カジノゲームはスキルなの運なの?
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俺は運だと思うので
金運の神様にキチンとお祈りしてるw 僕も運だと思うので運気の悪い黒やグレーの服は着ないようにしている 磁気ネックレスはけっこう効くよ
中国人はみんな着けてる あまり笑わない人は運勢が悪い気がする。笑うかどには福来ると言うし
運が悪いから笑わないのか ジンクス
しばらく打たないで、運気を貯めると出る気がする 博打で勝っている人には独特のオーラがある
あれが運気なんだろうな >>9
そうだとしたら、
とっくに全員気功やってるわ〜 博打は勘が9割
勘が鈍ったら必ず休む
疲労とか飲酒も良くない
勘の正体は分からないが
ジンクスとか敏感さと関係ありそう
後は最低限度の常識
勝ってんなら止めろよ強欲
負けてんなら止めろよ往生際が悪い
負けを取り戻そうと深追いするなよセコイ
全部無くなるまで打つのはダサイ
運を語る前に
運を遠ざけることしてないか? 負けてるギャンブラーは運がないからです
異論・反論は一切認めません カジノゲームは運ですね
科学的に運以外が入り込む余地はありませんから
スキルが必要ないのがカジノの醍醐味ですよね 107億円バカラですった
大王製紙元会長 東大卒 井川意高さんの著書「溶ける」
168ページより抜粋
私は小学4年生の頃から、ゲーム性が高く頭脳プレイを必要とする麻雀を好んできた。
その私がなぜ、丁半博打のようなバカラにはまってしまったのだろう。
バカラは戦術も何も関係ない。問われるのは運と偶然性だけだ。
勝ち負けにゲーム性が入り込む余地はなく、セオリーもへったくれもない。
バカラでいくら頭脳プレイを展開しようとしても、頭を使う余地はどこにもない。
麻雀は戦略だ。「オーラスで今、オレがトップだが、2位のAさんとは5200点差
3位のBさんとは9000点差だ。でも怖いのはBさんだ。あの人はいつも1発逆転狙いの性格だから
オレを狙い撃ちにしてくる可能性がある。ダマ(リーチ)で速攻上がりを狙おう」 10才から麻雀を嗜み高校大学と麻雀に明け暮れた井川氏はセミプロ級だったと言われる
IQの高い彼はゲーム性の高い勝負を最も好んだにも関わらず、運がすべてを支配するバカラで破滅した
ギャンブル依存症の治療を受けた彼は精神科医から、運に身を委ねるバカラに没頭した原因を次のように説明した
「あなたは脅迫気質があります。その心の病気のために、運が尽き果てるまでバカラを止めることができなかったのです」
そう、カジノゲームがこれほどまでに人をひきつける理由は
自分の運がどこまであるのかを突き止めたいという強迫観念と、己の強運を証明した快哉と快楽が底なし沼に引き込むのである
カジノゲームにスキルは無関係であるという結論に東大卒のやり手経営者は達した
慎重に打っても大胆に打っても確率的な結果はまったく変わらないことに彼は気づいた
ところが、大胆に賭けるようになるとゲームの損益はジェットコースターのように乱高下する
そのたまらない快楽に、井川さんは虜になり、バカラの魔性に絡め取られてしまったのである
もし井川氏がカジノで、スキルがすべてのスタッドポーカーにはまってしまったら
相手の資金力は知れているから、1億も損をしなかっただろう
あるいは、勉強してスキルを磨き、逆に利益を出していたかもしれない
運100%のバカラに嵌ってしまったのが運の尽きだったというわけである。 バカラで確率だのベッティングシステムだの攻略法だの必勝法だの信じた奴らは
5月の蜻蛉のようにみんなコロコロと死んでしまった
by森巣博 森巣と白夜書房の社長の対談がおかしすぎる
社長「あなたね、うちのパチンコ攻略法を記事書いてる社員の時給知ってますか
900円ですよ。ホントに攻略法なんてものがあるなら自給900円で働きませんよ」
森巣「カジノゲームはポーカーやブラックジャックや牌九は一部攻略の要素はあります
でもバカラやルーレットとなると、ツキがすべてですね。まぁツキの流れを見極めること
それは明文化できる類のものじゃないですから、時給900円のバイトでも書けませんよ」
社長「バカラは確かに運ですけど、その運をどう楽しむかとか、どうコントロールするか
そういうテーマでカジノ攻略の雑誌を作ることは可能だと思いますよ。売れるんじゃないかな」
森巣「でも、社長は失礼ながら、いつも負けておられますよね」
社長「負けるけど楽しいんですよね。人間には運を試すことに原始的な喜びがあると思うんですよ
石器時代には、森のどちら側に獲物がいるか、それを動物の骨で決めていたそうです
つまり人間とは生きることにおいて、ギャンブルをいる生き物なんですよ
その本能が現代人にも受け継がれている。近代社会はその本能をあまり必要としなくなっていますけどね
でも、獲物を狩るという生きるためのモチベーション維持のために、脳内に快楽が発生するように進化していくわけですよ」 森巣「というと、ギャンブルをしない人間は原始の脳が退化したというわけですか」
社長「運をつかむとか勘を研ぎ澄ますというのは、人間の持っているポテンシャルだと思うんです
そういう意味では確かに退化したと言えるでしょうね。現代人は勘が鈍くなっていますよ
博打ってね、おそらくその退化はしてるけど、サバイバルに欠かせない鋭い勘の能力を試したいという
根源的な渇望のようなものがあって、それがカジノギャンブルと直結しているように思えるのです」
森巣「なるほど。しかし、ギャンブルに興味を持たない人が増えているのは退化だとは思うのですが
見方を変えれば進化と言えなくもないですよね」
社長「んー、それはどうかなぁ。進化と言うのは、従来の能力がさらに発展・昇華していくものでしょ
バカラの運試しっていうのは、絶体絶命の勘を働かせる能力なわけですよ
その勘の能力って、生きる上でいまだに必要な能力だとは思いませんか
安定した生活が保証されているとなかなか、そのことに気づかないけれど、その後の人生を決める判断ってあるでしょ
その時に人は勘を働かせるわけだけど、勘が鈍っていると貧すれば鈍するのミスをしますよね
運を引き寄せるって、神頼みみたいなものと思われているけど、待つのではなく運を奪いにいくものなんですよ
運の本質ってそれだと思うんです。勘を研ぎ澄まして奪いにいく。獲りにいく。狩りの本能ですよね
攻略法っていうのは農業なんです。狩猟じゃない
だから農耕民族的な感覚が染み付いてしまうと、狩猟的なセンスで運を獲りにいく感覚が鈍ってしまう
だから私は、カジノで負けてばかりですよ(笑) バカラは狩り。計画的に収穫を期待できるゲームじゃないんです」
森巣「まったくそう思いますね。というと、運を獲りにいく鋭い直感とか豪運みたいものがバカラを制するのかもしれませんね」 カジノゲームは農業的な収穫が安定したものではなくハンティングだという意見には一理ある 開運ハンターの腕を磨きたいなら滝行がベスト
まずは自宅のガスを解約する
感覚がとーぎすまされる ユリ・ゲラーがルーレットで大負けしたのは
ユリ・ゲラーは超能力者ではなかったのか
それとも、ルーレットは超能力の専門外だったのか 黄色は金運のラッキーカラー
フレッシュレモンAKB48みおりんこと市川美織の貴重なソロ生歌
https://www.youtube.com/watch?v=MBJsiqBLTXI 運と言えば運だけど
運以上に負ける客がいるように見えるが
不運ってことか ★無理せず
★少ない勝ちで
★勝ち逃げする
★バンクロールは大きく勝ち目標は小さく
★負けを一気に取り戻さない
★負けの取り戻しもゲームと考えて楽しむ
★水面に顔が出たらSTOP
★そうすれば少しは勝てる
★ルーレットやバカラに必勝法があるなら200年以上の歴史があるんだからとっくに見つかっている
★最近になって必勝法が発見されたら逆にすごいね(笑) カジノゲームで攻略法があるのは
テキサスホールデムとブラックジャック
グレーなのはパイゴゥとルーレットとシックボーとクラップス
ルーレットは三角測量のイカサマは有名。パイゴゥは胴元になれるルールだから
ダイスの達人ならクラップスで勝てる。シックボーは、悪いけど言えないが攻略法はある
100%攻略法がないのがバカラ。だから大金が乱れ飛ぶんだよな
生粋の丁半博打。麻薬みたいなもんだから、あまりおすすめしない ブラックジャックって面白いゲームだと思う
基本はベーシックストラテジーに沿って賭けるけど
スプリットやダブルダウンとかあまりしない方だ
でも、余裕がある時にダブルダウンが決まるとこうゲームにメリハリがつくよね
12の時も考える
運に左右されてはいるけど、細かくチョイスしているのはこっちだから
負けた時はミスった、と思う
そういうことも含めて、ゲーム性が高いよね
これに対してバカラは
はずれても「俺のせいじゃねぇ」と思うよな
それに絞りに熱中しているオッサンたちは、賭け金がデカいからアツくなるわけでしょ単に
もし賭け金が少なかったら退屈してるよ、間違いなく
だって、カード配った時点で結果は出てんだから。どう絞ったって覆しようがない
一手に大金を賭けるという部分が唯一のゲーム性なわけだから
コイン投げでも、ダイスでも、じゃんけんでもいいわけよ、なんなら
もっと言えば、バカラなんてカード1枚ずつ配りだっていい
1からキングまで強いカードが勝てばいいわけでしょ。2最弱からキング、エース最強でいい勝った方から2.5%取ってもいいし、六半でもいいし バカラはゲームじゃくて、博打のために偶然性を発生させる1つの道具でしかない
ゲームの核は、あくまで金と偶然性だけ
それに強い弱いが存在するとしたら、運の強い弱いってことになるが
運というのも、結果に対する都合のいい説明でしかない
金がかかってなかったら、結果に何のグローリーもない
金を奪ったことだけがグローリーだから、勝ってもリスペクトはされないよな
ただ、シンプルで選択肢がないから、ビギナーズラックも大いにある
その道30年のベテランが、初めてバカラやる女の子に転がされる
それも何度も。そう思えば、バカラのベテランという言葉も矛盾である
運とかツキに金を賭ける、底の見えた勝負ごとがバカラだから、スキルが入り込む余地はない
むしろ霊感とかオカルトの方がまだありうる しかし、俺はバカラが強い人のことを知っている
その人は、バカラは勝ち方はあると言う。そんなの信じられるかい
しかし、やはり目の前で何度も勝たれるのを見ると
シックスセンスかなぁと思ったりする
そんなものがあるとは思ってないけど
俺は勝ち方をもしよろけば教えてもらえないだろうかと頼んだら
快く教えてくれた
はっきり言って説明するのも馬鹿馬鹿しいと思っている
やり方はマーチンゲールだ。ただし、ランが走ったら途中で止める。それだけ
でさ、その人はその通りにやって、そして勝つんだよ
目の前で、それを見せてくれる
マーチンゲール・ラン・ストップ。この繰り返し
でもさ、それで勝てるかよ普通。でもその人は確かに勝つんだ。負けたのを見たことない
俺はさ、そのやり方じゃいずれはやられるでしょ
本当に長期間勝ってんの?と聞いたんだ
そしたら、じゃ一緒に100時間やろうよ、と誘われた。俺に目撃者になれってこと
100時間やって、その人は勝った。俺のレート(最低ミニマムテーブル)に合わせたから大した稼ぎじゃないけど、見事に元金を10倍にした
ただ、マーチンゲール→ラン→ストップを繰り返しただけなのに
要は、何手でランと判断して引くかということだよな
それは一定じゃない。すぐ引くこともあるし、結構深追いすることもある
止めたからと言ってランが走るとは限らない
つまり、予想なんか当たってないってこと。だけど勝ってる
どういうこと????
マーチンゲール→ラン→ストップを繰り返し
ストップのタイミングは、ただの勘でそれも空振ってる
でもランがはずれても賭けがはずれたわけじゃないから関係ない
また、どこかで必ずストップかけるから、絶対にパンクはしない どっかでストップさえ賭けとけば勝てるの? と真似してみたけど俺はマイナスに沈む
その人に全乗りすれば勝てる
だけど、どう観察しても、何で勝ててるのか、さっぱり分からない
止めてもランはほとんど走らないから、ストップはデタラメなんだけど
マーチンの儲けが損切りロスを常に上回っている
どうしてなの? と聞いてみたんだ
すると、その人が言うには、何度もやっていると野球でエラーしなくなるような感じ
頭でなく体が反応している、と言うんだよ
体が反応しているから、何でそこで止めているのかは頭では分かってないらしい
ただ、体の反応に任せていれば、赤字にはならずにトータルで黒字になるという
それができるようになるまで、すごく時間はかかったとは言っていた
そして、こうも言っていた
続けて勝てるようになったのはここ数年。まったく負けてない
でもこの先は分からんさ。また、負けるようになるかもしれないな、と。
それを聞いて俺も、何となく納得したわけだけどね つまり、バカラは頭のスキルではなく、体のスキルというわけか
よく分からんが、よく分かった バカラは勝つ確率は、いかなる局面でも、常に、常に、常に約50%
だから勝ち方ってないのよ。勝ちようがないから。勝つ確率を上げるのは不可能だから
専念すべきなのは、どう負けるか。取り戻しのベットサイズアップや回数や撤退ライン
これをどのようにコントロールするか、それしかないのよ
マネーマネジメント。それはマニュアル化は無理なのは分かるよな。それは個々の勘だから
運や勘とどうつきあうかは、技術なのか熟練なのかセンスなのか、答えを待たない カジノゲームは知識とメンタルの運のハイブリッドシステム
しかし多くのギャンブラーは、無教養、ダメンタル、不運のトリプル安 日本ではお金を賭けることをギャンブルとみなすが
アメリカでは若干違うんだよ。お金を賭ける行為とギャンブルは分離して考えられている
たとえば、ビリヤードで金を賭けることは技を競うゲームであり賭博の対象にはならない
このあたりは、金を賭けて勝負するのはビジネスであり、運に任せて金をやりとりするギャンブルとの歴史的な解釈の違いと言える
金を賭けると言えば本質的に、株だって金融カジノのギャンブルだが、未成年でも株取引はできる
運任せで金を賭けることは危険な投機であり、知識やスキルを生かして金を賭ける行為は投資なのである アメリカはそのあたりを合理的に線引きしていたために、1976年にピンボール訴訟が起きた
ピンボールはマフィアの資金源とみなされて、1940年代以降禁止されていた
その合法化のための審議が行われた時に、ピンボールがギャンブルではないことを実証するために
ニューヨーク市議会に1人のピンボールの達人が召還された。ピンボールはスキルなのか運なのか
彼の名はロジャー・シャープ。彼の任務は、ピンボールが運ではなくスキルのゲームであることを立証し
ピンボールが「ギャンブル」ではないことを市に認めさせることである。ちなみに、金を投資していいかどうかの審議ではない
ピンボールが「ギャンブル」ではないことが認められれば合法的に金を賭けていいのである
シャープはバンクショットという最新のピンボールを使って、見事な技を公の場で披露したのである
ニューヨーク市議会は全会一致で協会の申請を認め、市内のピンボールの稼動を認可する法律に署名した
政府がそのゲームをギャンブルか否かを判断する尺度がスキルなのである これは、日本のギャンブル依存症対策の専門家も知らないことだろう
技のゲームと運のゲームの違いは、同じく金を賭けても、(問題を伴った)ギャンブルかどうかを線引きするのだ
賭けポーカーや賭けチェスや賭け麻雀は、カジノの一部で場所を貸す所はあるが
カジノは場所代をもらうだけで、胴元になることはない。胴元は達人に敗れるからである
政府が運のゲームであるバカラ賭博やルーレット賭博などを禁止する理由は
金を賭けるからではないのである
運が支配するギャンブルは誰にでもチャンスがあるから
射幸心を煽り、勤労意欲をそぐ悪い遊びとして、スキルのゲームとは区別されるのである 江戸に幕府を置いた頃の日本は、双六など様々なギャンブルが大流行していた
家康はこれを取り締まるために博打開帳は死罪という厳しい態度でのぞみ江戸の博打熱は一時期は収束した
カジノを成立させるためには、すべてのカジノゲームに「不確かさ」が求められる
日本の公営ゲーム方式は、そのあたりを、詐欺的とも言える方法で成立させてきた
つまり、強い馬や強い選手が勝つという予測は誰でもできるだろう
だが、強い馬へのベットをJRAは受けない。胴元にはならない
ただ集まった金からざっくりと26%弱の金を抜いて、残りを的中者に枚数頭割りで均等分配する
だから、いくら予想スキルが求められても、予想が堅いレースは配当も低いから、予想スキル以外に配当予想スキルが求められる
胴元が受けるブックメーカーのような予想スキルで利益を上げることが出来ないから、近年の公営の売上減は無残である
パチンコも射幸心を煽らないようなゲーム機の導入が義務づけられ、地方のホールなどは苦しい経営を余儀なくされている さて、ルーレットのような丁半博打の攻略法は、近代の確率統計論の科学を発達させたと言われる
そして、世界中の科学者が研究に研究を重ねた結果分かったことは、ルーレットに攻略法は存在しないということだった
このことが科学的に証明された瞬間から、運や偶然性というカジノゲームのリソースは
磐石の評価を得ることになる。誰でも勝てるし誰でも負ける。スキルが入り込む余地はない
しかし、何しろ2-4%弱の期待値で勝率約50%の勝ちやすいカジノゲームは
単純に金が大きく増えたり減ったりするから、まるで腕を競っているような錯覚に陥る
だから、虚栄心の強い成功者たちが、ズッポリとカジノゲームに嵌ってしまうのだ
ギャンブル対決に酔ってしまう。スキルなど存在しない世界で、虚構の格闘が始まる カジノゲームが運であるのかスキルであるのか、一攫千金を夢見る人にとっては大きな関心事だろう
科学的には、運が支配するゲームであることが証明されている。だがしかし、どうも現実には下手な人と上手い人がいるようだ
ということは、やはり科学的には間違っていても、スキルは存在しているということではないのか?
いや、攻略法や必勝法と、カジノゲームのスキルは、次元の違う世界ではないだろうか
最終的に勝てればいいのである。明文化できなければ、勝ち方をどのように説明すればいいのだろうか
それとも、そのようなことを指導する意味があるのだろうか。その勝ち方が存在するとしても、到底絶対的なものではない
運よく勝ってリードを保ち、リードを保てたものが、リードをコントロールしながら、リードを広げる
金を生み出すデバイスのごとき形あるものは存在しえないが、しかし、何か、不確かだが、シノギの技はありそうだ
それはおそらくギャンブルをギャンブルにしない賭け方
語弊は承知の上で例えるなら、投機を投資程度にリスクダウンさせる方法論ではないかと推察する
その投資は100%投資金が保証されたものではないが、それは不動産投資のように
価値の目減りというリスクを抱えながらも、低い利回りで着実に利益を積み重ねていくような
およそエキサイティングとはほど遠い、ゲームメソッドということになるだろう
そのような退屈なゲームにあえて取り組む賭人がいるとしたら、彼らはおそろしく少数派なのは間違いない
カジノゲームにおける「不確かさ」とは、運や偶然が決定的な価値を持つリソースなのである
スキルゲームのポーカールームで動く金などたかが知れている。プロが旅行者の100ドル200ドルをむしるのが関の山だ
しかし、不確かさ(スキルの介在がない)バカラテーブルは、1日に100億円を超える金が動くという
まさしく、それは運や偶然性というリソースが、莫大な賭け金のやりとりを実現しているのである バカラのような丁半博打は
ビギナーにもベテランにも差のないフェアな
ツキ次第で勝てるゲームだ
パチンコやスロットで、ベテランそうな客を見れば
彼らでさえ勝てないのに俺が勝てるわけねぇわと、引き下がるわな普通
競馬とか競輪とか訳わからんほど複雑だから
そんなところに10万突っ込むとかありえない
宝くじは、全然当たる気がしない
しかしルーレットなら、赤に10万賭ければちょっと期待しちゃうじゃないか
何なら1から35まで1万ずつ計35万円賭ければ、さくっと1万稼げるんじゃないかと期待するじゃないか
これがズバリ、射幸心なんだろうな
スキルについては スキル 技術 知識 経験 計算力 勘 センス 行動規範 思想
まぁ誰かに聞かれたらルーレットやバカラは運だよ
と答えておけば常識人と思ってもらえるだろう
スキルなんて言ったら、クレイジー扱いされかねない
もし仮に、俺がスキルを持っていたとしても、どうやって勝つんですかと誰かに聞かれたら
偶然ですよ、マグレですよ、今日はちょっとツイてますね、いやいや昨日の負けを足したらまだ負けてますから
などと、常識人に見られるような答え方をするには間違いない。 「ハーフリアル-虚実の間のビデオゲーム」の著者であるイェスパー・ユールは
ゲームを以下の6つの特長を持つものとして分類定義した
1.固定されたルール ※ブラックジャックのルールは変動型である
2.可変かつ数量化可能な結果
3.結果に対する価値設定
4.プレイヤーの努力
5.結果に対するプレイヤーのこだわり
6.取り決め可能な帰結
ユールはチャンスギャンブルを境界事例として狭義のゲームの定義からはずした
その理由は、4のプレイヤーの努力を欠くからである。ゲームとして成立しない 運が左右するカジノゲームでは、プレイヤーが結果に影響を与えることはない
成功しても失敗しても、客観的に言えば、ゲームの結果にプレイヤーが責任を感じる必要性はない
そして、ここが最も重要なポイントだが、何度繰り返しプレイしても、上達することはない
「遊びと人間」の著者であるロジェ・カイオワは、純粋な運のゲームはギャンブルに移行すると言った
具体的にはボードゲームのアレア、コイン投げ、宝くじ、ルーレットの4つを挙げた
ルーレットは実質的に、バカラやシックボーやクラップスなどあらゆる丁半博打を含む
