河北新報:社説 2008年6月23日

路線変更を確かなものに/国が医師数増員へ
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2008/sha20080623.html

 本県など全国の医師不足問題を受け、中長期の医療の在り方を検討してきた厚労省は「安心と希望の医療確保ビジョン」をまとめ、
地域や診療科で偏っている医師の現状を改善するとして、医師養成数の抑制方針を転換した。
 国は、1982年以降で初めて医師総数が不足していると判断、ビジョンに医師数の増員を盛り込んだ。
 さらに、地方の医師不足の一因ともなった、若手医師が自由に研修先を選べる卒後臨床研修制度の見直しなども盛った。
2004年から義務化された同制度を改善する方向だ。
 医療破たんへと急速に向かう地方の窮状が、国の大きな方針転換につながった。だが、今回の路線変更が財政的な裏付けをもち、
具体的に動くのは今後だ。さらに、増員後の医師が、医療現場で十分に動きだすまでには、10年以上の時間を必要とする。
新たな制度が実効を上げるまでには、相当なタイムラグがある。
 国の方針転換を評価するが、遅い対応だったといわざるを得ない。国の将来展望と現状認識が極めて甘かったことは否定できない。
 人口減少や医師過剰の予測などを基本にした、82年の医師数抑制の閣議決定や、同じく九七年の抑制維持は、結果として、
医療の確保という社会保障の前提を崩していった。
 背景には、予測を超える高齢化の進展と、福祉分野における医療や医師需要の拡大があったとされる。
 国には今後、地方の声に耳を傾け、現実を直視し、スピードある政策運用を図ることを求めたい。今回の国の路線変更が
確かなものになっていくよう、注視する必要がある。
 本県を見れば、弘大医学部が、県内自治体病院に紹介してきた医師が、病院を離れる動きが顕在化した。医師不足の現実に直面し、
県民は落胆し、大学自身もまた、一部で厳しい状況に陥っていた。
 06年11月、本県を含め全国で医療過疎が深刻化する中、弘大医学部卒の医学博士・熊坂義裕氏(宮古市長)は本紙で
「医師不足は国策の誤り」と論じた。
 すなわち、04年からの卒後臨床研修制度で、研修医の半数が大都市へ流れて偏在化し、さらに都会の病院でも医師不足が目立つようになった。
高齢化や生活習慣病の増加などで疾病構造が激変し、医師の需要が大幅に高まっているにもかかわらず、国は二十数年、
医学部の定員を抑制してきた。そう主張した。
 国の医師数抑制の背景には、医師数増加によって、医療費が膨張する懸念があったとされる。
 佐藤敬弘大大学院医学研究科長は本紙で、今回の方針転換が国の医療費抑制策の見直しに直結するかどうかに注目するとし、
医学部定員削減は、医療費膨張が国のマイナスになるという「医療費亡国論」に基づくものだった、と指摘した。
 医師不足によって、医師の過重勤務が指摘され、勤務医の過労死も社会問題化した。国の緊急医師確保対策を受けて、
弘大医学部も定員を増員、「地域枠」に充当するなどしてきた。
 地方に医師を増やし、維持する処方せんとは何か。国は速やかに、路線変更の肉付けを急ぐべきだ。