理不尽な事件が起きるとよく、無敵の人というワードが世を賑わすことになるが、この無敵の人の意味が少し変わってきている気がする
もともとは、失うものが特になく犯罪を起こしても平気な人といった意味で使われてきた言葉だが、最近はわりと地位や権力を持った人が犯罪に手を染める傾向があり、どうしてこんな人が?と疑問を抱かざるを得ない事件も起きているからだ
そういった人たちの中には、我欲に囚われて後先考えずに行動してしまう人もいるだろうが、どちらかといえば、やりたいこともできずに終わる人生よりは、たとえそれが犯罪だとしてもやりたいことをやって人生を終わらせたいという人が増えているのではないかと私は思っている
たとえば、社会的な成功者で抱えるものも多く境遇的に全然無敵ではない人でも、これで人生終わってもいいと決断した瞬間に無敵の人に変われるというわけだ

この先水瓶座時代が進むにつれ、日本人や日本社会は欧米並の個人主義に移り変わっていくのではないかと予想される
それは生き方や考え方がこれまで以上に多種多様になることで、赤の他人が一体何を考えているのかわからない時代に入っていくことを意味する
そうなると、いずれは多くの人が他人の気持ちなど考えても仕方ないと諦めるようになるだろう
そして、完全に他人に無関心になると、日本人の美学とされた他人への配慮がなくなるため、いきなり因縁をつけられたり、いきなり殴られたり、いきなり刺されたりすることがあるかもしれない
しかし、そういった場合でも相手側からすると、意味がある行動かもしれないのが非常に怖いところだ
日本人特有の空気を読む文化がいつまで残っているかわからないが、あれこそがトラブルを回避する手段だったんだなと思い返す日が訪れるのもそう遠くはないかもしれない