結論として、カジノゲームはゲーム性がゼロであることが、カジノギャンブルとの親和性が最も高く
カジノゲームから賭金を抜いたら、ほぼゲームとして成立しない、ということである
カジノのゲーム性の高さは、つまりは合意の金の略奪闘争のみにある
そのルールは単純で、ゲームそのものに、上達の要素は皆無であり、プレイヤーに努力する余地はない
また、偶然の結果に対しても、プレイヤーがその責任を追うことはない
ここが、カジノゲーム人気の核心部分である
スキルが問われれば、明らかに勝ち目のないゲームに、不特定多数の老若男女が参加することはない
また、スキルが問われないからこそ、結果に対して気楽にプレーできるのである
スキルゲームであれば、敗北はお金を失う以上のものを失うだろう
運ゲームだからこそ、負けても運が悪かったで済ますことができるのである
そして、何らのしこりも残さずに、資金が続く限り何度でもゲームに挑戦できる
やかでゲームに勝利した時には、己の運の強さに快哉を叫ぶだろう
それらをすべて可能になしえる前提条件こそが
カジノゲームはスキルも練習もまったく必要としない純粋に運が決めるルールなのである
このチャンスの絶対的平等性こそが、カジノがほぼ世界的に繁栄している最大の要因なのである。 なかなか勝てないものには大金は突っ込まない
JRAや公営のかけめ規制をして、4連単5連単 5連複 スーパーワイドを導入して
単勝複勝は廃止して、すべて高配当のみにしたら、さらに一点に大金は突っ込まなくなる
配当の高さが射幸心を煽るとしたら宝くじがナンバーワンだけど
それほど売り上げが加熱しているようでもないな
配当の高いギャンブルしか認めなければ、当たらないんだからアツくもならないだろう
日本のギャンブルは、本命狙いが人気かぶりで非常に不利だから
人気の低配当でドカンと賭けるギャンブラーは全然育っていない
依存症問題で、カジノ反対論者は自分がギャンブルやらないもんだから
日本の既存のギャンブルとカジノのギャンブルの決定的な違いが分かっていない
だから、ギャンブルなんてすでにあるでしょ
まずは、そっちの依存症対策に取り組みなさいよと言われるものだから
カジノ絶対阻止で一枚岩になれなかった
パチンコとカジノなんて全然別物
1万円が1/2の確率で約2万円になる。これを、試しにでも1度経験して当てたら
もう、ズップリとはまるだろう。なかなか勝てないパチンコや競馬の比じゃない
何なら、007のカジノロワイアルスタイルで
ルーレットのカラムのセカンドとサードの2手押さえ各5千円ずつでも教えてあげたら
約2/3の確率で、1万円は1万5千円になる
賭け事なんて絶対当たるはずないと思っている主婦がひょっこり5千円ゲット
これは何を意味するか カジノゲームは勝ち方を考えるゲームではないということだ
あまりにも簡単に勝てるから
短期的に勝つ可能性は大
持続的に長期的に儲けるためには
勝ち方ではなく、負け方の上手さがすべてだ
勝ち方なんて、ちょちょいとダブルアップすればすぐ取れる
しかし……
より良い負け方
優れた転び方
理想的な潰れ方
卓越した負け犬になることだけが
丁半博打の生き残りの要
いかに負けるか
修行ポイントはそこしかない
まさにそこだけ
それしかない
だが、唯一修行すべき必修科目のみ、すっとばし
どうでもいい選択科目ばかり、あれもこれも取っている
「上手く負ける」という専攻はあまり魅力的じゃない
でも、必修取らずに落第したら話にならない 丁半博打はスキルアップ不能のギャンブルだから、うなるほど金がカジノに集まってくる。この壮大な運盗り合戦に、特定の誰かが有利に戦えることは、確率的に有り得ない。すべてのプレイヤーにチャンスは、公平公正に与えられる。 何回やってもどんなに練習してもゲームそのものは決して上達しないのがバカラ
まさか、と思うだろう。しかしこれば事実である
誰がやっても、十分な回数(たとえば1万回)をプレーすれば
全員の平均確率がほぼ50%になる
どんなベテランだろうと、ビギナーだろうと、1万回プレーすれば勝率はイーブンになる
つまり「ゲームそのものに上達することが永久にないゲーム」がバカラである
それは勝率という冷徹な数字によって証明されている
ところが、ゲームに上達することはなくても
(客はゲームの進行に何らの影響力も及ぼせないし予測確率は完璧に平均化される)
儲ける人と損する人とに別れる
これは決して、ゲームが上手い下手で決まるわけでない
たまたま悪い波の直撃を運悪く食らってしまい
この確率的な必然である少数の法則上で起こるポアソンクランピングによって
退場しなければならないほどの深いドローダウンでバンクロールを失ったためである
一言で言えば、運が左右したということである しかしながら、リスクを大きく取らなければ、負けを後回しにすることができる
100年は逃げ切れないが、50年は逃げ切れることもある
そのうち寿命が尽きているから、永久に勝てる方法である必要はない
短期的な勝利とインターバルで、少しずつ勝ちを積み重ねて、目標額に到達したら
勝つための勝負からスパッっと足を洗うのが、ギャンブラーが目指すべきことだろう
あとは、利息分の毎月10万か100万か1000万か1億かは知らんが
損してもいい金で、テキトーな娯楽賭博を打つ
