【ありがたいお言葉】

どんな教授法にも利点と欠点がある。特に欠点を十分に理解していないと思わぬ落とし穴にとらわれてしまう。特に文型積み上げ式の場合、その落とし穴に落ちやすい。
まず文型を教え「その文型を使って会話をする」みたいなのがスタンダードだが、よくよく考えてみればこれは大変おかしなことだ。

初級の前半では重要な練習だと思うが、後半辺りからは脱却したい。なぜならこれは単なる例文作成だからだ。普通の例文作成との違いはノートに書くか否か。質問文を作ればやり取り出来るが、やはり本来のやり取りとは違う。別に例文作成が悪いと言っているのではない。例文作成大いにけっこう。

しかし例文作成であるものを会話練習だと思っていると痛い目に遭う。特に初級後半から顕著になる症状。勉強しても使えない、いつ使えばいいかがわからないという例のヤツ。

だから「言葉のやり取り」が欠かせない。これは文型積み上げ式の時だけではない。「言葉のやり取り」というのは’教科書や教師が準備した疑似会話のことではない。本当に伝えたい事、本当に知りたい事、本当に感じた事を言葉にすること。だからその日に学習したことが入っていなくてもいい。