>>113
深くかかわった人間、浅く関わった人間含めての数字なんですよー
だから当然ながら偏ったものの見方をしてる可能性が高いのです。
"だから人に教師や塗装工が底辺だというのは世間一般で認知される事実です。"
等と、のたまう気はさらさら無いのですよー
あくまでも僕の感想であり印象なのですよー
僕の尊敬する人間についてのざっくりとした評価を述べておきます。
当然人は感情という数値化されにくい概念を持つ生き物であり、脳という
コンピューターよりもはるかに高度な情報処理システムを持つ生き物ですから
ざっくりとした僕の他人を評価する基準であることは前提として捉えといて下さい。
WARM HEART COOL HEAD の人間をまず尊敬しますねー。これで2/3ぐらいでしょうか?
それと自分が出来ないことを出来る人間を尊敬しますねー。これで1/3ぐらいでしょうか?
当然あなたの仰るように浅くつきあってる人であればあるほど、その人間を間違って
評価してる可能性は高いのでしょうねー。
しかし僕はあなたが塗装工と接したこともないのに、なぜ塗装工について素晴らしい人
と素晴らしくないない人がいて、全般に素晴らしいと発言できるのか腑に落ちません。
そこの感想を出すプロセスにおいて、あなたの脳内だけでイマジネーション補正をされて
いるという認識でいいのでしょうか?
僕は逆説的ですがそれこそが、二重に差別的な行為であるとお見受けするのです。
例え少ない情報で偏っていれども自分のその時々の状態で物事を判断するのが結果的に
は、一見差別的ではあるが、相対的には差別意識の少ない物の見方なのではという
考え方をするのでありますよー。
人間というのは選択する同列のカテゴリーがある時に、"物事に優劣をつける性質"があります。
だから"判断する"というプロセスを出来るわけです。
その判断の仕方はマチマチです。
環境や遺伝によっても変化することなのです。
しかし"物事に優劣をつける"性質があるというのは人間の共通項です。
つまり脳内イマジネーションで同一カテゴリーの物事を評価をするという作業が入ると、相対
的な優劣(順位付け)が入れ替わるわけです。
すると入れ替わられて本来の評価よりも下に来た概念というにはまさに差別を受けてると
言えるのではないんでしょうか?