だからパワハラ論議では立場が上であることを嵩にきて人格を踏みにじるってことを強調するんだが
確かにそういうところはあったんだろうがそれが全てでもなかったし
全く耐えられない許容不可能なものでもなかったし理不尽への耐性が上がったのも事実。
今起こっている糾弾沙汰はそういう弊害への恨みを歯止めなく増幅したもので
未熟な人格を未熟なまま他人に認めさせることを強要する大義名分として使われており
そういう抑圧を受け入れるにせよ立ち向かうにせよ本来あるべき壁の存在を意識できなければ
どんな自由もただ楽なだけの手応えのない空気のようなものになる。
目上の者に絶対服従すべきと言っているわけではなくそれなりの抑圧はあって当然ということ。
強制されないというのは放っておかれるということでもあるので自分で自分を奮い起こすしかなく
それができる人間だけが生き残れる社会ということになる。