総務省の2017年の家計調査で1世帯当たりの年間購入額が日本一だった納豆の大消費地・福島市で、地元での納豆の製造が危機にひんしている。

 江戸時代からの歴史を持つ老舗が6月で生産を終了し、生協系の1業者のみになったのだ。

 東京電力福島第1原発事故で体力を奪われ、県外大手に対し劣勢を強いられたことも背景となった。【宮崎稔樹】

 6月28日夕、福島市荒町の「大文字屋本店」。納豆を発酵させる「室(むろ)」と呼ばれる作業部屋には空のケースが積まれていた。

 1865年から続けてきた納豆の製造は前日で終わり、50年以上使ってきた豆を蒸す釜やパック詰めの機械も止まったままだ。

 5代目の斎藤一久社長は「できれば続けたかった」とつぶやいた。

 親族で納豆とこんにゃくを製造してきた。卸先は市内のスーパーや旅館が中心。

 約10種類を製造し、やわらかめの食感や、経木(きょうぎ)という薄い木の皮で包んだ製品が「昔ながらでいい」と人気だった。

 だが、原発事故後は風評もあって売り上げが半減した。販路の約1割を占めた飯舘村が一時全村避難を強いられ、取引先の小売店が休業したのも響いた。

 手間ひまかけて1日2000食を生産し、1食100〜130円。大量生産し、輸送技術の向上で販路を広げてきた県外の大手企業の商品と同じ棚に並ぶと価格で見劣りした。

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http://mainichi.jp/articles/20180701/k00/00e/040/135000c