シュナイダーの失敗は90年開幕前にメインスポンサーのウエストまで逃げられたにも関わらず
まだザクスピードに残留する意思を見せてた事だろう。
89年の終盤からブルナーら次々とスタッフが離脱し、亜久里もラルースへ移籍
(手持ちスポンサーのゲオがラルースの株式を新たに保有したため、
アルボレート&ダルマスの後釜としてシートを獲得できた。)
沈みゆく泥舟と運命を共にしたがためにチーム撤退から新たに移籍先を見つけられなかった。
(90年開幕戦のアメリカGPだけ負傷したカフィの代役でアロウズから出走したのが最後)