優劣になど昔から興味はない。
要は必要と冗長性だ。
当然ながら両者の境に優劣など存在しない。
だがイエス・キリストは、我先に癒しを乞うものどもの中で、
弱弱しく裾を握った者どもにまず施しを与えた。
其処に信仰の深さを感じ取ったのだろう。
此処に両者の境がある。
馬鹿が声高に主張し、賢者が耐え忍ぶ。
まさか2000有余年が過ぎてもこの構図が変わらんとは、
恐らくキリストも想定してなかったかも知れんな。

ああ、とっくの昔に忘れていたんだが、馬鹿犬作教創価信者どもは悉く前者だ。
モグラ叩きの要領さえ覚えて居ればあんなもん訳も無い。
まあ、あいつらは殊の外しつこいんだがね。
どれだけ暇人なんだか、余所でやれよ、馬鹿が。