ガンダムは監督や作画や脚本家自体が変わるから飽きが来ないという仕組み
富野だけにやらしてたら、とっくに終わってる
メカデザインも同じ大河原のモノに安彦がブラッシュアップさせてたから
両方の良さが出て輝いてた

エヴァンゲリオンに関しては、庵野の病んだ感じの精神世界が飽きられて来てる
神話ベースという神秘性も観客が慣れて来ている上に
話が終末期では…辛いものがある

ガンダムは、それまでの敵意の塊、異星人の襲来のような明確な敵と味方ではないからこそ
ドラマが名場面が数多く生まれ
子供の理解できない難解さ、奥深さがエヴァンゲリオンほどではないが
当時の新聞に取り上げられた

エヴァの場合、特にQでは旧知の間柄、元ネルフ関係者同士の内輪揉めに取られてしまう弱さがある
ヴィレは…人類側の、人類補完計画なんぞ不要、このままであろうとする生きようとする姿を見せる必要がある

それが象徴になるはずのヴンダーが初号機をエンジンにし
2号機も8号機も使う
観客から見れば、ゲンドウと代表者のアタマが違うだけで何をしたいのかが描かれていない
目的やヴィジョンが無いから
ヴンダーで艦隊戦ゴッコやりたかっただけに受け取られてしまってる

もうあなたに全てを押し付けなくてもいい、14歳の少年に頼り切る大人ではなく
私達で戦う!それを見せる強い意志が、単なるシンジへの拒絶に見えてしまうのも勿体無い

自分で背中を押してインパクトを引き起こさせた自責の念もあるのだろうが
1分でもいい、その本心をブリッジでみんなの前でミサトが見せていれば、大分変わった

まぁ、拒絶された、初号機は重要で使う価値があるのに自分は必要とされない…
そんなシンジの気持ちがあるからこそ、今度はネルフ側の実情を描く事が可能になり
カヲルへの友情と理解と依存になるのだが…

流れが強引というか押し付け、しかもヴンダーの新キャラ達にも冷たい反感を示された形で
シンジに感情移入してる観客は不快感、違和感が無理矢理に押し付けられた感覚はあると思う