隠居ギャンブラーか常打ち賭人とやらに出世することが最終目標であろう
絶対に勝たねばならないゲームはひたすら苦しいが
負けてもいいゲームは実に楽しいものだ
そして、負けてもいいゲームで勝ったりすると、転げまわりたくなるほど嬉しいものだ
カジノにはそんなギャンブラーが大勢いる
本カジノで金をすってもいいし、気軽にスマホのネットカジノで金をするのもいい
すっていい金を持っているギャンブラーほど優雅なものはない
すって駄目な金に手をつける依存症だって、それぐらい分かっていると思うんだがなぁ カジノには負けるのが当たり前と思ってやってくるオッサン、オバハンがいる
何なんだろうねあいつら
私にそんな金があったらオーストラリアのユービン貯金に回すものを
まったく夢のない奴らだ
by森巣博 バカラとは努力してもしなくても上達しないゲーム
客が自分の判断で出る札に影響を与えることは一切できないルールだ
プレイヤーバンカーのどちらを引いても約1/2の勝率平均値に収束するだけ
短期的には運が左右するが、勝っても勝ち逃げできなければ、結局辿る道は全員同じ
バカラはお金を一時的に一気に資金を増やせるゲームではあるが
長期的に勝つことは至難の技であることは
過去の有名な鯨ハイローラーがみんな負けていることからも分かる
それでもバカラに愉悦を見出して破滅した裕福な人々は幸いである
勝てると信じてなけなしの貯金を失った庶民の苦悩はいかばかりか
必勝法や攻略法やベットシステムや確率を信じてはいけない
幸運が長続きすることを信じてもいけない
他人の運不運を利用しようとしてはいけない
負けを取り戻すためのいかなる希望も持ってはいけない
結果に責任を取れない行為をしてはならない
自分にはそのゲームが本当に合っているのか
空を見て考えてほしい ブラックジャックをカードを引くか引かないか
スプリットするかしないか、ダブルダウンするかしないか
判断が結果に影響する
バカラは影響しない
バカラはどちらかに賭けても平均的中率は約50%
科学的に言うとバカラはゲームではない
運試しのギャンブルの持つ興奮やスリルがゲームのような錯覚を与えているだけで
実際は、ゲームに付随する展開も交渉も決断もなくテクニックもメソッドも優劣もない
それが科学的ファイナルアンサーである
ただ、ゲーム性はないもののリスクを取ればリターンも大きくなり
リターンを小さく設定すれば、リスクも小さくなる
いわゆるリスクマネジメントだけは、ギャンブラーはチョイスする権限があり
その決断は、間違いなく収支に影響を与える バカラそのものはゲームではない
それはバカラという体裁を持っているだけで
実際はマネーマネジメントというゲームに似たリスクテイク・リスクヘッジを
際限なく繰り返しているのがバカラだ
私たちはお金を稼ぐために
決められた実務に従事して、製造したり、企画したり、運営したり、サービスを提供したりする。あるいは、それらの指揮をとったりする
バカラは、そのような経済活動に付随するあらゆる実業をそぎおとして
ひたすら互いの金を奪い合う、ゼロサムゲームである。遊びというよりビジネスに近い
ルーレットの玉が回転して期待した数字が当たる
狙ったサイコロの目が出る
そのようなエンターテインメント性をギャンブラーは、ある時から捨てる
剥き身のギャンブルにのめりこむ
戦略も知略もなく、結果オーライの世界、マジックモーメントと呼ばれるホットハンドが続いたら天空を舞い、やがて激しく地面に叩きつけられる
バカラが、かろうじてギャンブルの一歩手前の「ゲーム」に踏みとどまれるとしたら
リスクマネジメント、マネーマネジメントに厳しくシノギを削っているときだろう
それはシリアスなディールの連続で楽しくはない。そしてある日、唐突に崩れて、快楽に身を委ねる
カジノでは辛気臭いリスクマネジメントワークに留まれる賭人は、限りなく少ない。 自分は金運を授かっているか
それは
ギャンブルをしなければ分からない
金運があれば勝てるし
金運がなければ勝てない
ただそれだけのこと
スキルとは
何とか五分の勝負に持っていくための
確率の知識の創造的な「運用」と
ジンクスや等、経験の積み重ねと
メンタルコントロール
ほとんどの客は
対等に立つ前に負ける
勝負にのぞむ最低限の準備もないから
五分の勝負ができる客は二種類に分かれる
金運を持っている者
そして、金運を持っていない者
持っていない者が努力しても意味がない
ただし、持っている者しか「最後まで」努力しないのもまた紛れもない事実なのであった。 カジノゲームのスキルは
ズバリ、マネーマネジメントだよな
張り駒を上手に濃淡をつける
負けた時の引き際の鮮やかさ
どう勝つかは不可測だから無理でも次の勝負もその次の勝負も50%の確率で勝てる
だから、マネーハンドリングスキルがすべて
ここは進むか退くか。確率は1/2が続くことだけは分かっている。勘を働かせて運に任せるかルックするか
この判断力には確かに優劣があるから、これがスキルということになるのかなぁ
いや、これは技術ではなく分別と平常心だね、うん 競馬は「どうやったら当たるのか」という当てる予想力は
なかなか当たらないから、すごいと言われるもんだけど
カジノゲームは誰でも二分の一の確率でポンポン当てるから
