それ、保護者や子どもたちの本音を聞くと喜んでないかもだぞ?w
チームで対応って言えば聞こえはいいが、それだけ担任との距離が遠くなるってことだからな
責任の所在を曖昧にして、何か言われた時に学年で決まってるからとか学校の方針だからとか誤魔化すには非常に便利だがw
俺が前に勤めていた学校も組織だチームだ言って担任が全面に出ないスタイルだったが、保護者はみんな嫌がってた。
曰く、学校との距離を感じる。担任がすぐに逃げる。すぐに複数で対応されるから威圧感がある。
もっと話がしたいのに、何か言うと警戒されてすぐに管理職が出てくる。学校に情がなく冷たい感じがする。
すぐに組織で対応してくるから(面倒臭くなるから)何も言えなくなる。とか言ってた。
先生達が本当は何を考えてるのか分からない。話しやすい先生は直ぐに異動していってしまうとも言ってたな。
とりあえず、意見を封じ込めたり距離感を遠ざけたりするには効果的なシステムだったとは思う。
担任の負担が少なくなるというのもある意味確かかも。
問題のある児童を複数で封じ込める効果もある。
ただ、保護者との本当の意味での信頼関係は築けないし、子どもの本当の意味での変容や成長は難しいのではないかな?
自分の人生を振り返って考えてみると、自分が本当の意味で変容したり成長したりした時には、そこに必ず≪“恩師となる人との出会い”≫があった。
『この人みたいになりたい』とか『この人の為なら頑張れる』、そんなふうに感じられる人との共に過ごした時間があったと思う。
小学校の段階では感動とか涙とか記憶に残るような体験をたくさん積ませる事が大切だと思う。それが人生の土台となり可能性の芽となる。 教育は子どもたちの心に種まく仕事。そういう意識は前の職場にはなかったな。
子どもたちが更正して卒業してった…
随分と上から目線なんだなw
まるで少年院みたいだ。
もしかしてそれは教育と言えるものではなくて、“自分にとって都合の良い子”を強引に製造しているだけって可能性はないのかね?