あなたが昔いた写植屋さん 6社目!
あなたが昔いた写植屋さんの、思ひ出をかたり会いましょう。
版下屋も一部可。とりあえず都内限定ということで。
社名を晒すときは伏せ字は× 晒すことにより今はなき写植屋さんの
供養になるのです。 。。。。
まずは中央区 三基工房から 逝ってみよう!! 写植からDTPに移行しても給料は減少してるだろ?
もし待遇を維持していたら経営が維持できない。
簡単なDTPは事務員やパートでもそこそこ間に合うようになった。
高度な加工はTPP状態でアジア外注と価格競争だ。
TPPで安い農産物を入手できなきゃ割りに合わない。 自分の場合は写植時代よりDTP時代のほうがもらう給料は多くなったが
ただし毎日終電に夜勤ありで40万と少し
写植時代はチーフとかでない限り30万超えは難しかったからな
残業がそんなになくて手取りで23万ぐらいだった
ボーナスは20万ぐらい
どっちが良かったのかあまり解らないなあ 現在のDTPは殆ど裁量労働制で時間外手当がゼロになった >>242
しかし名目デザイナー職として合法化するのであった >>244
裁量労働を理解してない人か。
無制限に仕事させていいって話ではないよ。
事前に決めた労働時間を超えた場合は時間外手当が発生する。 労働者本人に任せた労働時間を超えた場合は能力不足とみなすのであった 写植時代から底辺なのは変わりなかったな
バブルが崩壊するまでは事務職の新卒女社員より給料が圧倒的に少なかった
事務職でもボーナスが40〜50万貰えて海外旅行やゴルフ三昧
それを尻目に仕事してたなあ
バブル時代も会社はまあまあ儲かっていたが社員の給料の手取りにボーナスはそれほどじゃなかった
儲けたい輩はフリーになっていったし結婚してたりする輩は安定を選んで社員のまま
だけど女房や子供を養えるような給料は貰えなかった
なんせ写研の機械が馬鹿高いから会社もポンポン給料出さなかったからね バブル時代人材不足でも他業界に転職できない底辺人種なのであった まあ社会を反映する派遣に置き換えれば
今現在は一般事務よりDTPのほうが時給は高めに設定されているけどね
バブル時代が異常だっただけ
バブルの時も底辺職種は一杯あったし時間と金やコネがなければ転職が難しかったのは今と変わらない サブプレートを持っているのでスキャナで撮ろうとしたけど、
だめだった。 バブルの頃は、手取り30万くれたな。
社長もはぶりよくて外車乗り回してた。
この前道路工事の交通整理にその社長がいた。
すっかり落ちぶれてた。 人間国宝になったら毎日ガラスケースの中で生活するらしいな。地獄だぜ。 そうなの? 写植オペレーターって頭がいいらしいので御利益あると思ったんだけどなあ お経は全て漢字だが、あれを写植で打つのは地獄だぞ
パソコンは尚更。 お経を印字しても誰も読みませんよと断るのが正解だね。
CDの時代だが、まだラジカセのほうが使い勝手がよくてラジカセでお経を流してまっせと断るのが一番だよ。
お経の仕事は3年がかり、5年がかりととても時間がかかるんだ。
一体いつ、金をくれるんだ? >>273
> 流してまっせと断る
標準語でお願いしますだ。 >>272
そんなことはないよ。般若心経なんて、そこらへんにいっぱいうpされてるしw >>277
それは写植? パソコン?
書体がわかる君には判別できるはずだよな。 >>278
ヨコヤリだが、テキストだよ。
パソコンによるフォントを使ったテキスト。
それをコピペするから入力の手間がいらない。
かくして素人は「入力なんてタダ」と錯覚する時代に。
ところでスレッドにある「お経」は
般若心経と断定してないんだけど。 浄土真宗は般若心経ではない。浄土真宗から仕事がきたら?
仕事というのは来てもらいたくないと思うとこから来るのが常である。 通信教育に
写経コースってあったな
あと
漢詩とか古語とかめんどいのはほかにもある >>283
それは別に写植やパソコンで入力するわけじゃないだろ? >>285,>>286
仕事じゃないんだから、嫌ならやらなきゃいいんだろ? 慣れなきゃ入力よりもレタリングやトレスのほうが面倒かもな >>287
仕事だよー。めんどいけど好きだよー、なのは写植屋の職業病だよー >>289
なんだ、通信教育の教科書を作ってるのか。 ここ数日、話がずれまくってないかい?
入力の在宅ワークをやっているんだが、
古書関係が多くて、変換できない熟語とか仏教関連が多い。
「書簡」は「書翰」とかね。
おまけにそれが旧漢字だったりする。
最初は校正要員として採用され、入力もやっているんだが、
10人の応募で60歳の私が採用された理由とは、
年寄り向けの文書を若い連中には任せれないということ。
もちろん、旧漢字などは写植の経験がおおいに活きている。
コード変換とかスクリプト書くとかして後で一括置換しちゃ駄目なの? >>291
古書関係だと作字が多くないか。
昔、俳句の年鑑を打ってた奴に聞いたことがあるが、一番最初に打った年鑑で
作字は約200位あったらしい。それはモノールに登録したそうだが翌年も作字は
なくなることはなく、また100文字位と、やたらと作字がでてきたそうだ。 スキャンしてOCRにかけて認識辞書を鍛える、とか、横着することばかり考えてるな。
まあ、究極の横着は、古文書ならPDFでいいじゃん、だけどさ。 >>294
確かに入力できない漢字が多いが、
作字そのものは会社で何とかするので、〓を打っておくだけ。
写植の作字はモニター上でやったけれどね。
よく使う字はデータをメモしておいたので、悩まずに即印字できた。
>>296
OCRも時々活用するので、「認識辞書を鍛える」方法を
伝授してください。 IMEの単語登録と同じで、ちまちま更新するしかないんじゃないかな。
しかしそれも、こちらを立てればあちらが立たず。
テキストになってから、明らかなものは一括置換するとか、手間は掛かるよね、やっぱり。
OCRを使ってますか?
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/bsoft/1141402809/l50 ふと思ったんだけど、テキストになってから文章校正ソフトを通してみるとどうなんだろう。
横着体質って底がないね、まったくorz 20年くらい前に榎町、弁天町、早稲田の付近を引っ越ししてたバウハウスってまだあるの?
そこで版下やってたんだよね。
もう業界そのものが消えたのかな? >>300
「有限会社スタジオバウハウス」かな?
ttp://www.mapion.co.jp/phonebook/M26006/13104/0333414555-001/
>>301
それは関係ない別会社で当時からあったのを覚えてる。
オレがいたバウハウスは写植と版下だけの会社だったからとっくにつぶれてるだろうな。 でもまだ印刷物の奥付を見ると「組版=○○写植」みたいなのを見るね。 >>305
社名として残っている場合があるしね。実体は写植じゃなくても。 バ○ハ○スは面接に行ったら「自己啓発セミナーに参加しろ」って言われて「絶対に無理」と断ったら落ちたけどな
女社長が「ここの皆は全員参加してる」って言ってて
断られて良かったよ 写植屋を始めようという発想は自分が写植のオペレーターをやってて高い給料を
もらってた延長で、自分で会社をやれば、もっと儲かると考えたのだろうな。
写植を辞めた今、振り返ってみるとあんな印字がなぜ金になるの?という思いがある。 築地というか、住所だと中央区だが
日本タイポグラフィは知ってますか?
