初めてインカジやってみたビギナーだけど何か変だ? [無断転載禁止]©2ch.net
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オンラインバカラをやってみたいと思い
バカラの完全乱数シミュレーションアプリで十分にデータを取り
いざプレイテック系でやってみたけど
自然乱数ではほとんど出ないパターンが頻繁に出る
具体的に言うと、バンカー/プレイヤー/タイの長いスパンで見た
トータル出目率は自然乱数と同じでなのだけれど
どう考えても波が荒い。まぁそれは別に構わないが
1000ラウンドものデータを比較してみても、特長がまるで違う
それは100歩譲ってあるとしよう
しかし、おかしいと思うのは、逆目の方に連続して賭ける逆張りをすると
確率的に、連目が多数出て収支が悪化する
逆に、連目の方に賭ける順張りをすると、途端に連目が続かなくなり
逆目が連続して収支が悪化する
賭け方を変えると潮目が変わる。数百回ものデータサンプルが出たので
マーチンゲールやバーレーというペッティングに対抗するプログラムがあるのではと
推測されるのだがどうなのだろう? かしゆかファンです
ネッテラー以外で遊べる所でイカサマないカジノがあるかな。ベラジョンカジノはサマあった。 リアル・カジノでもイカサマが絶えないのに、不正のし易いオンラインで皆無の訳ないだろ?
合法的に、不正にならない範囲でいじる手段だって、いくらでもあるだろうし。
あの、事実上は出金を禁止するに等しいボーナスなんかと同じでさ。 韓国のディーラーとか勝ちにくるからなw
ただインカジはディーラーは素人同然だがシステムにあるとしたらサマがある やっぱ古典的なカードすり替えなんかね、上の方で画像処理で変えてるって話だけど ソフトはプレテもマイクロも一緒じゃね?
俺は結果ありきの演出だと思う。
監査機関とかザルっぽいし。
外貨獲得の為なら政府だって黙認するだろうし。
だって何やったって客にバレないんだもんな。 >>31
結果ありきだよな。
勝ち分デカイと急に勝率が下がる的な 冷静にルックしてると綺麗な目なんだが張ると急にガチャガチャな目になるよな、怪しいかもね。
クルーズもマイクロも。 『非モテの男はこれを読め』
初秋
ロバート・B・パーカー
村上龍がエッセーで勧めてて半信半疑で
読んでみたらサイコーだった、アメリカン
マッチョイズムが鼻につくかもしれんが
それを軽く超えて読む価値があると思う 偽装結婚の疑いで
俳優ベンガルさんの息子で神奈川県の会社役員柳原直太容疑者(35)と、
群馬県に住む相手のベトナム国籍の女(21)を逮捕 日本のゲームのサイト探しています。
もし探して頂けたら先に1000円 wechat払いかpaypal払いで1000円しはらいまして、
教えて頂いた後2000円支払います。
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ここのようなサイトで売ってるヒトがたくさんいるとこを探しています。
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bahamuuto1@qq.com ネットカジノの回収モードは、課金ゲームアプリでも設定されているよ
でもな、しょせん、アプリのプログラマーだって、ゲームのこと分かってないんだよ
だから、ツラ切りに反応して潰すとか、ベットサイズを上げた時に確率を下げるとか
せいぜい、その程度のイカサマしかできないわけよ
片っ端から潰したら、誰もやらなくなるし、入金無料ボーナスが出来たのも、イカサマ認識が定着したからであってね
でも、実際にやってみると、イカサマはしてはいるけど、無理しなければ勝てるかなとは思う
大玉を連続打ちすると、間違いなく確率調整されてお金を失う
だから、マーチンゲールを噛ませる時は、なるべくベットサイズを連続的に上げないのがコツ
それじゃマーチンじゃないけど、ダブルアップは理論的にはどこでやっても同じだから、連続は避ける
ツラとテレコのツラ切りだけはやらないこと。何か嫌な波が来たら、別のシューで取り返した方がいい
設定はね、数年前と比較すると明らかに甘くなってるよ
回収モードばっかり発動してたら、地方のパチンコ屋みたいに潰れるからね。インカジもちゃんと対応しないといけない時代だよ ネットカジノの地雷は、同じ方向への連続賭けと倍賭けだけだから
ツラは全部ルックするのがネットカジノ攻略の基本な
賭けるポイントは縦横ツラ1、2もく目にロックして
縦横3もく目以降は、ルックしないといけない
この方法は、リアルカジノでは守る必要はない
ルック ルック ルック
↓ ↓ ↓
○○○☆○○○○☆○○○○○○☆
○ ○○ ○○○ ○
☆←ルック ☆←ルック
☆←ルック
ネットカジノは☆の縦横3手目以降は張ってはいけない
ルックできない場合は、最小ベットでツラに張るしかない
ツラ切りを排除すると、ネットカジノのシューは、アルゴリズムが働いて、縦横に短く切れやすくなる
ツラが伸びても賭けてないから損はしない
このように縦横1もく目と2もく目だけに絞って賭けていく方法をボックス賭けと言う
ネットカジノでボックス賭けをするとリャンコ・ニコイチ・ダンゴツラが出やすくなる。しかし、このツラを張り切りで狙うとバイアスが掛かる
それをどう、さばいていくかだが、出目パターンがシンプルだから予想はしやすくなる
ネットカジノはこれで勝てるけれど、ルック待機時間が長すぎて飽きてしまうという欠点がある
しかしリアルカジノと同じ感覚でイカテックやっても勝てないからね ケーセン表示がズレてしまったけど、言わんとすることは分かったと思う。 実際のカジノゲームとオンラインカジノは出目の傾向が違う
腕を磨くなら、傾向が同じ系列のゲームで練習するとよい
スマートフォンゲームなら、BACARIST、ドラカジはネットゲームと比べると釘が甘いけど
傾向は似ている。東京カジノプロジェクトは緩すぎて、あまり練習にならない
PCゲームでは、トランプスタジアムは客を勝たせる設定になってる。なんだかなー
バカラマンは、完全確率モード、プレイテックモード、クリプトロジックモードがあるが、全部バイアスがかかっている
同じカジノゲームシステムをちょっと改造して作ったんだと思う。バカラマンは練習になる
他にも、プレイテックゲームそのものを無料システムとしてサイトにアップしてるものがあるが、無許可なのかすぐ消される
カジノゲームのβ版は、トランプスタジアムと同じで釘が甘い設定だから練習にならない
バカラマンなどをかなり、やりこんでから、インカジの無料ボーナスを使って実戦練習するといいと思う
漫然とやっても上達しない。気づいたことはメモして、毎回何かしらの発見(あとでそれが間違っていたと分かっても、間違うことに意味がある)をしたい むかし書いたメモを読むと笑ってしまう。こんなことを真剣に考えていたのかと
たとえば「リャンコが7回続いたら、リャンコツラ切りで5手以内のマーチンゲールで絶対勝てる!」とか(笑い)
けど、ビギナー時代のこういう試行錯誤の繰り返しなくして、上達の道はない
最初はみんなそれぞれ珍妙な思いつきから始まるけど、スキルアップするとみんなやることは同じになってくるから面白い
カジノでたまに、となりの人と完全にピタッと同じ手を打つことがある。向こうも気づいてちょっと、ハンドを変えたりする
でも、厚く張る時は、やっぱり二人とも同じ所なんだよね。何か気まずい。どちらともなく離れる。シンパシーを感じながら
カジノゲームはスキルだ。けど、みんな上達しちゃったらカジノが損するから、大きな声では言えない
攻略法が発表されたらそのカジノゲームはカジノから撤去される。又はソープ教授のカウンティングの本が出た後のBJみたいにルールがどんどん不利になる
だからきっと、みんなこっそり腕を磨いているんだろうな。けどカジノファンを増やしたいからあえて言いたい
カジノゲームはスキル。しかも将棋やチェスみたいに頭脳は要らない。どうしても初歩的な確率の知識だけは必要だけど
何度凹まされても、というか凹まされることが大前提であって、どんだけ凹まされても勝ち上がる技術
凹まされるというのはリスクヘッジしてるということだから負けるって絶対必要なこと。でも、何回やったって絶対に負けきらない
常に負けているんだけどトータルで負けてない。そういう矛盾の海を乗り切れるのが、地味だけど、カジノスキルとなる
博才ってものは存在しない。カジノのスキルはどっちかと言うと職人寄りだから
だけど旨い寿司が握れたらいいな、とは思っても、寿司職人の修行は大変だからやりたくない人が多いだろう。バカラも同じなんだろうなぁ カジノゲームはプッシュ&プル
見てるとプッシュはできるけどプルができない人やプルはできるけどプッシュができない人が多い
ガンガンプッシュしてグイグイとプル出来ないとなかなか勝てないよね
左手でガツンと押して負けが走りそうな時は全力で右手で引くイメージ
期待値1を超える賭け方になっているかどうか
運に引きずられる賭け方は長続きしない
確率論に忠実であれば、結局、確率論的期待値の結果に収束するだけだ、つまり負ける
複数の確率論を組み合わせて、1の確率論で負けたら3の確率論でフォローする。1の確率論を1の確率論でフォローするといずれ追い込まれる
同一の確率論で深追いしてはいけない
複数の確率論でシューを追っていると予想ハンドが重なることがあり、そこは当たる確率が上がるので厚く賭ける
しかし、疲れてくると集中力が途切れて複数のシューの動きを見落としやすくなる
昔から言われる「勝ち逃げこそが賭博の極意」は、頭のキレがいい時に止めときなということなんだろうな 昨年の10月に出版されたマカオのカジノジャンケット業者の尾嶋誠史が書いた
「カジノエージェントが見た天国と地獄」はなかなか面白かった
VIPルームのシステムがよく分かる
ツアー観光の中国の普通のおばさんが約1500万円デポジットして6億円稼いだ話
:以下本文抜粋
張さんは、最初の勝負から一向に負けなし。元金の100万香港ドルを減らすどころか
みるみるお金が増えていきます
張さんのすごい所は、いつまでたっても変わらず冷静な点
資金が10倍になっても、お友達と世間話をしながら、同じペースでゲームを続けていきました
開始から6時間、勝ち金は4000万香港ドル(約6億円)を超えていました
張さんはそこでやめてカジノには翌日からは手を出さずにツアー日程を終えて中国に帰ったとか
資金を40倍にするメソッドというのは確かにある。競馬で言うところの中穴狙いだ
ギャンブルとしては比較的手堅い手法と言える。それなりのリスクがあるのはもちろんだ
この本は負けた客の話ばかり書かれている。カジノエージェントとしては宣伝の意思はないようだ
実に9割の客は負けていくと書かれている。さすがにそれはどうかな? と思った
ジャンケッと業者がカジノは損すると書くのは、自信があるからなのだろう。やれば嵌るという自信がある
尾嶋氏本人はカジノゲームはやらないそうだ 面白いのは尾嶋氏の同僚が客から代打ち(客の代わりに博打を打つこと)を頼まれた時の話
冷や汗流しながらあっという間に7000万円溶かしたが、客は少しも怒らなかったそうだ
この本の帯は大王製紙の元会長井川意高の推薦文があり
「カジノに行くなら、覚悟を決めろ。面白すぎるから。身を滅ぼすほどに」と書かれてある
筆者は、カジノは9割が損をすると明言している
客に1億円損してもらってジャンケットの接客経費は300万円、他はカジノとジャンケットの取り分と言う
多少、オーバーな表現のように思えるけれど、平場だけどカジノで客が大勢負けているのは実際に見てきたから
VIPルームも同じなんだな、とは想像がつく
見ていて、下手だなと、率直に思う。しかし、ギャンブルしに来ている人たちと、勝つために来ている人とではやはりスタンスが違う
尾嶋氏は、カジノギャンブルはお金持ち以外はやるべきじゃないと言っている
けれども、どうなのかな。上手い打ち手がいるとか、やりようによっては勝てるという事実を教えたくないんじゃないかな
客には運頼みで勝負してもらうのが、ジャンケットにとっては最高に望ましい
ほぼ、必ず負けるから。一時的には大勝ちするけれど、その快感を知ってしまったらもう止められない
目的が金ではなく、快感にすり替わってしまっているから
尾嶋氏は、中国人はマナーは悪いが団体でワイワイガヤガヤ勢いで賭けると言う
韓国人は負けても負けても向かって行って、最後はオールインのドッカン勝負
日本人は冷静で熱くならずに負けきらない。手堅くちょこちょこ賭けて少し儲かったら席を立つ(ギクリ
自分はまさにそういう賭け方だ。他の日本人も同じだったのか
ガンガン負けるお客さんがいるからこそ、カジノはあれほど繁盛している
10万が500万になって目の色が変わった人を何度見たことか。「(やめとけ、やめとけ、そこでやめとけ)」と心で念を送る
でも、続けちゃうんだな。欲が深いだけではないと思う。恐怖感から開放された時の弛緩と、こみ上げるじんわりとした勝利感の熱気
これは万馬券とか宝くじが当たった時のサプライズ感とは違う。そこそこ、予知していたことで、何度も経験している感覚だから 何も考えないとヤミツキになる。そういう快感を選ぶのか、手元に金を残すのか、結局、二択でしかない
半日で6億稼いだ中国のおばちゃんはすごいけど、この人はそれなりにバカラをやり慣れているし、リスクもそれなりに大きく取っている
元金の1500万円はいつも助かるわけじゃないだろう。そういう賭け方は、やはり危険としか言いようがない
お金持ちでないと取れないリスクだ。でも、たとえお金持ちだからって、そういう賭け方は、お金よりも快感ありきだろうと思う
1500万円のバンクロールで1日150万コツコツ稼いで40日間連勝するのが、お金のための博打だと思う
博打は資本主義からあらゆる贅肉をそぎおとしたもの、と言う人もいる。そうかもしれないなと思う
40日間も博打場に張り付いて6億円稼ぐ人生よりも、半日で6億稼ぐ方を、お金持ちは当然選ぶ
あるいは、1割戻しの博打でも40日なんて連勝できないよ、というのが本心かもしれない
大数の法則ではターンオーバーが増えれば増えるほど、確率的に負けることが証明されているから
でも、それはわずか2%弱のハウスエッジで大数の法則に負けるスキルのなさの言い訳でしかない
半日で資金を40倍にするのはそういう中穴狙いのメソッドはあるけれど
そもそも、毎日賭場通いしたって、自分は少しも苦痛でないしそれは楽しくはないけど得意なことをするわけだから
今日もやり切って良かったなと思う。せいぜい毎日、合計して数時間だけど。限られた実力の範囲内でよくやれていると思う
自分よりも上手い人は世の中に大勢いるだろうが、その人になれるわけでもなし、1日1割取れれば上等だし必ずしも毎日簡単でもない
つまづいて、手こずり、損失を回復させるのに数時間かかることもある。それは想定内だから1割戻しなのである
さくっと勝てた日は運が良かっただけ。つまづいた時にこそ実力が問われる 勘はスキル。何かいやだなと思うジンクスには、よく考えてみればちゃんと合理的な理由がある
ツラを追っても仕方ない。ツラを張ったり切ったり自在に動いても、それはあまり意味がない。ケンすべき
ツラを排除した狭いゾーンの動きは、もう、予想は想定の範囲内でしか出目は動かない
それは科学でも非科学でもない、確率思想なんだと思う。これはこう出るだろうけど、余裕があるから見送ってもいいね、とか
これは出ない可能性もあるが、余裕もないし見切りをつけて1本打ち込むか、と腹を決めて
同時に負けたときの長い長い取り返しタイムを厭わない辛抱強さも覚悟する
カジノ賭博をやってて思うのは博打はひたすら辛抱だと思う。辛抱が一番大事なのに
辛抱が一番嫌いなお金持ちたちが大挙してカジノにやってきては、当然辛抱せずに、すっぱりと負けていく
毎日毎日この繰り返し。お金持ちは捨てていいお金に対して微塵も反省がない
マカオのVIPルームのミニマムベットは1万HKDでマックスが300万HKDが多い
尾嶋氏はVIPでミニマムで打つ客はいないというが、そうでもないよ。もちろん大富豪は100万HKDでバンバンベットするけど
50万HKDのデポジットで1万HKDで打つ客だっている。尾嶋さんの所属する太陽城も最低デポジットは10万HKDだそうだ
下げ銭が10万HKDなら確かに平場のハイリミット台で打つけれど、基本はスプレッド300倍は欲しいところだ。最低でも100倍
そうでないと、負けたときにベットを下げて取り返せない。いちいちテーブルリミットの低い台に移っていたのでは、落ち着かない バカラは絞る前のカードは白で、絞る時にドライバーの恐怖心が数字に表れるという迷信がある
中国人は本当に迷信深い。共産主義国には迷信がないというのはウソで、神仏を信じてないからこそ、得たいの知れない悪霊を恐れるのだろう
仏教徒はその点、何となく仏様やご先祖様が守ってくれるんじゃないかなと、不信心な人でも都合のいい時だけ手を合わせるものな
