西 竹 一
するなら、って言うか映画化決まった。角川映画。
西さんの俳優よりむしろ、乗馬の吹き替えを誰がやるのかが
このスレ的には重要だろうな。 映画化ってマジ?
主演だれよ?
ある程度乗れる俳優がやってほしいな。
鳥肌実は勘弁。
あはははは!馬は白馬だな。
またはウラヌスが硫黄島で大活躍!
orzお願いします。ちゃんと作って下さい。 ウラヌスは象くらいある黒鹿毛。
我が生涯一辺の悔い無し!
といって倒れる西中尉。
orzごめんなさい。ちゃんと作ってください。 ↑スマソ
「自分が恥ずかしくて」が抜けてた
本家のウラヌスもダーレーアラビアンも名馬なんだからさ >>114-118
このような馬名登録を可能にしている日馬連の体制も問題。
裏をかいて、誰か「ディープインパクト」で登録してみろよ。
ダーレーアラビアンは単なる名馬と言うよりも、今や全てのサラブレッドが
こいつの遺伝子を少なからず受け継いでいる、本当の意味の始祖。
(突っ込んでゴメソ)
お勧めの本に
「オリンポスの使徒」という
文芸春秋から出版されているものがあります。
大野芳という方が書かれた本です。
その中に捕虜になった人の持っていた手紙を見て
「どこの国でも人情に変わりはねえな」と
いった場面は泣けました。
ttp://chuspo.chunichi.co.jp/00/hou/20060309/spon____hou_____002.shtml
キャスト不満!!!!
しかも「西竹」役って記者カン違いしてるし >>122
名前間違いは凹むなぁ… 下調べしろよ>記者 伊原って乗馬大丈夫か・・・?
って硫黄島では乗らないか。
しかし、硫黄島に死すの映画はどーなったのだ。 どーかなったんじゃない?ソースのサイトからも消えているし。
個人的には、製作費がハリウッドの10分の1だろうが、
リアリティが多少無かろうが、こういう映画は日本で作って欲しいけどね。 日新館会津撮影所ってのがオープンする。撮影用に訓練された馬100頭だとか。 100頭?!
その中にウラヌス役の馬は何頭いるんだろうか。 いや、ここでロケしたら千葉チャンが西を演じるハメになるw
角川HDの決算短信までには何か情報が出るといいですな。
企画が消えてなきゃ、の話だけど。
戦争メインじゃなくて馬メインの映画でもいい気がする。
なんかNHKでラジオドラマになった事もあるらしいが昔。
西竹一が主人公のTVドラマは既に過去3本制作されていた
平幹二朗 『永遠の金メダル』(S35)
鶴田浩二 『東芝日曜劇場 栄光の旗』(S40)
現・松本幸四郎『愛した翔んだそして散った』(S55) 硫黄島上官の栗林より人気あるのは生き様がドラマチックだからか ハリウッド映画の便乗で年末に西竹一TVドラマ化の予感 おそらく、角川書店が城山三郎の全集を出した時から
映画の企画は上がっていたんだろうけど、イーストウッドが
渡辺謙で60億円くらい掛けて映画撮るとか言い出したんで、
そのあたりから企画が暗礁に乗り上げたんではないかと。
硫黄島に死すの製作費は10億円と映画サイトに出てたし。 だけどイーストウッド作品のメインは栗林、
城山三郎のはあくまでもバロン西が主役
イーストウッドから戦闘シーン流用したら安く済みそう WBとDWの共同製作だっけ、硫黄島からの手紙は。
DWの株は角川HDは既に売っちゃったんだっけ?
ググッてたら、個人サイトで4月の書き込みで
「今年の暮れから来春にかけて、硫黄島からの手紙、硫黄島に死す、
それに石原都知事の映画と戦争映画ブームだ」ってのが
あったんだけど、2ちゃんソースなのかな?
極秘で企画が進行していて業界筋とかならwktkだけど・・。
本当にちゃんと映画化するんだろーなぁ。
映画って撮ってもお蔵入りとかの作品もあるし。
話変わるけど北海道の本別町っていうところの郷土資料館に
軍馬の遺品とかの展示が常設であるらしいよ。
たしかウラヌスの世話をして10年くらい前まで存命だった人もそこの町の人だったから、
西関係のものもあるのかもしれん。 映画からそれて悪いね。西竹一氏のロス五輪のビデオがある。
EQUESTIAN1912〜1992 TheOlympic
DVDはまだ無いよ。〜次々と失権者が出る中、日本の西選手が〜
後は、自分でさがしてご覧下さい。まだ、廃盤になっていません。 情は武士道
と書かれた碑があるという
リバーサイドの具体的な場所をご存知の方!
西さんと直接関係ありませんが
教えてください
昨日、NHKで硫黄島玉砕やってた。
西さんは出てこなかったけど、悲惨な戦場だったというはよくわかったよ・・・。
西さんはどんな気持ちで最後をむかえたんだろう・・・。 みのもんたの番組でやっていた。
泣いた。
こんな人がいたことを知らんかった。 かっこいいね、西さん。
最期までたてがみを大切にしていた
エピソードには泣きそうでした。
人馬一体を見事に体現した
勝利はまさにWe won!
我々は勝った!でしたね。 8月14日の日本TVおもいっきりTVの中の「今日は何の日」
”ロサンゼルス五輪で金メダル獲得”と題して放映されてました。
全く知らなかったのですが、たった10分の物語に感動です。
当時のフィルムで最後の障害を馬の方が機転を利かせて足を
伸ばしているシーンもあって見応えありました。
硫黄島玉砕ではちと目が潤みます;;。
日本人としてもっと知られるべき人物ですねw。
www.eiga.com/bunkatsushin/060815/index.shtml
「硫黄島に死す」映画化続報マルチスマソ 私はこういう欄に書き込んだことはないけれど、今回初めて書き込みます。
この西竹一は私の伯父です。私の母親が西竹一の妻の西武子の妹なんです。
西が戦死したとき私は小学校3年生でした。西が木更津の基地から硫黄島に軍
用機で最後に飛ぶ直前、千葉の私の家に寄っていきました。それきり西は帰って
きませんでした。遺骨も戻っていません >>146
お母さんがバロンの嫁の妹さんなんですかーそれはそれは。
つい先日ヒストリーチャンネルの硫黄島特集でご健在なお姿を拝見して
こんなにカッコいい日本人が当時いたとは・・・と感激して本屋に走ったばかりです。
伯父さんとの思い出とか語ってもらえたら嬉しいですね。
私も映画に関連して興味を持つまで硫黄島戦の知識が殆どありませんでしたが
本や映像などで知れば知るほど、当時の方たちの絶望的な境遇と精神的な苦悩
なんかに琴線が触れまくりです。
兵の命を粗末に扱った軍司令部は今の視点でも当時の視点でもやっぱり最低ですね・・・。 こういう欄でプライベートなことを書くのが適当かどうかわからないのですが、
西竹一には息子が1人、娘が2人いましたが、長女は今年亡くなりました。息子1人と娘1人は存命です。
はいま硫黄島協会の副会長をしているから、西竹一について語るなら彼(私の従兄弟です)ほうが適任でしょう。
西はもともと騎兵だったのですが、第二次世界大戦では騎兵隊は戦車隊に組み替えられ、西は戦車隊長として硫黄島へ行きました。
あんな狭い島の守備に戦車が使えるわけがなく、戦車は全部地下に埋めて砲塔だけを出して要塞代わりに使ったようです。
西の一生が不幸だったのか幸せだったのか私にはわかりません。でも、やり残したことのない人生だったことは確かです。奔放にやりたいことは全部やりました。 西竹一の奔放さの象徴みたいな写真があります。いろいろな本などに載っているから御覧になったことがあるかもしれません。
オープンカーに友人を何人か乗せて、その頭の上を馬で跳んでいます。まあ、あの時代だったからできたことで、今の世の中でこんなことをしたら非難されて大変でしょう。 まつもとさん「バロン西」として「硫黄島に死す」が映画化されるのはご存知? 「硫黄島に死す」はもうずーっと前の城山三郎の作品です。私はあえて読んでいないのです。きっちりと史実を踏まえて書かれているとは思うのですが、やはり小説です。
読んでみて実際に私が子供のころ知っている伯父とどこか違っているのではないかという不安みたいなものがあって、今まで読まないできました。
でも、戦後60年以上経過したいま、そろそろ読んでみようかという気になっています。映画化される話は知っています。封切は来年でしょう。
硫黄島からの手紙楽しみです。12月9日まで待ちきれません!
ラストの評判も凄いいいみたいですよ。
まつもとさんも観にいかれるのでしょうか?
感想とか聴けたらうれしいです。 >>146
スレとは関係ないですが、昨日のイーストウッドの硫黄島映画、
見に行きました。映画のなかで、バロンは素晴らしかったですよ。
どうかあなたの伯父様に祈りをささげることを、お許しください。 >>70
そんな話知らなかったからGoogleで検索したけど、涙がとまらん。 「硫黄島からの手紙」は封切られたらすぐに見ようと思っています。
西は硫黄島に渡るときにオリンピックで乗った馬(ウラヌス)のタテガミを一部切って持って行ったけれど、
そのウラヌスは硫黄島で西が亡くなる直前くらいに、預けられていた世田谷の馬事公苑で死んだと聞いています。 ウラヌスはバロンが亡くなる前に天国へ行ってしまったのですか。
・・ということは、このWikiの記述は書き直した方がいいかな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AB%B9%E4%B8%80
まつもと すすむさん、興味深い話をいくつもどうもありがとうございます。
たてがみ、90年までアメリカにあったんですね(;_;) 上の方でも紹介されとりますが、こないだ初めて
大野芳著『オリンポスの使徒』を図書館で読んだのですが
これなんかはエピソードやなんかも豊富で、それでいて
リアリズムの視点に徹した非常に骨太な伝記ですね。 大野芳氏の「オリンポスの使徒」はもう20年以上前に文芸春秋社から出た本ですが、著者から贈呈されたので私も読みましたよ。前にここに書いた「人の乗ったオープンカーの上を馬で跳んでいる写真」はこの「オリンポスの使徒」にも載っています。
この本に関してはもうちょっと書きたいこともあるのですが、多少私のプライバシーにも触れてくるので、この掲示板の上では控えておきます。
バロン西は戦争にとられなかったらきっと
いかした爺ちゃんになってたんだろうな〜
惜しいことだ。 「戦争にとられなかったら」と言っても伯父(西)は陸軍士官学校を出た職業軍人です。陸軍の騎兵です。だから、召集令状で徴兵されたわけではないんです。
考えようによっては、西は自分の人生の最高の時期に死に時を迎えたようにも思えます。
ドラマチックに生きて、ドラマチックに死んで、遺体も他人の目に触れさせず、死後60年たった今でも多くの人の心の中に生きている。実に西らしい生涯でした。「不幸な一生」とは単純に言えないと私は思っています。
軍人さんの家に生まれたわけでもない私には、そういう考えが
思い付きませんでした(;´д⊂ ゴメンナサイ
そういえばバロンとウラヌスの話を読んでて思い出しました。
私の祖父は獣医学生でした。今の今まで忘れていました。
といっても徴兵が猶予されている間に敗戦になって実戦には
出ませんでした。
もし祖父が生きていたら来月公開の映画を観た後でウラヌスや
バロンの話が一緒にできたんだろうなあと思いますから、ちょっと
残念です。 白馬に乗った名無し様はもしかして竹内さんという方ではありませんか。、 横から失礼しますです。
私の祖母(故人)の父親、曽祖父(予備役軍人・名前の方は失礼致します)に
まで遡りますが、戦前に体育協会の役員をしていたとの事で、ロス五輪に参加しております。
多分そういった関係だと思うのですが、西さんと一緒に写った写真を何かの
本で見たことがあります(他に遊佐幸平氏の姿も確認出来ました)。
ちなみに『オリンポスの使徒』にも、少し登場します。
こういった話はごく最近知ったので、祖母が元気なうちにもっと色々話を聞いて
おけば良かったです... はじめまして、私の祖父も西氏と少し関わりが有るな、思い書き込みしてみます。
祖父は、初めは近衛兵でその後に陸軍騎兵隊で馬術教官をしてました。西氏とは騎兵学校で教官として、一緒に仕事をしていた事もあったそうです。
色々な大会も遊佐氏や西氏や小松崎氏らと行ったそうです。ロス五輪にも行ったと聞いてます。
私が4歳の時に祖父は亡くなっているのでよく分かりませんが、父からそう聞いてます。ウラヌス号は
すごく大きくて荒々しくて、かつ賢い馬だったそうで、乗った事も有ると自慢してたそうです。
ロス五輪の時はその前の五輪がパっとしなかったので、上官から今度の大会で良い成績を残せなかったら、
全員切腹だ〜!てプレッシャーをかけられていた中で優勝したときは泣いたと言っていたそうです。
西氏は、素晴らしい騎手で調教師であったと言ってました。
>まつもとさん
白馬に乗った名無し様とは私のことでしょうか。だとしたら残念
ながら竹内という方のことは存じ上げません。私の祖父母は大正
14年生まれの田舎者で、ふたりとも進学のため上京しました。
ちなみにこの掲示板は無記名で投稿すると自動的に「白馬に
乗った名無し様」という名前が割り当てられますので、名前欄の
横にある「164」などの数字に半角で「>」を2つつけて、「>>164」などと
指定すればいいですよ。知ってらしたら失礼しました。
それにしても、続々とゆかりのある方の子孫があつまってきた( ゚▽゚ )
バロン西とウラヌスのエピソードが色々きけてうれしい。ウラヌスは
やっぱり、大きくて気性が荒かったんですね〜 私は、今回のバロン西の話題が出るまでこの掲示板に書き込みをしたことがなかったので、この掲示板のシステムを全く知りませんでした。
だから「白馬に乗った名無し様」はすべて同一人物だと思っていました。教えていただいて今わかりました。私自身はウラヌスを実際に見たことはありません。ウラヌスは並外れた大きな馬体で、気性が激しく
乗りこなす人がいなくてイタリアで売りに出されていたのを買ったと聞いています。 『硫黄島からの手紙』の主人公である栗林将軍は騎兵科出身でしたね。
「愛馬行進曲」の生みの親だとか。
バロン西さんも同様に馬に対する愛情が人一倍強く、しかも当時の現場指揮官
としては珍しくアメリカ通という事で、お二方共に意気投合したのでしょうかね。
それにしても映画公開の影響からでしょうか、書店の歴史本コーナーに行きますと
硫黄島関連の本が色々と出版されてますね。
何だか聞く所によりますと、栗林将軍やバロン西はもとより、硫黄島の戦闘自体が
日本よりアメリカでの方が知名度が高いとか。。。。
何はともあれ映画の封切りが待ち遠しいです。
売り出すための文句と分かってても、
20分で人間がわかるわけねーだろと文句いいたくなるな。 共産党と公明党にも松本進っているし、もし実名でカキコしてるなら
名無しに戻れよ。つーか、2ちゃんを知らずにこのスレにたどり着いたんじゃ
わかってもらえないか。 漫画だけど、ちょっと読んでみたいス(・ω・ )
『風と踊れ!〜時代を疾走ぬけた男・バロン西〜』原作・二橋進吾 漫画・樹崎聖
ttp://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=18454 (復刊ドットコム) なつかしい。
この漫画でバロン西とウラヌスを知った
子供は多かったんじゃ?!かくいう自分は
その子供たちの1人。 おいらは日テレで(こちらも随分前に)放送されてた『知ってるつもり』
を見て初めて知ったお。
硫黄島出征前にウラヌスとの別れの場面で子供ながらにも涙が出てきた憶えがある。。。
うろ覚えだけど、あの番組では例の投降勧告をそのまま採用してたかな。
それにしても映画の封切りはいよいよ来週の土曜日か。
公開後はこのスレも人が増えたりするんじゃろか。。。
http://kyoto.cool.ne.jp/syasinsyuu/t17.htm
これみると確かに西さんて相当カッコいいですね
男爵家だけあって裕福そうなご家族だなあと思います お金持ちでスポーツできて女にもモテモテで、
それに引き換え俺は、貧乏暇なし彼女無し、
ついでにいうと運痴・・。 >>175
まあ今更だけど、本当だったら70過ぎのご老人ですよ。書き込むだけでも大したものだ。 最近の2chは年齢層が幅広くて楽しいなあ。
50代以上板に旧制高校スレが建ってるけど、
スレ主は一体何歳なんだよw
映画はアメリカ人捕虜を介抱するかなりよい描かれ方しています。
映画では助かっていることになっています。 いよいよ今日から映画公開!
おいらもなるべく早いうちに観に行こうかと思います(`・ω・´) まつもとさまの叔父様にたいする尊敬と愛情を感じました、。
お時間があれば、またきて頂きたいです。 >>映画では助かっていることになっています
なってません 自決です >>179
その後「心優しき勝利者たち」という本で出版されたときには
投降勧告は確証がないに変更されていました。
番組は最後に友人の言葉を紹介して締めくくられました。
その中に「勝利を謙虚に受け取られたあなたを誰もわすれません」と
ありました。
戦争で貴重な人材・才能が失われるのは悲しいことです。 映画はとりあえず 米映画批評会議賞と
LA批評家協会賞の二冠とったどー。
.o゜*。o
/⌒ヽ*゜*
∧_∧ /ヽ )。*o ッパ
(・ω・)丿゛ ̄ ̄' ゜
. ノ/ /
ノ ̄ゝ 820 名前:名無シネマ@上映中[] 投稿日:2006/12/14(木) 01:12:45 ID:wy2WXMYF
バロン西の子孫(2005年3月17日朝日新聞天声人語)
バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない
。本名を西竹一(たけいち)という。男爵(バロン)の家に生まれ、
昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。軍人として
、満州から転じた硫黄島で戦死した。
「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍
が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が
残る。後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなっ
たのは60年前のきょう3月17日だった。
ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。
黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。
日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さ
かった。曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、「暗く深
い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を
実感できた」と話す。
満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘
を展開した。山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名
高い。士気を高める効果があるのだろう。同時多発テロ級の大難があ
ると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。
「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、
西泰徳さん(77)。満彦君の祖父である。「私たちには死を悼む島
でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」
満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩
年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。 また本名で書き込みます。「名無しで書くように」という忠告に逆らう
つもりはないけれど、名前を書かないで「西は私の伯父です」と書くの
はなんだか無責任なように思ったし、また名前を伏せなければならない
理由もないからです。ここで論争するつもりは全然ありませんのでこれ
は単に独り言と思ってください。 なお私は175さんが書いておられ
たような政党関係の人ではありません。まるで違います。
12月10日の日曜日に「硫黄島からの手紙」を観ました。
伊原剛志さんは西を熱演してくださっていました。役作りに先立って
かなり下調べをなさっただろうということが分かります。感謝します。
まつもとさん映画観てきたんですね。
井原さんはバロン西の役が決まったとき
本当に嬉しかったみたいですから、まじで
取り組んだろうなと思います。
バロンが二部作の中で最もかっこいい役で
嬉しかったです。
どんなことが死者の慰めになるか分から
ないけど、今生きてる我々が硫黄島で亡く
なった人のことを思い出したり、彼らのことを
知ることが、少しでも慰めになればいいなと
思います。願わくば世界中で公開されて
たくさんの人が映画を観ますように。 そういえば
いはらさんは、こんなこと言ってたみたいです。
「私たちは平和に暮らせています・・・本当にご苦労様です
ありがとうございました」
真剣に死者のことを考えた結果、出た言葉だと思います。 おいらは昨日観てきますた。
『硫黄島からの手紙』の中でのバロン西の登場シーンというのは
映画全体の中でも(最期はともかく)清々しいと言いますか何か
爽やかなものを感じさせるものがありましたね。
まあ、映画本来の意図するものとはズレますが、
私の祖父(故人)も騎兵学校出身の軍人でしたので、そういった部分からも
バロン西や栗林将軍に対して(私が言う事ではないのですが)
個人的な思い入れがあって観てました。 栗林中将も騎兵出身だと映画で言ってたけど
騎兵って結構多いんでしょうかね。司馬遼太郎の
坂の上の雲を読んで以来、単純にかっこいい
なあと思ってました。アホですまん。 バロン西を歴史と旅で知り、その後小学生時代に>>177でさらにかっこいい!と思い、
馬術の世界にすすんでしまった私が来ましたよ…
なぜか障碍ではなく、馬場にすすんでしまいましたが。 >>197
当時って騎兵結構多いと思います。
うちの大叔父は近衛騎兵でしたが、近衛騎兵は各年村で1人選出だったらしい。
全国だと1年でも何人だ!!って話です。
だから、騎兵全体だともっと多いはず。 近衛って容姿も必要だったとかいいますし(ほんと?)、
すごいですね! なんだか皆さんすごい親戚や先祖を
お持ちで、ちょっとジェラシーw