>>309
近くに行った時、交番で聞くのもいいと思うよ。 >>309
ときどき講演会みたいなイベントをやってて、行ったことがある。
橘右近さんの話は楽しかった。 DTPになって廃業や転職した会社・人ってどれくらいだろう。半分くらいじゃないかと思ってんだけど。
会社は存続してても転職した人は多いよね。年長者バンバンリストラされてたし。
でもデジタルに適性あって、50近くてもスクリプトとかバリバリ書けてる人はすごいなぁと思う。
DTPのサイト作ってる人でアナログ時代からの人も結構いる。せうぞーさんとか。 スクリプト書けるやつ、還暦過ぎにもけっこういるけどな デジタルになって簡単・楽になったと思うだろうか?
訳の分からない言葉がやたらと増えてな。
こっちが必死で覚えて話しても相手が理解してなかったりと、人間間の意思疎通が
できなくて仕事がはかどらなくなっている。
人間の行動も考えてモノを開発してもらいたいものだ >>316
ヒトはマシンの進化の奴隷だと感じたね。
個々の人間の幸福よりも、機械・システム全体の維持が大切。
全体主義だ。 1982年頃、手動機をパソコンで制御して自動で印字する「トライコム」という装置が発表され、展示を
見たことがある。この頃、電算写植が出始めたが高値で手が出せない状態だった。 >>319
マニュアル交換とのこと。
この段階では、まだ初期で、その後どのように発展したか不明。 DTPの社長さん、字数の単位を「○字」でなく「○本」と言うんだよ。
ずっと抵抗あったんだが、ふと考えた。
彼は70歳ぐらいで活版出身なんだが、活字って「○本」というように数えてたのか?
もちろん写植は「○em」だよね! 俺は「字」か「W」だったな
1L=20emとか言わなかったけどな
「em」は1/4emとか"1字分の"という意味で使ってたと思う >>322
白状します。
実は私も写植は「W」で、今でも入力の仕事はそれだよ。w
そして、確かに「em」はあなたと同じ使い方だった。
「em」は全角という意味だな。「20字」=「20全角」=「20em」で
意味的には合っている。
で、「○本」というのは活字の本数? 新宿御苑前にあった「○○デザイン」という名の写植屋、DTP屋に変身して社名も変更して社長の他は
すっかり入れ替わったのかな? >>324
ホームページ、4年ほど更新してない。何かあったのか? >>326
正確に言うと業務内容を変えて存続しているのだが、名前が変わっているため潰れたと思われている会社が多い。
製版屋について言えば昔ながらのライトテーブルだけで業務を続けているとこはないだろう。
だがパソコンを入れて存続しているとこはある。
写植屋もパソコンDTPに変身し存続しているとこは多い。そういう会社は前の従業員を切る必要があったので
社名を変えて別会社のようにしているとこが多い。 外注・下請けに出すにしても今まで全く面識のないとこに出すのであれば説明は
最初からしなくてはならないし、お互いの呼吸が合うまで大変だ。
そこを行くと、アナログでやってたとこがデジタルでやりだしたのであれば当然そこへ
仕事を回すな。付き合いというのはそういう、仕事がスムーズにいくことだからな。 俺が二十歳で写植屋に就職したときは使い走りをやらされた。
写植の原稿を取りによく行かされたが、客の説明を帰って伝えようとしても
オペレーターは「わからなければ聞くから」と言って原稿を持っていった。
だから、本当は使いの者にクドクドと説明しても意味ないんだ。 あ〜写植時代に戻りたい(・д・)
DTPが楽しかったのは最初のうちだけ 写植時代は少なかったが
昇給もボーナスもあったし残業も少なかった
バブル頃までは古きよき会社の名残があって社員旅行やレクリエーションも盛んでDTP時代のようにギスギスしていなかった >>334
DTPヤクザというような奴を指揮できない社長なら会社を解散させろ。
真面目な従業員のことを考えてやれ! >>333
写植の時代は社長が従業員全員に気を使っていたからね。DTPの経営はメチャクチャ。
潰れないのがおかしいくらいだ。 写研本社敷地に建築中のものは社屋の増築。近くまで行った人は続けてレポート頼みます。