自分の評価ってまず他人が下す以前に、
自分にとってこの行動は価値があるか、
あるいはこのような感情を持つことが
良いのか悪いのかを自分で考えるべきなんだよね。それを他人が評価したら、それで
価値になるわけ。

大和ゴキは「評価は他人が下すもの」っての
が口癖だけど、裏を返せば「他人が
認めなければお前自身がどれだけ自分で
価値を感じていても駄目」ってことに解釈されるのがほぼ当たり前だよな。
これが転じて、「自分を殺しても他人にさえ評価されれば良い」ってことになっているんやな。

でもその割に「どう思う?」ってことを
気にする時点で、内心はなんか自信なくて
誰かにその自信の無さを埋めて欲しいがために、
他人の評価にすがるんだよな。
「誰々もこう言ってくれた」だの、
「海外では日本人は」だのw

ようするに、本当に日本人が礼儀正しく謙虚なのは、とにかく先に平伏して相手を乗せて
その弱点を見つけて自分のレベルまで引き下ろしたいからなんよな。
それは「謙虚」って言えるのかね?

単純に相手に打たせに打たせて
隙見てやっつけたいっていう傲慢の現れなんよな。
だから兎に角大人しくしていて、
少し他人より快活に話す人を「いじる」
「馬鹿にする」機会を伺っている。

日本人をA型に置き換えても同じだろ?
だからA型ってのは「日本人」の悪い部分をよく真似るんだよ。