当てるという「予想力」自体は、誰も別にすごくも何ともないことだけは分かるよな
ポンポンと当てるのは簡単なんだけれど
プラスに持っていくためにはどうするのか、ということがテーマとなる
2回に1回当たるという特性を利用して
連敗しないことに賭けるのがマーチンゲールだが
この方法は、カジノから非常に喜ばれる手法なのははっきりしている
マカオのレンジは実に1000倍を越えていて、マーチン上等なのである
13連敗は必ず起きるからトドメをさされる
途中で回避したら、甚大な損害となる
この場合、マーチンの上手い下手は、このツラは伸びるかどうかを
早目に気づいて、傷浅く撤退させるスキルにかかっていると言ってよい しかし、ツラが伸びるかどうかなんて、分かるはずがない
分からないから、ツラ切りしながらも、1つツラを取ったら
毎回はツラ切りはしない、というヘッジは有効だろう
それでも、負けを後回しにするだけで、いずれつかまるのは間違いない
では、縦ツラを1本切ったら、次はテレコツラを切り、次はリャンコツラを切り
そのまた次は、ニコイチツラを切るという方法はどうだろうか
これは、なかなかよい方針のように思えるが
ツラを待つということは、ツラを「選ぶ」ということでもある
選ばれたツラは当然のことながら、伸びる可能性が高いということになる
4もくツラを待ってツラ切りするということは、伸びるツラだけにツラ切りを仕掛けるようなもの
それなら、最初からツラの根元からツラを切って3手で引き上げた方が効率がよいかもしれないが
4もく5もく6もくツラのダンゴが続くことも珍しくない
なら、3もくから6もくの間だけ、ツラ切りをすればいいような気もするが、確率的にはまったく変わらない
ツラは、乗せていくのがやはり正攻法のように思えるが
横ツラが続くような局面で意外と消耗しやすいのが、ツラ乗せの弱点ではある
打っていて、リズムが変わった時に大きく打つ
勢いに乗った時に、攻めきる
そういう「雰囲気賭け」も大事かもしれない
その後の勝敗を決める1手というのは確かに存在する
どこかで、やはり大きく勝負に出なければ丁半博打は勝てない
その賭ける根拠は何か
頭でいくら考えても答えは出ない。これは肌感覚だろう。少なくとも恐れを感じたら絶対に勝負すべきではないのだ 運とは信じること
イメージコントロール
運で勝つとはそういうこと
念力りょく スキルが求められない
運が支配する世界だから
バカラには大金が賭けられる
株や投信やFXや先物なんかはインサイダー情報で誰かが得して誰かが損する
だから、知らない投資には誰も手を出さない
ポーカーみたいにスキル勝負になれば、カジノが胴を受けないので
大金が飛び交わない
誰でも条件は同じ
この公平性が、カジノゲームの人気の核心
さらに、1/2の確率でポンポン当たり、配当は約1/2というズッシリした報酬も魅力
運に身を任せろ カジノゲームで一番大事なのは
今日の僕は(あるいは私は)ツイている、という絶対的な自信を持つことである
負けている人はその自信が揺らいでいる
自信が揺らいでいる人の博打は「恐れ」がつきまとう
ギャンブルは恐れを持った者が負ける
勝っても負けても関係ない立場の人や、勝っても負けてもどうでもいい額の時に人は勝つ
理由は分からないが、これは古代が言い伝えられるジンクスである 一気に負けを取り戻そうとしたり、恐怖を伴う額を張った時に負けやすいのはなぜか
それは、そういうシチュエーションで負けた時の記憶が強烈に脳に刻みつけられているからである
人は、のどもと過ぎれば熱さを忘れる
何度も、運よくピンチを乗り切ったのに、そのラッキーな記憶は忘れてアンラッキーな記憶たけが残される
ラッキーとは、アンラッキーと同じくらい常に起きている現象である
カジノゲームにおける運やツキの正体は
常に起きている運不運を「あなたがどのように記憶しているか」というツキの記憶でしかない
的中もハズレも、誰にでもほぼ同率の頻度で起きている確率の結果でしかない
従って、運や技術や勘がそこに反映されることは科学的にはありえない
ところが、なぜか大きく負けてしまう人がいる。大きく勝つ人もいる
大きく勝てない(勝たない)人が、大きく負けることはあまりない
ハイリスクはハイリターンと背中合わせだからである
運もまた、リスクと背中合わせなのである
リスクは恐怖を呼び込み、恐怖は人の心にオカルトを呼び込む
オカルトに実体があるかどうかは、本人の考えに委ねられるだろう
しかし、オカルトを呼び込んでしまったギャンブラーは死神から地獄への片道切符を渡されたようなもの
カジノにおける運とは何か、ひとつだけ言えることは
「恐怖」を感じたら運を呼び寄せることは諦めなければならないというジンクスがあるということだ 恐怖を感じたら駒を引く。駒とはチップのことである
そして、可能なら席を立つこと。そして、なぜ恐怖を感じたのか考えてみること
恐怖を感じないベットサイズがイメージできたら、運を回復できたかどうか試してみよう 結果的に勝っている人
結果的に負けている人
その差が、運 運と言うのは「はこぶ」という字を書くよね
運とは行動することによってもたらされるものという意味なんだよ
運はアクションの中からしか生まれない。だから、運をつかみたかったらどんどん自分から動いていかなきゃならない
海外のカジノに1人で出かけていく行動力ぐらいはないと運はつかめないということだよ 電子カジノはオンラインでもランドカジノでも
高張りは、食われるから、電子カジノしかやってなければ当然慎重になる
しかしリアルカジノ(ライブETG含む)はスイスイ勝てるから
逆に、脇が甘くなって、ついやっちまう。簡単だけど、簡単じゃないと、どう自分に言い聞かせられるか
そこが、長期的に勝てるかどうかの分岐点になる
鮮やかな勝利に自分が痺れてしまったら、どうにもならない
1/2の確率でサクサク勝てる丁半博打は、少なくとも腕が必要な代物じゃないってことは分かるよな
将棋やチェスとは違う。メンタルコントロールのスキルということになる
熱くならなければ太い1本を入れられないから、ジリ貧から脱することはできないし
簡単に熱くなって大勝負ばかりしてたら、いくら金があっても足りやしない
必要な時にのみ淡々と大きく賭けるという冷静な暴力性が、博才なんじゃないかな
博才は一見、運やツキのように見えるから、その正体に気づく人は少ない ネットギャンブルはブロックチェーンで縛りでもしない限り、全てイカサマコントロールされてる
ギャンブルですらない 森巣博は
博打のスキルは
運勘見(UKK)の合わせ技と言っていた。運だけでもスキルだけでも勝てないらしい 実力10割
それがバカラ
みんな下手だから負ける
確率とか運なら
半分は勝つべきだけど
99%負けてる
下手だから
反省しろ ネットカジノが作られた乱数つまり擬似乱数列を使っていれば、出る目は全部分かっている
しかしながら、ネットカジノは確率調整を行っているために、擬似欄数列はリセットされてしまう
したがって、ディーラーは次に出る目は分からないし、そもそも個々のハンドでは手入力のイカサマはしない
ネットカジノは単純に、ツラ切りやマーチンゲールや連続的な高張りの勝率を下げる出目調整によって
客の金を奪えるシステムになっているから、オートマチックにイカサマができる
運というものを俯瞰して見ると、本カジに行かずにいつまでもネットカジノにとどまっている人はスキル以前に運を持っていないと言える
また、スキルを持っていれば、ネットカジノのイカサマが見破れるから、さっさと本カジに行ってしまうのである 平成最後に言っとくな
バカラは攻略法半分、勘と勇気と諦めが半分
運の要素は、ほぼない
どんな時でも勝てる
ただし、稼ぎの額を決めるのは間違いなく、運 バカラは大金でつらおって、つらキレたらやめる金持ちゲームだよ。
庶民はルーレットだね。 100%運だな
問題は貧乏人は運が悪い時に破産するから
どの道、負けるということだ カジノに負けたら
仮想通貨で取り戻しましょう
国産仮想通貨 EVEO上場決定 深追いしない
これだけやれば負けない
大玉で深追いするのは破産への片道切符
簡単なこと
絶対に深追いしない
すっと、逃げる
駒を引く
それでも負けるなら根本的に実力がない
博打はバカでは勝てない 運の要素で戦っているうちは三流ギャンブラー
実力で勝てるようになればニ流ギャンブラー
目標額を達成してギャンブラー引退して利息でカジノに金を捨てにいける者だけが一流 今日もまたドラゴンカジノで破産する人を見た
みんな同じパターンで破産している。繰り返し繰り返し同じパターン
なぜ気づかないのかしら 有利に打とうと思うなかれ
不利に打たむと
1もくなりとも負けを先に延ばすなり 運の過ぎ行くままに
この身を任せ
落ちてゆくのも
幸せだよと おまえらはなぜそんなにあたまがわるいんだよぅ
あきれはてるぜ
ばかではばくちはかてないんだぞぞたうん 仮想通貨EVEOコインが
オンラインカジノで使える予定です
購入するなら
今がチャンスですねー EVEO 2里で安いから買ったぞ!
カジノに使う分のエアドロ熱いね ルーレットって神事のような神秘性があるし
バカラはタロット占いみたいなとこあるよね
バカラは恐怖分だけ小さい数字が出るとも言われる
気持ち悪いよね
スロットがあっけらかんとしていいよ 丁半博打は最終的にはギャンブルにならざる得ないよね
だから、高い利益率を得られるわけでさ
だけど、最初から最後までギャンブルしてたんじゃ、資金が持たないよな
守りに入りながらも、攻めるべき時に攻めて勝つしかない
それは結論を先送りしているだけじゃないか、というのは違うと思うね
負けを遅らせる、ということはサバイバルの上で最も重要なことだから 「おい、それじゃギャンブルじゃないか」
というのは、ドラマや映画のよくある台詞
ギャンブルというのはそういうものだ
ハウスが1回こっきりの1億円の勝負を客から求められる
種目はバカラ。勝っても負けても、1回きりの勝負
客はバンカーに賭けたいと言う。言っとくが、バンカーの勝率は50.7%
プレイヤーの勝率49.3%よりも高い
これでも期待値有利なハウスが有利だとでも? 馬鹿抜かせや
この賭けを受けるのは、当然、胴元にとっても大きな賭けだ
ほぼ1/2の確率、ワンショットで1億円を失うか、1億円を得るんだからな
ギャンブルっていうのは、そういうことなんだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています