなシステムで打っても、運で打っても、「連敗の轍」に嵌る
轍に嵌りやすい賭け方もある。縦横ツラ切りしかしなければ、轍は伸びやすくなる 4連敗以上が頻繁に出るようでは、賭けシステムのチョイスが間違っている
様々なシステムを多角運用することが大事だが
その最も重要な条件は、ツラ切りで連敗を増やすことだ
ツラは主要なものでも10はあるだろう。ツラ切りはレンジ罫線の時は有効だが
トレンド罫線になったら大打撃を受ける
だから、レンジかトレンドかの見切りベットはどうしても必要になる
見切りとは消去法だ。資金的体力を消耗しないためには、的確なルックで無駄玉は打てない
コイン投げなら、1目の可能性は1/2、2目の可能性は1/4、3目の可能性は1/8だ
3目ツラは1/8なのだから、そう簡単には出ないが
だからといって、テレコが延々と続くわけでもない
「これ本当に、確率通りなのか」と思うだろうが、長い長い試行回数を経て平均化する
その調整局面こそが、縦ストリーク「電撃」ツラ、テレコツラ、ニコイチツラ、リャンコツラ
スダレツラ、ダンゴツラなどである
出なかった出目、出過ぎた出目が、ツラによって調整されていくのだ
そのために、ツラのランが起きるのである
統計的に出にくい罫線というのは存在する
それは出にくいだけでいつかは出るが、出ないものとして
レアシューの逆張り戦法は有効だが、ツラが走ったら終了だ。早目の撤退を考慮して
ブレーキペダルから言っときたりとも足を外してはならない
逃げる時は逃げて、深追いする時は深追いする
それを、なるべくしくじらないようにやるしかない
ギャンブルである以上は、やはり、勝負はしなくてはならず
だが、無用な勝負にだけは手を出さない
その無用な勝負とは
「その手を落とした後の反撃が不利な局面のこと」とは最初に述べた
ルックが的確でなければ、やはり勝ちにくくなる ギャンブラーは、勝率1/2のゲームでも半分以上負けていると感じる人が多い
それは、運が悪いとか、下手だからという理由だけでは説明できない
つまり、乱数を追い込むようなシステムベットを使う限り
勝率は悪化するのである。特に、ルックハンドに手を出してしまうと
回り込みでのベットアップハンティングで消耗して、ロスカットせざる得なくなる
ルックとロスカットの見切りが出来ないと
勝負ハンドで勝負し切れないという事態が生じてしまう
ビギナーと慣れた打ち手の違いは、連敗でざっくりやられるのがビギナー
連覇が多いのがビギナー
総負け数は多くても、連敗の撤退が速く、勝負ハンドでしっかり押さえるのが
打ち慣れた人だ。連勝での勝ち越し狙いは、それオンリーでは勝ちは安定しない
ゲームは勢いとか流れと言われるが、勢いや衰えが見える賭人は中級者だ
それは、確かにそのような局面を捉えるメソッドを用いるギャンブラーは多いが…
もしも、その方法に固執しないのなら
乱数とはあらかじめ傾向に複数のパターンを持つ事象であるから
その形を記憶して、パターンに乗せたりパターン切ったりを
それは、多面条件で同時展開しているから、どのパターンをどう料理するかは
合理性のあるやり方で、リスクを最小に出来る方法を選ぶべきである これは、長く沈んでいて、一瞬、水面に浮かんだところで勝ち逃げ、でもいいけれど
できれば、ペースは遅くても、浮き沈みを抑え込みながら、コンスタントに
勝ち越しを狙っていく方法の方がリスク面で合理的だ
ただ、ギャンブルに興奮を求める人にとって、こうしたやり方では脳汁が出ない
なかなか、儲けることだけにフォーカスして博打を打てる人って少ないのだ
それはカジノゲームとは興奮しながら賭けて遊ぶものだから
それを否定したら、ゲームを否定することになってしまう
だけど、儲けのみに専念するのであれば
例えば、浮き玉オールインなどは、絶対にやってはいけないことだ
やって勝てば、脳汁が脳を駆け巡って、最高の快感を得ることができるが
それを繰り返していると、脳汁のヤバい麻薬物質が脳を萎ませて沢庵のようにしなびさせてしまうのである
脳を瑞々しい大根のままキープした方が
間違いなく、財を築くには適している
方法が見つかったら、それを延々と繰り返していく。目的額に達するまで
時間(ゲーム回数)をかけないと、なかなか、それは難しいだろう
脳汁の誘惑から身を守らねばならない
となると、モチベーションがないことには話にならない
多くのギャンブラーは、意外に薄弱なモチベーションしか有し得ず
楽しめればいいぐらいの感じで、プレーしているから
それが健康だとは思うけれど、だから、ほとんどの賭人は負けていくのだ
ローリスク・ハイリターンの当然の成り行きだ ウィ○チケ○ト新規登録で1000
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