よいことがあったら万札を賽銭箱に入れて神様へのお礼と厄落としをしたいものだと、ある博友は言う
けれども、残念ながら、バカラにしろルーレットにしろシックボーにせよ、丁半博打はスキルとリスクマネジメントである
運やツキは関係ない。十分にリスクヘッジしてスキルの範囲内で打てば、儲けはスキルの範囲内だけど負けることはない
そこに夢とかが入り込む余地はない。このリスクとこのスキルとこの時間とこの心身のコンディションで得られる金は、やる前から分かっている
夢もないけど大した恐怖もない。負けることは想定内。負けた時、どうやってしのぐかが、スキルの内訳の90%を占めているから
それが崩れているとしたら、どこかでミスを犯している。リスクテイクしている。何か無理している。自制心を失っている
何か原因があるから、その原因が分からない時は、引き上げる。負け逃げして、部屋で何を見落としているかを探ることにしている ★ネットカジノでビギナーが絶対にやってはいけない3原則
その1
3目からの縦ツラ切りや横ツラ(テレコ)切りマーチンゲールを絶対にやってはいけない
●●
●●
●●・
●○←ツラ切り
●●●○←テレコ切り
● ・
ツラ目のダブルアップにシステムが反応するのでマーチンゲールのパンク確率がランダムよりも高くなる
そもそも、この方法はランドカジノでも原則用いるべきではない
しかし、勝負手がどこか分からないビギナーが最も手を出しやすい方法なので要注意
その2
連続ダブルアップしてはならない
とくに大玉の連続ダブルアップに反応してシステムは勝率を下げるのでバンクロールがショートしやすくなる
ツラ切りに関わらず、パーレーほかあらゆる局面で、大玉の連続ダブルアップは封じないといけない
また、ダブルアップ時に、タイベットが頻発することがある。これは危険なサインなので要注意 その3
ベットレンジに対して、ミドルラインよりも上の大きいベットを極力打たない
MIN1ドルMAX500ドルレンジのテーブルなら、ミドルラインは32ドル以上
大きく打ちたいなら、レンジを上げて、ミドルライン以下で打つ
例 MIN10ドルMAX5000ドルのテーブルへ移動
ベットサイズが上がっている状態をアツくなっていると見てシステムは勝率調整を入れて来る
ベットサイズを下げたら当たりやすくなるという経験があるだろう
この3つを回避すれば勝てるというものではなく、不利に負けることから身を守るということである ヨシフ・スターリンは「経験の量は経験の質を凌駕する」と言った
兵隊や職人は上官や親方から厳しく指導されるから、指導の質が悪くても長くやれば優秀な人材になるということだろう
しかし、丁半博打だけは、別に誰も指導しないし怒られることもないから、どうしても無反省に経験を積み重ねてしまう傾向がある
質の悪い経験は何の役にも立たない。実力が向上しない。ギャンブルはツキであるという間違った方法で博打を打ち続ける
バカラを打っていると、まったく同じ場所に同じ額のチップを延々と賭け続けるギャンブラーを頻繁に見る
タイやペアがヒットして大勝ちすることもある。しかし長続きしない
なぜなら大数の法則によりターンオーバーのコミッション%分がコストとして負けていくことが科学的に証明されているから
経験の質が悪い典型的な例である。これ、勝つこともあるから、収支抜きでやるなら簡単で楽しいらしい
攻略法とマジで信じている人もいる。それよりは、負けている客の向こう張りをするほうがまだマシである
しかし、いずれにしても、自分のツキや他人のツキ(あるいはツキのなさ)に依存する賭け方では、トータル収支で赤字になる
勝ち逃げすればいいのだけれど、それは勝ち逃げできる人に限られるし、元金が少ない人のほとんどは儲けに満足できないから勝ち逃げする前に負ける
そうじゃない人もいるけれど、ツアー客のほとんどは、100ドル勝っても仕方ないから大勝ちを狙って負けていく 経験の質を高めないと、実力はいつまでたっても上がらない
経験の質をどうやって上げるかと言えば、失敗した時に、なぜそれが失敗したのか
その時は分からなくても必ずその都度メモを取り、後でノートを見直すことだ
すると、いつも同じ所で失敗していることに気づくはずだ。実力は「失敗に気づく」ことからしか磨かれない
なぜいつもこの局面で失敗するのか、それに気づくことが、質の高い経験ということになる
そこを1つ1つ克服してゆけば、打つ手というのは、このシューにはこのハンドと、もう最初から決まっているのである
こんなことは、千回に1回もない、という局面は、実は存在しない
たとえば、26回ツラが続くことは珍しい現象だろう。しかし、長ツラはツラに乗るかルックするだけと決めていたら
あー、ラッキーだったな儲かったな、と思うか、珍しい現象だなと思うだけ。ゲームへの個人的影響はない
打つ手が、最初から決まっていれば、波は立たない。波を立たせているのは、自分の賭け方のせいである。出目に波なんてない
決まり手というものがある。こう賭け続けると50%以上の確率で勝つという一連の局面である
1手から最大7手で決着がつく。平均すれば、2手から4手。決まり手は、出目サンプルを確率計算しないと出てこないし
どこの出目を拾ってくるかというサンプル抽出がその前に必要になる
波立つ賭け方は、無知の蛮勇があればこそ、大勝ち・マジックモーメントを生む
それはギャンブラーの楽しみでもあるから、お金持ちならそれを楽しむのはよいけれど、利益を出すことが目的ならただのギャンブルである
ギャンブルをギャンブルでない方法で打つ普遍的な方法は期待値1を超えること。わずかでいいからリターンがロスを超える
それを継続的に行うためにはリスクを減らすしかない。すると、大勝ちはできなくなる。期待値×時間×投下資金で稼ぐしかないということだ 仏教に常念必現という言葉がある
常に念じていることが現実化するという意味である
博打に勝ちたいと常に念じていれば、それは必現するのだろうか
丁半博打に関して言えば、それは必現すると断言できる
チェスや将棋では、念じているだけで藤井君に勝てるようにはなるまい
だが、バカラは、強い相手に勝つ実力などは必要ない
バカラに勝つ方法はシンプルでハードルも低い
平均配当率でわずかでも1を超えてプラスになれば、やり続けていれば勝てる
カジノは、ルール上の平均配当率が1を超えるという、ただそれだけの理由で
何千億円という富を得る ちょっと考えたことがあるだろうか
カジノは強いから勝つのか。もちろんそんなことはない
ギャンブラーが弱いからでもない
カジノが勝つのは、ギャンブラーが平均配当率で1を下回るからである
それは大数の法則があるからだと確率統計の学者は言う。それは半分当たっていて半分はずれている
谷岡一郎は「ツキの法則(PHP新書)」で、なぜカジノギャンブルで客は負けるのか、科学的に説明している
谷岡氏は学者だがギャンブラーでもある。確率理論から彼が導き出した答えは、一撃離脱
カジノに行ったら、負けている客を探して、その客が大きく賭けた時に逆目に資金をオールインする一発勝負
これが、確率理論が導き出した必勝法である。笑えないジョークだ
しかしこれが正しいことは、確率統計学の権威、増山元三郎大先生の「デタラメの世界(岩波新書)」が明言している
「過去数世紀に渡り丁半博打についての必勝法が科学者によって研究されたが分かったことは、そんなものはないという事だけだった」
科学者は、丁半博打を科学的な確率理論で攻略することに失敗した。というよりも、そんなものはないことを科学的に立証した
さて、では勝ってるギャンブラーの存在を、科学者はどのように説明するだろうか
彼らはこう言うだろう「それは、科学的な攻略法ではない」と
その通りである バカラの攻略は、確率理論で導き出すことは不可能である
それは科学的に不可能だからである。最初から間違っているのだから、確率を信じたら当然負ける
では、確率理論を一部拝借した攻略法はあるだろうか
それは、ある
まず確率理論の欠点が何か理解しなければならない
バカラの確率上の欠点は大数の法則でコミッション分の劣位をギャンブラーが追うため
期待値が確率上のルールにビルトインされたマイナス1という数値が確率理論の敗北の原因である
この部分を何かほかの方法で埋めるのが、バカラの攻略法ということになる
ここまでは科学の理解であり、ここから先は非科学の理解が必要になる
非科学とは何か。「これはやるべきである」「これはやるべきではない」人間はそういう判断を繰り返しながら生きている
それは失敗することもあり成功することもある。結果はどうあれ、人間はそういう非科学的な行動を強いられている
では、その行動はいかなる理由で「やるべき」「やるべきじゃない」と判断しているのか
思想である。バカラの場合は、人間が間違わずに生きるためにはどうしたらいいか、など哲学的なレベルの思想は必要ないが
やはり勝つためには「賭けるべき」「賭けるべきじゃない」という判断を極力間違わないための思想が必要になってくる それはメンタルコントロールにも繋がってくる
儲けた金を一時的に失うことはバカラでは想定しなくてはならない
だが、その人の思想がそれを許さない時、無理なベットアップで勝負するという間違った判断をしてしまう
また、時間をかけて築いた金を失った時、また少しずつ積み上げていくためには、いかなる思想が求められるのか
一気に1万ドル失った時に、クールに500ドル1000ドルにベットダウンするだけでも、それができる思想が必要になる
だが、ほとんどのギャンブラーは別の思想を持っている
博打でお金を失うことよりも、「勝負に負けたくない」という思想を持っている
残念ながら博打場ではそういう思想はカモネギである
勝負に負けても金を残すのがギャンブラーに求められる思想なのである
少しの負けならリスクヘッジしてハウスに勝たせる
取られた分は、辛抱強くコツコツと取り返していく
負け逃げである。これによって何が得られるかと言えば、確率理論の中に埋め込まれた罠を回避できる
悔しい勝負になるし疲労もたまる。何よりゲームをしていて気持ちよくないし楽しくない。思想としてはネガティブだ
しかし、理解しておかなければならないのは、相手は確率上格上の相手なのである
つまり何度でも転がされる。それが絶対前提であるから避けられず、転がされない方法ではなく、上手に転がされる受け身の技が求められる
それが確率思想である
それは科学ではない。確率を理解した上で、確率上の勝負ポイントで、負けた後のことを考える
どのようにして立て直すか。あるいは、確率上の勝負ポイントだが、あえて駒を引く
その理由は科学ではなく思想である。なぜそこで引くのか。その判断を確率知識ではなく思想に委ねる 科学だけでも思想だけでもバカラは勝てない
科学がすべてではない例を挙げてみる
○○○○○○○○○○→
★テレコ10もくの後に11もくのテレコツラが起きる確率は
○○○○○○○○○○→
○○○○○○○○○○
★リャンコ10もくツラが切れない確率は
○○○○○○○○○○→
○ ○ ○ ○ ○
★ニコイチ5ツラの後にツラが切れない確率は
○○○○○○○○○○○→
○○○○○○○○○○
○ ○ ○○ ○○
○ ○ ○○
○ ○
★10もくのダンゴツラが切れる確率は
:答えは約50%である
この紛れもない科学的事実に挑戦するのが思想である ○○○○○→
○○○○
○○○○
縦ツラ3×テレコツラ4のブロックツラが切れる確率もやはり50%である
この「科学的事実」のみに囚われていれば丁半博打で勝つことはできない
ツラ目は英語でランやトレンドと言われる
それは勢いを持ち走っているから止まらない。一方でいつかは止まる
ツラ切りは地獄を見る。だが、そのような確率理論は尊重した上で
思想が「打て」と命じたら打たねばならない
そこで転んだら、何度転がされても、起き上がらなければならない
シューを知り尽くせば、どの局面でどこにいくら賭けるか、またはLOOKするかは最初から決まっている
しかし、決まり手だけやっていても、確率上の劣位がある以上は打ち手は負ける
決まり手を確立することは絶対条件であるが、時に決まり手から離脱しなければ勝てない
決まり手を深追いしてはいけないのだ
どの局面で深追いしてはいけないかは、失敗の経験なくして分かるものではない
失敗の中でジンクスが蓄積され、ヤバい筋が読めるようになる
確率理論・ジンクス・思想が三位一体で運用されれば、期待値は1を超えるようになる
1は超えるけれど、手こずる日もあれば、すっと目標をクリアする日もある
だから、集中力が切れないコンディションの持続には、おのずと限界があるのである
思想・確率・勘(ジンクス)と3つのことをシャープな頭で同時に考えるのだ。酒飲みながらかれこれ10時間打っている、そういうギャンブラーに三位一体は宿るだろうか
SKK。期待値1を超えるためにはどこまでいってもSKKの繰り返し。同じことの繰り返し。やることは決まっている
勝負に負けても、運用をミスしてはいけない、決まりごとの繰り返しがバカラ賭博の必勝法だ 大数の法則を発見したのは17世紀のスイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイである
大数の法則はヨーロッパで大流行していたカジノ賭博のギャンブラーに大きな誤解を与えた
確率的に「同じ額のチップ同じ所に賭け続けていれば」一時的に負けていても、やり続けていれば必ずプラスに転ずる
実は、現在のカジノでもこの方法を信奉しているギャンブラーは多い
大数の法則をベースにしているならいずれその間違いに気づくが、信奉者は経験からその手を使っているから間違いに気づきにくい
さっきもそういうギャンブラーを見てきたばかりだ。それは確かに勝つ時もある
何より面白いのは、彼は実際に「勝っていた」ことである 自分は方法論の都合上、どうしてもバンクロールのわずか1割の儲けを得るだけでも時間を要する
テーブルリミットが上がると進行の速いミニバカラは少なくなり、仕方なくビッグバックでやらざるえない
ビッグバックの進行は遅い。自分の方法はどこに賭けるかは最初から決まっているから、シューを見て見落とさない時間は必要だが
それにしても待ち時間が長い。しかし、彼は常にマキシマムベットのフラット賭けをしているから一手一手が真剣勝負だ
彼はバンカーにMAX、タイにも少なからぬ金額を常に張っていた。そして、大いに勝っていた
テーブルリミットがいくらであるかは、自分がミニバックを使わずに疲れるビッグバックで辛抱していることから想像できるだろう
バンカー賭けマキシマムフラットベット。大数の法則によれば、やり続けていれば科学的に負けが約束されている方法である
しかし、それは長期的にはそうであっても短期的となると、勝ち負けで損益が上下する
マックス賭けだからプラスの時の利益は大きい。何も考えずにバンカーに張り続けて、儲かってもやめないから勝ってる時は青天井だ
酒を飲みながらジャカジャカ勝ち続ける若いチャイニーズ成金と、しょぼくれた博打でしょぼくれた勝ち金を積み重ねる日本代表の自分
最初は、あくびをするゼスチャーをして、退屈なベットを続ける自分を軽くからかったりしていたが
何時間もとなりでプレーしていれば、こちらの配当率が(配当額ではない)高いことに薄々気づく
「何でベットサイズを上げないんだ?」と聞いてきた。「上げたら勝てんやろが」と答える自分
意味が分からないという顔をしている。何せ、バンカーにしか賭けないから彼は暇である
勝ち負けの結果しか見ていない。ハイローラーはだいたいこういう賭け方をしている 大王製紙井川元会長のジャンケット担当をしていた小林愛季の証言によれば
井川会長の賭け方もほとんどこれだったらしい。MAXベットでひたすら賭け続ける
小林愛季は東京地検特捜部から何度も聴取を受けている
井川氏は著書「溶ける」の中で「僕は数学はあまり得意でなかったので確率のことは考えなかった」という内容のことを言っている
井川氏は東大卒であり確率のことが本当に分からなかったとは思えないが、確率的に賭けることをしなかった
その理由ははっきりしていて、確率を考えたら大勝ち・マジックモーメントの快感を得られないからである
それでも、マックスベットバカラ賭けという方法は、あちこち賭けるよりは賢い方法である
なぜならバンカーが出る確率は50.7%であり、プレイヤーよりはいくらか当たりやすいからである
大数の法則の反対は少数の法則(ポアソン分布)と言う
いつかは確率通りの結果に収束するのが大数の法則だが、それに至るまでの間に
1/2の確率とは信じられないほどの乖離幅が生まれるのが少数の法則である
つまり、同じ所にフラットベットすると、確率的にいつか必ず、大負けか大勝ちする
負けた時は、負けた時点でお帰り(つまりロスカット)だから損失はそこで確定
勝った時は、やめなければ、どこまでも利益を伸ばしていける
この方法は「損小利大」と言われて、相場の基本的な手法である
