私が誰でもないとあなたは反応に困ってしまうので、
これはインチキ教祖であると自分の脳に呼びかけているだけである。
それ以後の応答は、いじめだろうが残酷なことだろうが過去の反応に従って機械的にあなたは行う。
過去はこうだったので、いまもこうすべであると

脳ははじめに結論を置き、それ以降はなにもみていないのだ。
結論がはじめにあるとき、どんなに残酷なことをしていても脳はそれが残酷だと気づくことができない。
疑いに疑っても結論など先に持たないことである。

誰かに遭ったら、
これは誰でもない俺も誰でないと、困ってしまえばいい。
困ったそこには自由があるだろう。