【史上空前】長谷見昌弘 part2【四冠王】
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国内史上最速レーサーは長谷見ちゃんで決定
異論は認めない
なぜなら天才だから 新旧「日本一速い男」wの特徴
BSユーザー
天才型ではなく努力型
田舎者特有のずうずうしい性格
寄せたり当てたりして平気
で、何が「日本一速い」かっていうと
マシン(&体制)が日本一とw 日本一の体制/マシンで走ることが出来るのはドライバーの能力
Mr.長谷見はMr.星野に対して明らかに劣っていた。 星野ほどの勝負に執着が無く、「遊び半分仕事半分」と言う気持ちでいれた人。
「絶対勝ちたいからBS、絶対勝ちたいからホンダ」と言う感性は無かったんだろう。 大きく分けると
Mr.長谷見はGCでは酒井R、モノポストはKE
Mr.星野はGCはNOVA、モノポストはHIRO'S
この差だ出た。 >>17
あとは「それやっちゃうとビジネス的に角が立つ」のほうを先に考えるタイプなんじゃないの?
星野さんは俺は今勝ちたいんだ!ってほうが先に来ちゃうほうで。
ダンロップにしろスピードスターにしろトミーにしろ概して付き合いが長いってのはそのせいもありそう。 Mr.長谷見はJTCCの'96年だけはHKSのオペルベクトラに乗っているけど
理由は何?。 日産がJTCC縮小し、4台体制(ニスモ2台+インパル+ハセミ)から3台体制にしたから。
切られた長谷見さんがHKSから声かけられ、日産もOKした。 ASの記事に出てたけど、昨年レジェンドカップで横からぶつけられて頭来て日曜のレースはボイコットしたそうだが、
ぶつけたのって誰? >>21
何だ、そ〜ゆ〜事か。
ツーリングカーでも星野>>>>長谷見かwww。 あの時は何やら日産のJTCC戦略自体が混乱してた印象はあるけどねぇ。
若手にチャンスを与える(飯田とか影山兄とか本山とか乗ってたはず)ってのはいいけど
プリメーラとサニーで開発のリソースが分散してたし。
一方の長谷見さんはあれでそのまま日産放出かと思いきやGTでは普通にスカイライン走らせてたけど
別に片山義美さんが1年だけポルシェに乗った時みたいな狙いがあって外車にってわけではないよねw。
…しかし当時レベルの高かった外車に乗って後でひょいっと戻ってくるとかいう辺りは
あの二人はポジション的に近いといえば近いんだろうか? 片山さんも全日本耐久の大半のレースでISEKIポルシェ乗ってたシーズンに
ルマンではあのカブトガニみたいなローラマツダ乗ってたりして…。 >>22
決勝では殺○鬼の倅が柳田父に特攻して病院送りにしたけど
その話とは別なのか? >>26
>片山さんも全日本耐久の大半のレースでISEKIポルシェ乗ってたシーズンに
ポルシェのCカーを研究するために、マツダの許可を得て乗ったとの記事がどちらかに
あったけど。それでポルシェの本当の凄さが分かったとか。
ル.マンでローラに乗るために
国内のポルシェで練習したのじゃねぇ?。 >>27
ASの先週号に「昨年レジェンドカップの土曜日のレースで横からぶつけられて、頭来て日曜のレースはボイコットした。今年は出る気無かったが服部に懇願され出た」と。 らちのあかない文章だなw
昨年のレジェンドカップは土曜と日曜と両方あったの?
で、ぶつけたのは誰なんだ? F2でイタリアの新鋭のベッペ・ガビアーニが長谷見昌弘と絡んで飛び、
ガビアーニ車のタイヤが和田孝夫の頭部を直撃して和田が救急車で搬送されたよね。
これが原因で和田孝夫は表舞台から去ったのだよね。 >>32
チミは修行が足らんよ。
ガビアーニは前年のマーチのワークスドライバー。
Mr.和田が鈴香でアクシデントに遭遇したのは'79年で
その後も'93年迄F3000に出走し鳥ますがなw。 >33
ガビアーニは以後活躍は聞かないね。
和田氏のF3000の件は失礼しました。
昨年のレジェンドの事故と関係はありませんよね? B.ガビアーニはその後F-1や国内では童夢TOYOTAのGr.Cには乗ったね。 86年のルマンでも童夢のクルマに乗ってて
ガルトナーの事故を目撃してる。「ありゃ多分ドライバーは助からないね」って。 >>32
クソの長谷見がド遅いペースで後続車を邪魔し続けた結果 事故を起こしてしまい
新進気鋭の若手ドライバー二人の将来を変えてしまった 痛ましい事故でしたね・・・。
ロス・チーヴァー曰く
「僕が早かろうと遅かろうと関係ないだろう。抜きたいならぶつからずに抜いていけ」
…抜かれる側がわざわざ寄せてきた結果ぶつかったっていうんじゃなきゃ
その手の事故は基本的に抜く側の自爆じゃないの?
逆にJTCCの時にどこぞのドリフト屋さんが言ってたみたいな「1台分ライン開けろ」とかいうのは
ハコレースでそんなこと強要するのはどこのお嬢様のお遊戯だと思ったけどねぇ。 箱のレースです。
ttp://www.youtube.com/watch?v=eJ_jC1LtqzI >>40
これはでもまあ生活と命かけて走ってる的なガチレースじゃないしw
「お遊びレース」なのに(ついでに言っちゃうとクルマだってアマチュアレースレベルの仕立てなうえに
ドライバーの装備も何か「現役当時のをそのまま使ってます」みたいな人もいたでしょ)
マジでぶつかっちゃうようなことをしてどうするの?な面はあると思う。
まあ…そういう場合でもスイッチ入っちゃう人は居るからこそ
海外のこの手のおじいちゃんレースでも時々トンチキな事故は起きるんだけどw 和田はF2の事故とCカーの事故でかなり速さを失っちゃったよね
鈴木利男も同じパターン
凄い才能があったのに運が悪かった
で、土曜日に長谷見に当てたのって誰? Mr.鈴木はそんな激しいクラッシュしたの?。
記憶にねぇ〜んだけど。 クズ糞コテの無知さ加減とバカさ加減を再確認した年末であるw あの事故は和田と長谷見が先行してコーナーでインを守っていたのに
ガビアーニが無理に割り込んでクラッシュし、リタイアしたMr.長谷見が
レースインタビューアのMr.今宮に文句を言っていたのとタナケン氏が
和田を救出しなかったガビアーニをAS誌でかなり批判していたよ〜な内容を
バックナンバーで観たよ。
長年にわたりガビアーニのファーストネームを
「ペッぺ」と書いていたクズ糞コテw あのレースはマーチ792が猛威を振ってたのに
和田は数少ないノンウイングカーのマルテイーニで良く頑張ったよ〜だな。 >>47
マルティニは 一応ウイングカーだけどね。サイドポンツーンは
翼断面、ただしスポーツカーノーズでノーズの両サイドに空気を
流す流路がある。 あのマシンは原田Rでマーチ782のよ〜にサイドポンツ-ンをただの空洞に
改造したんじゃねぇ〜の? クズ糞コテは間違った情報を垂れ流してるんじゃねぇ〜の?w クズ糞コテはやたら昔のネタを語るが、当時のリアル世代ならまず間違えない筈のミスを平気でやらかす只の知ったかwww Martini Mk 22が実戦投入されたのは'77年で当時F-2に翼形断面による
グランドイフエクトは導入されて無かった筈。 すげーすでに70年代に表彰台上がってるんだ。
DLタイヤ勢トップ!ガビアーニの特攻が無ければなあ・・。 ttp://img.wazamono.jp/car/src/1325423794443.jpg
>>51
最近のノスヒロ、レース専門誌よりよっぽど面白いw
>>52
リアルでもリアルでなくても
バカはバカということでw Martini Mk 29 − Martini Mk 22 = 7
少し番号を間違えただけじゃんw。
誰かMartini Mk 29の画像をぅPしてチョンマゲ。
ちなみに、>>56の画像は和田さんかな。
マシンは? ちょっと間違えただけで糞呼ばわり
まさに人柄が伺いしれますなw
糞コテwwwww '79年国内では和田や中嶋他がドライブしたMartini Mk29は
本場欧州F-2では'78や'79シーズンは一度も出走して無いんだよ。 後から必死で記録を調べてごまかそうとしている知ったかwww そもそもが77年以前の古いクルマだったって意味なのか
それとも普通に売ってたんだけど向こうでは評価されなくて1台も売れなかったってこと?
オペル専用シャシーでフルカーボンモノコックでF3初のシーケンシャルシフト!とかいう凄い触れ込みだった割には
93年の序盤に日本でアンソニー・リードが乗っただけ、しかもシーズン半ばで放棄されちゃったナップ・オペルを思い出した。
…ラルトRT24は向こうでも一応1台だけ最後まで走ってたよなぁ。逆に日本では最終戦時点で全滅してたけど。 http://ms.bridgestone.co.jp/database/result_list_type11a?rid=466
中嶋がマルティニをドライブしたのは1978年のみでMK22。本来中嶋は
ヒーローズでNOVA532Pをドライブしていたが、ヒーローズ(星野)の
ヨーロッパ遠征(532Pを使用)の関係でシーズン途中でマルティニをドライブ。
MK29は1979年、MK22を使用した原田レーシングカンパニー向けに用意された
中途半端なウイングカーもどき。(ヨーロッパではF2撤退済み)
http://www.f3history.co.uk/Manufacturers/Martini/martini08.htm
こちらは同年のマルティニF3(Aプロスト車)。MK29はこれに近い姿だっ
たが、ウイングカーとしての効果が薄かったためかシーズン後半マーチ
782風に手直しされた。
1978年、マルティニはF1に初参戦した関係でヨーロッパF2での活動停止。
(F2で使用していたエンジンのルノーがF2撤退したことも影響)1979年、F3では
AプロストともにヨーロッパF3を席巻。 コレを観ると'79のJAF-GP(FISCO)のリザルトに中嶋が東名チューンのBMWを搭載した
Mk29で和田に次いで4位に入賞しているのはマーチ792の間違い?。
中嶋の'79シーズンはI&I?。
↓
http://www.formula2.net/F279_11.htm http://ms.bridgestone.co.jp/database/result_list_type11a?rid=458
なんかスゲーにわか がいるな。
1979年、I&I(生沢)にヒーローズから引き抜かれ、高原ノリタケ
と2カー(792)エントリーのはスゲー有名な話。 >>66
外人が一生懸命調べて作ったんだから多少の間違いくらい目をつぶってやれ。
日本のレースに詳しいWお前が孫引きする時に修正すりゃいいだけの事。
昔、ヤフー掲示板で、このサイトを作った外人に「筑波チャレンジカップ」のリザルトを聞かれてびっくりした、って書き込みがあったな。
>>65
星野がヨーロッパに自分の車を置いているため、
中嶋用532Pをドライブ、中嶋はNOVA512だったか522に乗る予定だったが、
星野が532Pを壊し、中嶋の車が星野にまわり、
中嶋がマルティーニ・ルノーをドライブ >>69
中嶋は当初からマルティーニだった。
星野が金曜日に中嶋の53Pをクラッシュさせ、
急遽酒井レーシングにあった522(ex桑島車)をレンタルして
カウルだけ星野の512に交換した。
ちなみに、星野は決勝で522をクラッシュさせ、
酒井レーシングの桑島車が53Pにバージョンアップ(?)して、
次戦から登場した。 78年に星野と中嶋が乗った53Pは、
その前年に使った512と522のカウルを新しくしたもの。
78年用に新車を造ったわけではない。
>70
http://ms.bridgestone.co.jp/database/result_list_type11a?rid=466
このレースでのことだよね?(シーズン当初から中嶋がマルティニ
MK22搭乗と誤解されそう?)ヨーロッパではこの年圧勝のマーチ782
は星野のNOVA532Pクラッシュや中嶋のマルティニへのスイッチ
の隙間を付いてシュラーが勝ったこのレース以外は78年は国内では
活躍していなくて、翌年の1979年の前半に勝利を重ねているん
だよね。 マーチは752が失敗作で、
日本での評価を下げてしまったからね。
76年に高原がカスタマーとして初めてノバ512を購入して、
ヒーローズも第4戦から星野に与えた。
77年は、中嶋と酒井レーシングの桑島もノバ522を使用。
星野が512B、高原と藤田が512で参戦した。
78年、ヒーローズの2台が53Pとなり、
高原は原田レーシングのマルティーニをドライブ、
酒井レーシングの桑島はラルトにスイッチしたけど合わず
シェブロンに変更、その後ヒーローズに貸した522が53Pになって
それを最終戦まで使用した。
782が入荷したのは第4戦の前で、
佐藤文康と三橋久善が購入した。
M.スレールが乗ったのは、佐藤車。
スレ違&長文スマソ 78年のF2って、実質的に各チームオリジナルの車両(もしくはモディファイ)していたもんね。 別に'78年に限らないよ
F2だけじゃなく
GCなんか自前モディファイだらけじゃん
林ミノルが言ってるけど
この時期はノバなんかがトップカテのチャンプマシンになってるのに
今は外国製マシンがのさばって日本のレース産業は停滞してる
なんか愕然とするな >>75
年式の古いマシンを手直ししながら好成績を上げるケースが少なくなく、
特にGCだとヨーロッパ製のボディが富士オンリーのGCには全く合わない
のでマーチもシェブロンも国内で大幅に手直し、新造された。
F2でも78年に高橋健二のマーチ742がオリジナルボディ、フロントウイング
のノーズで複数回の表彰台を獲得を含め好成績を上げている。 まぁ'75、'76、'77年のマーチF-2の失敗でNOVAやKEや(もう1っ有った)、
シェブロンやMartini、ラルト、トールマン(ローラ)等の出番が回って来た。
でも'79にはマーチがウイングカーで復活をするw。 まあ782の4勝に対して792は3勝だったりするんだけどね。 >中嶋の'79シーズンはI&I?。
このスレに似つかわしくない初心者だな、、、、。 >>65
なるほど多少意味合いは違うけど(あれはカテゴリ自体が無くなったせいだし)
マーチ86JとかローラワンメイクF3000になった以降の日本向けフォーミュラニッポンみたいな…。
しかし1チームだけのためにわざわざ作るってのは凄いな。逆に原田さんとこが結構払ったのかしら。 まぁNOVAの為にマシンを設計製作したG.フオースも凄い。 あれは本来もうちょっと売れるはずだったんではないかと…。
91年のレイナードとかも2台しかいなかった(カスタマーはアドレーシングだけ)し。 マーチ86JのJはJAPANのJで御座居ます。
Don't you know it? 汚舞等w。 J 付きのマーチは 1985年の 85J と 86年の86J。
1985年 ヨーロッパでは F2に変わりF3000スタート。
当初はF1の改造マシンの参戦もあったが専用設計マシンにはかなわず
すぐに淘汰された。マーチの車両はマーチ85B。
日本では1985、1986年とF2規定継続。この期間のマーチ車両は
F3000と かなりの共通設計を持つ85J、86J。日本でのF3000スタートは
1987年から。以後欧州と同様の〜Bの名称となる。
Don't you know it? セクハラ課長 w ちなみにモノコックも共通なので、
例えば85年第4戦の決勝前フリー走行で全損クラッシュした星野の85Jには、次戦以降85B-01のモノコックが使用された。 シャーシNo.85B-01ちゅ〜ことはワークスマーチのレース/テスト車両の中古?。 >>88
まあまあ、”セクハラ課長のコメントにツッコミを入れる” スレなんだから
それにしても KE F1 の雑誌記事のアップ、まだぁ >>85
つまりはインディライツのマーチ・ワイルドキャット(確か86Bベースの改造車)的な?
後年のローラ時代のライツも国際F3000/全日本F3000(後年のフォーミュラニッポン)と
空力とか安全関係とかエンジンとかの違いだけで使い回してたから似てるといえば似てる…のか。 ttp://img.wazamono.jp/car/src/1325682346000.jpg
マルティニといえばタミヤのラジコンカーにあったような…。
それはそうとBMWだとサブフレームが付くってことはハート420Rならストレスマウント可能と? ぉぉMk29じゃん。タナケンさん有難う。
でもなんかフロントノーズがブラバムF-1に似ているね。 >>94
MK22。1977年ルネアルヌーのチャンピオンカーだね。
記事は本来マルティニに用意されていなかったBMW用のエンジンマウント
用のサブフレームを用意ということだからハート420Rが直にマウント
という意味では無いですよ。
(というか近年のことは全然知らないけどフォーミュラーのモノコックに
直接マウントする4気筒エンジンってあるの?) >>96
へぇ〜、'79年のレースをリアルタイムで観て板野? >>96
クズ糞コテは雑誌やテレビやyoutubeからの二次情報を
間違った方向で拡大解釈して広める大嘘つきだからw >>97
なるほど420Rもサブフレームマウントなことに違いはないけど
BMW用とはまた形状が違うと。
F3とかはセミストレスマウントだったりフルストレスマウントだったりが結構多いんですよ。
…確かアルミモノコック末期のラルトで既にそうなってて、カーボンに切り替えた途端に問題が出ましたw。
カーボンモノコックで先発していたダラーラはヘッドカバーを専用の強化品にしてたり
レイナードは補助的にマツダ風クレードル状サブフレームを組んだり…。 当時の欧州F-2ではエルフ/カウーゼン及びマルテイーニはルノーV6を搭載してた筈だけど
遠く離れたJAPANではメインテナンスを考慮してBMW/M12にしたとゆ〜所かな。
つか、
レーシングマシン=ストレスマウント
みたいな決め付けが不思議
F3は市販エンジンベースなんだから
ストレスマウントしちゃってるのが逆に不思議な感じw F3の場合は多分ラルト全盛の時代には
無限ホンダを除いて大抵鋳鉄ブロックだったし「車重が軽くてアルミモノコック」
てことで何とかなる的判断だったんではないかと。
カーボンモノコック時代になると確かに前述のレイナードみたくサブフレーム併用したり
トムスみたいに鋳鉄エンジンでもフルフローティング(同じアンディ・ソーピー作のバンディーメンも同様)
とか出てきます。
でも結局「マウントプレート兼用の補強パーツ用意すればストレスマウントでいけちゃうんじゃね?w」
を採用したダラーラが主流になったせいかその方法で定着しちゃいましたねぇ。 >>101
日本でも1978年まではF2やGCでルノーV6搭載車が走っているけど
あまり好成績を上げていないんだよね。BMWと比べて特にアドバンテージが
なく比較的高価、ルノー自体既にF2から撤退(新規の開発がなく、メンテナ
ンス部品の在庫切れ?)しているなどルノーを使う意味がないといったことが
あったんでしょうね。 フォード系のエンジンも持ち込まれたけど
最終的にはBMWばっかになったもんな(ロータリーはのぞく)
市販エンジンであれだけの性能品質ってのがすごい
限定供給で「売る売るサギ」の糞ホンダとは大違いw
ホンダは本当に大嘘つきのクズ糞メーカー '73年マーチと提携し搭載されたBMW/M12-6は欧州でもJAPANでも
エンジントラブルが続出した。 初期トラブルは糞ホンダにもあったがw
しかも糞ホンダは「2〜3年目には市販します」と言いながら
結局のところ最後まで市販せず
つまりね
市販バージョンで安定した性能品質を出す技術がないんだよw
糞ホンダ ホンダは「無限」と名前を変えて一般にデリバリーされたじゃん。 例えば'70年代F-2が1.6L→2Lに変更になった年、安定したパワーを発揮したのは
コスワースチュ〜ンのBDA、BDF、BDEかサーテイーズのワークスチームに供給されたブライアン.ハートチュ〜ンの
BDA位のモンじゃなかった?。
造るのは台数が出来ても、リビルトになると秘密事項が多かったり、
各チューナーが独自のアイデアを盛り込んだりするので
プライベートのエンジンチューナーには任せられなかったんじゃねぇ〜の?。 >>108
F3000になってね。一般にデリバリーしないと参加不可っていう規定だったっけ。
ていうかいい加減ループだけどw でもOX77って一般売りしたっけ?
元がDFVでヘッドだけの新製だからOKみたいな抜け道規定だったのかしら。 >>111
あ〜そういやそうですねえ。スンマセンウロ覚えですw OX77は5バルブだから欧州F-3000には使用出来無ない規則になったw。 88年にはね。
でも「出さなきゃいけないルール」だったら87年の時点で希望するユーザーには出さなきゃいけなかったことに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています