西 竹 一
『硫黄島からの手紙』の主人公である栗林将軍は騎兵科出身でしたね。
「愛馬行進曲」の生みの親だとか。
バロン西さんも同様に馬に対する愛情が人一倍強く、しかも当時の現場指揮官
としては珍しくアメリカ通という事で、お二方共に意気投合したのでしょうかね。
それにしても映画公開の影響からでしょうか、書店の歴史本コーナーに行きますと
硫黄島関連の本が色々と出版されてますね。
何だか聞く所によりますと、栗林将軍やバロン西はもとより、硫黄島の戦闘自体が
日本よりアメリカでの方が知名度が高いとか。。。。
何はともあれ映画の封切りが待ち遠しいです。
売り出すための文句と分かってても、
20分で人間がわかるわけねーだろと文句いいたくなるな。 共産党と公明党にも松本進っているし、もし実名でカキコしてるなら
名無しに戻れよ。つーか、2ちゃんを知らずにこのスレにたどり着いたんじゃ
わかってもらえないか。 漫画だけど、ちょっと読んでみたいス(・ω・ )
『風と踊れ!〜時代を疾走ぬけた男・バロン西〜』原作・二橋進吾 漫画・樹崎聖
ttp://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=18454 (復刊ドットコム) なつかしい。
この漫画でバロン西とウラヌスを知った
子供は多かったんじゃ?!かくいう自分は
その子供たちの1人。 おいらは日テレで(こちらも随分前に)放送されてた『知ってるつもり』
を見て初めて知ったお。
硫黄島出征前にウラヌスとの別れの場面で子供ながらにも涙が出てきた憶えがある。。。
うろ覚えだけど、あの番組では例の投降勧告をそのまま採用してたかな。
それにしても映画の封切りはいよいよ来週の土曜日か。
公開後はこのスレも人が増えたりするんじゃろか。。。
http://kyoto.cool.ne.jp/syasinsyuu/t17.htm
これみると確かに西さんて相当カッコいいですね
男爵家だけあって裕福そうなご家族だなあと思います お金持ちでスポーツできて女にもモテモテで、
それに引き換え俺は、貧乏暇なし彼女無し、
ついでにいうと運痴・・。 >>175
まあ今更だけど、本当だったら70過ぎのご老人ですよ。書き込むだけでも大したものだ。 最近の2chは年齢層が幅広くて楽しいなあ。
50代以上板に旧制高校スレが建ってるけど、
スレ主は一体何歳なんだよw
映画はアメリカ人捕虜を介抱するかなりよい描かれ方しています。
映画では助かっていることになっています。 いよいよ今日から映画公開!
おいらもなるべく早いうちに観に行こうかと思います(`・ω・´) まつもとさまの叔父様にたいする尊敬と愛情を感じました、。
お時間があれば、またきて頂きたいです。 >>映画では助かっていることになっています
なってません 自決です >>179
その後「心優しき勝利者たち」という本で出版されたときには
投降勧告は確証がないに変更されていました。
番組は最後に友人の言葉を紹介して締めくくられました。
その中に「勝利を謙虚に受け取られたあなたを誰もわすれません」と
ありました。
戦争で貴重な人材・才能が失われるのは悲しいことです。 映画はとりあえず 米映画批評会議賞と
LA批評家協会賞の二冠とったどー。
.o゜*。o
/⌒ヽ*゜*
∧_∧ /ヽ )。*o ッパ
(・ω・)丿゛ ̄ ̄' ゜
. ノ/ /
ノ ̄ゝ 820 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2006/12/14(木) 01:12:45 ID:wy2WXMYF
バロン西の子孫(2005年3月17日朝日新聞天声人語)
バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない
。本名を西竹一(たけいち)という。男爵(バロン)の家に生まれ、
昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。軍人として
、満州から転じた硫黄島で戦死した。
「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍
が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が
残る。後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなっ
たのは60年前のきょう3月17日だった。
ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。
黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。
日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さ
かった。曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、「暗く深
い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を
実感できた」と話す。
満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘
を展開した。山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名
高い。士気を高める効果があるのだろう。同時多発テロ級の大難があ
ると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。
「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、
西泰徳さん(77)。満彦君の祖父である。「私たちには死を悼む島
でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」
満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩
年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。 また本名で書き込みます。「名無しで書くように」という忠告に逆らう
つもりはないけれど、名前を書かないで「西は私の伯父です」と書くの
はなんだか無責任なように思ったし、また名前を伏せなければならない
理由もないからです。ここで論争するつもりは全然ありませんのでこれ
は単に独り言と思ってください。 なお私は175さんが書いておられ
たような政党関係の人ではありません。まるで違います。
12月10日の日曜日に「硫黄島からの手紙」を観ました。
伊原剛志さんは西を熱演してくださっていました。役作りに先立って
かなり下調べをなさっただろうということが分かります。感謝します。
まつもとさん映画観てきたんですね。
井原さんはバロン西の役が決まったとき
本当に嬉しかったみたいですから、まじで
取り組んだろうなと思います。
バロンが二部作の中で最もかっこいい役で
嬉しかったです。
どんなことが死者の慰めになるか分から
ないけど、今生きてる我々が硫黄島で亡く
なった人のことを思い出したり、彼らのことを
知ることが、少しでも慰めになればいいなと
思います。願わくば世界中で公開されて
たくさんの人が映画を観ますように。 そういえば
いはらさんは、こんなこと言ってたみたいです。
「私たちは平和に暮らせています・・・本当にご苦労様です
ありがとうございました」
真剣に死者のことを考えた結果、出た言葉だと思います。 おいらは昨日観てきますた。
『硫黄島からの手紙』の中でのバロン西の登場シーンというのは
映画全体の中でも(最期はともかく)清々しいと言いますか何か
爽やかなものを感じさせるものがありましたね。
まあ、映画本来の意図するものとはズレますが、
私の祖父(故人)も騎兵学校出身の軍人でしたので、そういった部分からも
バロン西や栗林将軍に対して(私が言う事ではないのですが)
個人的な思い入れがあって観てました。 栗林中将も騎兵出身だと映画で言ってたけど
騎兵って結構多いんでしょうかね。司馬遼太郎の
坂の上の雲を読んで以来、単純にかっこいい
なあと思ってました。アホですまん。 バロン西を歴史と旅で知り、その後小学生時代に>>177でさらにかっこいい!と思い、
馬術の世界にすすんでしまった私が来ましたよ…
なぜか障碍ではなく、馬場にすすんでしまいましたが。 >>197
当時って騎兵結構多いと思います。
うちの大叔父は近衛騎兵でしたが、近衛騎兵は各年村で1人選出だったらしい。
全国だと1年でも何人だ!!って話です。
だから、騎兵全体だともっと多いはず。 近衛って容姿も必要だったとかいいますし(ほんと?)、
すごいですね! なんだか皆さんすごい親戚や先祖を
お持ちで、ちょっとジェラシーw >198
西大佐のような大障碍飛越まで(しかも金メダリスト)こなせるとなると、
馬場馬術ではセントジョージやグランプリレベルにも値しますので
フラットワークも需要です。頑張ってください!! >>198
古典馬術は軍馬の調教から来ています。
古典馬術から派生したのが今の馬場馬術。
日本の騎兵も上の方の人はカプリオールとか古典馬術やってました。
ぜひ古典馬術習得して下さい。
バロン西の師匠筋にあたる遊佐将軍ですが、この方は
戦後も数回にわたってオリンピックで日本の馬術団を率いていたとは知らなかった。
もっと昔の人かと(勝手に)思ってた。
多分ロス五輪当時のものかと思いましたが、馬術選手団が皆背広を着て遊佐将軍を
先頭にベンチだかどこかで一列に馬乗りになってる写真がありましたね。
何かほのぼのとさせるような、そんな一枚でした。
それにしてもタラレバ論になりますが、戦争で東京オリンピックを返上する事
がなければ、バロン西はホームタウンで間違いなく主役であったろうに。。。 みなさんお詳しいーそうですか、では馬場でも胸を張って西さんの影響で始めましたと言えますね。
>>200
顔は当時と美の基準が違うのでなんとも言えませんが、当時の人にしては長身で足が長かったです。
当時の平均身長だと外来種の馬に乗ると足が短くて不恰好なイメージだから、そういう部分もあるのでしょうか?
>>203
東京オリンピック、やってほしかったですね。
うちの親戚もモントリオール(?東西冷戦でボイコットしたの)に出場がほぼ決まっていたのに、ダメになりました。
4年後にはもうピークをすぎていて、だめでした。
たられば論だけど、本当に戦争っていやですね。なければ西さんも生きていただろうに。 クリントイスウットの映画「日本から見た硫黄島」の中では西さんの役に俳優の伊原剛志さんが演じていました。とっても似合ってたよ >>294さん
私も、ボイコットで、行けなくなった方を知っているのですが、
ひょっとしたら、山梨の方ですか? ウラヌスの体高は181pあったそうですが
これは現在の馬術競技に出場する馬の大きさに比べても相当な大きさなんですかね。 比較の対象にはならんだろうけど、競走馬(サラブレッド)なんかは
160〜170といった具合だからね。 映画スレから〜
ツボヤキ日記★TSUBOYAKI DIARY
硫黄島からの手紙 バロン西
ttp://ameblo.jp/tuboyaki/entry-10020590497.html
ttp://ameblo.jp/tuboyaki/entry-10020592448.html
ttp://ameblo.jp/tuboyaki/entry-10020593391.html
バロン西のスライドショー
ttp://www.youtube.com/watch?v=JgBzRulLQbI&NR むかし見たバロンの漫画、当時は変だと思わず
感動したけど、いま思うと相当にレフティだったよね。
あれは軍人のバロンに対して失礼。 上の方でも紹介されとりますが>>129
ドラマもいくつか制作されてたんですね。
平幹二朗 『永遠の金メダル』(S35)
鶴田浩二 『東芝日曜劇場 栄光の旗』(S40)
現・松本幸四郎『愛した翔んだそして散った』(S55)
ちょっと観てみたい。 映画の話もあるようでつ。
『バロン西(仮題)』
「戦争が終わったら、また、オリンピックがあるかな・・・」
戦前、騎兵中尉時代に“バロン西”の呼び名で世界に広く知られた西竹一の華麗かつ壮絶な人生!
平和の象徴であるオリンピックと戦争で散った命を軸に西竹一の生涯を描く。
2008年全国拡大ロードショー
スタッフ 監督:竹山 洋
製作国:日本/製作:角川ヘラルド映画
原作:城山三郎「昭和の戦争文学 第一巻 硫黄島に死す」(角川書店刊)
配役はどうなるんだろ。 >>213
え、これマジで? ネタだと思ってたから
嬉しいなあ。というわけでおれはもてているよ。
あばよ。 >「戦争が終わったら、また、オリンピックがあるかな・・・」
まぁこの台詞自体、どうかと思うけど竹山センセイだからな。
「としまつ」とか「ホタル」とかの人。
>>212
3つ目のは見たことあるよ。
今の松本幸四郎がまだ市川染五郎だった頃のドラマで、西夫人が大谷直子だった。
このドラマでバロン西の存在を知った。また見たいな。
TUBEの静止画像だけど
バロン 物凄くかっこいいな、というか
デカイ米人から見たら 小柄のプリンスか
男前 連投すまんけど
>>210のリンク先で
>天長節の儀式に皇居遙拝を決してしなかった連隊長
て書いてあるんだけどこれホントなのかね
もしそうだったら男爵の爵位持ってること自体が矛盾してるような・・
「皇居遙拝を決してしなかった連隊長」がホントなら爵位返上してただろうし
学習院も退学してたと思う 今度作られる映画にロス五輪のシーンがあるのであれば
「We won」の台詞は忘れないでもらいたいなあ。 天皇に好意をもってたとしても、
天長節で皇居遙拝って、ちょっと
儀式がかって馬鹿馬鹿しいなあ
とか思ってたのでは。
よう知らんけど。 >>220
「おれはもてているよ。あばよ」もよろしく。 バロン西は少なくとも天皇に親近感を感じていたはずです。彼の妻 武子の
祖父は川村純義で、昭和天皇は生まれた直後から3歳まで麻布の川村邸で川村
純義の手で育てられています。昭和天皇が3才のときに川村純義が亡くなり
天皇は麻布の川村邸を離れました。 朝日新聞なんかは戦前の縮刷版が発行されてるんで
それでロス五輪当時の記事なんかを読むと
バロン西の活躍がよく分かりますね。
ちなみに当時の朝日新聞の幹部だった緒方竹虎と中野正剛は
かなり乗馬に熱中していたとか。 硫黄島からの手紙見てきました。
伊原さんはスマートでカッコよくて、どことなく戦場離れしたような、
それでいて覚悟を決めているような、そんな感じがありました。
ところで、作中で馬が出てきたのですが、戦場に連れて行ったと言うのは
本当なんですか?素人考えだと、餌はどうしたのかな?と思ってしまうの
ですが‥‥ >>226
伊原剛志さんは撮影に入る前に西のお墓にお参りをしています。
西という人物に自分を重ね合わせせようという意気込みは半端な
ものではかったようです。西の遺骨は戻っていないけれどお墓は
あります。 >>226
硫黄島に軍馬がいたのかどうかは、いまいちはっきりせんですよね。
しかしまあ、状況や環境からして連れ来るのは難しかったかな。
それとは別に、戦地でもウラヌスの鬣を大事に持っていたという実際の話がありますが
これは苦難を共にしてきた盟友と常に一緒なんだ、といった心意気や愛情が
伝わってくるような非常に印象深いエピソードですよね。 (唐突になんだけど)
おいらの家に、白い筒に「西竹一君記念」と書かれたものがあり
中身はバロン西の経歴が書かれたものとウラヌスに乗って障害物を
飛び越えてる(A4サイズ程の)写真の複製版が収められとりました。
自分は先に>>196で爺さまの事を書いた者ですが、ひょっとしたら戦後に
勝手な推測だけど、騎兵科出身者の間で配布されたものなのかなあ。
今となっては知る由もない。。。(´・ω・`)
それはさておき、バロン西と栗林将軍は昭和の十年代に
共に馬政関係の部署に配属されているので、もしかしたら
その時点でお互い面識をもったのかもしれない。
映画で西の連隊の副官をしていた大久保中尉は実在の人物でっしゃろか。 懐かしい〜。
実は昔ジャンプで読み切り読んでこの人気になってた。
最近名前がまた聞くようになってきたから
なんか本読みたい。お勧めある? 『オリンポスの使徒』大野芳 著 文芸春秋
『硫黄島に死す』城山三郎 著 角川書店
が代表的かな。
大野さんの本は20年くらい前のものだから図書館でないと読めないかも。 >>226
硫黄島には三頭の軍馬がいたとか読んだ。
けど真偽は知らない。
バロン西のロス五輪での動画や肉声が残ってたらいいんだけどね。
動画の方は『知ってるつもり』で見た記憶がかすかにあるんだけど。 海外ロケどうすんのかね。オリンピックのシーンは大変だと思う>「バロン西(仮)」 専ブラで観てるから知らなかったけど
> 携帯液晶ディスプレイ総合スレ [携帯機種]
> 仙台パチ屋情報スレ その16 [パチンコ店情報]
> 慶應義塾大学理工学部 [大学受験]
誰だw 録画しておいた「栄光の旗」をやっと見た。
全編「どこまで史実???」という感覚がぬぐえなかった……
実際のロス五輪の映像があったのは良かったが。
ウラヌス役の馬が小さすぎたのには「おいおいーっ!」だったな。 ロス五輪で金メダルとった時の映像観たいです!誰か持ってる方いらっしゃったらお願いします! 経歴みると学習院はわかるけど、日比谷高校も当時は
ようは貴族学校だったんだな
西にゆかりのある北海道の町で、特別誌作ったらしい。
100冊限定で関係者のみに配布。
一般の人は図書館で読めるらしい。
・・・遠すぎ。 ほー。映画の方はコケたのかねー。地元の人なら何か知ってそうだが。 ttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/35969.php
北海道新聞より 今月の文藝春秋にバロン西のお子さんが書いたのが出てる この戦争終わったら夜鳴きそば屋でもやるか
って言ってたらしい>>255 夜鳴きそばwやっぱ城山三郎は随分美化して書いてるなぁ 子供も奥さんもおるでよ。奥さん美人。
馬事公苑行ったら写真飾ってあるね。 「硫黄島の決戦」学研M文庫は、西竹一について、わりと客観的に書いていると思う。一読を薦めたい。 まだウィキにも映画化の話載ったままですが、
完全に中止になったのでしょうか?
楽しみにしていたのですが、いつの間にかどこのHPからも消えてしまった。 角川映画の2008ラインナップ発表を待つしか無いんじゃないかなあ
東宝はもう発表したけど他の邦画大手はまだだから 角川映画の会見で「沈まぬ太陽」「大魔神」「妖怪大戦争2」に
ついては、社長から「ぜひ実現したい」と発言があった模様。
「バロン西」は・・って事でしょうな。