【天才】長谷見昌弘 part3【幻のF1ポール】
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条件が揃えば1番速かったと評判の長谷見ちゃん
饒舌な辛口でインタビュー量日本一
タラレバ論議で引退後もレース界を沸かせ続ける
※前スレ
【史上空前】長谷見昌弘 part2【四冠王】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1323922478/ 2)M12のトラブルはコンロ度の再銅バラツキ、それだけ
丁寧に組まれた欧州用にはほとんど出ていない
2)スパの10Aってペリフェラルだったんか?
まあ、とにかくレース内容精査してみ? 運の産物だったはず(薄い記憶)
勿論後年ルマンの勝利は誰もがしるFIAが意識にも登らないほど松田のことかんがえずにレギュ作り師漁父の利を得ただけ
で、1)だ。プリアベーターに??
で、メンテは?
なぜPやFはそうしなかった?
もうそういう「妄想」はダメだよおじいちゃん、どうひくり返っても大和は戦わず沈んだんだよ ついでに・・
日本の幼稚かつお粗末さ加減は日本カンナムで欲わかる
オートコースと劇速っやだったろ?
あのオートコーストがだ
ちなみにどこかの英字webでアレの悲惨な開発機詳細乗ってるよ、
如何に町工場的世界だったかよく分かる
それを社運を賭けたTとNは歯も立たないw ホームコースなのに >>335
M12ドッカンドッカン事件の真相は、松浦によると単なる回し過ぎだったとか
リミッターが付いてたけど、意味がわからずにスイッチ切ってた(笑)
ドイツから「コンロッド磨け」と言ってきたので、その原因が0ではないが、日本で多発したのは回し過ぎ それ初耳
面白いね。ただリミッターなんて当時あったか??
タコメーターにスパイ計付いてた時代だぜ?
点火系カットってディスビにコイルだし・・? なんでも「ワークスドライバーってものは設計限界関係なくエンジンが回るだけ回すという風習があった」そうな
松浦がインタビューに答えてた 初期のM12はヨーロッパでもかなり壊れてるよ
ベースはあるとはいえ新開発エンジンだから仕方なかったでしょ
まあケン松は自分にも若干の責任があるから少し誤魔化した言い方をしてると思うなw
ワークスドライバーは金の心配がないから全開で回し切るのは事実だろうね
1960年代のトップドライバーはほとんど回し切っちゃうタイプ
むしろレッドゾーンを守るほうがトータルで速いというのを知らなかったんだよな ひるがえって日本のアホンダのV6を考えると確かに速かったが最後まで市販しなかった
あれは簡単に言うと技術がなかったんだよw
BMWみたいに市販するのはそれはそれで凄い技術がいるから
アホンダにはその技術がなくて市販せず結果としてF2というカテゴリーを破壊した
F1でも同じことをやらかしてそれ以前よりはるかに金がかかる状態を生んだ
DFVを買えば誰でもチャンピオン争いができる可能性があった時代が懐かしいわ たしかに当時の一流ってシフトでも回転合わせせずにで力づくで叩き込む
ってな記事良く目にしたわ
ただ、レッド関係なくパワーが出るとこまで回すってのは基本的な闘争本能だと思うよ HEY GUYS
エンジンチューナーや監督からレブリミットを指示されないドライバーなんぞ居ねえよ。
Please Mr。松浦氏はJAPAN人として一番にBMWに逝ってM12/6の研修を受けたチューナーでひょ?
COMING SOON。 >>343
指示はあるけど無視なんだろ
少なくとも黒沢は73年のヨーロッパF2でのレンタルマーチでシカトしてオーバーレブしてた
おそらく、回せる限界がエンジンの限界という誤った常識があった >>343
コテハンってレースを見だしたのは何年から?
純粋に興味があってきくんだけど その支持守るのと守らないのと二通りあるのよ
Jシフェール(大好き!)なんかルマンでさえペドロとレブ無視しまくりで
速攻でバトル開始するので両者共に完走がないという事実
まあM12一機を大事に使い極東の島でチャンプ獲るケチというか我慢の人もいるけどね 長キチの言い回しが出てこないから違うだろ
そんなに神経質になるなよ ポルシェのお偉らさん、Jワイヤーだかがボヤいてたのが記事になった断片的記憶だ
スレチだが、あの917でも初年度は乗れた代物じゃなかったってよ
当時も報道されてたが、この数年で詳細が明かされて興味深かった
「あのポルシェ」でだからそれと比較すりゃTNの内情推して知るべしだよ ポルシェ917って見ればわかるけど異様にエンジンがデカイ
ちょっと特例なんで比較には適さない
フォードGTも苦労したらしい
鮒子田がマクラーレン、長谷見がローラと比較して、雲泥の差って言ってるから遅れているというかノウハウの差だろうね
飛行機屋が作ったりしたから工作技術は高かったらしいけどね >雲泥の差って言ってるから遅れているというかノウハウの差だろうね
どうちぎって引っ付ければこんな論理の飛躍ができるんだw エンジンもさることながらシャシーはノウハウやセンスがないとまとめられない
操縦性は数値化しにくいからセンスと経験のある設計者やテスターが必須
1960年代あたりまでの日本車はまともに車を運転できないような人間が設計してたからな
今だってレーシングマシンのシャシーは欧米頼みだし
普通の乗用車だって欧米に完全に勝ってるわけじゃない(異論反論あるだろうがw) レースに出るドライバーも速く走れても車の良し悪しが分かるとは限らない
国光北野みたいな天才型はどんなマシンも乗りこなすから良し悪しが判らないw
欧米の優れたマシンに乗った経験がないと何が良いのかすら解らないだろう
国産ダメダメマシンと欧米の先進マシンと両方を知ってるのって
1960年代の当時だと生沢とか長谷見とか数人しかいないんだよな そうか、トヨタの連中もフォードGT40に乗ったりしてるんだよな
でもレースで実際に国産プロトと外車プロトを走らせたのは
生沢とか長谷見とか鮒子田とか数人だけだよな >>356
外国製マシンはスポーツプロトタイプではない
みな市販車 生沢はR380とカレラ6の両方でレースしてるけど、比較は語らないよな
国光に対してマシンは圧倒的に有利だったことの自白になるからだろうな
あの時点で差がないわけないんで 国光は外国製のタイヤを履いてる
生沢は国産の(当時は全然駄目な)ブリヂストン
ま、生沢の本心は分からないけどな >>359
ああ、それでバランス取れてるか
日産もBSもいつまた組むかわからないから、クソミソには言えないよね バランス取れてないよ
タイアの差はもう絶対だよ
生沢の肩持ちたくないけど、これは事実だ
当時の実写観たら一目瞭然だぞ >>324
柿元さんてラリーの人でしょ?
この辺のことなにも関係してないよね >>360
カレラ6で履いたBSについて「減りもしないがグリップもしない、石ころみたいなタイヤ」とか、後からさんざん言ってたけどね
「それでもインタビューで勝因を聞かれれば、タイヤがよかったからと答えた。
すると周囲から、生沢はなにを頓珍漢なことを言ってるんだ? と言われた。
スポンサーへの忠誠心など、当時の日本では誰もわかっちゃいなかった」
などという「俺様偉い、俺様No.1、俺様以外みんな馬鹿」を忘れずに スレチだが「俺様偉い、俺様No.1、俺様以外みんな馬鹿」
これって当たってんだよね
ただ自分都合の世界観ってだけで
「俺様は日本人唯一ポルシェワークスに抜擢された男!」って彼の中でも上位の誇りだろうけど
それなら69年の日本GP,naze
Hherumann またとちった、で続き
日本GP,なぜHへルマンの替わりに招聘されなかったんだろう?
日本GP, 三和が仲立ち、もう生沢乗せる条件万全じゃん!!
こういうの彼含め周囲って全く触れないよね
これがポルシェの生沢に対する評価だと俺は思ってる >>365
あの時のポルシェは本国のワークスだったの? エントラントはわからないなあ、それとサポートも充分じゃななっかたの報道されてたと思う
ただ、マシンはワークスのはず(後年放出されDパイパーが所有し再度雨の富士で生沢乗る、と)
というか、69年ってワークス以外なかったと思う
これはhey guysのオサンが詳しいじゃね? バカコテさんの情報は信用できないなーw
生沢さんはあの日本GPには出てないんだよね。
タキレーシングと揉めちゃったのか、出る意義を感じなかったのか? 「日本GP乗せてください!」ってノイバウアーさんの家の前で一晩中正座してたとか? HEY GUYS
後年Please Mr,生沢氏がAUTO SPORTS誌に語ったことによれば
彼はJohn Woolfe Racing, GBのチームオーナーのジョン.ウルフ氏とLOTUSコンポーネントを通じて知り合い
彼の917でJAPAN-GPに出走する予定だったとか。
それが'69年のル.マンで彼の917がスタート直後のアクシデントで燃えてしまって参加出来なかったらすぃが
本当だったのかな?
瀧オーナーがFISCOではTOPグループは40秒台前半をマークするだろうから
CAN-AM用917PAを持ってきてほすぃと頼んだのにJ.シファーや
マシンの到着が遅れ可動式リアスポイラーも固定された上にリコちゃんがFISCO用BSタイヤの装着を
ガンとして受け入れずTOYOTA-7勢にも後れをとったのは周知の通り。
J,シファートが生沢氏と組んで出走しても状況は変わらなかったことでせぅ。
COMING SOON。 当時知らない俺にとって60年代後半にトヨタ7とか日産R382とかオーパーツだよな
アメリカの月着陸なみに信じられない 生沢は前年タキで走って、69年は乗らないなら何かあったのか カミングすーンさん面白い、ただ部分的信憑性に×ところあるような気がする
また僕は僕で調べてみるよ(合ってたらごめんね)
さて重箱の隅だが、J.シファーというのは気に食わん
英語読みでシファート、仏語読みでシフェールの二択だよ
ちなみに彼が出演した映画二つあげろ)栄光のルマン除く) それから前に期したとおり69の917は酷い代物でまともに踏み切れる(アクセルペダル)
はペドロとシフェールの二人だけだった、これもJワイヤーの弁
飛び抜けてんだよ、この二人
そこに生沢? 子供になにできんの?って世界だよね
だから69の917はフレーム剛性からサスまで熟成からほど遠い代物だったので
踊った時それを修正するのに相当の瞬発力を伴った腕力、体力は当然必須条件なわけ
生沢に備わってたはずがないでしょ?命賭けてもいいよw
それを僅か3ヶ月で別モノに仕上げた男がJワイヤーなわけ
ワークスも一目置く存在だ 今酔っぱらってんで、文章めちゃくちゃなような気がする
ま大意は伝わってると思うんで、勘弁してね、ぺこり! >>371の少年
だから日産R383はoパーツだぞ、これは間違いない
何たって1970年、日本GP用に作ったと言いながら世に八p領したのがその10年後くらいかな
で、カウルのデザインと工作の洗練加減はとても当時のものとはかけ離れた出来だったわけ
セコイことするよね、あこれCFのコピーに使えるね「セコいことするニッサン!」
井上陽水に言わせよう、おやすみー V8のトヨタ7のクローズドボディとかワクワクするんだけど写真あるってことは本当でいいよね? HEY GUYS
P.ロドリゲスがL。キニューネンと組んでJW917を駆ったのは1970年
1969年はまだ917をドライブしてない。
確か「男と女」に出ていたよ〜なw
例えば'69年のルマンはワークス917のV.エルフォード組は22時間目までは入賞圏内を走行していたし
速さなら故R.シュトメレンは917勢で最速だったよw。
COMING SOON。 HEY GUYS
瀧オーナーが著書にカキコしていたけど
生沢氏との契約が厳しく(乗車契約及び賞金の分配)、ポルシェから借りた908にタナケン氏が
執拗にに908は漏れに乗せろ(前年の910にも生沢氏ではなく漏れに乗せろと
迫っていたらすいがw)と要求していたので、少なくても生沢氏に908のシートは無かった。
COMING SOON。 健二郎の著書によれば
「タイムの速い順に好きなマシンを取ればいい」と滝に進言
で、長谷見が一番で次は健二郎。生沢は速くなかった、と。
だが910が生沢にいった理由は明記せず。 HEY GUYS
Please Mr.生沢氏が910に乗る前提でポルシェ/三和が瀧Rに売り本国からメカニックも派遣した。
ポルシェや瀧オーナーから見れば知名度もポルシェでの実績なくパーソナルスポンサーも無い2人を
ポルシェ乗せることは出来なかった筈。多額の金が動くからね、事実はそんなモンだよw。
COMING SOON。 今訊いてるのは69年の917に生沢が呼ばれなかった件だよ 生沢と三和の関係は変といえば変だよな
1967年の日本GPには生沢の他に滝進太郎と酒井正が906で出てる
滝と酒井は実費を払ってマシンを買ったのに対し生沢は展示車を貸与してもらった
それで生沢の906のためにドイツからポルシェ社員を呼んでマシンを見させたが
明確に顧客であるはずの滝や酒井にはそんなサービスは無しw
滝や酒井は「こっちは客だぞ!」と抗議したらしいけどな 1968年の日本GPでタキのポルシェに乗ったのは
1967年の経験でポルシェの信頼性をよく知ってたのと
ローラは体力的に無理だったのと両方だろうな
速さならローラだけど日本GPみたいな長丁場で最後まで保つのはポルシェと
その辺をごねるパワーは凄いからw >生沢 HEY GUYS
Please Mr.生沢氏は英国でワークスカーのテストも行っていたし
ワトキンス.グレンにポルシェ監督から呼ばれて908で実戦も出た。
そんな彼を推薦するのは当然の結果だよ。
GP当日910で480km走る前にモノポストレースのも出走している。
COMING SOON。 滝進太郎と酒井正は金持ちだったけど生沢はそれほど金持ちではない
だから生沢はマシンも自分では買えないし自費で日本GPに出ることもできない
生沢は「スポンサー取ってレースしたのは俺がパイオニア」とか言ってるけども
スポンサー取ってチーム運営することに関しても滝や酒井の方が上だった
生沢はスターだけど人間としては生沢より滝や酒井の方が器が大きかったよな 滝や酒井はメーカーのワークスマシンは乗ってないけど
外車の優秀なマシンに乗った経験は1960年代の日本ではトップクラスだよな
健二郎なんか日産ではミッドシップのプロトに乗せてもらえなくて
タキのローラなんか酒井から乗り方を教えてもらってるんだからw
生沢を語るなら滝や酒井のことも知らないと深い話にならないよ ま、当時の生沢はヨーロッパでの活動に大金を使っていて
日本GPなどは他人の金(車)で出たかっただろうけどな
でも生沢ってケチと貧乏の両方が摩訶不思議に絡み合ってるからさw
表に出ないパーソナルスポンサーの類いもいろいろありそうだね 徹はごねるんだ
結果しか残らないからそれは正しいよね
嫌われるのなんかカンケーねえよ 徹は一人でイギリス行って小成功しただけで偉人だよ
どんだけクズでもね
宏子さんだけは大切にしてほしかったけど 徹にしろタキにしろスポンサーカラーになってない時点で額はお察しなわけで ポルシェ910のボディは伝統のジャーマンホワイトに
ペプシコーラ、レーシングメイト、VAN等生沢のパーソナルスポンサー。
瀧RはBS1社だけ? タキには田宮模型も付いてたな
タキは滝進太郎個人の金がメインだという説と
実はBSこそタキのメインの資金源だという説がある 林みのるは三村建治と組んでエバカーズに参画してたかしてないかの時期だな タキレーシングは滝進太郎のチーム(会社)なわけだが
むしろBSが滝の意欲を利用してたんじゃないかという話もある
滝が運営しているようでいて、裏の実態はBS主導だったというわけだ
ま、あくまで「説」の一つだけどな >>389
あの時代に5リッター6リッターのビッグマシンをまともに乗りこなしていたのって、
日産とトヨタのワークスドライバー以外だとタキレーシング時代の長谷見さんと酒井正さんぐらいじゃないの。
生沢さんの体格ではビッグマシンは厳しそうだし健二郎さんも何となく余裕が無さそう。
酒井さんは富士GCでもマクラーレンとか乗っていたもんね。 トヨタ勢も全員乗りこなせていたかどうか
酒井は時間かかってそう(偏見) 60年代、日本のレース関係者ってみんな知り合いだろ?
すべての出来事が絡み合ってそうだ >ビッグマシンをまともに乗りこなしていたのって??酒井さん・・ぷ
dokowo
sakasani mireba souiu
keturonn deru
wake >ビッグマシンをまともに乗りこなしていたのって??酒井さん・・ぷ
どう逆さに見ればそういう結論になるワケ? HEY GUYS
故酒井正氏はハコの記憶が無く
デイトナコブラや906やT70mkU/Vやマーチ73SやCAN-AM2座席のイメージが強いからねw。
COMING SOON。 で、そのビッグマシンとやらをタイアグリップの範囲内でしか攻められないんだよね
この人のサスセッティングってスプリング、ダンパー最弱でいいと思うよん
直線だけはちゃんと踏めてましたねー
バンクから飛び出すなんて目線が近すぎるという初心者特有のミスですね 酒井がバンクから飛び出したのはタイヤがバーストしたせいだよw
1967年の日本GPの時点では生沢の方が乗れてたけど
ビッグマシンに関しては酒井の方が適性は高かったんじゃないの
外車の大型マシンに関しては酒井が第一人者と言って間違いじゃないよ 酒井はアマチュア大排気量乗りの中では最後まで残ってたけどね
そういう意味では第一人者でありドベでもある
他に比較対象がないからわからん
マクラーレンで初期グラチャンのコースレコードも出したし、完走できるようになって優勝もしたから一定の評価はできるけど >外車の大型マシンに関しては酒井が第一人者と言って間違いじゃないよ
タイアも含め偏差値40の世界だから語るに値しない
これほど評価の外のレーサーってそういないんっじゃない?
ヘタクソさはタナケン以下、ということは底辺そのもの
パンクだったってのはカキコ後調べてあららと思ったが、
予選で3秒差w
ハナシになってないじゃん、現代ならF!とカート初心者ほどの差だ コルベット〜デイトナ・コブラ〜ローラT70〜マクラーレンM12という、アメリカV8マシンの遍歴
ロングヘア全盛時代に角刈り〜パンチパーマ
浅草のコワイ人という噂
速い遅いはともかく、そんな「任侠レーサー」酒井には、ほかのドライバーには不思議な魅力を感じていた
俺はね >>409
誤 ほかのドライバーには不思議な魅力を感じていた
正 ほかのドライバーにはない不思議な魅力を感じていた 生沢に対する酒井って星野に対する長谷見みたいなもんだわな
生沢や星野はスターだから何をやっても良く取られる
酒井や長谷見は何をやっても悪く取られるw
酒井が恐い人なら生沢はその何倍も恐いよ
あれだけの活動をやる資金はどこから持ってきたのかってw 酒井さんのサカイレーシングって国さんや長谷見さんも走らせて、
レース全体を盛り上げよう的な感じがするけど、
生沢さんは単に私利私欲だけと言う印象に思えてきたw それ好意的に解釈し過ぎだよー
酒井は冗談言えないくらい遅い、レーサーなんて次元じゃないって
72年のGCでも7Lで2Lマシン相手にやっとこさ前を走るってかんじだったろ?
あれだけストレート長い富士で
高原は全開にしたら観客白けるので付き合ってたね はっきり言って富士GCはずーっと興行的な面を重視して当ててたからな
酒井みたいな大排気量マシンがぶっちぎりだと白けて盛り上がらないし
テレビが2リッター勢ばかり映すと酒井たちがスポンサーに申し訳が立たない
だから酒井はわざと踏んでないという面もあったw
富士GCは主催者もエントラントもその辺をかなりわきまえてた
今のスーパーGTがそれに近いな テレビが2リッター中心の放送に変えたから、高原と組んで遅く走って画面に無理やり入れた。
酒井は速くはないし、2リッターじゃつまらないのでオーナー専業になったんだろ。 酒井は恐い面もあったが生沢やヒーローズ田中なんかと違って人情派でもあった
海外には出て行かなかったけどチーム運営に関しては生沢より上だよね
生沢を慕う人間はほとんどいないが酒井には慕う人間もいた
素人の目はスター生沢に向いちゃうが業界内部では酒井の評価は高いよ もし富士GCが今のスーパーGTみたいに大小マシン混走で行っていたら
酒井のドライバーとしての評価はもう少し上だったかもな
金銭的体力的に言って大排気量マシンを乗れる人間は少なかったからw
大排気量クラスで何回かチャンピオンも取れたんじゃないかと思うよ
結果的には2リッター限定になってよかったとは思うけどな 俺がリアルタイムじゃないせいもあるんだろうけど、酒井さんの情報って極端に少ないよね。
大スターではないかも知れないけど、もっと情報があっても良い気がする。 https://www.as-web.jp/domestic/514043
おいおい、糞ガンが今年も出場するのかよ
これだから駄目なんだよなあ、日本のレース業界 >>420
うわあ…。
>>212の件が本当なら出すべきじゃないよねえ。
Gさんが満面の笑みなのに対して、
長谷見さんの笑顔がひきつり気味?なのが気になる。 >>417
ニワカか?
煽りじゃなくまじで、当時こと、レースのこと知らなさすぎる >>212は本当だよ、だから呆れ果てちまう
堂々と出てくる厚顔無恥な殺●犯の糞ガンもさることながら
糞ガンを押さえられない上層部にはがっかりだよ >>422
このお方は雑誌厨といってな、雑誌読んで必死に勉強されてるんだ
最近の雑誌に書かれている昔話はみんな読んでて当然というユニークなお考えをされている
ただしソースは出さないがな
あと、最近になって業界と付き合いがあるらしい
だいたいコイツはタナケンのお別れ会に行ったそうだが、タナケンと関わりがあったんかいな >>423
上層部と言うのはレジェンドレーシングドライバークラブの上層部?
或いはJAFか何かの上層部?
何にしても酷い話だよね。 HEY GUYS
'68日本GPに生沢氏がポルシェの最新鋭907を持ち込むとか
翌年917を持ち込んだD.パイパーがフエラでエントリーしたらJAFに拒否されたとか
瀧Rがポルシェのワークスチームを招聘したけどデイトナ24時間で907が2台クラッシュしたので
実現しなかったとかAUTO SPORTS誌には記載されているよ。
COMING SOON。 HEY GUYS
'69日本GPで中盤D.パイパー917がタナケン908に抜かれて順位を落とし
ノートラブルでワークス917が908より成績が悪いと恥じるポルシェのリコちゃんが
終盤シファートに替わった917にDUNLOPのソフトコンパウンドのタイヤを装着し
908を抜いて順位を上げた迄は良かったけれど
タイヤが持たずパンク状態でフィニッシュしますた。
このレースで漏れは初めてレイン-インターメディエート-ドライ以外のタイヤが使用されたことを知りますた。
COMING SOON。 >>423
黒澤が関係者に嫌われてるとかサーキットに来たって相手にされないなんて
キチガイの作り話で
実際には大スターで人気者の黒澤さんに 関係者が頭を下げて参加していただいている
状態だからww ここの論理って爺というか6-70年代に多感な歳を過ごした連中特有の
「俺はこう思う、だからそれは絶対だ!」って未だ生き残ってんだよねw
今って、特にこの糞掲示板じゃがきにボロクソに叩かれるよね
論法も熱意も変わっちゃったなあ >>431
そういう話じゃなくて、あいかわらす黒沢がぶつけ屋だってことが問題なんだろ >>430
NISMO FESTIVALには絶対に呼ばれないけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています