【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 65laps
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あの頃のF1って良かったよね
∧_∧ ・セナvsプロストvsピケvsマンセル
(´・ω・) ・ターボから自然吸気へ
(__) ・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 64laps
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/f1/1548069055/
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こんなんで死ぬんかって言えば、オープンホイールではないけどNASCARのアーンハートだな。
事故の映像見ても、あれでドライバーが死んでるか命に関わる重傷を負ってるとは誰も思わなかったし。 >>813
カーボンモノコックが広まっていった経緯を考えると、その文脈でロータスを擁護するのは詭弁の類よね。
吸収の役割はモノコックの外側に付いてる部品類の仕事。 >>815
死ぬようなことやってるから面白いなら軽自動車の80キロレースも面白い筈だぞ
下手すりゃF1より危ない=死ぬような事やってんだから 危険なら危険で帳尻合わせながら走り切るのがプロ
セナはなぜ走り続けたんだろうなあ 溶接してまで変えたいハンドルだったのかなあ 勇気と度胸が試されるようなスポーツは好きだけど
生死を掛けるのが当たり前になるとそれはスポーツじゃなくて見世物小屋と変わらないな >>819
この年代知ってる世代なら、JTCC見てるだろ >>816
今のF1はサスアームがドライバーに向かって飛んでく様な事は無いだろ >>775
たぶん5位走ってるときにスピンして7位まで落ちて結局兄に助けられて入賞みたいな形になったから怒ってるような感じだった。 97年のヨーロッパなんて巻き添えリタイヤでチャンピオンの邪魔してたな 兄夫婦の荷物運びやらされてた時はちょっとかわいそうだと思ったw にーちゃんの嫁って凄いブスだなとか思っていたのかな セナとシューマッハの同時表彰台は4回だけなんだな
全部セナが上で全部シューマッハは3位だった 94年は最後までセナとシューマッハの戦いを見たかった(´・ω・`) >>830
セナはあそこで伝説になった方が良かったんだよ多分
生きてたら有る意味死ぬより残酷な展開を見せられたかも >>832
自分も晩年のアルヌー化してたんじゃないかと思う どういう結果であれ決着はついてほしかったのがファンの共通認識だと思う 94ブラジルはベネトンが給油の不正をやってなかったらセナがギリ勝ってたかな(´・ω・`) シューマッハ当人ですら、本来ならセナがタイトルを獲っていたはずとコメントしているからな
まあ、お決まりの優等生発言の印象もあるけども
史実のFW16Bの出来の良さから最終的にはかなりのデッドヒートになったんじゃないかな >>836
給油の不正ってのもなー
実際にはフィルターを抜くことはFIAが許可してたから、ドイツまでは不正じゃないのよ
その後不正だとなったけど、不正とされたあとのレースで同じことをウィリアムズがやってたのにそちらは不問
給油フィルタの問題は、要はシューとヒルのポイント争いを操作するためのFIAの方便だからな ベネトンの不正はTCSであって、そっちを証拠不十分で暴けなかったから
あの手この手で貶めようとした感があるな
給油フィルターの件然り、フォーメーションラップで前車を追い抜いたとか
スキッドブロックが薄いとかペナルティとして重すぎると思う >>820
例のシリーズのBT55本でゴードンマーレイが語っていたが、MP4/4についてプロストは
「寝そべるような姿勢で運転しづらい。もっと身体を起こした姿勢になるようにしてほしい。」
と言ったのに対しセナは
「この姿勢で運転してチャンピオンになれるならこのままでいい」って言ってたから
FW16はホントに運転しづらいクルマだったんだろう。 ベネトンb194は異常の強さだったな
88年のマクラーレンや92年のウィリアムズを超えてたかもしれん 不正は抜きにしても、ベネトンはシューマッハを中心に綿密にレースの組み立てや
給油戦略を練って常に先を行っていたからなあ
ウィリアムズは総距離を2で割って給油するぐらいのざっくりした計算だったそうだから
そりゃ勝てないと思う
ましてドライバー軽視のチームじゃそのドライバーの特性に合った戦略なんて立てようもない >>840
まあその発言はまだセナが一回も戴冠してない時のものだからな
それから6年経って3回戴冠して通算勝利も40回越えて
わがままも言うよ 給油でのピット戦略はシューマッハ時代にはまったな
給油量を減らしてピットタイム短くしたり、最初の搭載燃料を多めにしてスティントを伸ばしたり
途中でピットストップの回数かえたりあらゆる作戦を繰り出してたイメージがあるわ >>836
無理だと思う
前年同様多分ホームストレートでかわされれたんじゃないか セナが生きてたら後20勝30PP以上、2回チャンピオンぐらい行けたんじゃね?
死亡時34歳だったから大体後4年ぐらいやったと思うけど、キャリア晩年に関しては予想が難しいな。
大体30代後半は見ていて衰えがわかるぐらいだけど、個人差が結構あるから。
マンセルは20代の頃パッとしなくてピークが30代後半だったし、プロストもモチベーションが保てればまだやれただろうしな。
セナもどこまでモチベーションを保てるかがポイントだと思う。
ブランクがあって40歳過ぎていたとは言え、あの顎があそこまで冴えなかったのはある意味ショックだったし。 >>846
セナ自身が衰えなくてもウィリアムズにはもって2年(95年まで)
下手すると94年で離脱もありえるからその時勝てるシートがあるかどうかも問題かな 弘法筆を選んでしまったかセナ・・・ 3連リタイアしたって取り返せたはず
コンストは守れたしヒルとシューはたった1ポイント差だった
序盤以降きちんと仕上げてきたウィリアムズはさすがだと思う >>844
素人目にも給油を主体にしたレース戦略の次元が違うと思ったよ
給油前後は明らかにマージンを計算して走っているラップタイムだった >>849
あのころはタイヤ交換はおまけで燃料の重量によるラップタイムの変化をどれだけ見極めるかが勝負だったんだろうね
それまでと全く違う次元のレースに代わった気がする
それをしっかり研究したシューマッハが他チームを圧倒してたんだと思う
テクニックより頭脳を要求された時代だったかも
まあこれすべて妄想だけど ロス・ブラウンがル・マンでのジャガーの戦略を
1994ベネトンに持ち込んだって言われていたね。
TWRに一時期いたし、シューマッハーはザウバー・メルセデスで。 ロス・ブラウンはある意味耐久レース的な要素で力を発揮したね。戦略要素が強まった。
その点、ニューウェイは戦略家としてはダメだったってヘッドは言ってるね。ニューウェイがレースエンジニアも兼ねてるウィリアムズもどうかと思うが。
この時期のフェラーリはこの手の話はあんまり聞かないな。 シューマッハが強いのはその手の頭脳戦を自ら舵取りしているところ 94年からしばらくは「戦略」という程、給油が作戦の中心じゃなかったぞ。
シューマッハはとにかく全力疾走で、これをやり続ける体力が
他のドライバー(特にセナを筆頭にしたベテラン)との圧倒的な違い。
給油が本格的に戦略になったのは、2000年頃のシューマッハとフェラーリからだろ。 ドライバーが燃料(重量)とタイヤを考慮しながら300kmをどう走るか戦略を組み立ててたけど
給油時代になってスプリントレースをどう区切るか?みたいにはなったよね
>>848
ベネトンとFIAが色々悶着あっての1ポイント差とWillコンストだからなぁ・・・
大幅なレギュレーション改定でB194の特性も変わってるし
セナが生きていると仮定するとこの辺の不確定要素が無くなってしまう様な 94年95年はウィリアムズがいつもシューマッハに
オーバーカットやアンダーカットをされまくってやられまくってた
ウィリアムズはそれに全く対応できなかった Willは馬鹿正直に半分で区切ってた印象だな
逆にそういうの前提で車の設計やセッティングしてたのかもしれんけど
なのでニューウェイはそこから抜けられんかったのかも 94年のフランスやヨーロッパは相手より多いピットストップでアンダーカット作戦
95年イギリスみたいに大きく差をつけらたらピットストップを減らしてオーバーカット作戦
臨機応変を絵にかいたようなレースをしてた どのチームも基本、3等分して2回ストップか2等分の1回ストップで、
前が詰まって抜けない時は早めに入ることもあったぐらいかな。
ガチンコで競ってる状態で予定より早くとか遅くは、そんなになかった印象。
今みたいに、全車の位置やセクタータイムの詳細がはっきり分かるシステムでもなかったし。 94年のシューマッハは2戦失格、さらに2戦出場停止だからな
4戦ゼロポイントは大きいよ シューマッハは2ストップならフルタンクの4割弱くらい燃料積んで
3ストップなら3割弱くらい積んでとかピット作戦を柔軟にやってたな
あとはインラップアウトラップで稼いでコース上でないところで追い抜く 耐久やってた人達には当たり前に考える事だったんだけど、ベネトン時代のロス・ブラウンが敵の無策ぶりに逆に驚いていたね。 ヘッドはレース戦略面でベネトンの後塵を拝したことの責任を全部ニューウェイに
なすりつけてたな
「エイドリアンは製図板の前に座らせて鉛筆にぎらせりゃあそりゃすごかったけど
ピットレーンでヘッドフォン付けてクリップボード持たせるとちょっとな。適材適所
というのはやっぱりあるんだ、それと彼は自分の三氏をドライバーに正直に打ち明ける
事を怠った』と言ってるけど適材適所を遂行するのはお前の仕事では?って感じだけどな フランクがあんな身体になったからチーム運営はもうひとりの株主の
ヘッドがやらざるを獲なくなったのだろうな
現場はニューウェイで、手が足りなかったのだろう 戦略担当を他からヘッドハントしてくるとか考えなかったのかな・・・
現代のF1でも戦略担当はチーム内で適当に立候補してきた奴を指名してる所もあるようだけど
この頃ってピット内の人数制限とかあったんだっけ? ニューウェイが現場監督の適正があるのか解らないけど
フラビオ指揮下のベネトンは役割分担がはっきりしていたな
「自分に何ができて何ができないかよく解っているのがフラビオの強み」って評を聞いて
なるほどなと思ったよ >>868
ティレルなんかは戦略担当を誰がやるかで候補が3人、ケン御大、ハ―ヴェイ、ガスコイン、消去法でガスコインになったとか
戦略担当専門の人材が必要という発想がまだなかったのかな >>865
零細企業は気楽に働ける大企業は自分の担当範囲がハッキリ区別されててその中で働ける
中小企業はあれもこれもと任されて目が回るように忙しい、ウイリアムズは中小なんだろう >>873
病名は公表されてないけど、今朝病院で家族に囲まれて静かに息を引き取ったとF1公式は伝えてる 入院していた、と記事にあるから何らかの病かもね
79歳か
健康でもあと数年という年代だけどF1の一つの時代の区切りだな
往年のウィリアムズには熱狂したよ
お悔やみ申し上げます >>875
まだ79歳だぞ
バーニーなんて1回り上の91歳で、しかも89歳の時49歳年下の妻とで子供作ってる 脊髄損傷の下半身麻痺から35年、F1界で築いた富に裏付けされた万全の医療体制が
敷かれてたからこそここまで長生きできたんだと思う、天寿を全うした感じ
ご冥福をお祈り申し上げます ジョーンズ ロイテマン ロズベルク マンセル ピケ ブーツェン パトレーゼ
プロスト ヒル ビルヌーブ フレンツェン ラルフ モントーヤ マルドナド
抜けてたらゴメン 2000年の鈴鹿で車椅子で長旅をして
ブリヂストンタイヤに訪問し
「来年からミシュランに移りますけど、ブリヂストンには
本当に良くして頂きました、ありがとうございます」って
挨拶しに来てくれたんだよ、義理を忘れないフランク
合掌 >>881
ウィリアムズ在籍時に優勝したドライバーかな?
セナの名前がないのが寂しく感じるね。
ちなみにクルサードが抜けてる。 フランクはチーム内の揉め事、ドライバーからの苦情を実に真摯な表情で親身になって聞き
重く威厳のある口調で「それはけしからんな、即刻対処し厳正に改善しよう」と
言っておいて何もせずほっぽらかしておくのが大得意だったというがそういう食えない
狸っぷりがなんともいとおしかった チャンピオンになるとチームから追い出されるんだっけ チャンピオンになる前に事故死させられることもあった ヘッド爺さんも縁側での茶飲み友達いなくなって寂しかろうな >>873
イギリス人で79は十分年だし、チームも手放して一気に衰えが来たんでしょう。 >>884
ジョーンズ、ロイテマンから学んだんでしょう、無駄だって >>885
チャンピオンにすると、チームの許可なく引退会見しちゃうから このスレタイの頃は40代半ばだったのか、あのころから爺さんだと思ってた
同じハゲでデニスとは5歳しか違わない、デニスが若々しかったのもあるけど
老け過ぎだ ブルーのセナも乗ってたな
そのころ見てなかったけど スレタイの頃中学生だったけど当時から
「長老」
って感じだったなw
ジジイが率いる最強軍団って感じ バーニーの妖怪ぶりが一層際立つな…
いやいや元気で何より何だけど
こんな状況下だとホンダの関係者も葬式にも行けんな…
またイギリスとんでもねぇ事になっとるし
>>888
ケンティレルも手放してからあっという間だったよな >>895
ああいうちっこい人は心臓の負担も少なくて長生きしそう
バーニーは若返りのため定期的に血液の総入れ替えをしてるって噂もあったな >>895
ホンダからウィリアムズに不義理を働いたのだから、どのツラ下げて葬式行くのよと思わなくもない
参列しにいって歓迎されるのは川本氏くらいじゃねえのかな 昨日ネットのf1記事でベネトンb194は違法だったとか書いてあったから
ここで書こうと思ったけどそういう空気じゃなくなった >>898
どの本で読んだのか忘れたがb194の違反ギミックについては92、93年に続いて
ウィリアムズが独走して退屈なシーズンになることを恐れたバーニーが一心同体の
モズレーFIAに働きかけ阿吽の呼吸でお目こぼししてた、だがセナの事故があり
状況が変わったためFIAはベネトンに対し抑え込みを始めたがベネトン側が言うことを
聞かないでそのまま逃げ切ろうとしたためああいういびつな事態になったというのが
事の真相だ、という記事があったな GPCARのB194号でチラっと触れていたな
・94年シーズン前にウィリアムズの独走を懸念したFIAとベネトンが違法マシンの密約をした
・セナの横死によりFIAは違法マシン使用をやめるようベネトンに打診
・文書?書簡?があるから聞き入れないとベネトンは突っぱねた
・FIAはあの手この手でベネトンをバッシング
・シーズン後、主導したウォーキンショーがベネトンを抜けリジェのオーナーになることで手打ちにした
なんか陰謀論ぽい話だけどね 何だかなぁ〜な話だねぇ
TCSに関しては右京が「そんなのどこのチームもやっとるがな、まぁティレルは上手くいかなかったけど」
って話しとるからワークス系はどのチームもかなり危ない橋渡ってたんじゃ無いかとは思う トラコンに関してはフェラーリもプジョーも(ルノーは失念)同様に疑惑持たれてたし、ECUのプログラムを提出するようFIAから指示されてたね
結局どのメーカーも罰金食らってたでしょ。罰金の名目は「指示された期限までにプログラムを提出しなかった」ではあったけど、ね。 当時のベネトンは、まだ「二流チーム」だったことも厳しく扱われた理由かなとは思うよ。
二流とうのは実力のことではなく、F1の中でのブランド力と言った感じのものね
当時はフェラーリ、マクラーレン、ウィリアムズあたりが一流かねえ
80年代の頭くらいだと、ウィリアムズは二流扱いだったね >>896
てかあのじいさん別名マモー、いや誰か来たようだ。 ECUの統一って2007年くらいで、それまでは違反を検地できないから
トラコン再解禁とかやっていたもんな ベネトンは給油リグの不正改造もあったよな。あれが出場停止の理由だっけか。
今岡山のパシフィックGPの録画みてたんだが、古館こえーわ。「若きベネトンの
シューマッハ、ターミネーター走法で・・・」ってやってたけど、ホントにトラコンで
ターミネーターだったとはね。 >>901
何だかなぁ、だよね
件のムックもそんなに本気にしていなくて、そんな説もあったなんていう程度の扱いだったよ
どのチームも他チームを出し抜くために規則の穴を突いた技術を盛り込もうとしていたし
バレないイカサマはイカサマじゃないって意識はあったと思う
メゾネットウイングなんて屁理屈みたいなデザインだったし メゾネットウイングはアランジェンキンスさんの発明だったなw
>>907
フィルタ取り外しは事前に確認取ってOK貰ってた
給油機にガソリン入れる時に予めフィルタで濾しておけは問題ないよね?→OK
なのに、いきなり違反と
05年のBARと同じで解釈違いで吊るされたのかもね
あの時のBARも事前に確認取ってたんだけど
アレはエンジン二戦連続使用義務の裏側付いてゴール直前のホームストレートで止める
ってFIAにわざわざ喧嘩売ったせいだと思ってたりするw >>912
83年と84年辺りもメゾネットウィングやサブウィングがあったみたいよ
85年に禁止されたはずなのになぜかレギュレーションがいつの間にか緩くなってたんだな 勝手に緩くなるわけない。それぞれの設置場所を見るとそれぞれ違う場所についている。
禁止領域が設定されるとそこではない部分に新たな追加ウイングが設定されるという
いたちごっこが行われていただけ。 >>914
それな
でもまあ、許可範囲に追加ウイングをつけるという意味では、80.年代前半から中盤までの追加ウイングとメゾネットウイングは全く同じことよねよね、とは思う。
なので、90年代に新しく出てきた考え方とも思わないし、ジェンキンスの発明って感覚も全く無いかなあ ↑酔っぱらって書いてたから変な文になっちゃった
でもまあ、という言葉は無視しておくんなまし レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。