>>436 からの続き
「特定の政治家を名指しした調査指示が下されることもあります。例えば、警察組織にとって"主管官庁の長"にあたる国家公安委員長が、どのような
思想、性癖を持っているのかについて、強い関心を持って調べる可能性がないとは言えません・・・」
(I・Sに近いセクションで勤務する公安警察官)

 こうして政治関連情報を中心とした大量の情報が警備局に溢れ、警備局ナンバー2の審議官、そして警備局長にダイレクトで報告されるのだという。

 この組織が警備局にできたのは、いったいいつ頃のことなのか。公安警察幹部ら複数の証言を総合すると、'90年代の後半、特に「杉田和博氏が局長
時代だった'97年頃」という説が有力だ。

 杉田氏は'94〜'97年に警察庁警備局長を務め、その後は内閣情報調査室長や内閣危機管理監なども歴任した警察官僚だが、'90年代後半になってI・S
のような組織が公安警察内部に整えられたのには、いくつかの事情がある。特に大きいのは、近年の公安警察組織を取り巻く大状況だ。

 冒頭に記した通り、冷戦構造の崩壊と国内左翼勢力の衰退により、共産党や新左翼セクト対策を最大の踏み台として肥大化を続けてきた公安警察組
織は、存在意義を問われる状況となっていた。

 そうした時期にあたる'95年、日本の公安警察はオウム真理教事件に取り組むこととなった。旧来の左翼、あるいは右翼団体をターゲットとしてい
た公安警察にとって、宗教団体を相手とするのは初めてであり、これは従来タブーとされてきた宗教の領域へと公安警察が触手を伸ばす契機にもなっ
た。

 しかし、オウムとの"華々しき闘い"などはやはり一時の徒花(あだばな)に過ぎない。オウム事件で公安警察はむしろ、捜査を担当した國松孝次警察
庁長官狙撃事件をめぐって現職警官の自供隠匿するという不祥事を引き起こし、最終的には事件を迷宮入りさせる醜態まで演じている。

 結局、公安警察の最主要部隊である警視庁公安部の人員が一部とはいえ削減され、司令塔である警察庁警備局の組織も再編・統合されることとなっ
た。こうした組織変遷の途次で生み出されたのが< I・S >、あるいは< 07 >と呼ばれる組織だったようだ。