食と放射能 極端な安心希求は問題だ

2011.10.28 03:07 [主張]

放射能と食の安全に対する国の取り組みの第一歩が動き出した。内閣府の食品安全委
員会が27日、厚生労働大臣に行った答申である。
要約すれば「人体に悪影響が表れるのは、生涯におおよそ100ミリシーベルト以上
の放射線を被曝(ひばく)した場合」という内容だ。
この答申に基づいて厚労省は、飲料水や野菜類、肉・卵・魚類といった食品に含まれ
るセシウムなどの摂取制限の基準値を決める作業に着手する。
目安は現在も存在しているが、福島第1原子力発電所の事故を受けて急遽(きゅうき
ょ)、設定した暫定的な基準値だ。これを正式の基準に改めるための諮問を受けた食
品安全委員会が世界中の研究論文を精査して到達した結果が、「生涯100ミリシー
ベルト」という数値なのだ。
だが、あまりにも漠としている。これだけを出発点として国民の納得がいく新基準値
の設定は可能だろうか。大いに疑問だ。
そもそも100ミリシーベルトは、広島・長崎に投下された原爆による集中的な被曝
による線量だ。一気に浴びるのと、少しずつ浴びるのでは当然、影響は異なるはずだ。
インドには、大地からの自然放射線で生涯の被曝線量が500ミリシーベルトに達す
る地域もあるが、住民の健康に影響はみられない。
その一方で、ごく低い線量の放射線でも健康に影響があるとする根強い考えが存在す
る。
要するに、理にかなった結論を導くに足る科学的データが不足していることによる不
確実性なのだ。不幸な戦争や事故時にしか有効なデータが得られない以上、やむを得
ないことである。
食品安全委員会が答申を出すにあたっては、国民の混乱につながりかねない不手際も
みられたが、その一因は、信頼のおける研究事例の世界規模での少なさだ。
不明な要素が多い場合は、安全側に立って判断するのが常道だ。しかし、極端な安心
希求は、かえってデメリットを多くする。消費者は神経をすり減らし、生産者は流通
の不振に苦しめられることなどが、その一例であろう。
具体的な基準値の設定に取りかかる厚労省には、その意識を強く持ってもらいたい。
当面は現行の暫定値を用い、除染が一段落してから新基準値の適用に移行するのも混
乱防止の一策ではないか。
国民への説明技術に磨きをかける一層の努力も必要だ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111028/dst11102803080001-n1.htm