あなたが昔いた写植屋さん 6社目!
>>476
横からでアレだけど、これくらい分かるだろ。。。 取り敢えず打っといた。誤植があったらまたバラ打ち頼んでね。
ってことかな? 曙橋にあったDNPアートの仕事してた
アドピエロはご存知かな? 暇になってくると、猫なで声で、【この前のあの仕事、やったげるから持ってらっしゃいよ】
繁忙期になると【この時期にそんな仕事かぁ、3日後に取りに来い!】だってさ。 俺が昔いた写植屋さんは今はDTP屋さんになってるらしい 写植屋は印刷工程の中でも一番責任が無い職種
製版 印刷はミス事故ミスペナルティが 発生する事が多い デザイン屋が口座を作るのが難しい企業に、
当時は売り手市場だった写植屋として入り込んで、
デザイン屋に転向して、伸びている写植屋があった。
でも写植オペはデザじゃないから、衰退して行った。 >>488
誤植は責任転嫁できるからな、校正者に。 みんなアノ頃は幾ら貰ってたの?
例えば平成元年とか。
ひたすら儲かってたよね。 元号改元で大儲けだったアノ年を。
ホントにその時、業界いたのか?w
まあ22歳だとしてもう52歳の筈なので、ゆとり世代には理解は無理か。 超儲かってたろw
平成元年。
翌年のイラクのクゥェート侵攻まで。
IGASの時、JAGATのパーティーの司会はフジテレビの八木亜希子だったなあ。
元号改元
→印刷物が全部入れ変わる
→印刷業界が真っ先に儲かる
→不動産・ゴルフ権買いまくる
単純な構図だよ。
今は物流はほとんど伝票レスだが、昔は手書きの複写伝票だったからなあ。
4枚複写の日付欄の「平成」は結構大事。
とにかく凄かったわw
PC9801→写研SAPTRON-Gimmy出力可能な編集ソフト「秀嶺レベル3」を売ってたんだが、
写研サザンナがOPフォント込みで800万、
サイバートが1,000万超えだった時に
( http://ryougetsu.net/sayounara2.html )
300Dpiゲラ出しプリンタ込みで300万だったから、営業1人で年間100本とかフツーに売れてた。
ただ無借金経営をうたっていた会社が、銀行から借金を始めて営業所がドンドン増えて行くので、固定費増が怖くなって辞めた。
ただ今は当時PCやらせてくれた社長に感謝だな。
あれからまあまあ上手く行ったから。 なぜ、モテる男とモテない男が存在するのか?
http://pata.cocotte.jp/hiketu.htm
モテない男の特徴
チビ・ブサイク・デブ・ハゲ・ダサいファッション・低学歴・低収入・非正社員・口下手・運動音痴・清潔感がない・性格が暗い・優柔不断
モテる男の特徴
イケメン・高身長・ファッションセンス良し・高学歴・高収入・一流企業・公務員・コミュニケーション能力が高い・スポーツマン・爽やかな笑顔・
明るい性格・やさしい・面白い・頼りがいがある 所詮人間は1が見た目、2が金、内面なんてものは後回し >>496
当時、パボKYを買って、慣れてさて稼ごうかなという頃になって、
仕事がなくなった。 写植機ナシの版下屋さんとかいたね。
TBSのダイコー企画みたいにポジだけ作る会社もあった。 この業界って性格悪いの多かったな。
写植屋、写研、富士フィルム。
特権か何かのよーな振る舞いが。
早めにPC使い始めたから90年代中頃に IT業界に行ったら、この業界ゴミに見えたわw 元号が平成になった時と、電話番号が一桁増えた時の稼ぎが凄かったわ 平成バブルに沸いた30年前。
今回は陛下の記者会見の時にすかさず凸版とDNPの株買ったが、
まあ一時上がって頭打ち。
一昨年売り払ったわw リスマチックが会社の裏にあったのに出力機は買わんでしょw
とっくにバブル弾けてる平成3年に買うわけないでしょw 秀嶺のおかげでキーパンチ出来たのと多少のコーディング覚えたので、印刷製版業界に早々に見切りを付けて、90年代の半ばにインターンシップ契約から社員採用ルートで外資超大手ソフトウェアに入って9年仕事した。
日本の職場で一番使われてるブラウザ作ってるメーカーだから退職後も数回転職して稼がせて貰ったよ。
住宅ローンも4年前に終わった。
5年前だったか三田線の千石のみずほ総研に仕事で行ったら白山通りの向かいの雑居ビルの2階に秀嶺売ってた当時の会社のロゴを見つけた。
懐かしくなって行ったんだが社長に「会いたくない」と言われちまったよ。
この業界の人達は栄光からの挫折の傷が相当深いんだなと思われる。 昔、現像液だか定着液だかの廃液を処理してもらう話があったが、
お金をもらえたの?
下水汚染対策だったと思うが、個人経営の写植屋は対象外だったのかな。 久々に現像液と定着液の在庫が切れて慌てる夢を見た
もう20年以上も前に転職しているのに 現像液は劣化して印字に支障をきたすが、定着液は使い古しでもOKじゃん。
廃業近くなると、結晶ができるまで使ったものだ。 小石川の全林野会館、代理店・デザイン屋・写植屋が入ってたな
あれはグループ会社だったのかね >>516
昔、製版 & フィニッシュワーク機材 ・材料会社に勤めてたんだが。
会社で夜8時くらいに仕事終わってビール飲んでたら、キチガイみたいに喚いて電話掛かって来た。
普段は写研やTOOやレターやプロ資から買ってるクセに「現像液、今日持って来たら、今後お前のとこからずっと買う」とか抜かして。
飲酒運転で配達したが、以後は音沙汰無し。
おまけにスポットの伝票取引で支払いは集金5回目でやっと。
で、半年後、懲りずにまた同じ電話。
「はーい、すぐにお届けしますよー」
行くわけねーしw
夜の11時過ぎまで催促の電話で。
そのまま飲んでて「あー、すみません。もう配達(出前)はとっくに出ましたんで」でと何度も答えて飲酒運転で帰ったw 写研とモリサワの両刀使いだったがもはや何の価値もない
結婚したタイミングで業界からもサヨナラした 今のコロナに比べたらバブル崩壊なんざスローだったわな 版下で業界入った時に、写植の先輩が鬼のように威張ってた
こっちがそこそこのモテ顔だったせいか目の敵にされてたなあ
先輩が狙ってた女の子と仲良くしてたら「社内恋愛は絶対禁止だぞ」って言われて
こっちも社会人なりたてだったから、あーそういうものかって思って
その後先輩、その子に告白して思い切り振られて
その腹いせだろうけど、その後さらに俺への当たりが強くなってたわ
会社潰れて
転職先でデザインも覚えてもらいたいって事で勉強させてもらって
そこにいる間にアナログからMacへの移行を体験して
今は独立してデザインの仕事で食っていけてる
その先輩は写植の仕事が無くなり、
新潟の実家帰って家業の酒屋継いで、店潰したって聞いた
あの人間性で客商売ムリだろって当時の同僚達と久々に飲んで笑った 写研の出力センター兼ねて写植屋やってたところ
午後8時半まで営業の案内
午後7時頃にデータ渡すともっと早くデータ持って来いと文句を言う
出力担当者は社長の姉妹のババアだから苦情言っても改善されない
他社が年末に出力依頼した時も、年末年始の案内配ってきて営業してるはずの日に余裕持って依頼したのにすでに会社休んで閉めてて、他社の人、隣の県までデータ持って走って出力してもらったと言ってた 世間が土曜休み導入し始めてるのに土曜休み無し
それでもきついのに日曜は朝8時に会社に集合して社員みんなで日帰り旅行へ行くと
費用も会社負担じゃ無く1人5000円必要
参加拒否したら協調性無いとかボロクソ言われた
金もらっても行きたくないのに金払ってまでなんて行きたくない
昭和時代じゃ無く平成になって数年経ってからの話 白い紙にトンボ書かされて台紙延々作ってたわ
コンパスと定規で垂直取って トンボ付き台紙買って来て、これは便利なんて喜んでいたけど、
ロットリングの線が方眼紙の青の上で弾かれてしまって、
破線しか描けなかった。Orz >>529
そういう理由もあったのかな、厳しい先輩は台紙はトンボから手書きでって徹底してた
作らされるのは後輩の俺なんだけども
途中で作図機の『完版くん』ってのが導入されてその作業から解放された
X軸Y軸の数値入れてってトンボとか写真のアタリケイとかはスミで、写植貼るスペースは青のインクでとかなかなか優秀だった
直線だけじゃなく単純な曲線も可能で、
暇な時にドラえもん(絵描き歌風じゃなくて藤子不二雄F先生タッチの)を入力して描いてみたら、メンテナンスにきたメーカーの人がそれ見て腰抜かしてたw
どういう入力でこれが可能なのか凄い聞かれたなあ
俺の人生で一番輝いた瞬間
くだらない人生だわwww >>530
やり始めると止まらなくなるんだろうけど、暇すぎるでそw >>532
アナログ末期で仕事激減してたからw
社長も上手いねーと言ってたけど目が笑ってなかった。。 >>533
凄いとは思ったんだろうが、
それを仕事に取り入れるのは無理だと分かってるから
苦笑いしかないね お股の緩い子が多かった印象がある
でもさせてもらったどの子も今はもうすっかりいいおばさんなんだろうな 昔いた写植屋さん の 人たちは 今 仕事なにしてるの? タクシー? 路上で棒振り? マジであれだけ居た人間 どうしてるか 知りたくて。 写植繋がりで アナログのレタッチマンとかさ・・・
マジであれだけ居た人間 どうしてるか 知りたくて。 当時の社長がデザイン覚えさせてくれたので、仕事にあぶれることなく今はグラフィックデザイナーとして食っていけてる アナログレタッチマン達がDTPに移行しなかったのが意外だった。
あれだけの人海戦術にかかわっていた人員がほとんど業界から消えた事。 手動機やってたヒゲの中村さんはまだ共同印刷にいるのだろうか 当時、富士山の麓で写植打ちませんかとか誘われてたら、ついて行ったかな? 紙焼きの暗室で実は俺ホモなんだ、と打ち明けられたあの恐怖 >>541
そういう人とか写植手動機やってた人は当時30代、40代でもPCやデジタルが苦手な人多く、写植はMacの少し前の時代に電算写植でさえ使いこなせなかった人が結構いた
版下やってた人は40代前半で作図機教えられてたけど覚えられなかった >>552
作図機は座標計算して入力するだけだから簡単だったけどなあ
まあ新しいことが覚えられない年齢ってのは確かにあるか 昔いた写植屋がデザインやDTPに切り替えてなんとか続いてて、広告代理店との付き合いで他社と一緒に新聞広告載せてた
URL載ってたからHP作ったんだと思って見たら社長の趣味の写真のHP
40代半ばの息子が後継ぐ予定で一緒に働いてるのに、広告に社長や息子の名前は載せず個人の趣味のHP載せるって、昔社員がそれなりにいた時から今でもずっと個人商店の感覚が抜けないんだろう 大昔 2年くらい働いてたとこ
やや昔 ホームページできてて見たら随分業種変え スタッフ紹介に知ってた人皆無
ちょっと昔 社長の息子さん登場 大昔だけど白山の白井写植社(だったかな?)を訪ねたことがある
立派な名物女社長さんがいたけど今どうしたかな
PCの普及でだいぶあの辺の会社なくなったもんな 白山は写植屋さん多かったね
片腕が手首から先がなかった社長さんとか、見た目ほぼそっち系だったけど無茶苦茶良い人だった >>552
自分以外に手動写植機OPからDTPに転向できて今も続いている人は一人しか知らない。 ネオスタジオにいた中村さん大塚さん和田ちゃん元気かな もうウン十年前、デザインプロダクションでデザイナーやってた頃
写植チームが一斉にデザイナー名乗り始めたけど
志がめっちゃ低くて心底軽蔑してた
あいつらまだ生き残ってるのかなあ? >>516
久々に悪夢を見て来たら3年半でレスが50も進んでなくて笑った このスレまだあったんだ
>>547
おぬし、元同僚か?
いや、そうじゃなくてもみんなそんなこと言ってたかな 不倫で離婚したのもいたなあ
子供いるのによくやるよなババアが 今日の朝日新聞別刷り(be)に、キャンディ・ミルキーさんが出てる! >>565
フランス書院の写植って女の人が多かった
下請け会社名忘れたが リスマチックから届いた電算の印画紙を見ながら「このフォント本当に良いよね」って素で言ってハッと気付き顔真っ赤になった同僚が今の嫁 リスマの社長死んだだろうな
出力待ちでレストラン鳴海で飯食った思い出 印画紙はリスマや香月で出してもらってたけど普通紙は社内でプリントしてた 面倒臭いコーディングするとサゴメスがなかなか印字してくれないから、いまこの箱の中でコビトが文字盤担いで取り替えてるとか、しょうもない実況中継しながら出てくるの待った 切った貼った
版下やってた
バラ写植を四角に切り抜くのが常だけど
最後の会社は
印画紙上に目印があってそこを切ると
写植の間を1度切るだけで済むようになってて
前の会社より残業がかなり減った
マッキントッシュ以降とかで2年くらいで無職になったけど Macは版下屋も写植屋も一気に薙ぎ払ったからなあ
そこでDTPに移行できなかった老人達が廃業してったよね 印刷屋も製版屋も版下屋も写植屋も上から目線だったし
Macだって所詮は印刷物のもの
世の中のWebの大半はWindows上で作成されているんだし結局誰が勝ったのかは判らない
あの業界から当時ゴミ扱いされた身としてはザマアとしか言えないな
あれからWebデータベースの道に行って若さを武器に学生インターンに混じってMicrosoftでバイトを始めて90年代から2000年代はスキル積みかさね
今は都内にマンション買って定年の70歳まで10年超残してローンも終了したし老後預金始めて早や5年
都内駅近大手デベロッパーの物件だと築18年でも億出さないと買えんから、これから千葉か足立区辺りに物件探して余生送るつもり
中央省庁、自動車本社、電機本社、不動産本社、金融本店、三大商社などにもコネ出来て何でこんなに上手く転がったのかな?と思うけど
当時の関係、職から私的な物から全部断ち切って一から始めたのが良かったんだなとしみじみ思う今日この頃
マジであの業界の倫理観に染まらないで良かったよ
逆らって仕事関係では半目と喧嘩の毎日だったな
イジメられた相手どんどん死んでるし気が晴れたよ 相変わらずの頑固業界資質っぷりが草
仕事順調過ぎてたまに成功の実感味わう為にここに来る
相変わらずのスラムだからねここは
見てると凄く楽しいよ 過去に戻って伝えたい事
電算導入を考えてる零細の社長
最低限サゴメス必須
写植経験者が担当しないと話になりません
電算経験で転職する人
サゴメス・出力機が
あるかないか面接前の電話で確認すると無駄な手間がはぶけます
20年後には電算写植は消滅します まあ写植屋さんになった時点で無理だろうねえ
凸版辺りに勤めてたらまだFelica事業で延命出来たかな 俺は写植・版下スタートでデザイナーの無茶振りをこなしていくうちに「デザインなんて誰でもできるだろ」と思いアナログ絶滅期少し前にに見よう見まねでデザインを始めた
案の定簡単なもんでそのままスキルアップと転職を繰り返していくうちに気に入ってくれたクライアントも増えてきたので独立
太めの客3社の仕事だけでも余裕で暮らせるので週休3日ペースでのんびり
版下時代にいびってくれたデザイナーが仕事少ないって泣きついてくるから、スケジュールも予算もキツい仕事が入ってきたら回してやってる
お前よくこんなクソみたいな職業で偉そうにふんぞり返ってたな、と思いながらね 電算が主な写植屋泣かせの注文
ゴシック系のI(アイ)は全部単なる棒なのに
明朝系同様
上下にひげがある I にしろ >>586
一括変換で I だけ書体変えるかな
場合によっては送調整かますかも 電算といえど思いの外めんどくさかったんですね
無理な注文してごめんな
でもめちゃくちゃ高かったからおあいこだよな でもオバサン社長は支払い悪かったよな
2ヶ月遅れ平気
おまけに手形だよ
仕事の時だけ頭下げて来るから切られてた
客なのに切られるとか草だったなあ 縦書きの見出し
全然入らないのに常に長体指定するデザイナー
バカジャネーノ 最近「奇跡のフォント」って本を買ってしまった
プリプレス業界からはずーっと前に足を洗ったはずなのに