科学技術で未来を描け(下)
黒川清 政策研究大学院大学名誉教授 独立した研究者育成を
2018/1/15付 日本経済新聞 朝刊
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 日本の凋落は、裏返せば中国や欧米諸国の躍進、前進である。グローバル化の進展やIT(情報技術)の飛躍的進歩、新しい
研究分野の多彩な広がりなど、この10年で世界は急速に変貌した。
 欧米やアジアの有力大学は、そうした変化に対応して魅力ある研究の場を整え、世界中から意欲ある教員、若者を引き付けている。
他方、日本の大学は旧態依然、かつての“成功モデル”の維持にきゅうきゅうとするのみである。凋落は日本の大学が持つ構造的、
歴史的な要因に起因するといわざるをえない。
 明治政府は、ドイツの大学の講座制を採用して日本の高等教育の構築を図った。教育と研究を一体的に進める講座制によって、
新国家の学術レベルは飛躍的に向上した。
 だが、この制度は講座の主である教授を頂点とする権威主義的なヒエラルキーを形成し、自由闊達な研究の足かせとなる問題を
はらんでいた。そこでドイツは同じ大学・講座の助教授は、そこの教授になれない制度を取り入れていた。大学でのキャリアを
求めるならば独立した研究者として新天地で羽ばたくという哲学を持っていたからだ。
 ところが、日本はドイツの大学の「形」は取り入れたものの、独立した個人としての研究者を目指すという「精神」の方は
置き去りにした。
 その結果、日本の大学現場には旧態依然とした“家元制度”が大手を振ってまかり通ることになった。教授という権威の下で、
学生や若手研究者らは全員がその徒弟であり、教授の手足となって研究し教授の共著者として論文を書く。研究は教授の下請けの
域を出ず、多くは教授の業績となる。大学には東大を頂点としたヒエラルキーが存在し、大学院重点化で狭いタコツボがさらに
狭く窮屈になった。徹底したタテ社会の論理である。
(続く)