ホンダエンジン 
1959年 財務危機に際し、偽装のため実質社長藤沢の発案により二輪GPに参戦。(融資引出しに成功)
1964年 四輪F1参戦(第一期:1.5L時代1勝、3.0L時代他社シャシーで棚ぼた1勝)
1968年 フォードコスワースDFVエンジンに圧倒されF1撤退。二輪GPでも翌年撤退。
1979年 DFVをコピーしたものに楕円ピストンを使ったV4エンジンで二輪GPに復帰(モノにならず1982年2ストに転換)
1983年 DFVをコピーしたものにターボを使ったV6エンジンでF1に復帰(いわゆる第二期)
1980年代後期 他がカスタマーエンジン(間接供給)また規則変更を見越しリソース縮小する中、
     有力ドライバー・チームに直接供給し一定の結果を出す
1990年代前期 ルノーV10、フォードV8に、V12エンジンで負けてF1撤退
2000年代 目立った成果が出ずF1撤退(第三期:棚ぼた1勝。メーカー系実質最下位)