【常打】 森巣博 【賭人】
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カジノが正業、作家は兼業の「森巣博」について語りましょう。
ファン、アンチは問いません。
アサヒ芸能で連載中の「賭ける故に我あり」によると、ここ20年間
は、毎年1千万程度はカジノで稼いでるとの事です。 )^o^((@_@)(@_@))^o^((@_@))^o^((@_@))^o^((@_@))^o^((@_@))^o^( 最近知って本を「賭けるゆえに」を読んでいる。
面白いね。 涼子が「チョイヤ〜チョイヤ〜!チョイヤ〜!!」と、
叫びながらマンコぐしょ濡れにして、パンツを汚したところが良かった(*´ω`*) >>259
>あの北朝鮮マンセーの嫁はルパート・マードックとはどういう関係なんだい?
俺も知りたい この人、作家として失速するの早がったなあ。まああまり才能なかったんだろう 日本のゲームのサイト探しています。
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bahamuuto1@qq.com 森巣メソッドで勝ちまくりです
なぜ負け犬共は森巣先生を誹謗するのでしょうか
素直に勝ち方を学べないのは哀れですね
あなたは勝ち逃げできないから負ける
あなたは受身を知らないから負ける
あなたはツラを取れないから負ける
あなたは損切りできないから負ける
図星だから腹が立つんでしょうね
あなたは辛抱が足りないから負ける
あなたは馬鹿だから負ける
あなたは確率を信じるから負ける
あなたは攻略法や必勝法や極意を探すから負ける
事実を認めたくないんですね
あなたは稼ぐという本来の目的を忘れるから負ける
あなたは恐怖を感じるから負ける
あなたはリスクをおかさないから負ける
あなたは負けるまで打ち続けるから負ける
そんなんで勝てるわけがありません
あなたはボンヅラが悪いから負ける
あなたはルックできないから負ける
あなたはジンクスの積み重ねがないから負ける
あなたは打たれ越せないから負ける
以上のような「必敗法」を排除すればカジノで生き残れると森巣先生は言っています あなたは短期的勝利をセッションを区切って積み重ねられないから負ける
あなたは過去のギャンブルの負債を引きずっているから負ける
あなたは負けをコツコツ取り戻そうとしないから負ける
あなたは大勝ちを求め10%勝ちで満足できないから負ける
さあどうですか。森巣先生の言葉は間違っていますか
あなたはバンクロールの多寡の優位性を知らないから負ける
あなたはローリスク(少ない投資・セコい)ハイリターン(そのくせ欲が深い)狙いだから負ける
あなたはベットの濃淡の付け方が下手だから負ける
あなたは博打の最中に反省するから負ける
森巣先生の言葉はまだまだ続きますがこのへんにしときまちょう
最後に私の座右の銘である森巣博最強の言葉
「博打の持つ矛盾に気づき、その矛盾の隙間を突ける者が勝つ」
必敗法から学べ、経験を自覚化せよとは、それを実現する手段としてあるわけですね 参考図書 賭ける、ゆえに我あり 森巣博 徳間書店 2009/8/26刊 森巣理論を理解できるかどうかが実力のリトマス試験紙 オンラインカジノはイカサマだから
期待値を超えるボーナスを大量に客に渡して
回収モードで全部取り返すSCAMシステム
https://nine-pictures.com/activitises/ 森巣さんがイカサマオンライン業者をマフィアに売り飛ばす話は好き 森巣博のファンだけど1つだけ残念なことがある
彼はプロギャンブラーをみすぼらしいものと非常に蔑んでいる
しかし、彼自身はプロギャンブラーではなく
「常打賭人」と名乗っている
常打賭人の定義を「神はダイスを遊ばない」新潮社
で詳しく書いている
それは、博打以外でしっかりとした経済基盤を持っている人たちということだ
それは、医師、弁護士、会社経営者ほか、相場トレーダーが多いと言っている
昼間は働いて、夜カジノで連日のように博打を打つ人たちと規定している
しかし、森巣氏自身は無職と言っている。それは経済基盤が他にないわけだから
常打賭人を名乗る資格はないはずだが、彼は自分を常打ちと言っている
無職の常打ちなら、結局は投資家ということになる
彼は「郵便貯金」という言葉を好んで文中に使うが、豪州の郵便貯金の利息は6%の時が長かった
おそらく森巣氏は一時的に大金を稼いで勝ち逃げをしたのだろう
それが2億円なら利息で年利1000万円ぐらいにはなる。博打を打つなら十分な元手だ
まければ次の利息が入るまで、シドニー湾に面した邸宅で酒を飲みながら夕日を見て待つ
これを「日想観」という仏教の修行法を出して、そういう負け越しの日々を語っている
財産の利息で博打を打っているといのも、イマイチ、格好のいいギャンブラーでもないから
自身の経済基盤のことは語らないものと邪推する こういう事情で常打ち賭人をしているなら、すべての矛盾が解明される
彼は、博打は最終的には負けるもの、と明言している
また、勝ち逃げこそが博打の極意、とも言っている
大金を稼いでユービン貯金に回して、利息で博打を打つ。勝つこともあれば負けることもあるが
それは収入の範囲内であるから、負けてやることもなければ
本を読んだり、本を書いたりする時間がたっぷり取れるというわけだ
森巣博は27才で渡英して博打を始めたという
その時に、生活のために負けられない博打を打っていた過去を
90年代後半に、最初に出版した「博打の人間学」で触れている
マーチンゲールで大損をした話も出てくる。6手待ってツラ切りしたら
27目のツラが出て資金がパンクしたそうだ
しかし、そのような手痛い修行の日々を20代から30代を経験して
おそらくは30代の後半から40代前半にかけて、富を築くことに成功したのだと思う 森巣氏がジャイアンツ時代の清原とゴールドコーストでバカラを戦った話が「われ賭ける」に出てくる
これは90年代後半の話であり、森巣氏は40代後半になっている
おそらくこの時点では、ユービン貯金の利息生活に入っていたものと思われる
彼はその時点では、牌九はともかく、バカラはそれほど強くはなかったものと思われる
清原の向こう張りをして大金を得た、その前もその後も、あまり勝てなかったと言っている
それは事実だろう。弱い賭人の向こう張りで生きながらえる方法を、彼は死体の腐肉を食らうと言っている
それでも、50代以降の森巣氏の賭け方は、それまでとは大きな変化があったのではないかと思う
まして、60代に入っててからは、ある種のメソッドを用いていたと思われる節が、後期の作品から散見される
だが、それを匂わせ、ほのめかしているだけで、具体的にその勝ち方については、具体的に触れられていない
それでも、最も核心に近づいた本が後期の傑作「賭けるゆえに我あり」なのは間違いない この本は初心者向きではない。中級程度のギャンブラーでなければ理解できない内容だ
このスレでも、森巣メソッドに誰も触れていないのは、本から学べるレベルに達していないからである
教えないくせに、ほのめかす本は、やらずぶったくりのようなもので、それでいらつく読者が多いのは確かだ
しかしながら、この本は、ある手ごたえを感じたギャンブラーにとっての、1つの答え合わせなのである
森巣氏の本はウソと矛盾と事実誤認が非常に多いが、それは、博打を研究する者にとってはあまり重要ではない
核心に近いことに迫る本は少ない。確率的にカジノゲームは勝てないという、当たり前のことを書いている本がほとんどだ
怪しげな攻略本は、もちろん図書館は置かないし、そもそも書籍化した本自体が少ない
その中で、例外的に、中級者以上向けの攻略に近い本が、森巣本である。それも、攻略に関しては一部の記述にとどまる
森巣本は無駄な部分が多いので、大事な部分をピックアップして、自分なりにまとめて
誰にも見せない自分だけの本として編集しなおすことを、ギャンブラーにはおすすめする
それだけで、勝てるものは、森巣氏は教えていない
彼ははっきり言っている。1冊売れて印税100円で、誰が大事な勝ち方を教えるものか
それは誰しもがそうだから、真に価値のある情報は、外に出ることはない
それは当然である。金をビルの屋上からバラまくような行為なのだから
それでも尚、あるレベルに到達した者にとって「賭けるゆえに我あり」は
繰り返し繰り返し読んでも損はない本である。この本の意味が分からなければ
あなたはまだ、カジノギャンブラーとして発展途上にあると言わざるをえない 森巣は勝ち方は教えてくれないけど
ギャンブラーの心構えはふんだんに教えてくれる 森巣メソッド
★1千万以上の元金がありカジノには500万円持ち込む
★バンクロールの1割の50万円を稼いだら席を立つ
★毎日カジノに通う
50万円×365日=森巣博の年収
我賭けるの年1000万円の勝ちは、謙遜かつ韜晦
あるいは彼自身が提唱しているメソッドがワークしていないか
ワークしていても、その通りに運用していない
あるいは博打の元資金を減らしていて
ハイローラーは卒業したのかもしれない もりすさんが毛嫌いしているカジノのいじましいプロギャンブラーとは
若き日のもりすさんの姿そのもの 毎日カジノ通いして1000万円稼ぐためには1日3万稼ぐ
もし1000万円の元玉資金があり
20万のバンクロールで1万円ずつ3セッションに分けて稼ぐ
ベット単位は500円から2万円ぐらいのレンジ
波が悪くて5万ぐらいやられたら
1万-500万円のテーブルで慎重に取り戻す
ここは後がないから、十分にルックして引きつけて打つ
いや、理想を言えば
最初に5千円やられたら
すぐに上のテーブルに移り
5千円ミニマム-250万マックスのテーブルでケンを重ねて5千円取り戻し
また下のテーブルで打つ
思うに村本は架空の人物であり、あれは森巣氏自身で
専攻もBJではなくバカラ
そして手法は、以上のようなフォローアップではないかと邪推する 森巣本の最大傑作と言えば
博打の人間学
賭けるゆえに我あり
神はダイスを遊ばない
である
博打の人間学と賭けるゆえに我ありは
まったく正反対の記述がある
それは、向こう張りに関することである
博打の人間学では
向こう張りは性格的にできない、と言い
越境者や無境界の人では、向こう張りをゲス張りと呼んで憎悪し蔑み
それが賭けるゆえに我ありでは一転して
自分は向こう張りのおかげで賭博で生きながらえたと
矛盾する記述をしている
それはどちらも本当のことなのだろう
博打とは矛盾と彼自身も認めていることだ
しかし作家としてこうした矛盾は信用ならない変節者であり堕落者に映ってしまう
私個人の考えでは
向こう張りはあまり意味がないように思える
一つのジンクスとして破滅の轍に嵌った客の逆に張るのは成功するのかもしれない
しかし、このように相手の運の悪さに便乗しようとすると
自分自身が火傷することにもなるだろう 私は比較的、ベットが早いので向こう張りされやすい
だが私は特に憤慨はしない
勝ちにくい手では小さくしか賭けないし
大きく賭ける時は他人のベットを気にかける余裕はない
そして、私の調子が良ければ、向こう張り人はバツが悪いのか去っていく
そのように他人の影響を受けるのは
ギャンブラーとして不安定であり
不安定であることは持続的に勝つことの妨げとなる
博打の人間学では
彼自身がイギリスで乳飲み子と学生の妻を抱えて
「プロギャンブラー」として
ルーレットのツラ切りマーチンゲールで糊口を凌いでいた時代に触れている
私も最初はツラ切りのマーチンゲールから始まった
今ならネットの情報があるから
それが良くない方法であることがビギナーの時から知ることができる
あるいは、素直にトレンドに乗りたいタイプ(明るく素直で挫折を知らない人に多い)
は、流れを遮るというネガティブな手法を好まない
私は、この最初の方向性の違いがギャンブラーのノビシロを決めると思っている
森巣氏や私がツラ切りから入ったのは
やはり暗い部分があるからである
カジノで勝ち方をギャラリーに披露した島田紳助氏も
やはりツラ切りのマーチンゲールだった ツラ切りとマーチンゲールは禁則ベットである
しかし、それは一度トコトンやってみた上で
人から聞いた知識ではなく自分の体で
これは駄目な方法だと気づかねば意味がない
この「失敗を極めること」が大事なのである
なぜなら、いずれにしても丁半博打はフラットベットでは勝てないからだ
最初から「ツラ切りマーチンは禁則」という事実を知ったビギナーは
逆にフラットベットから抜け出すのは困難なのだ
大玉で勝負できないギャンブラーになってしまう
マーチンゲールは間違った知識であるのだが
それが間違っている方法と知らずに打つ経験の中で
知らず知らずに「大玉を打つ確信力」が身につく
何の根拠もなしに、人は大きくベットすることは出来ないし
ただの慣れによって大玉を打ち始めるようになったら
博打に溺れているということで
リスクテイクに鈍感になっているということでしかない
リスクに鈍感になったら結果は不安定になり
資金繰りが逼迫するから持続的に勝てなくなる
勝てるという確信なしに
平常心で合理的判断で大玉を打つことなどできないのだ
たとえ、そのベースのメソッドが間違っているとしてもだ いずれツラ切りマーチンゲールは間違いであったことに気づく
しかし、ただ無駄な遠回りをしたわけではない
「信じて大玉を賭け続けた」という訓練の積み重ねは残っている
この経験が十分でないと
博打で押すべき時に押し切れずにジリ貧で負けてしまうのである
丁半博打は
押してはいけない時と、絶対に押さねばならない時がある
「できるがやらない」と「できないからやれない」では大きな違いがある
ツラ切りマーチンゲールという愚行に
一時的に集中的に取り込むことは
前に進むために通過しなければならない経験なのである
ハウスに対しコミッション上の確率的な不利を背負い
フラットベットでは絶対に持続的に勝てないギャンブラーは
正しくベットサイズコントロールして勝つより他に選択肢はない
損切りを細かく行いながら
ダブルアップは1回までに抑えて
最終的に平均配当率をプラスに持ち込むのは理想中の理想である
だが、それですんなり勝たせてもらえるほど丁半博打は甘くない
その手法で勝つ人というのはおそらく堅実なハイローラーである
大きく凹まされる前に、少しでも浮けば
ミニマムが10万円とか大きいために1単位で逃げ切ってもそれなりの見入りとなる
しかし、それとて連敗は確率的に不可避であり
ポアソンの少数の法則からは逃れられない 丁半博打はBJのように1手を決定的な決め打ちで取ることは
いかなるメソッドやスキルを用いようと不可能であるが
連敗をどれだけ小さく収められるかという
たとえば5手以内の連敗率の成績は明確にスキルに左右される
これに疑義を挟んだら
もはやギャンブラーとしてノビシロはないと言える
丁半博打の勝ち負けは
取るべき局面をしっかり攻めて
その連敗率をいかに下げていくかで決定されるし
リスクテイクを1本調子でやれば
博打の全体像として、負けてしまう
最終的な平均配当率をプラスに持ち込むために
何が勝敗を決めていくかは
この連敗率であり
ダブルアップ1回で連敗率を下げてプラスに持ち込むのは
一気に資金を失うリスクは低いが
相当な上級テクニックを必要とするもので
私はそのレベルには達していない
この連敗率の問題に対する森巣氏の答えは
「打たれ越し」である
小さく打たれ打たれて打たれ越し
ここぞという所まで引きつけて一気に大玉を放つというものである これは森巣氏のマーチンゲールの手痛い経験から来ている
1-2-4-8-16-32 で1単位をやっと取る
森巣式の打たれ越しは
1-1-1-1-1-32で27の利益を得るというものだ
5連敗や7連敗までは小さい玉で凌いで
マーチンゲールで追い込まれた時と同等のリスクテイクをして
当てれば大きな利益を得るという
マーチンゲールの発展刑とも言える
これも、マーチンゲールの訓練が背景にあるから
リスクテイクは大きくても
合理的な手法として確信を持ってベットできるのである
しかし最初からマーチンゲールを否定した所からスタートすれば
1-2-4-8-16-32など有り得ないわけだから
1-1-1-1-1-32など、到底やれないわけである
私自身はこれほど極端なことはできない
1-1-1-1-1-8-16-16-32-32-64の10連敗の受身は想定するかもしれない
もちろん、ワンサイドのツラ切りはしないという前提条件における10連敗である
これを演繹すれば、5連敗以内でいったんリセットした方が
後で取り返しやすいということである つまり、後でどう取り返していくかのロードマップこそが
最終的な平均配当率をプラスに持ち込む上で
最重要なのが分かるだろう
丁半博打はその場その場の勝負は大事には違いないが
持続的に勝っていくためには
ビッグピクチャーで勝つことが目標であるから
やはりある局面ゾーンで勝ち
そこを落とした場合は次の手で、どのように落としていくかの
連続なのである
ゆえに、1手1手の結果に一喜一憂しても意味がないのである
しかしながら、その一喜一憂こそが
丁半博打という単調なゲームを飽きさせずに長く楽しませる要素なのは確かだ
だから
ビッグピクチャーで勝つという基本戦略では
丁半博打は我慢と忍耐が求められ
どうにもスカッとしない憂鬱なゲーム展開を受容しなければならない
ピクチャーを描き切れなければ勝てないのだから
勝ち終えてやっと安堵
快哉を叫ぶ瞬間は皆無に等しい
また、そのようなギャンブルを否定する人もいるだろう
森巣氏がプロギャンブラーに否定的なのは
絶対に勝つことに集中すると
そのような陰気な
丁半博打というゲームはその本来の楽しさをスポイルし
カジノ人気の妨げとなることを知っているからだろう 賭けるゆえに我ありの作中で
白人の若い女性ギャンブラーが
ルックを繰り返してコツコツと稼いだ少なくないチップを
一気に1手勝負にオールインするシーンがある
これは何を意味するのか
なぜそれだけ勝てたなら
そのお金を持ってバカラテーブルから去らないのか
それこそが森巣氏自身の葛藤が込められていると言えるだろう
しみじみと利益を積み重ねて金を持ち帰るいじましさ
ギャンブルの華やかさとは
自身の資金力では賭けられない大玉を
コツコツと稼いだ金でオールインする
その興奮や快哉や名誉から
ギャンブラーは決して逃れられないのである
それは正しくも
生き残れない道であることは
その白人美女のギャンブラーが最後に
手痛い敗北を喫して
あるいはその気高さを捨てて
娼婦にまで落ちぶれるかもしれぬという瀬戸際を描いている こつこつと辛気臭い小便博打を打って
平均配当率を上げて
バンクロールの1割をもぎとるという方法は
森巣氏の言葉を借りれば
便所裏にしみじみと咲く月見草
となる
そして、100ドルのカジノチップ1枚に込められた価値は
外に持ち出せば、やはりそれなりの値打ちのあるものだ
森巣氏は資本主義から贅肉をすべて取り除いたものが
カジノギャンブルであると言う
それは、カジノがモノを生産するわけではないから正しくはないが
1個人が資本主義という制度を用いて
金を稼ごうと試みた時に
まさしく、カジノゲームは一切の無駄を省いたビジネスそのものだ
リスクと手腕に資本が投下されて結果が瞬時に出る
寺山修司は競馬は人生に生き写しであると言った
カジノゲームは、誰の人生にとっても、似たものであるはずはないが
どのように賭けるかは、その人の価値観の影響を大きく受けるのは間違いない
逃げるのを良しとせず、立ち向かい切れない人は
カジノゲームへの取り組み方はおのずとあるスタイルに限定されることになる
そのような賭け方をするギャンブラーの存在は
カジノの存続にとっても生命線と言えるのだろう 賭けるゆえに我ありのAmazonのレビュー評価は高いね 森巣博は地元のオーストラリアに立派なカジノがあるのに
なぜマカオなんかにわざわざ遠征するんだろう? 森巣博(もりすひろし)氏をご存知でしょうか?
ギャンブラーとして日本人でもっとも有名な一人であり、ご存命ながらすでに伝説と言われています。
作家、ギャンブラーという肩書を持つ森巣氏ですが、どんな人生を送ってこられたのか迫ってみたいと思います。 1948年、森巣博、本名鈴木博は石川県金沢市に生まれます。
1966年都立豊多摩高校卒業後は、雑誌編集者や記者の仕事をしていました。
1971年、ヒッピーに憧れを抱き競輪で稼いだの資金を元に渡米します。
1973年に帰国しますが、イギリス人の妻テッサと結婚し、1975年にまた日本を離れ渡英しました。
渡英後は、ロンドンよりカジノ賭博の「常人」を目指すようになります。
妻テッサがイギリスの大学に在学中は、主夫として息子パトリックの子育てをしながらカジノで稼ぐ日々を送りました。
しかし、息子パトリックへのいじめや、当時のサッチャー政権に嫌気がさしてしまい、相談した結果オーストラリアへの移住を決意します。 移住後は、大学へ赴任した妻を支えるために家事全般をこなしていました。
その甲斐あってか、息子パトリックは15歳で大学へ入学し、19歳でケンブリッジ大学大学院に進学する天才児となり、現在はヘッジファンドにスカウトされて働いているようです。
森巣氏は現在、オーストラリアを拠点に世界を股にかけるギャンブラーとして活動しています。
ここ20年ほどは、年間1000万超の利益をカジノで稼いでいることが知られています。 森巣氏が主にプレイするのは牌九(パイガオ)、バカラです。
1994年度全豪牌九選手権で優勝しています。
しかし、ポーカーやブラックジャックなどのゲームと違い、パイガオやバカラは理論上勝てないゲームです。
長い時間と試行回数を重ねれば必ずプレイヤー側が負け、カジノ側が勝ちというような仕組みになっています。
それなのに、20年以上安定して勝ちを積み重ねることが出来るというのは本当にすごいことですし、伝説と言われる所以でしょう。 ギャンブラーとして数々の伝説を持つ森巣氏ですが、
数々のギャンブルに関する名言を残しています。
「博奕は波である。流れである」
賭けるゆえに我ありの一節。
勝ち逃げが出来ることが大事だという項目の中で登場した言葉です。
はっきりとギャンブルにおける流れのようなものについて肯定しています。
では、波はどのようにすれば読めるのか?
それは経験による「形の記憶」だと。
言い換えれば経験による感覚。
確かにオカルトと言われるようなものの代表なんでしょうが、
これは実際に森巣氏がパイガオやバカラを好んでプレイすることからも、
彼のギャンブル哲学の真理はここにあると言っても過言ではないのかもしれませんね。 何を言っているんだ?カジノで勝つには理論的にカードカウンティング一択だろ?
と言いたい方もいるでしょう。
森巣氏は今までプレイヤーを見てきた経験と、人間は必ず間違えるという将棋の故大山康晴先生の名言から、そうもうまく行かないと指摘しています。
どこかで、躓(つまず)く。そして、いったん躓くと、もう制御が利かなくなって、そのまま一直線に落ちた。いつもそうである。
これは森巣氏のばくち打ちという本の一節です。
どこかで小さな間違いをした結果、その負けを取り戻そうとして理論が崩れ、結果的に負けてしまう。
こんな経験はギャンブルに限らず、身近なところでも数多くみられるのではないでしょうか?
本の内容とは反れますが将棋つながりで羽生善治先生のライバル、森内俊之先生はこんな名言を残しています。 勝負では2回目のミスが致命傷になる。
多くの人がなるほど。と納得する真理であり、勝負事の世界で勝つことは共通点が多いと感じます。
結論としてギャンブルでは流れを経験則によって読み取り、ミスを重ねる前に勝ち逃げをするということが大事ということですね。 博奕・三箇条の御誓文!
無境界の人という本の中で、森巣氏はギャンブルにおける必ず守らなければいけない3つのことを書いています。
一、ゲームのルールをよく覚えなさい
これはもう当然ですね。
ビギナーズラックと呼ばれるものはもちろんあると思うのですが、ルールがしっかりわからないと本当のそのゲームの楽しみが理解できないうえに、してはいけない賭け方や、辞め時の判断もできなくなってしまうでしょう。
また、悪質なカジノやディーラーの場合は、ルールを知らないのをいいことに配当をちょろまかしてくることは実際にあります。
自分の身を守る意味でも、ルールはしっかり頭に入れておきましょう。 二、負けるときは少額の、そして勝つときは多額の賭金をはりなさい
投資の世界でよく言われる損小利大という言葉と似ています。
流れを読み、勝つ確信が持てる時は大きく張る。
基本的に自分にとって理論上は不利な勝負を挑んでしまっている以上、しっかり大きなヤマは落とさないようにしていくことが大事なんですね。 三、運(ツキ)が去ったと思ったら、すぐに席を立ちなさい。酒でも飲んで寝なさい
流れを読むことを大事にする森巣氏ならではの理論ですね。
ツキが去ったと思った段階で、そこから続行するのは、判断が間違っているということになるんでしょう。
これが経験則によって身につくんだと思います。 森巣氏の著作
森巣氏は作家としても有名です。
自身のギャンブラーとしての経験が生かされたリアルな著作の数々は、一度読めば間違いなく次も読みたくなるような物だと思います。
現状日本にはカジノについて知ることが出来るリアルな文章があまり無いので、そういった意味でも一度読んでみる価値は大いにあることでしょう。 カジノ解体新書
4兆円産業勃興前夜のニッポン―異界「カジノ」に蠢く魑魅魍魎の正体とは!?カジノ語りぶっちぎりの第一人者が、有名紙誌に発表した単行本未収録作品を網羅。ファン垂涎のギャンブル叢書第1弾。
日本を滅ぼす〈世間の良識〉
嘘つきメディア、舐めた政府、踊る国民……。
そろそろ現実を見ませんか?
原発事故からのりピー騒動まで、
海外から見える日本の不可解さを徹底的にえぐった痛快コラム カジノ解体新書
4兆円産業勃興前夜のニッポン―異界「カジノ」に蠢く魑魅魍魎の正体とは!?
カジノ語りぶっちぎりの第一人者が、有名紙誌に発表した単行本未収録作品を網羅。
ファン垂涎のギャンブル叢書第1弾。
日本を滅ぼす〈世間の良識〉
嘘つきメディア、舐めた政府、踊る国民……。
そろそろ現実を見ませんか?
原発事故からのりピー騒動まで、
海外から見える日本の不可解さを徹底的にえぐった痛快コラム
ジゴクラク (カッパ・ノベルス)
’90年代初頭、博奕を生業とする「わたし」は、赤坂の非合法賭場で、
バカラの魔力に嵌まり込んだ不思議な美少女、舞ちゃんと知り合う。
毎日十万円ずつを勝負卓上で溶かし続ける少女の負けは、一千万円にも達した。
逆張りで稼ぐ「わたし」に、少女は最後の勝負への協力を依頼する。
―今晩だけ、今晩だけで結構です。わたしに逆張りを仕掛けないで下さい。
その最後の勝負で少女が見せた放恣の乱舞打ちは、見ている者の息を詰まらせた。
冬休みを利用して、少女はオーストラリアにやって来た。
少女が願うまま、「わたし」は賭博とセックスの集中講義を施す。
そして、赤坂での怨恨を引きずる芸能プロ代表との大バカラ勝負が始まった。
美少女は、また舞うのだろうか。 その他、代表作
博打の人間学
神はダイスを遊ばない
越境者たち
怪人モリス極楽カジノ旅 バイインした資金の10%勝ったら抜けるという
1割戻しは正しい
ただ、イマイチよく分からないのは
昔、マーチンゲールやっていて、ジミーともマーチンゲールやってた
だけど、マーチンは駄目だとも言ってるし
10ドルのベットで100連敗しても1000ドルベット取れればいいとか言っとるし
バカラは独立試行と本人が言ってるのに
1000ドルの太いベットを落とした時のフォローの仕方にまったく触れないのが分からん
落とした1000ドルは10ドルのベットに戻って取り戻すのか
それともダブルアップして、2000ドル、4000ドルでフォローアップするのか
そういう村本みたいな大玉のダブルアップは自殺行為と言っていたから
やはり小玉で大玉の負けを取り戻すしかないけど
そんな大きな玉を落として、小玉で取り返せる実力があるなら
そもそも大玉を打つ必要があるのだろうか
バカラ打ちの若い白人の女が
コツコツ稼いだ金をオールインする理由も分からない
それだけ稼げるなら、オールインなどせずに、いったん引き上げて
また同じ方法で1割戻しやった方が合理的だと思うが
そういう賭け方じゃ駄目だという教訓と
1割戻しの推奨を、作者の分身であるこの白人の女性に演じさせているのだろうか
それはチト雑な気がするが
やはり、見栄とか快哉とか、そういうものがバカラテーブルにはあるのかね 朝日新聞デジタル
勝利のための「打たれ越し」という思想
森巣 博 兼業作家・ギャンブラー
カジノを含む統合型リゾート(IR)施設のための法整備が遅れている。
先進国(0ECD加盟国)のなかで、ゲーム賭博が合法化されていないのは、
アイルランドと日本のみ。
ただしノルウエイには、いかなる種類のゲーム賭博も合法だが、
それを商業施設で開帳してはならない、とするちょっと特殊な禁止法がある。
なぜアイルランドと日本では、ゲーム賭博が非合法とされているのか?
アイルランドの場合は、競馬産業保護のため、という国民的合意が成立している。
旧宗主国の英国を、高額賞金の懸った競馬レースで打ち負かすのだ。
アイルランド国民が持つ植民地時代の歴史的怨念が、
カジノを合法化することを妨げているのかもしれない。
現在、国連加盟約200か国のうち130か国以上で、
ゲーム賭博は合法化されている。
ところが、日本では、ゲーム賭博の場すなわちカジノは、刑法で厳しく取り締まられる。
再び、なぜか?日本国民はバカだからか。
昨今の政治的経済的、そして社会的状況を鑑みれば、それもあながち否定できない説だけれど(笑)。
いやいやわたしは、そう思わない。ええ、思いませんとも。
カジノを合法化している約130か国の国民たちと同程度には、
日本国には頭のいい人も悪い人もいる、と考える。
であるなら、日本でカジノが合法化されてこなかったのは、
他になんらかの理由があったからではなかろうか?
当稿は、カジノとは何か、それを禁止する、あるいは解禁するとはどういうことなのか、いや、そもそも賭博とは何か、
をきわめて私的・体験的に検証しようとする試みである。 ジゴクラクを生き残る
資本主義の本質はギャンブルであるとわたしは考える。
現在有する資本を、あるかどうか不明な未来の収益に対して投資する。
当たり前の話で恐縮だが、投資・投機のない資本主義は存在し得ない。
そもそも、資本主義制度の根幹部である証券取引所の成立は、
17世紀のロンドンにあった非合法の賭場を起源としているそうだ。
わたしの理解によれば、ギャンブルすなわち賭博とは、
「不可測な未来を可測化しようとする試み」である。
資本主義に付随した脂肪や贅肉をすべてさっぱり削ぎ落とし、
そのエッセンスだけをぎゅっと凝縮し濃厚に濃密に裸形の姿にさせたのが、
どうやら日本でもそのうちに公認されるかもしれないカジノと呼ばれる場だ。
「社交の場」などと勘違いしている方たちも一部にはいらっしゃるようだが、
簡潔に直截に申し上げれば、カジノでおこなわれているのは、カネの殺し合いである。
わたしの言葉では、「暴力を介在させない合意の略奪闘争」の場となる。
暴力を介在させないながらも、略奪の闘争であることに変わりはない。
剥き出しとなった人間の欲と欲とがぶつかり合って、火花を散らす。
刺さなければ、刺される。殺さなければ、殺される。勝てば、中空に舞い上がる。
勝利が連続すると、可測化できないはずの未来を可測してしまったのであるから、
神をも凌駕したかのような全能感を味わえる。現世に突如出現した極楽だ。
一方、負ければ、堕(お)ちる。無明の闇を絶望と共に彷徨(さまよ)う。
敗北が続けば、地獄の釜でたっぷりと茹でられる。 そういったジゴクラク
(地獄と極楽が背中合わせに存在する状態を意味するわたしの造語)
を生業の場とし、もう四十余年。
いろいろな人たちを観察してきた。
残念ながら、多くの人たちは、刀折れ矢尽きて、
「合意の略奪闘争」の場から消えていった。死屍累々(ししるいるい)。
嫌になるほど死屍累々。
破産や逃散、家族離散はもとより、塀の中でしゃがんでいる人
(たとえば、井川意高(もとたか)・大王製紙前会長など)、
自殺した人(これは多数)、殺されちゃった人
(たとえば、川口湖畔の通称バカラ御殿で全身十数箇所を、刺され抉(えぐ)られちょん切られた惨殺体となって発見された「サムライ・カシワギ」こと柏木昭男など
拙著『越境者たち』集英社文庫参照)まで居る。
ところがどっこい、無数に散らかる屍(しかばね)に囲まれながら、
まだしぶとく生き残っている奴らも、きわめて少数とはいえまた居るのである。
その違いは、どこからくるのか。
他人(ひと)のことは、わからない。
でもわたしが、わたしの個的体験を語るのは、許されるだろう。 すべての人間は敗者(ルーザー)である
カジノでおこなわれるのは、ゲーム賭博だ。ギャンブルなのだから、
勝ったり負けたりするのは当然である。
もしあなたがゲーム賭博で勝ち続けているのなら、
恐悦至極。わたしが口を差し挟む余地はあるまい。
博奕(ばくち)の世界で生き残るには、負けないことだ。
これにつきる。
笑わないでいただきたい。わたしは大真面目なのである。
しかし、人は負ける。
いつかどこかで必ず負ける。
どんな成功者であろうとも、すべての人間はある時点では敗者(ルーザー)だった。
わたしの理解で、博奕における真実はただひとつ。
――勝てば幸運、負ければ実力。
これだけだ。 したがって博奕では負けるのが必定。
ただし、負けを恐れてはならない。
どう負けるか、が博奕ではきわめて重要なのである。
その負けをいかにして軽傷のまま「打たれ越し」生き残るか。
ひとつの敗北を契機とし、一直線に滅亡に向け崩落してはならない。
打たれ、打たれ続けるのを、ミニマム・ベットで耐え忍ぶ。
これが、「打たれ越し」だ。
じっと我慢していれば、チャンスは必ず訪れる。
忍苦の末に訪れた一縷の光明を手掛かりとして、一本の勝負手に勝利すれば、
それで博奕の帳尻は合う。多分、人生の辻褄も合う。
ところがほとんどの人たちは、
「暴力を介在させない合意の略奪闘争」の場たるカジノで、この我慢ができない。
普段は、嫌な職場の上司や、
不細工な夫・妻あるいはアホな息子・娘たちをじっと我慢しているくせに。
なぜ我慢できないかについて、いろいろな理由が考えられるのだが、
それは本論から外れるので、ひとまず措(お)いておこう。
勝っている時は、誰にだってそれなりの芸を見せられる。
人間の器量は、負けている時にこそ示される。
――転がるのはよい。立ち上がらないのがいけない。
いや正確には、立ち上がるのは困難だ、と思えるような転がり方をしてはいけないのである。
負け方を知る。受け身を学ぶ。徹底的に学習する。 勝てば幸運、負ければ実力?
博打は勝つか負けるかの二択で中間はない
ということは、負けない=勝つことだから、勝つことは運と実力ということになる
博打は運だけでも実力だけでも持続的に勝てないということか
運とは確率的に起こる顕著な偏在であるから
運が及ぼす影響を長期的なスパンで見たらフラットになるか期待値の不利分だけ負ける
つまり「十二分の長期的かつ持続的な試行回数」を経て収支プラスを継続できているとしたら
実力があるという以外に説明はつかない
運次第とよく言われるが、それはしょせん、確率の一現象でしかないから
運のみに任せてベットすれば長期的には100%の確率で期待値の劣位分だけ負けるのだ
ここで重要なのは
平均配当率がプラスになろうとマイナスになろうと
例えば1万回以上の十分な試行回数をこなせば
ほぼ全員の平均勝率は40%台後半から50%前半の偏差に収まり
収支のプラスマイナスは平均勝率とはまったく関連はない ドラゴンカジノは参加者のゲーム試行回数と平均勝率と収支を見れる
それを見れば
以上のことが事実であることをその目で確認することができるだろう
十分な試行回数をこなせば
ほとんどのゲーム参加者が勝てないことは
ドラゴンカジノで1万回以上のゲーム回数をこなしている参加者の実に9割以上が負けていることで
検証が可能である
カジノではギャンブラーが長期的にはほぼ負け続ける理由は
客が期待値の不利通りに負けるからであり
胴元は客の損失がイコール儲けになるために
「客が期待値の不利と資金切れで脱落していく」限り
カジノは利益が確定されていくのである だが
1万回10万回100万回という十分な試行回数をこなしても尚
確率的(運とは一時的な確率偏差でもあることはすでに説明した)な必然に抗い
平均配当率をプラスにできる人が
10%以下の比率で現実に存在するのである
それは決して運ではない
負け手に小さく賭けて、勝ち手に大きく賭けたから?
と思うかもしれないが
十分な試行回数をこなせば
小さく賭けた時の平均勝率も大きく賭けた時の平均勝率もイコールになるから
それは理由にはならない ではなぜ平均配当率に違いが出るのか?
負けて止めるからである
ハウスが常に勝つのは期待値が有利なのに加えて
負けても負けても勝つまで止めないからである
ギャンブラーは、資金がパンクして止めるから平均配当率がマイナスになる
バカラで300億円以上稼いだと言われる和田史久の本のタイトルが
「勝つまで止めるな」
カジノゲームは負けて止めた者が損をする
だから絶対に資金を切らしてはならない
胴元は客を相手に博打を打っているから
バンクロールが1兆円を超えるMGMやサンズでさえ
客のマキシマムベットをバンクロールの0.005~0.01%以下に設定している
その比率を上げてしまって破産してしまったカジノは過去に存在するので
マネーマネジメントはカジノ経営の基本である
これは個人のギャンブラーにとっても事情は同じであり
資金を切らさないためには
バンクロールに対して絶対に破産しないベットサイズ内で賭け続けないといけない
5万ドルのバンクロールなら
5ドルから500ドルのレンジで打たなければ
「勝つまで止めるな」を実行できないということになる
それができないからギャンブラーは負けるのである 去年発売された叢書大三弾の「日本のハイローラー」はなかなか面白かった 賭けるゆえに我ありの書評は割れているが
この本は丁半博打のことを理解していない人には全く役に立たない本だ
森巣が「バカラは独立事象」と言っているのは引っ掛けだからね
1手1手の確率は常に約1/2でしかないが
博打の全体像が個々ハンドの約1/2という確率の集大成なんて思ってたら100%負ける
バカラのマニュアルブックがあって、その通りに賭ければ勝てるとか
そんなものは存在しない
しかし、そんなマニュアルブックがなければ勝てないようではバカラの才覚はない
スポーツは教則を読むだけは強くなれない
バカラも同じで、バカラは必ずしも知的なゲームではない
バカラは知識は必要だが、結構なフィジカルライクなゲームではないのである この局面はこう打つというのは、理屈ではないのである
知識と知能抜きでは無理だし、バカラは誰も教えてくれないから
自分で知識を発掘するしかない。その知識の発掘によりやっと8合目に達する
その道のりが長い。8合目までは、誰か教えてくれればいいのにと思うだろうが
自分が掘り起こした知識は金そのものだから誰も教えたりはしない
そして、その知識だけで勝つこともできない
8合目からの登頂に必要なのは
知識ではなく、フィジカルライクな慣れであるから
訓練に訓練しなければ勝てるわけがないのである
知識で勝てると勘違いしたら8合目止まりだし
知識を否定すれば8合目にすら辿りつけない
バカラの達人への道は終わりのないマイニングとトレーニングしかない
その十分な準備なしに本勝負に挑んでしまうと金がかかってるから
「今持っているやり方」のみにすがって博打を打ち続けることになる
知らないうちに手が縮こまっていて、守りに回って攻め込まれ
その守りさえも捨てて無謀に立ち向かえば勝算という「武器」がないのだから
当然、長期的には大敗を喫することになる そういえばプロギャンブラーのぶきも
カジノギャンブルは「準備」と言っていたな
その場でどちらに賭けるか迷っているうちは勝てない
迷うということは完全なランダムに賭けるマシーンのようなもので
ランダムのマシーンは
その人自身が、まさしく純粋なランダム発生器だから
ランダム自体は確率によって
長期的には期待値通りの結果に収束する
そして、期待値はハウスが有利だから
たとえばヨーロピアンルーレットの期待値は96%だから
ターンオーバーの4%だけ
長くやればやるほど確実に負けていくということだ
だから、自分が乱数発生器であるギャンブラーは
1発勝負の短期勝ち逃げを目指すか
スロットで大当たりを狙うしか勝ち残る方法はないのである
ところが
ギャンブラーはそれではどうしても満足できないものだから
結局、何の効果的なベットもできずに
純粋に運に任せる勝負を長時間長期間やって乱数の轍をトレースするから
ランダムと期待値と大数の法則の罠にズッポリはまって
総掛金の96%%から98%%のペイアウト率となり
それを計算すると恐ろしい数字となるのである 確率の科学を信じるなら
テーブルゲームは長く打っては駄目
1回勝負の全額オールインが一番手数料が安い
ターンオーバーを増やしても結論から言うと不利になるだけ
それが出来ないなら
大当たりで1発逆転があるスロット一択となる 森巣博の「賭けるゆえに我あり」のレビュー評価は高いよ 私は博打における科学は信じないが
非科学はもっと信じない
森巣博 森巣さんの名言
「練習で勝てないのに本番で打っても博打は100%勝てない」というのは
本当にそうだと思うね。これは事実
この経験則を無視して損するギャンブラーが多いから
カジノは何兆円もの売上げを上げているのだった こう言うと腹を立てる人が多いが
博打はバカでは勝てない
by森巣博 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています