【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 59laps
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あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
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最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
∧_∧ ※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
(´・ω・) 他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
(__) スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
前スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 58laps [無断転載禁止]©2ch.net
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エルンスト・デグナーが亡命前に所属してたメーカー…MZかなんかだっけか。
4輪でもトラバントはまぁともかく(といっても確か良質な素材でボディ作れてたうちはまだマシだったらしいと)
上級のヴァルトブルクは初期型は結構デザイン・構造共に洗練されたものだったというから
1960年頃までは東側の技術水準って西側に遜色無く、まだ発展途上であった日本と比べれば
むしろ高水準ですらあったといえる。
問題は民生用技術においてはその頃からまるっきり進歩しないまま90年代までいっちゃった、
ってところだけどなw
ハンガリー同様に比較的ガチガチじゃなかったチェコスロバキアも
タトラとかシュコダとか割とまともなクルマ作ってたでしょ。
ガチ東側諸国が50〜60年代レベルで止まってるのに対して70年代の技術を改良した的なやつ。 ハンガリーではF1やってて、チェコスロバキアでは2輪のレース(WGP)やってたような?
あと旧ユーゴでも ウチのバイクはチェコ製のチェーンが
純正装着ですよ。
東欧製部品は駆動系を中心にいくつか
使われてるけど、安価だし、
レースで使うにも充分な精度でできてます。
他にもイタリア製、日本製などなど、
あらゆる地域の製品が新車で付いてますw
車体組立は公用語が3つある国。 >>431
こんな荒れ果てたサーキットでレースを開催していたくせに
鈴鹿にケチを付けまくって何十億円もかけて改修させたって
めちゃくちゃな話だなw 92〜93のキャラミや95〜98のブエノスアイレスとかは何で復活開催されたのか不思議だな 鈴鹿はランオフも少ないし危ない所が結構ある
他の国と比較してもあまり意味がないと思う
舗装と路面のμが高いから救われてる部分もあったけどね 南アフリカはその当時にアパルトヘイトを撤廃したから
開かれた国になりましたよってアピールしたかったんじゃないか 昭和40年男増刊 1986−1988
ホンダF1チャンピオン
F1日本GP開催
買いです。 「ホンダエンジンのチャンピオン」は「ホンダのチャンピオン」ではないのだがw >>458>>460
というより「85年時点だからそっちはそれでも良かった」てのもあるんじゃないかと。
まだデ・アンジェリスやラフィーの事故とか、WECのモスポートとスパの事故の前でもあるし。
あと鈴鹿の一番問題なところはピットガレージの構造じゃなかったかと。
まだ筑波がそうなってたと思うけど、ピットレーンとガレージの間に塀がついてて
ピット側からそのまま車両をガレージに仕舞えない古いタイプになってた。
F1の開催に加えて2輪の世界GPも開催するという両方を見据えて
高いレベルで両方の国際基準をクリアするためにコース側まで手直ししたという流れだったように記憶。 >>464
そんなとこだろうかね。
長くやってると、多少古さを感じても許される、既得権みたいな部分もあるしな。
鈴鹿も、富士に持って行かれる前あたりからコースの安全レベルや設備の古さを指摘されつつあったけど、既得権的に許されてたもんね。
富士に持って行かれてから、急に改修入ったよね。 >>173
ジョニーダンフリーズのあの動画なんで有名なん?別にそれ以前からも車載とかあったろうにそれこそ70年代からも
あれ見て思ったのはダンフリーズみたいなカスドライバーでもそれなりに奮闘して一生懸命操作してんだなって事 F1の公式走行セッション中に最初にTV用の車載カメラを付けたのは
1985年ドイツGPでのフランソワ・エスノーが最初だそうで
(といっても実質カメラマシンとしてのスポット参戦でマシンも旧型)、
現物もなんかこんなビデオカメラくっつけただけみたいな代物なので
http://blog-imgs-86.fc2.com/b/o/u/bouck/20151213033303229.jpg
リアルタイムで映像飛ばして生放送に挟み込めたものなのかは謎…。
ダンフリーズの場合はこの年に入賞まで経験してるクラスのドライバーなのに加えて、
多分翌年の中嶋仕様に近い仕様になっててリアルタイムで映像飛ばせる仕様だったのでは? >>467
これは酷いw
確かにダンフリーズのは翌年の中嶋車と同じでカメラレンズのウォッシャー液まで噴霧するタイプだった 昔はクルマの上のカメラ、付いてたり付いてないクルマがあって
空力的に不公平じゃないの?さては八百長か?とまで思ってた。 八百長?わざと負けるためにカメラをつけてたってこと? その見返りに金銭授受とか?
んなわけないわ
手が込みすぎてる F1の雑誌に当時質問してた人が居たね。
「空力にもの凄くうるさいのになんでカメラあったりなかったりするの?」
答え「細かい事にこだわらないようにしましょう」
八百長というのは競争者同士でやるものと、主催者ぐるみのものが
あるからね。
俺は別にF1を八百長だとは思わないよ、むしろプロレスと同じショー·
エンターテインメントでしょ。 >>466
大貴族の伯爵様(当時)をカス呼ばわりとは無礼者めw >>469
当時はカメラつけると最低重量下げてくれるんじゃなかったっけ?
だからカメラの取り付け方によっては他車より有利 >>475
違う。
カメラ分の5kgを追加して、全車の車重が505kgになった。
(それまでのレギュレーションでは最低重量が500kgだったから) カメラユニットが5kgで収まるようになりました→それじゃ全車5kg増しでやりましょう
(500kg+5kgだったか仕上がり重量+5kgだったか正確なところは忘れた)
という話になったのは覚えてる。
そのうえで空力ハンデも厳密に均一化するために、機能するカメラを装備しない場合にも
同一形状のダミーユニットを取り付けましょう、ということになったのもこの時期だったはず。
…ただダミーカメラ付けるのはコンストラクターズ上位何チームとかだったかな、記憶があやしいw
もっともダンフリーズや中嶋みたいな「防犯カメラ」から比べれば後年のは形状的には数段洗練されて
かなり小振りな翼断面状のものになってたので、もちろん厳密にいえば影響はあるけど
リアウィング辺りの位置ではほぼ影響のない程度に収まってたんではないかな。
逆にエスノーのあのホームムービーみたいなやつとか、ダンフリーズや中嶋の防犯カメラタイプは
高速コースでのドラッグとかリアウィングの効きにはかなり影響したんじゃないかw 全車カメラが義務付けされたのって98年のタケコプターみたいなカメラになってからじゃない?
重さ云々と言えば、リヤウィングサイドに付いていたカメラなんか、重さでウィング歪まないのかと心配になったけど
95年のモンツァでアレジが落としたカメラがベルガーに当たってリタイアってのもあった プライスの事故現場をYouTubeで見て、何だ言う程グロくないじゃんと思ったんだが周りはどう思っているのか
トップシークレットになってるセナの事故の方が自分は10倍やばい気がする アレジのカメラがベルガーのヘルメットバイザーの中に食い込んだらと思うと、ぞっとする。
即死か。 >>483
ヘルメット脱いだ担架上のプライスの写真があったがそれは酷いものだったぞ >>483
セナの姿を収めた画像映像が出ないのは放送倫理や報道倫理の変化によるものだろ。
興味本位な書きぶりや煽りぶりは好かんな。 セナ自身の画像はないけど
血の海って感じの画像は流れた 今思えばドネリーの応急処置してる現場の映像も
あんまり懇切丁寧には放映されなかった記憶…。 フランソワセベールとかヘルムートコイニクとか
昔のF1は事故の凄惨さがえげつないよな。 86年(デ・アンジェリス)〜94年(セナ&ラッツェンバーガー)のこのスレの期間だけは
現役中に亡くなったレーサーは居ないんだな。
ドネリーやストレイフといった大クラッシュで何とか一命は取り止めたけどレーサーとしては・・・と
いうのもいたけど。 87年のピケ、89年のベルガー、92年はパトがイモラのタンブレロで大クラッシュしてるからな。
当たり所が悪ければ死亡していた。 当時はタンブレロってイモラの見どころだと思っていて
高速で曲がっていくあのアングルがかっこよかった。
死が身近じゃなかったから、牧歌的な気持ちで観られたな。
もうF1で死人なんて出ないっていう空気が確かにあったと思う。 >>496
それはマスコミ的な主張。
89開幕直前にストレイフの事故があったとき、死んでも不思議でないと思ったよ。
というか、モータースポーツは死人が出るもんだ(たまたま死ななかったけど)、との意識の再確認みたいだった。 >>497
ストレイフの事故は下位チームで末端ドライバーのせいで映像が出回らなかったしそもそもあれは事故後に首を固定せず無茶苦茶に扱ったからだろ
死人など出ない空気は完全にあったよ、支配してた タンブレロのあそこなんでずっとパッチワークみたいな舗装のままだったんだろうな >>500
94年の路面は特に酷くて開幕前のテストでセナが
直さないと今年誰かここで死ぬ言ってたらしいな
流石に自分が死ぬとは思ってなかっただろうけど >>499
1982年来1994年までgpdaが長らく形骸化していたのが何よりの証拠だよね。 カナダでアレジがベネトンに突っ込んだところとかドネリーの事故とか見ていて
死なないなんて思えるのは余程おめでたい脳味噌だな
今宮純辺りにに毒されすぎ お前はレギュレーションが今宮策定だと思ってるのかな?
お前こそお花畑だぞ 死人が出そう/出なさそうという感覚はレギュレーションで決まることなの?
意味不明やな。 >>506
各々見た感じやなww
適当なもんだねえ 俺が今宮の名前を挙げたのは、
セナの事故があったときに、
「もうF1で死亡事故が起きることはないと思われていました」
とか言ってたからだよ。
一部のニワカマスコミも追随して同じようなこと書いてたけどさ。
死が頭をよぎるような大事故は87年以降にもセナが死ぬまでに何度か起きてただろ、という話だよ。 >>504
でも結果死んでないからね。
どれだけ酷い事故でも頑丈なモノコックが守ってくれるっていう
安全神話はあったと思うけどなあ。
まあ、これ以上は水掛け論だから取り下げるよ。 https://youtu.be/y3KO5pIskZk
エリオ・デ・アンジェリス 1958-1986 R.I.P でもエストリルかどっかでパトレーゼがベルガーに突っ込んで空飛んだ時とか
クリスチャン・フィッティパルディがチームメイト(確かマルティニ先生かな)と接触して
空中一回転の時とかは、あれは上で何にもぶつからずに路面に床から着地したから
せいぜいモノコックの下回りを壊したかどうか程度で済んだけど、
逆さに落ちたとかサインガードやピット側に突っ込んじゃったとか
挙げ句後年の全日本F3での横山崇みたいにブリッジ逝ったとかいうと大惨事必至だったからな。
「オンボードカメラが空映しちゃいけません」なんてあそこで言ってたくらいだから
かつては自分自身も何度も惨劇の現場に直面したはずの解説者がだいぶ平和ボケしちゃってたんだよ。 >>510
死んでないから安全ってのは、完全にジンクス主義だよね…。
今宮純の解説手法そのものだべ。
まあ、俺もこれ以上はいいけど、これだけは言いたい。
>どれだけ酷い事故でも頑丈なモノコックが守ってくれる
ドネリーの事故現場を見てそれが言える神経が理解できんよ。 あんな事故だったのに…
モノコックが有ったから死なずに…
本当にただの水掛け論だな そうそう。
今宮のせいでタンブレロの改修も後手に回ったんだよな。
死人がでるまでFIAの動きが鈍かったのも今宮がそそのかしたせい。
今宮が悪いしフジが悪いよな。 今宮にそんな力ないだろw
英語も喋れないのにまともなモータースポーツジャーナリストからは相手にされてないレベル >>517
は皮肉だろどう見ても
ほんと、まじめか! >>513
>逆さに落ちたとか
逆さはウィングカー時代を踏まえてロールバーの想定内かと GPDAが安全を真剣に議論しなかったのも今宮が暗躍したからなんだってな >>521
そのロールバーが壊れて重症を負ったのがストレイフの事故ですな。 >>521>>525
爪先ルールが88年からというのは確かに記憶にあって、
これはおそらくジャック・ラフィーの事故辺りで議論が始まって、87年用のクルマは間に合わないから
1年おいて88年から、とかいう話になったんではとは推測するけど、
クラッシュテストの義務化と、その中にロールバーの荷重強度試験が項目として入ったのは
各々いつ頃だったかなと。
ロールバー関連のルールはストレイフの事故辺りで改善されてるのかね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/F1%E3%83%AC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
しかしこうやって規定の変遷を見てると
>コクピット前後のロールバーを結んだ線からドライバーの頭部が出ないこと。
これが規定されたのが1976年ということに慄然とする…つまりそれまでは出てても良かったのか。 ラフィットの事故後のリジェ
モノコックがジョニーハーバートと同じようにパックリ口を開いてます
https://i.imgur.com/f5CgfIA.jpg ハーバートのレイナードは第一バルクヘッドの前に頑丈な鋳物のブロックが付いてて
そこにショックユニットを取り付けるという多少特殊な構造
(だからプッシュロッドがノーズコーンの中に入る独特の外観になる。↓の903と同じ)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/Reynard_F_903-001_1990_Michael_Schumacher_Formula_3_EMS.jpg
ので、そのブロックが足元ブチ抜いちゃって被害が大きくなったのではと思ったけど
リジェの場合はそういうわけでもないのに普通にこの状態ですか…。
ナカサンがアクティブサスの着底でコースアウトした時に両足なくなる覚悟すらしたというのが分かるわ…。 ジャック・ラフィーは晩年は事故るし可哀想だったなー
しかも、プロストに奥さん寝取られるしで 87年はイモラでピケが後遺症に悩まされるし、鈴鹿でマンセルが棄権するしで、
FW11Bはドライバーに重症を負わせたマシンとしてイメージが良くないな。
鈴鹿の場合は、コース自体の危険対策が疎かだったことが大きいかもしれんけどね。 イモラもタイヤだしFW11Bにそこまでネガティブなイメージは無いけどな ピケとパトレーゼとベルガーは運が良かっただけや
逆にセナは運が悪かったんや 地味だけど90年のサンマリノでは中嶋も肩付近までモノコックがえぐられるクラッシュしてる、彼の場合はタンブレロの出口なので速度もレジェンド達とそう変わらないか寧ろ速い
インタビューで中嶋は危なかった、車がバラバラで、、笑とか言ってたけど単に運が良かっただけ
あの頃はF1での死者はもう出ないという空気が蔓延してた FW11Bに関しては、当代随一レベルのパワーユニットを背負った最速マシンであったうえに
シーズン最大級に激しい2つのアクシデントからドライバーを、欠場こそ余儀なくされたものの
キャリアを奪うことなく救うほどには頑丈だったという点では評価しても良いんでは。
当時としては先進的な方に属する外皮一体型で断面積をフルに確保出来るタイプのモノコックタブと
パイプ細工ではなくて鋼板曲げ物タイプのロールバーという
進歩的な要素を存分に盛り込んでいたことの意味も大きかったんでは。
マクラーレンMP4/3やロータス99Tのカウル外した姿を見ると
やっぱりドライバーを覆う構造としてのモノコックは肩周りが浅かったり
アクセスリッドだか軽め穴だか分からないものがボコボコ開いてたりと
アルミで作ってた頃を思わせる頼りなさのようなものがね。 >>534
数センチずれてたら片腕持ってかれてた、とかそういう話だったよね
ヘレステストじゃウイングも落ちるし
五体満足で引退できた中嶋は運を持っていたんだな今思うと 中嶋悟さんって冬のテストでクラッシュしてベルガーに助けられてた記憶があるけど
あれどこだったっけなー >>535
ピケはドライバーとして致命的な後遺症を負ったけどね。
にしてもあんたの文章は読みにくいなあ。
その回りくどい言い回しは何とかならんかね。 >>541
脳に関わる問題ってのは傍目に分からないだけに本人の自覚症状としては
87年だけに終わらずいつまで引きずる結果となったかは分からないけど、
ロータスでの低迷期をさておきベネトンでは90年に復活、91年にも勝ち星を挙げて
F1を去った後もインディ500やFIA-GTに至るまでキャリアを続けることが出来たのだから
「レーシングドライバーとしての選手生命を繋ぐことも、日常生活を送ることも出来るネルソン・ピケ」を
充分に守ることが出来たとは言えるのでは。
ラフィーやハーバートは今でも足を引きずってるけど、彼らだってまだレーシングカーをドライブは出来る。
大きな事故をまるで経験したことがないケースを別とすれば、この時代のドライバー達は
多かれ少なかれ古傷の類を持ってるんではないかな。
マンセルが足引きずってる独特の歩き方は、確か鈴鹿での事故よりはるか前の出来事が原因。 >>538
ベルガーも救助に来たのか。カペリが真っ先に駆け付けた記憶があるけども。 >>545
カペリが真っ先に駆けつけて中嶋を手当て。
その後グージェルミンとベルガーが心配そうにやってきたね。 >>538
90ヘレステストだね。マシンは青白の018 後遺症も無く?無傷でF1ドライバーを引退できれば幸せでしょ。
F1以外の事故でも死亡したり、生きてても植物人間になった人もいる。
ピローニ、ベロフ、アンジェリス、ドネリー、セナ、ハンバーガー、アルボレート、顎、ビアンキ、チェザリス・・・ ビィンケルホックのも酷かったな
高速コーナーのすぐ目の前にエスケープ無しにコンクリートにTボーンだもん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています