>>427
昔もちつきに行ったら身体をさわりまくってきた男の人たちがいて
いい筋肉しているっていわれたが、かなりあとから知ったが楯の会の人たちだった。
みなそれを隠していきているので知りようもなかったのだが。

餅を食ったあとに会社にかえって資料を整理していたら、
たまたま三島の生首の写真を見つけた、生首は、まるで風呂あがりでさっぱりしたような顔していた。

彼は叡智に「頭を落とすこと」っていわれたかもしれないが、
「頭を落とす」とはそいうことではない。

「思考」だ、
これを生み出す過去の知識や伝統の一切を落とさないといけない。

人間が蓄えた知識一切が消えると、
知識が消えたそこに本来のものがある。それが美であり叡智だ。

過去すべての死が、
美であり不死であり本当の生命なのであり至福であり存在するものでありどこまでも境なく充満する無限のものであり
それは行為の源泉であるので決して知り得ることができない。知識になりようがないのだ。未知である。

国家には支配や服従という暴力行為そのものと、あれとこれに分け続ける分断はあっても、美は無い。
それは暴力の為に、道徳や教えを必要とするのであって、道徳も秩序もいくらつくったところでありえないのだ。