自分は論文の査読とやらをしていて、他人の査読はしなかった向山。
 大卒風情が大学の先生になるには査読論文の数だという常識も知らなかった。
 周囲が三太夫ばかりで宇佐美寛からも明治図書からも見捨てられた。