>>168
>有料携帯サイトの悩み相談や教育と関係のない怪しげな建設会社のPRをやったり
>してたから、学校関係者から批判が出た、それで逆ギレして辞めた。
>辞めるときにはちゃっかり、横浜市教育委員の座をゲトしてね。
>熱血教師だったというのも、テレビの前だけだったのかもしれない。

怪しげな建設会社のPRをしたり、熱血教師振りがテレビの前だけだったのは事実としても、
学校関係者から批判が出た直接の原因は違います。

高所得を誇る印税のために、自分が次に出そうとしていた著作に、学校内の色々なデリケートな問題を抱えていた生徒や
その親のことを実名でプライバシー侵害甚だしく書いていたからであり(もちろん無断で)、
それを止めようとした他の教師と大喧嘩になって、「言論の自由だ」と怒鳴り散らして自分でキレて辞めていったものです。

教師の情熱を語る弁は、他の北星余市校教員なら誰でも持っているもので、
単にその受け売りに過ぎません。

マスコミに大々的に取り上げられて天狗になったのが一因かもしれません。共産党員だったかどうかは知りませんが、
私学教員組合(全教系)はそっちの方向で、戦争反対、民主教育弾圧反対、正義の教育をするという立場を、彼もその当時は
取っていたようです。

周りのサポートが外れてから、たがが外れたように彼は暴走しました。横浜教育委員会に入ってから変容した、
という恩師安達氏の言葉もそこから考えると納得できます。

実態は、信念など無く、単なるイエスマンに過ぎなかったのだと思います。
周囲にあわせて態度をころころ変えるカメレオンであると考えると
世渡りが上手なのだと思います。

教育再生の道については、何の好転も期待しないほうがよいでしょう。