97年のルマンでマクラーレン勢のタイムが伸び悩んでいた時に
原因を見つけたのが土屋で、
順位も マクラーレンの中でトップは 土屋のセッティングで走った
JJレートで次が 土屋だった。
翌年 マクラーレンGTワークスのオファーを蹴って、トヨタで参戦