共感と理解について少し考えたことを書きます。

人が何かを共感するときはどんなときか。
それはまず、その「何か」もしくは「何かに似ていること」を経験したことがあって、
それから、人の話を聞いたときに自分の経験した「何か」と似ている部分を抽出する。
最後に、似ていない部分を想像で補完する。

あるAという人とBという人が、
『まったく同じ経験をしていて共感し合える』ということはほぼありえないでしょう。

「共感し合えた!」と思えた場面でも、
伝達した100の内容が100そのまま共鳴したわけではなくって、
それでも、骨格のような部分が同じなら大体はわかる=共感した、と思えるのではないか。

では理解できるとはどういうことか。
理解は、共感できていなくてもよい。
伝達する手段が言語だとして、その言語で伝達された言葉の意味がわかれば理解できたといえるでしょう。
意味がわかる=内容が把握できる、かな、と思います。