方法としてはある意味合理的だが、勝ち逃げできなかったり、バンクロールから金を借りたりして
損小利大にならないギャンブラーが多い。大勝ちの快感に引きずられて、合理的判断ができなくなってしまう 偶然論の著者であるモアヴルは言った
「カジノでラッキーな人、というのはほとんど、たまたまツイていて勝負に勝った人という意味しかないが
カジノで賭博をするたび、ほぼ常に、負けよりも勝ちがいくらか多いラッキーな人は、自然界に確実に存在する」
代数学で大きな貢献をしたカルダーノの名言は今日にも語り継がれる
「ギャンブラーにとっては全くギャンブルをしないことが最大の利益となる」
科学的アプローチのみでギャンブルを考えればカルダーノが正しくてモアヴルは間違っている
カジノが豪華なホテルを次々と立てる。カルダーノの名言が語り継がれる
どうも、モアヴルは分が悪い。しかし、なぜか、ひっそりと勝ち続ける人が一定数、確実に存在する
ドストエフスキーの著書「賭博者」でも、小人を連れた女性として、そのような人物が描かれている
文豪ドストエフスキー自身は攻略法を発見できなかったが、その鋭い観察力で、そういう人がカジノに存在することを知っていた
ギャンブル依存症にどっぷりと漬かっていたドストエフスキーは妻の忠告で、博才の無さを悟ってギャンブルから足を洗った
カルダーノはサイコロ賭博については、賽の目や賭博参加者や資金や場所によって勝敗が影響を受けることを指摘している
映画ゴットファーザーの原作者で知られるマリオ・プーゾは、割愛するが非常に芸術的な表現で
「ルールが胴元より不利である以上、ギャンブラーはカジノでは勝てない」という意味のことを言っている
確率上、ギャンブラーが常に背負っている劣位
ギャンブラーが翻弄されるツキの波
その波をコントロールする秘策はあるのか
なくはない ギャンブル依存症がしばしば感じる確信や直感というものがあるらしい
「今日はツイているから勝てる気がする、いや絶対に勝てる」
しかしそれは、強く信じていることが、実際に起こりうると脳内で変換されているからである
これを、確信バイアスと言う
確信バイアスに支配されるとギャンブラーは、大勝ちか大負けする
それで勝てないわけではないが、波が悪い時(ドローダウン)を乗り切るだけの資金がないために
勝って終わるのではなく、負けて終わるという状態に帰結してしまう
ギャンブラー破産の問題である
ゆえに、確信バイアスに支配されては勝てない
カジノのVVIPルームのリミットはマックスベットが40万ドルから100万ドルと言われる
資産100億ドル以上の大富豪にしてみれば、この金額は物足りないかもしれない
資産1000万円の人がマックス千円ですと言われれば、ルールだから従うしかないが
当然、MAXベットの千円で賭け続けるだろう。損しても大した額でもなく、大勝ちすれば賞賛されて気分もよい
ハイリミットテーブルの日常的な風景だ
しかし、MAXフラットベット賭けは大数の法則でいつかは負ける。ゆえに、MAXを客相対価で低く抑えることはカジノの利益になる
大賭け大勝ちはカジノの華だが、MAXベットフラットベット賭けは必敗法の1つである ギャンブル依存症がしばしば感じる確信や直感というものがあるらしい
「今日はツイているから勝てる気がする、いや絶対に勝てる」
しかしそれは、強く信じていることが、実際に起こりうると脳内で変換されているからである
これを、確信バイアスと言う
確信バイアスに支配されるとギャンブラーは、大勝ちか大負けする
それで勝てないわけではないが、波が悪い時(ドローダウン)を乗り切るだけの資金がないために
勝って終わるのではなく、負けて終わるという状態に帰結してしまう
ギャンブラー破産の問題である
ゆえに、確信バイアスに支配されては勝てない
カジノのVVIPルームのリミットはマックスベットが40万ドルから100万ドルと言われる
資産100億ドル以上の大富豪にしてみれば、この金額は物足りないかもしれない
資産1000万円の人がマックス千円ですと言われれば、ルールだから従うしかないが
当然、MAXベットの千円で賭け続けるだろう。損しても大した額でもなく、大勝ちすれば賞賛されて気分もよい
ハイリミットテーブルの日常的な風景だ
しかし、MAXフラットベット賭けは大数の法則でいつかは負ける。ゆえに、MAXを客相対価で低く抑えることはカジノの利益になる
大賭け大勝ちはカジノの華だが、MAXベットフラットベット賭けは必敗法の1つである カジノゲームで考えるべきことは3つ
★ツラ切りをしないこと(ルックしないなら常にツラに張る)
★縦横4もく以上走っている時のハンドはすべてルックする
勝負は「縦横3もく以内のレンジ」でのみ勝負する
そのレンジのシューの特長だけを観察して、確率的に不利な局面を見つけ出して
その逆のハンドに打つこと(確率的に有利な局面は存在しない)
★張り駒のベットアップベットダウンを的確に行うこと
的確とは常に勝ちを目指すという意味ではなく、撤退すべき時には未練なくフルブレーキング
押すべき時は逡巡を捨てて一気にベットアップする。見切りに長けること
モアヴルが言うように、カジノには偶然のラッキーと、偶然ではないラッキーの2種類がある
スキルはあっても運は必要だと、マージャンなどを嗜んだ人は言うだろう
しかし、カジノゲームに関しては、相手は名うての強いディーラーなどではないのだから
自分が間違わなければ、つまり「負け金よりも勝ち金がいくらかでも常に多い」ギャンブラーになれば
トータル収支で勝ちになる
ディーラーの新人が初めて職場デビューして必ず感じることがあるらしい
「俺は(あるいは私は)無敵か!」強い。次々と客を負かす。ただ、客の勝負を受けているだけなのだけれど
結果として、ディーラーは勝ち続ける
そこで当然思う。「私はラッキーな星に生まれた人間なのではないか」と
そしていざ、カジノに行って勝負して、ボコボコにされて思う
「なぜだ?」と カジノゲームは短期的には運が左右することはあっても
長期的にはスキルが勝敗を決する。また、バカラやルーレットの場合はスキル同士のぶつかりあいではない
勝てば運、負ければ実力。負けを抑えてわずかでも勝ちが上回るメソッド
それはほんとうにわずかな勝ち越しで構わない。安定的に勝ち越せるための小さな積み重ねで
わずか1%程度のハウスの確率上の優位を上回ればターンオーバーが増えるに従い
必然的にバンクロールは増大していく
そこに立ちふさがる敵は何かと言えば、ツキに左右される勝ち方であり、まったく不要なリスクテイクである
まったく不要なリスクテイクとは簡単なことで「一気に負けを取り戻そうとして大玉で勝負しない」ということである
モアヴルは理論ではなく観察から持続的に「ラッキーなギャンブラー」が存在することを認識していた
その正体はスピリチュアルな能力なのか、それとも何か秘策でもあるのか
そんなものはない。モアヴルの見た「ラッキーなギャンブラー」とは、平均配当率が継続的に1をわずかに超えていただけなのである まぁ自分の実力がどの程度が知りたいなら
以下の方法で試してみればすぐ分かる
バカラのゲームソフトをダウンロードして
MIN1-MAX500ぐらいのテーブルリミットで
MAXベットの1/10つまり50単位を勝ったら1セッション終了
これを100セッション連勝できるなら、カジノで十分食っていける
これが10セッションぐらいで連勝が止まるレベルだと厳しいね
ギリギリ勝ち逃げできるかどうかのレベル
平均5セッション以下でパンクするようだと確実に負ける
試してみるといいよ イカテックはマーチンゲールをやると
当たった時にTIEプッシュする頻度が高い設定だから負けられない時の勝率が落ちるのよ
で、その時にプレイヤーに出目が偏ったら
強制的にバンカーが補正するから平均的にはバランスする仕組み
マーチンゲールは長期的には破綻するけど短期的には
罫線をチェックすれば、常に負けるわけじゃないことが分かるだろう
金持ちの仲間10人が520万円をもってディーラーをやっつけに行った話がある
ビックバックで10人全員が同じサイドに1万円からマーチンゲール
10連ツラが10回連続で出なかったら客の勝ちで各自10万円、計100万円のディーラーのヤラレ
10回以内に10連ツラが出たら客の負けで、計5200万円のハウスの勝ちとなる
100対5120の配当だから、まぁ確率的には客有利だが
高配当狙いのギャンブラーならハウス側に乗りたいよな
で、金持ちの酔狂を俺はゲームを中断してギャラリーしてたわけよ
ニューボックスの8デッキのトランプを1シュー消費する前に決着はついた
当然、客の勝ち。まぁ100万円ぐらいの凹みはカジノにはどうってことはない
けど、100万円ってカジノの従業員何人分の日当になるかね
持続的にやるならツラ切りは何をさておいても禁じ手であるが
まぁ金持ちのイタズラ的な意味でのマーチンゲールはあるかな 世界最古のギャンブルの1つがバックギャモンである
バックギャモンの原型は今から5500年前の古代エジプトのセネトと言われる
ローマ帝国を経て中東から中国に伝えられ
日本には7世紀に伝来し、双六として大ヒットした
双六は人気の博打として日本人に長く親しまれた
ランダムな出目を読むという意味では、今日のカジノゲームに通ずる
徒然草の110段には当時の双六の名人の言葉を吉田兼好がまとめている
兼好「双六の上手といひし人に、其の手立てを問い侍りしかば、」
名人『勝たむとうつべからず、まけじとうつべきなり。いずれの手か痛く負けぬべきと案じて、その手は使はずして、一目なりとも、遅く負くべき手につくべし』 分かりやすく説明しよう
★博打は不可測に賭けるものであるから
決め打ちで勝ち手を予想することはできない
だから、勝ちを狙うのではなく、負けを減らしていくべきである
★負けた場合に、再起不能なダメージを受けるような
あらゆる賭け方を排除しなければならない。(つまりマーチンゲールのような手)
★そういう手法が、いかに有効に思えても、その手は使うべきではない
★負けをいちもくでも先に延ばすこと
これは、おそらく補足説明が必要になるだろう
・一時的な負けを甘受しても、大敗北を可能な限り先の先まで、遅れらせよ、
ということ。例えば、勝負手と思える局面で、ダブルアップで仕留めようと思ったとしても、
時には途中で駒を引け(ベットサイズを下げろ)、ということを言っている
自信があっても、手応えが悪ければ、決して深追いするなということだ
★まとめると、この古代の名人が言いたいことは、
ギャンブルで必要なのは「受身」であると言うことだ
だから、大いに勝つことよりも、負けないこと、転がされることは想定した上で
立ち上がれる程度のダメージに常に抑えることが、
結果的に生き残って利益を残せると言っている
敗北は必現だからこそ、避けられぬ敗北の現実と真正面から向き合って、
潔く勝負して散るような手法を捨てて、
しぶとい博打を心がけよと言うことだろう。
次に繋がる負け方、そう、勝ち方ではなく、いかに負けるかが博打の極意ということになる どうすれば勝てるかと「勝利」を中心にゲームを組み立てると
どうしても、それまでの蓄積された負債をどうやって大きく勝って解消するか
という手法になってしまう
大きく勝つことで帳尻を合わせるのはギャンブラーの常套手段だが
その際に、ハイリスクハイリターンの帰結として
大勢のギャンブラーが脱落するから
カジノは莫大な富を(期待値以上の儲けを)ギャンブラーから奪うことになる
勝利ありきで博打を打たないということは
博打のエンターテインメントを奪うことにもつながるから
それが攻略の基本だとしても、
ギャンブラーの多くは決してその手法を採り入れないだろう。
それはそれで正しいのだ
カジノはお金を稼ぐことがすべてではない
夢のような世界で我を忘れて楽しむところだから
しかし、バカラの達人として、ひと財産を築くのもまた一興だ 長いスパンで見れば
ルーレットの赤が10回出ない確率は2の10乗分の1である
約1/1000
広場に1000人が集められて、その中に自分がいるとする
監視台から銃を持った人間が広場に向かってパンと1発発砲して誰かが倒れる
この時の恐怖感に敏感か鈍感かによって
1/1000という確率の捉え方は変わってくる
怖い(それはあり得る)と思うならば
逆に、パーレーで10もくツラ1本取ってベットを1000倍に増やすことも信じられるだろう
その太ツラを1本取れればどんな沈みだって回復できる
ランはなかなか走るものではないが
必ずいつかは走る
結局、どのように賭けるかは、賭ける人の価値観や思想に委ねられているのである 罫線は大路(ビッグロード)を見ても絶対に勝てない
なぜなら大路の動きが過去と違うかどうかを判断できないからだ
大路だけでは流れが判断できないが
大眼仔・小路・甲由路を見ればシューの潮目が見えてくる
大路で分かることと言えば連目が伸びているかどうかだけであり
この情報から利用できる手法はパーレーとマルチンゲールだけであり
それらの手法では長期的に勝つことは出来ない 丁半博打は誰でも子供でも楽しめる簡単で単純なゲームだが
勝つために身につけなくてはいけないものは非常に多い
底が見え透いたゲームであるという間違った理解をしている限り何も身につかない
4要素が大事
★確率(知)を理解する。これは本でも学べるが、分からない部分は数学の先生に聞くなど
独学には頼らない方がいい。また、数学の先生は確率の知識はあってもギャンブルの専門家ではない
★ジンクス(勘)を磨く。経験則から、失敗のパターンを把握して、これを避けるのが勝負勘
「ここは勝負所だ」という勘は要らない。ヤバい筋を踏まない、危険を回避する勘に専念する
★ギャンブル思想。知識や経験は自然と身につくかもしれない
しかし、思想は自然と身につくものではない
人前でカッコ悪い勝負はできない、知り合いの前でいい所を見せたい
みっともない賭け方はできないという虚栄心は、ギャンブル思想と大きな関わりがある ルックは絶対に必要なプロセスだが、ベットレンジが狭いためにルックをあまりにも多用すると
非常にストレスがかかるようになる。イライラすれば我慢ができなくなり、一気に崩れやすくなる
他力本願な思想の持ち主は、人間罫線を探すことが多くスキルアップの障害になりやすい
また、同じテーブルの客の賭け方や勝ち負けに影響されやすく、メンタル面でも動揺しやすくなる
どこで退くかも、ギャンブル思想なしでは決断できない
連敗で熱くなった時に大玉で一気に取り戻そうとする間違いを止めるのは自制心ではなく思想である
「私は主義としてそれをしない」という揺るぎない意志なくして、ブレーキは踏めないだろう
博打の核心部分は「受身」である。転ぶのは試合のうち。起き上がれないのがいけない
どんなに確率の知識があってもジンクスに知悉していても
一度のぼせ上がった頭を冷やすのは容易なことではない
だから、知識と経験だけでは、勝てないのである
「冷静の大切さ」という知識と経験を安定的に活用しうるものがギャンブル思想である その賭け金額に恐れを抱いたら絶対に賭けるべきではない
それは知識として経験として誰もが知っている
その賭けの直前に、ギャンブラーは「これはアカンやつや」という勘がビンビンに働いている
にもかかわらず自分を止められない
人は思想的な生き物であるから、そこに思想がなければ簡単に間違いを犯す
それは絶対にやるなと命じられるのは自身の中にそびえ立つ強固な思想のみである
「博打の時だけは私に従えよ」という思想にギャンブラーは支配されなければならぬのだ
確率知識、勝負勘、ギャンブル思想
最後に必要な要素は「逃避の受容」である
ギャンブラーはしばしば、大きな負の波に襲われる
その波に立ち向かってはいけない
そのような勇ましさは、ほかの時に発揮してもらって、博打の時は勇ましさは要らない
いつでも逃げ出すのだ。博打においては逃げることは恥ではない
なぜならばギャンブラーはルール上の劣位に置かれているからである
この劣位を凌ぐ方法が2つだけあり、1つはベットダウンベットアップの自由
もう1つは「逃げ」「抜け」の自由である この2つの自由を駆使して有利に戦うためには
「戦い切らないこと」が大事である
常に逃げる、常に抜ける
私たちは親や教師や先輩や上司などさまざまな人たちから
人生は逃げ切れないから立ち向かえと教えられるだろう
だが、丁半博打に関しては、徹底的に逃避行動、退避行動、退却、撤退、出口戦略が求められる
これがおろそかなら間違いなく地獄を見る
押すべき時は思い切り押して、引くべき時は思い切り引かねばならない
初心者や未熟なドライバーは、アクセルを踏む足もブレーキを踏む脚も縮こまっている
ギャンブラーは「押せないし引けない人」「押せるけど引けない人」この2種類が多い。ほとんどだ
積極的に引けない理由は色々あるだろうが
あなたの中に逃げることをよしとしない何かがあるのではないか
または、今逃げても、いずれツケを払わせられるから今しまつした方がいいというモラルはないか?
博打は時に逃げて逃げて損失を先送りしながら細かくチャンスを捉えて損失を減らしていくゲームだ
そこで逃げると後で取り戻しが大変だと思ってはいけないのだ
この「負け逃げ」はギャンブルの最高難度の技術であると言ってよい
それは、なかなかできない
その場でケリをつけようと、間違った判断を下して、ギャンブラーは気化したアルコールのように消えていく
確率を理解することもなかなか難しいだろうが
これを学ばないことには勝率は上がらないし勝負の流れも見えてこない
ジンクスを積み重ねることも難しいだろうが
これを蓄積しなければ同じ間違いを難度も繰り返すことになる
ギャンブラーの思想は、おそらくは人間性やセンスとも密接な関係がある
「それ」がギャンブラーに向いていなければ、有益な思想が形成されることはないだろう
逃げを受容すること。これがおそらくは何よりも難しいに違いない
誰だって勝負から逃げたしたくはないのだ。勝つために、それを成し得るのは容易ならざることだ。 古くはカルダーノに遡る数学者や
谷岡一郎とか森巣博とか基本的にIQの高いタイプのギャンブラーの限界は
カジノゲームを理解する最初の段階で
丁半博打はどう考えても底が浅いと結論せざる得ない所にある
相当いい線行ってる森巣でさえ「科学は信じないが非科学はもっと信じない」止まりだ
丁半博打の勝ち方は、コロンブスの卵に似ている
科学的に卵は立たない。何か仕掛けをして立たせるとしたらそれはイカサマ
だから、卵は立たないという結論に至るしかない
しかし、カジノゲームの丁半ベットに関して言えば
「卵は完全に立つ必要はない」のである。ここを見落としている
卵を不完全でいいから「一時的かつ一定比率以上を安定的」に立たせればいい
具体的な数字を言えば、平均配当率が100%(1)をわずか超えれば回せば回すほど少しずつ利益は増えていく バカラのペイアウト率は自然確率で98%と算出される
これは一律に出鱈目に賭け続けた結果として大数の法則により結論づけられる最終的な数値である
これに抗って、ペイアウト率を常に平均101%以上にするだけで良いのである
大勝ちに不可欠とされる無理なリスクテイクはせずに、わずかに勝ち越せるメソッドさえあればいい。それだけを繰り返す
連勝は続かないとボヤくギャンブラーほど短期間で大きな勝ちを狙っている
過大なリスクテイクが連勝を阻む原因であるという自覚がない
ギャンブルで勝ち残るすべは、必敗の法則を回避することであり、勝ちを決め打ちすることではない
その必敗法の最たるものが「結果的にしばしば大勝ちしてしまう」ギャンブラーの賭け癖である
短期的な大勝ちこそが継続的にわずかに期待値を上回る賭け方の確立を阻む元凶である
それは、まさしくコインの裏と表の関係であり、一体の関係にある
浮上と沈みの勢いは同一ではないものの、賭け方の工夫で波を安定させることは可能だ
また、可能であるという前提に最初から立たねば、その先の探求そのものが行われない IQの高いギャンブラーほどこの探求を、ことの最初から放棄してしまう傾向がある
愚直に探求を続けられるギャンブラーだけが、最後に金鉱を掘り当てる。それはどういう人か
木枯紋次郎は、架空の人物ではあるが博打が強かった人物として描かれてる
そのモデルは江戸時代に無数に存在したと言われる無宿人の流れ者である
彼らは最低限の教育さえも受けていない棄民であり凶状持ちであり少なからず不可侵民だった
一方、江戸時代のヤクザの家業は賭博である
彼らは博徒と呼ばれ博打を生業にしていたが博徒が博打を打つことは固く禁じられていた
江戸時代の博打は現代で言う非合法の闇カジノとは少し違う
いわゆる天領と言われた武士等の非直轄領における治安維持を博徒は担っていた
その見返りに与えられたのが御法度の賭博の開帳である
大店の旦那衆の末席で博打を打っていたのが流れ者の無宿人であるが
彼らは渡世人として博徒の親分に仁義を通して存在を許された 渡世人は親分から寝食を保証され賭場への出入りを許された
その見返りとして出入りの時は兵隊として恩に報いたのである
渡世人は基本ヒマ人である。有り余る時間を生業である博打の勝ち方のみに費やした
それ以外にすることがなかったから他に選択肢はなかった
つまり賢い選択の上に、博打の勝ち方のみを探求したわけではないのである
生きる道はそれしかなかった。だから彼らは博打に強かった
渡世人は賭場で少しだけ勝たせてもらい
利益を若衆に心づけとして渡して、また次の賭場へと移動する流れ者である
渡世人は立場上、世話になっている親分が経営する賭場で荒稼ぎすることは出来なかった
そのような事情があるため逆に、大きく勝つようなリスクテイクをする必要性もなかった
ここでも渡世人は自らの賢い判断ではなく、自身が置かれているやむをえない事情により
「継続的に勝ちやすい」手堅いメソッドを結果的に身につけるしかなかったのである 賭博で勝つというのはそういうことである
胴元もテラさえあれば余裕で勝てるわけでもない。厳しい時もある
賭博道の徳目は自制心と辛抱と言われるゆえんである
渡世人は立場上、実力以上の博打を打つことは許されなかった。だから渡世人家業は成立した
現代のギャンブラーは自由である
どのように賭けてもいいし、賭けなくてもいい
自由だからこそ、渡世人のように型にはめられることもなく、存分に負けられる
継続的に勝つ方法を選ぶ自由もあるが、旦那衆のように悦楽に溺れる勝ち方を選ぶことも可能だ
しかし人間は弱い
博打が与える快楽にすべてを委ね、我と我が身を忘れる
時に、ギャンブルをする目的がお金であることさえも忘れてしまう
勝負の敗北によって心に生じた亀裂を埋めるためだけに博打を打つ ギャンブルをギャンブルにしない方法はある
資本主義から贅肉をすべて取り去ったものがギャンブルである
50年持つ企業があるように50年持つギャンブラーも存在する
ケインズは人間は必ず破綻する存在だから永久性は重要ではないと言った
ギャンブラーも永久ではないが人の体も永久ではないから永久性は必要ない
にもかかわらず、永久性(絶対性)を持つ必勝法をギャンブラーは追う
もしそれが存在するなら、そのゲームはカジノから撤去される
撤去されないまでも、カジノの片隅に追いやられる。チェスやポーカーのように
あるいはルールをより厳しくされる。ブラックジャックのように
幸い、バカラやルーレットや大小などの丁半博打は
絶対性を持つ攻略法が存在しないために有利なルールでプレーされ
客はハウスの期待に応えて、しっかりと「ギャンブル」してくれる
だが、それ以外の道を選択する自由がギャンブラーにはある
ギャンブルをギャンブルにしない方法
それは渡世人のように謙虚に賭ければいいのである
ハウスを潰すほど大勝ちしてやろうとカジノにたむろすギャンブラーとは真逆の生き方である everyプロジェクト
仮想通貨コインEVEO
6月9日
CEに上場します
楽しみですね オンカジはすべてイカサマだからやって駄目
ブックメーカーはピナクルとウィリアムヒルだけにしときなさい おまえらはなぜそんなにあたまがわるいんだよぅ
あきれはてるぜ
ばかではばくちはかてないんだぞぞたうん このスレ、もっと早くみていたらないと、中々勉強になります! 資金を絶対に切らさない賭け方をするのが大前提
この金はなくなってもいいから大勝ちしたいというギャンブラーは多いが
それではトータル収支はマイナスになる
カジノは資金を絶対に切らさないから胴元を続けられる
客は期待値以上に負ける。なぜなら破産して退場するから
勝率は上げられないが、リスクコントロールは出来ると言われる
ハウスエッジを取られる客は不利だが、二点だけカジノが不利な点がある
カジノは負けた時にチップを上げ下げできない。カジノは勝ち逃げ出来ない
勝率はわずかだが上げる方法はある。ほんのわずかだ。これは知識による
マネーマネジメントは知識と自制心、すなわちスキルである
この二者を融合することで、長期的な平均配当率が100%を少しだけ超えられる
わずか1%、0.1%の優位だが、資金とターンオーバーの力で利益を削り取る
シミュレーションで勝てないうちは本番でも勝てない
だから、勝てるようになるまでは、いずれ必要になる元金を貯める修行期間である
だいたい、継続的に勝てる金額は最大で10%程度。これは実力によるが
10万円の資金で1万円を勝つのと1000万円の資金で100万円勝つのは全く別の行為だ 金持ちは別として、失った時の打撃がまるで違うからである
1000万円の資金で勝てるのは1%。100万円で10%狙わねばならないからそうなる
資金を切らしてはいけない。これは大原則である
100万円の資金で10万円の1割勝ちを10日続けると倍増する
1か月で80万円になる。2か月後には640万円。3か月後には5000万円を超える
だが、それが続かないのなら意味がないから、当然日々の目標を下げるしかない
毎日10%勝ちとは、かくも爆発力がある行為なのである
にもかわらず、ギャンブラーは10%勝ちを物足りないものと感じてしまう
大事なのは、10%の継続だというのに…
そして、資金が大きくなっていくにつれて、プレッシャーも大きくなり
10%を勝ち続けることが困難になっていく
やっていることは同じはずなのに、壁が高く感じてしまうのだ
そして、ここまで増えたことで失う恐怖も増す
だから、1か月後に180万円に増えたら、元金の100万円と合算して
280万円の10%である28万円をベースに10%勝ちを積み重ねていく
そうやって賭け金を毎月、更新リセットしていけば、恐怖からは開放される
とにかく大事なのは、継続して勝てるのは1日何%か、ということだ
1日に0.1%いや0.01%でも延々と継続できるのがプロ
日によって倍に出来たり、資金を失ったりするのはアマチュアであり
この差は、決定的に大きい。スキルの本質が根本的に違うと言い換えることもできる
戦略と取り組みが全く違うからである
まるで違うゲームをしているといってもよい 長期的に元資金を膨らましながら勝つ方法で大勝ちすることはありえない
大勝ちするというのは大負けするというリスクとコインの裏表の関係だからだ
コツコツ勝ちたいが時には大勝ちしたいと凡百のギャンブラーは普通に疑問もなくそう思う
だが、それは矛盾しているだけでなく、結局、いつかはハイリスクハイリターンにブレるのだ
とはいえ、バカラのようなカジノゲームは、ギャンブル的な要素を排除できないから
一時的な深い勝率の落ち込み(ドローダウン)は避けられない
これをいかに小資金で打たれ越して、微傷で終わらせるかが重要になる
打たれ越すだけでなく、損害を最小に抑えねばならない時もあり、それは結構なリスクテイクにもなる
取り返しのベットは負けることが多いからだ
負ける理由は、当然、追い込まれているからである
そこを適度に、傷を深めないように対応するのが、受身の能力である
カジノハスラーに最も必要な能力はこのマネーマネジメントである
もちろん、勝率を的確に上げていく知識は必要だし
何としてでも、それは達成しなければならないだろう
これは存分に研究して到達しなければならない
でも、やはりそれだけでは勝てないのである 追い込まれた時に、どういなしていくか
追い込まれるとメンタルが崩れてしまうのは、ブレーキが効かなくなっているからである
それは、軽いパニックが起きているからである
ここで負けたら取り返しがつかない、そう思って破産のリスクをしてでもベットアップしてしまう
結局、受け身とは、負けたらただ撤退するということではなく
その後で、どのように体勢を立て直すかという算段があるかどうか、ということになる
算段がなくても、教え通り深追いはしないのは賢明ではあるが
それはそれでジリ貧になっていく
カッとなって自制心を失って深追いするギャンブラーはカジノゲームに向いていないかもしれないが
ジリ貧になるタイプの人は、向き不向き以前に、ギャンブラーをやめてしまうことが多い
諦めが早い人は、ゲームの研究にかじりつけない
勝ち方は存在する
だが、多くのギャンブラーは途中で諦めてしまう
諦め方は様々だ
コンプで稼ごうと考えたり商材やコーチ屋として稼ごうとする
収入の範囲内でギャンブルを楽しむ
完全に足を洗ってしまう
半信半疑のまま、情報だけを追い求める
諦めてしまった人は、絶対に解明のための時間と労力を割かなくなる
そんな半端な取り組みで、勝てるようにはならない 勝ち方は存在するとただ信じるのは無理だろう
真実に近づいて、確信への手ごたえを感じなければ
あと一歩で、そこに触れられるという、漠然とした感触がなければ
だから、少なくともそこまではしぶとく食らいつける情熱は必要なのである
期待値や大数の法則を持ち出して勝てない言い訳にしている人たちに
何らの情熱も感じないのは、元々冷めているからである
何に対しても冷めている人はいるだろう
だが、そういう人は、そもそも冷めているから、勝てないことに一々、言及しない
だが、冷めているくせに言及したがる人たちは
ゲームに情熱を注ぎ込むべきなのは、はっきりしているにも関らず
冷めていて、取り組みを投げ出しているからである
その忸怩たる思いから、勝ち方に情熱を持って取り組むことを否定したがるわけだ
自分が出来ないことを、他人にさせたくはないし、ましてやその果実を得るのは
我慢ならないのだろう
カジノゲームで勝つようになるためには
おそらく1つの穴を掘り進まなければならない
それに、多くを費やさなければならない
これが苦痛に感じるならば
あるいは、もっとほかの興味あることに目を奪われ、気が散っているのなら
もしくは、仕事などの事情でそれどころではないのなら
とてもじゃないが、片手間で出来ることではない
毎日毎日、これだけを、ほとんど朝から寝るまで考え続けて数年間
それで成果が出る
しかし、10年間、集中的にそれを続けても分からないようなら
それ以上、考えても無理な気もする バカラでフラットベッドで勝てる方法って中々難しいですね ○○○○○○○○○○○○○○書くの面倒だから全て書いて
○○○○○○○○○○○○○ ないけど13回連続罫線が続い
○○○○○○ ○○ ているのはじめてみたわ
これしかもはじめからの罫線 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
○・○・○○○○
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こんな罫線が出たらイカサマ
縦ツラや横目ツラの逆張りをシステムが潰しているため 詳しい人に質問です!プレイテックのライブは全世界の人がやってると聞いて少しは信用あると思うんですがマイクロゲーミングやタイシャンも信用出来ますか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています