あなたが昔いた写植屋さん 6社目!
千石三丁目の有限会社グレイス
社長さんには本当にお世話になりました >>188-189
お前ら誰だよw
少なくとも自分の待遇は良くはなかった。 >>199
自分が勤めてた何件かの会社にもいたけど
写植からDTPに変わった時にみんなMacの方に流れていけたんだろうか?
結婚してる人もいたりで急にほうり出されたらたまらないだろうに
まあ健常者だって妻子持ちだろうと失業していったのだが >>200
約10年前、子供二人の高校と大学、同時進学直前に放り出された。
僅かな貯蓄で機材を揃え、勝算もないまま独立せざる終えない状態に。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありとでも言うかな。
とあるA社にお世話になった。
閑散期には派遣やバイトも兼ねたが、中身の濃い生活だった。
何とか無事に子供も卒業し、晴れて社会人に。
さすがにこの時代、そのA社も状況が悪くなり、
今は疎遠になっている。 そこにはDTP設備は無く写植オンリー。
退職時は電算写植担当。
DTPは在職中から自宅のPC98バージョンで僅かの独学。
良くない事だが経歴を上乗せ(ハッタリ)し、派遣勤務で出向先の方式を学んだ。 昔は江戸川橋といえば凸版城下町で小さな写植屋が軒を連ねておったのに
先週のアド街ック天国では「今じゃ美味美食を堪能できる街」だと orz ∵∴|
∵∴|ヘ_∧ はーい
∵∴|・ω・) つづきの
∵∴| ノ⊃Ξ ゲンコー
∵∴|ノ 写植屋が逝くちょっと前、DTPという言葉も一般的で無かった頃、
写植屋さんは殿様商売だった。
原稿もって頼みに行ったら、
そんな書体は無い。打って欲しかったらウチの書体の範囲内でやってこい!
デザイナーはなんで中ミンほしがるんだ。って叱られた。
中ミンぐらい入れとけよって思ったが。orz >>211
DTPも「そんなフォントは無い」と拒否しませんか?
それとも、自動的にどこかからダウンロードしてきますか? DTP業界はフォントもソフトも不正コピーだらけ。
その能力までオペの評価になる・・・
確かにMMなしでどんな客相手に商売してたんだろうなw >>211
俺なんか、中ゴ頼んだら、太明にしとけ!ウチの中ゴはいかれとるんだ。
と言われたぞ。駄菓子屋じゃあるめーし、キャラメル無いからガムにしとけ。
ってか。 >>216
なんと怖ろしや……。
メインプレートにヒビでも入れたかな。
中太ゴシックなら持ってなく断っていたが。
ところで皆さんは、メインプレートを割ったことある?
私はないが、サブなら何度も落したが割れなかった。 >>219
シェアリングの意味を理解しとらんのねww シェア形式を試合形式と聞き間違えたことがある(´・ω・`) 原稿超キタナくて、U2をV2って打っちゃったことがある。 いま、PAVO-KYの前に座ったら、
空印字の方法すら忘れていると思う。 最近
夢で『罫010−1,(1)−(2)』ってSP313の操作してた
たまげた
忘れてないもんだなあ メッセージで〜す。
この行間って送りのことかアキのことか、
連絡してちょうだい。
ガチャリ うちはでっかい印刷屋だったけど、写植機1台、オペ二人だった。
一人は製版と兼任。
Macで一気に鉄くずとなったな。
写植専門だった会社はきつかったんじゃなかろうか。 >>234
写植屋はバブルもあったし元はとれたんじゃないかな
とにかくバブル時代は景気が良く社員旅行は海外だったり積立なしの小遣い支給の国内旅行や忘年会にレクリエーションなどとにかく会社はどんどん金を遣ってたからね
写植末期は笑いながら『これ(写植機)はゴミに出す』とか『コレ安く買わない?自宅で出来るよ』とか言ってたくらいだから
写植屋は廃業かMacを導入し新しいオペを雇ったよ 私は電算からMacに移行したけど、
手動→電算→Macの人や、版下→電算兼版下→Macの人もいた。 四谷の株式会社モリヤマ(旧モリヤマ写真タイプ)
みんなどーしてるんだろー >>237
そこ面接に行ったことあるわ
シオセブンビルとかってところにあったね
当時の『フロムA』の常連だった会社だな 写植からDTPに移行しても給料は減少してるだろ?
もし待遇を維持していたら経営が維持できない。
簡単なDTPは事務員やパートでもそこそこ間に合うようになった。
高度な加工はTPP状態でアジア外注と価格競争だ。
TPPで安い農産物を入手できなきゃ割りに合わない。 自分の場合は写植時代よりDTP時代のほうがもらう給料は多くなったが
ただし毎日終電に夜勤ありで40万と少し
写植時代はチーフとかでない限り30万超えは難しかったからな
残業がそんなになくて手取りで23万ぐらいだった
ボーナスは20万ぐらい
どっちが良かったのかあまり解らないなあ 現在のDTPは殆ど裁量労働制で時間外手当がゼロになった >>242
しかし名目デザイナー職として合法化するのであった >>244
裁量労働を理解してない人か。
無制限に仕事させていいって話ではないよ。
事前に決めた労働時間を超えた場合は時間外手当が発生する。 労働者本人に任せた労働時間を超えた場合は能力不足とみなすのであった 写植時代から底辺なのは変わりなかったな
バブルが崩壊するまでは事務職の新卒女社員より給料が圧倒的に少なかった
事務職でもボーナスが40〜50万貰えて海外旅行やゴルフ三昧
それを尻目に仕事してたなあ
バブル時代も会社はまあまあ儲かっていたが社員の給料の手取りにボーナスはそれほどじゃなかった
儲けたい輩はフリーになっていったし結婚してたりする輩は安定を選んで社員のまま
だけど女房や子供を養えるような給料は貰えなかった
なんせ写研の機械が馬鹿高いから会社もポンポン給料出さなかったからね バブル時代人材不足でも他業界に転職できない底辺人種なのであった まあ社会を反映する派遣に置き換えれば
今現在は一般事務よりDTPのほうが時給は高めに設定されているけどね
バブル時代が異常だっただけ
バブルの時も底辺職種は一杯あったし時間と金やコネがなければ転職が難しかったのは今と変わらない サブプレートを持っているのでスキャナで撮ろうとしたけど、
だめだった。 バブルの頃は、手取り30万くれたな。
社長もはぶりよくて外車乗り回してた。
この前道路工事の交通整理にその社長がいた。
すっかり落ちぶれてた。 人間国宝になったら毎日ガラスケースの中で生活するらしいな。地獄だぜ。 そうなの? 写植オペレーターって頭がいいらしいので御利益あると思ったんだけどなあ お経は全て漢字だが、あれを写植で打つのは地獄だぞ
パソコンは尚更。 お経を印字しても誰も読みませんよと断るのが正解だね。
CDの時代だが、まだラジカセのほうが使い勝手がよくてラジカセでお経を流してまっせと断るのが一番だよ。
お経の仕事は3年がかり、5年がかりととても時間がかかるんだ。
一体いつ、金をくれるんだ? >>273
> 流してまっせと断る
標準語でお願いしますだ。 >>272
そんなことはないよ。般若心経なんて、そこらへんにいっぱいうpされてるしw >>277
それは写植? パソコン?
書体がわかる君には判別できるはずだよな。 >>278
ヨコヤリだが、テキストだよ。
パソコンによるフォントを使ったテキスト。
それをコピペするから入力の手間がいらない。
かくして素人は「入力なんてタダ」と錯覚する時代に。
ところでスレッドにある「お経」は
般若心経と断定してないんだけど。 浄土真宗は般若心経ではない。浄土真宗から仕事がきたら?
仕事というのは来てもらいたくないと思うとこから来るのが常である。 通信教育に
写経コースってあったな
あと
漢詩とか古語とかめんどいのはほかにもある >>283
それは別に写植やパソコンで入力するわけじゃないだろ? >>285,>>286
仕事じゃないんだから、嫌ならやらなきゃいいんだろ? 慣れなきゃ入力よりもレタリングやトレスのほうが面倒かもな >>287
仕事だよー。めんどいけど好きだよー、なのは写植屋の職業病だよー >>289
なんだ、通信教育の教科書を作ってるのか。 ここ数日、話がずれまくってないかい?
入力の在宅ワークをやっているんだが、
古書関係が多くて、変換できない熟語とか仏教関連が多い。
「書簡」は「書翰」とかね。
おまけにそれが旧漢字だったりする。
最初は校正要員として採用され、入力もやっているんだが、
10人の応募で60歳の私が採用された理由とは、
年寄り向けの文書を若い連中には任せれないということ。
もちろん、旧漢字などは写植の経験がおおいに活きている。
コード変換とかスクリプト書くとかして後で一括置換しちゃ駄目なの? >>291
古書関係だと作字が多くないか。
昔、俳句の年鑑を打ってた奴に聞いたことがあるが、一番最初に打った年鑑で
作字は約200位あったらしい。それはモノールに登録したそうだが翌年も作字は
なくなることはなく、また100文字位と、やたらと作字がでてきたそうだ。 スキャンしてOCRにかけて認識辞書を鍛える、とか、横着することばかり考えてるな。
まあ、究極の横着は、古文書ならPDFでいいじゃん、だけどさ。 >>294
確かに入力できない漢字が多いが、
作字そのものは会社で何とかするので、〓を打っておくだけ。
写植の作字はモニター上でやったけれどね。
よく使う字はデータをメモしておいたので、悩まずに即印字できた。
>>296
OCRも時々活用するので、「認識辞書を鍛える」方法を
伝授してください。 IMEの単語登録と同じで、ちまちま更新するしかないんじゃないかな。
しかしそれも、こちらを立てればあちらが立たず。
テキストになってから、明らかなものは一括置換するとか、手間は掛かるよね、やっぱり。
OCRを使ってますか?
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/bsoft/1141402809/l50 ふと思ったんだけど、テキストになってから文章校正ソフトを通してみるとどうなんだろう。
横着体質って底がないね、まったくorz 20年くらい前に榎町、弁天町、早稲田の付近を引っ越ししてたバウハウスってまだあるの?
そこで版下やってたんだよね。
もう業界そのものが消えたのかな? >>300
「有限会社スタジオバウハウス」かな?
ttp://www.mapion.co.jp/phonebook/M26006/13104/0333414555-001/
>>301
それは関係ない別会社で当時からあったのを覚えてる。
オレがいたバウハウスは写植と版下だけの会社だったからとっくにつぶれてるだろうな。 でもまだ印刷物の奥付を見ると「組版=○○写植」みたいなのを見るね。 >>305
社名として残っている場合があるしね。実体は写植じゃなくても。 バ○ハ○スは面接に行ったら「自己啓発セミナーに参加しろ」って言われて「絶対に無理」と断ったら落ちたけどな
女社長が「ここの皆は全員参加してる」って言ってて
断られて良かったよ 写植屋を始めようという発想は自分が写植のオペレーターをやってて高い給料を
もらってた延長で、自分で会社をやれば、もっと儲かると考えたのだろうな。
写植を辞めた今、振り返ってみるとあんな印字がなぜ金になるの?という思いがある。 築地というか、住所だと中央区だが
日本タイポグラフィは知ってますか?
>>309
近くに行った時、交番で聞くのもいいと思うよ。 >>309
ときどき講演会みたいなイベントをやってて、行ったことがある。
橘右近さんの話は楽しかった。 DTPになって廃業や転職した会社・人ってどれくらいだろう。半分くらいじゃないかと思ってんだけど。
会社は存続してても転職した人は多いよね。年長者バンバンリストラされてたし。
でもデジタルに適性あって、50近くてもスクリプトとかバリバリ書けてる人はすごいなぁと思う。
DTPのサイト作ってる人でアナログ時代からの人も結構いる。せうぞーさんとか。 スクリプト書けるやつ、還暦過ぎにもけっこういるけどな デジタルになって簡単・楽になったと思うだろうか?
訳の分からない言葉がやたらと増えてな。
こっちが必死で覚えて話しても相手が理解してなかったりと、人間間の意思疎通が
できなくて仕事がはかどらなくなっている。
人間の行動も考えてモノを開発してもらいたいものだ >>316
ヒトはマシンの進化の奴隷だと感じたね。
個々の人間の幸福よりも、機械・システム全体の維持が大切。
全体主義だ。 1982年頃、手動機をパソコンで制御して自動で印字する「トライコム」という装置が発表され、展示を
見たことがある。この頃、電算写植が出始めたが高値で手が出せない状態だった。 >>319
マニュアル交換とのこと。
この段階では、まだ初期で、その後どのように発展したか不明。 DTPの社長さん、字数の単位を「○字」でなく「○本」と言うんだよ。
ずっと抵抗あったんだが、ふと考えた。
彼は70歳ぐらいで活版出身なんだが、活字って「○本」というように数えてたのか?
もちろん写植は「○em」だよね! 俺は「字」か「W」だったな
1L=20emとか言わなかったけどな
「em」は1/4emとか"1字分の"という意味で使ってたと思う >>322
白状します。
実は私も写植は「W」で、今でも入力の仕事はそれだよ。w
そして、確かに「em」はあなたと同じ使い方だった。
「em」は全角という意味だな。「20字」=「20全角」=「20em」で
意味的には合っている。
で、「○本」というのは活字の本数? 新宿御苑前にあった「○○デザイン」という名の写植屋、DTP屋に変身して社名も変更して社長の他は
すっかり入れ替わったのかな? >>324
ホームページ、4年ほど更新してない。何かあったのか? >>326
正確に言うと業務内容を変えて存続しているのだが、名前が変わっているため潰れたと思われている会社が多い。
製版屋について言えば昔ながらのライトテーブルだけで業務を続けているとこはないだろう。
だがパソコンを入れて存続しているとこはある。
写植屋もパソコンDTPに変身し存続しているとこは多い。そういう会社は前の従業員を切る必要があったので
社名を変えて別会社のようにしているとこが多い。 外注・下請けに出すにしても今まで全く面識のないとこに出すのであれば説明は
最初からしなくてはならないし、お互いの呼吸が合うまで大変だ。
そこを行くと、アナログでやってたとこがデジタルでやりだしたのであれば当然そこへ
仕事を回すな。付き合いというのはそういう、仕事がスムーズにいくことだからな。 俺が二十歳で写植屋に就職したときは使い走りをやらされた。
写植の原稿を取りによく行かされたが、客の説明を帰って伝えようとしても
オペレーターは「わからなければ聞くから」と言って原稿を持っていった。
だから、本当は使いの者にクドクドと説明しても意味ないんだ。 あ〜写植時代に戻りたい(・д・)
DTPが楽しかったのは最初のうちだけ 写植時代は少なかったが
昇給もボーナスもあったし残業も少なかった
バブル頃までは古きよき会社の名残があって社員旅行やレクリエーションも盛んでDTP時代のようにギスギスしていなかった >>334
DTPヤクザというような奴を指揮できない社長なら会社を解散させろ。
真面目な従業員のことを考えてやれ! >>333
写植の時代は社長が従業員全員に気を使っていたからね。DTPの経営はメチャクチャ。
潰れないのがおかしいくらいだ。 写研本社敷地に建築中のものは社屋の増築。近くまで行った人は続けてレポート頼みます。 adobeのイラレ25才を祝ってUSTREAMで特番。23日、木、夜8時から。
ttp://www.adobe.com/jp/joc/design/useful/ai25th/ust.html 手動機をやってた40代中頃の男にMac組版を覚えるよう言い渡されたが2年経っても
組版ができず結局、経営の不振を理由に解雇されたことがあった。 「パソコンって音が出るんだな」
「当たり前だ!」
こういう返事をする奴に限って逆の現象が起こっても同じ返事をする。
「パソコンって音は出ないんだな」
「当たり前だ!」
本当は知らないのかも知らない。知ったか振りをしているだけかもな。
「こんなことも知らないのか」
お前、知っているなら説明してみな! 仮に手動写植機があのまま進化しても今のパソコンのようにはならなかっただろうな 手動機の構造、メンテナンスを専門に学びたかったな。 SPICAやPAVAの基板をそっくり同じに作ってくれるとこがあるらしい。 >>346
マジで聞いてるの?
ttp://www.cosmeland.jp/category/1651.html?gclid=CNWboIq6k7MCFaRLpgodSigAgg >>346
写研はSK-I
>>347はその二番煎じ 写研が本格的にフォントを発売してるんだって?
なんでここで話題にならないのかな。
でも、もう遅いよ。
世の中、写研の偽物が広まってしまったし、こっちはクソフォントに嫌気がさして
すっかり業界から離れてしまった。
ひょっとして、元写植オペにはこんな心境があって話題にならないのかも。 >>352
パソコン用フォントを発売の話は去年あったが、お流れになって今日に至っている。
写研は自社の機械のユーザーのためにパソコンにフォントを開放しないのではないだろうか。
モリサワのようになってしまってはモリサワの電算は破棄するしかなくなるだろ。 >>352
2011年7月、写研が「第15回電子出版EXPO」に出展。以下は石井社長のメッセージ。
「本日は弊社ブースへお越しいただきまして誠にありがとうございます。
このたび、これまでご評価いただきましたフォントを広く社会にお役立ていただくために、
写研フォント開放の試みを始めます。
今後の方向を決めさせていただきたく、ぜひ、皆様のご意見、ご要望をお聞かせください。
2011年7月 株式会社 写研 代表取締役社長 石井裕子」 電子出版EXPOでadobe製品で写研フォントを使った実演が行われたのだからフォントは
出来上がっている。あと、発売するとすればタイミングだろうな。 >>353
写研の電算機もどれだけ現存しているやら
まさかゅぅこちゃんご存じない? >>357
検索すればまだ使っている会社があるのがわかる。
現在もフォント使用料を写研に支払っているとの話も出てくる。 >>357 たまに求人で見かける
サイバードやSP‐313しか知らないけどグラフやそれ以降もデータはFDに保存なのか? 荒川区のほうでサンプラスとグラフの経験者を募集してる
何を作ってる会社なんだろ? >>361
これだろ
【仕事内容】業界向け月刊誌(文字組み中心)や雑誌、書籍、単行...本等の写研オペレーション業務になります。
●メインは、サンプラスを使って、赤字修正〜新規組み●業務量により、新規と修正の割合は変化します
●ソフトはグラフも使用 活かせるスキル・経験 DTP関連 勤務地 荒川区/最寄り駅:町屋(京成線)、町屋... DTPだと今、時給1600円がざらにある。派遣だが。 水道橋にある翔美アートはまだありますねー?昔働いてました!峰さんと原田さん元気かな?
懐かしです
マー君 店長の誘導で社員が追い越し車線に割り込む
普通に運転していた徳山が急ブレーキ
後ろを見ると食事中だった子供が頭をぶつけて泣いている
徳山『あぶねえよあんた』
若造『・・・』
徳山謝罪もなしの態度にいらついてこづく
店長(アホやー金髪のアホがからんできたでぇ〜おー殴りよったでホンマ
社員ちゃんおつかれはん)
徳山『おいあんたどんな誘導してんだよ』
店長『はぁ〜!? 俺ちゃうし
お前が勝手に急ブレーキしたんやろうがミニマム級のチャンピオンはん
なんか文句あるんかい!!!』
店長が謝罪もしないでブチギレモード突入 ttp://or2.mobi/data/img/39916.jpg
左側にある「あ」は民友だが、促音の「ぁ」だけ秀英。 >>369 凄いね
手動写植機経験者かな?
自分は電算写植機出身だから書体というより暗号の羅列のほうが頭に入ってる
SP-313だと16-1は何々で17-1は何々とかさ >>369
右端の「狂気の食欲」は横組だと見られたものじゃない。 MOって懐かしいなぁ。640Mbtしか入らないやつ。^_^ 版下作成時に使っていた作図機「完版くん」
ホントこいつにはお世話になりましたわ
結局その時いた写植屋は潰れたんだが
この機械に愛着ありすぎて、もらえるものなら引き取りたかった…
結果引き取らなくて良かったけどさ 池袋にあったネオスタジオに在籍してた方いませんか〜
その後のA.C.オーブでもいいです ひきこもり30代後半で童貞で低収入イラストレーターやってるバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/6580395.html >>377
オーブってのは知らないけど、
ネオスタジオって六ツ又交差点の近くのビルだよね
そこならしばらく在籍してたわ〜
若いのに社内の何人かと肉体関係持った女の子がいたな
そんな記憶しかないけどなw 全林野会館に入っていた三浦さんの会社(名前失念)って
どうなったのか知ってる人います? 3点リーダーのところを中黒3つ並べるアホに嘆かわしいと思っていたが、
テレビ観ているとプロも平気でやっているな。
絶対に許さんぞ。 \(^o^)/昨年のレス数17
元写植屋のみんなぁ〜、まだ生きてるかぁ〜 いま目の前にPAVOが現れても、まったく操作できないと思う。 写研書体がOpenType化されたとして、
ベテラン写植オペのノウハウでDTP組版したら
最高級の版が作成できるだろうが、
今更それを評価できる目利きクライアントは希だろうな 無免許のドライバーが公道にあふれ出したようなものだね。
免許は無用になった。 元JLユーザー。江戸川橋界隈の某社。
DTPのノウハウを何も知らずに移行したけど、手動機の知識は大いに役立った。
そのためか今もイラレやインデザインの単位を級、歯にしてるw
モリサワのフォントは当初違和感あったけど今はこれで十分。
最近の若いデザイナーは写研?何それ?状態だし。
江戸川橋のファミマT字路を入った通称印刷製本通りもここ数年で随分変わった。
40代童貞年収200以下だけど家庭を持ってないから金に不自由はない >40代童貞年収200以下
童貞はどうにかしようぜ。。。 写植業界の女の子は結構股が緩かった記憶しかない
当時色々チャンスがあったんだろうけど、>>397はスルーしてたのかな
あーアレやれたわ!ってのは後になってから気付くからな >>398
昔は左翼崩れが印刷屋に多くて、全共闘より先に乱交やってたわと自慢している
レーニン禿げがいたもんだ。ユルまんは印刷屋の伝統? Qさまというクイズ番組で、逆の筆順で現れる漢字を当てる問題、
いつも出演者より先に答えてる。
(今日の「蚕」は「蛍」だと間違えたが。)
写植やってたから漢字クイズだけは得意で、必ず文字盤の配列が頭に浮かぶわ。 今、スーパーの雑用やってます。昔は写植機10台置いて社長してました。
当時写植を頼みに来ていたフリーのデザイナー(だった人)が店長やってます。
面接に来た時に顔を見て互いにビックリ! やあやあって話しましたが
気まずかったです。彼は納期の事で随分イジメましたから。フリーのデザは、
当時はゴミクズ扱いでしたから。
今はイジメられずに働かせてもらっています。感謝。 >>401
創作なんだろうけどフリーのデザイナー→スーパー店長って、
そっちも随分な都落ち感だな いやあ
アナログ末期に30代後半以上の年齢で事務所経営やデザイナーだった人は
DTP化についていけなくて廃業したり
若者に混ざってデジタル化した会社に再就職できず
やむを得なく他業種に移ったデザイナーも多いよ それよりデザイナーってレベル高いの?
仮にスーパーの店長からデザイナーになったら大出世なの?
落ちとも上りとも思えないが。 知ってるイラレだけど、奥さんの実家の鉄工所へ就職した奴が居るよ。
そんな実家があってよかったけど。
その後鉄工業界も危うくなったけど、今どうしてるかな。 >>405 スーパーの店長からデザイナー? 確率低いわな
デザイナーになる奴は高校がデザイン科や高卒で専門学校や美大出身
スーパー勤めながら家でイラスト書いていたり美術系の賞に応募してるとかなら有り得なくないが
まず職務未経験がデザイナーとして就職しようって時には年齢ではじかれるだろう
数年就職して印刷のルールや知識も必要で
職務経験なしの中途採用は確率低い >>407
仮にデザイナーになったとしたら、「レベルが高い」の?
フリーのデザイナーならいつでもなれるし。
>401の店長は元フリーのデザイナーだし。 >>408
デザイナーによるでしょうよ
他人にディレクションしてもらわないと何もできないようなカスもいるだろうし
フリーでも大手代理店から常に単価の良いお仕事ご指名でいただいてたら、
それこそ「レベルが高い」んだろうし
まあ確率は低いだろうけど、
そういう人がスーパー店長になったらそれこそ「都落ち」感半端ないわ テレビのフォント、ほとんどがアウトラインやらシャドウなどの効果が過剰に施されていて、うざい。
昔は見出しだけ装飾し、本文は素のままだった。
表情のあるフォントはそれだけで目立つんだから、装飾は厚化粧みたいだ。
それとも、番組の表現力にコンプレックスでもあるのか。
地味でいいはずのNHK教育もこの傾向が強くて、甘味料過多のスウィーツみたいだ。 校正を持って行くと
いちいち、舌打ちをする
アホの森脇博
勘違いすんなよボケ スーパーの店長がチラシのデザやると出世かどうかしらんがうまくいくかもしれんな >>414
それを普通にシリアスな内容に使うやつがアホ。
勘亭流をやたらと使うのもアホ。 >>403-405
画材屋で配達していたやつが、納入先に入社してデザイナーになったのがいた。
これって大出世なの? デザイナーといっても
スーパーのチラシですけどね
バクダンつかって、お買い得セール開催中!
早い者勝ち!
お一人様1個限り!
なくなり次第終了! >スーパーのチラシですけどね
スーパーのチラシをバカにしてはいけない
昨今の家電屋さん等は自社内で制作してるよ 閉鎖も間もない頃、定着液なんて交換せず、
蒸発して結晶化してたわ。 外車乗り回してた社長が、今は交通誘導警備員17年目
車は軽自動車のポンコツ
いかに時代が変わったか アナログの時代は、あと10年は続く!と豪語してた当時俺のいた会社の社長
大人数の写植オペレーターを抱えたままそれから2年で潰れましたわ
俺はとっととMac覚えて転職してよかった 写研のタイプフェイスコンテストに3回応募して、どれも落選だった。
一つぐらいデジタルフォントになっていればなぁ。
当時、表彰パーティに招待され、ナールやスーボの作者にビールを注いであげた。
ナールの中村さんはナールのような体格を、
スーボの鈴木さんはスーボのような体格をされていて笑った。 >>428
まあね
写植覚えたら一生安泰みたいに信じてる人も多かったからね
デジタル化のパンフレットを見て
「あっ、アナログ終わる」と判断出来ない会社は厳しかっただろうね
また年齢的にMacに移れなかった人達も厳しかっただろうね
まあアナログ時代のほうが給料も福利厚生ま安定した会社が多かったのも事実
デジタルになったら仕事の質も悪くなり給料も安く雇用も悪化してるから
デジタルに移行したからと
必ずしも希望なんか持てないなあ PCなんか、表現手段の一つに過ぎない。
字詰めもまともに出来ないし、書体(フォントとは言わなかった)も数種類しか無い。
ましてやあんなギザギザ出力では版下にもならない。
とハナで笑っていたアナログ最後の世代の人、今頃どうしているんだろう。
足に障害のある人が、自分で技術を身につけて引く手あまたの有利な仕事。
ということで、泊まりがけで写植オペ学校に行って、機械を入れて、もう大丈夫。
ってなったところで、授業料すら取り返せないようになった例もある。
業界の崩壊はあっという間だったねー。
あのクソ重たい写植機は今どうなっているんだろう。
溶かしなおしてフォークリフトの車体にでもなって、どこかでお役に立っているのかな? ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、☆
@ 公的年金と生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、
ベーシックインカムの導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば
財源的には可能です。ベーシックインカム、でぜひググってみてください。
A 人工子宮は、既に完成しています。独身でも自分の赤ちゃんが欲しい方々へ。
人工子宮、でぜひググってみてください。日本のために、お願い致します。☆☆ ネオスタジオの伊藤さんには大変お世話になりました
人生の師匠なんだよな。。。 >>309
時を超えたレスで恐縮ですが3年半ほど勤めていましたよ。
東銀座ですぐ近くに関連会社がありましたね。
当時は関連会社からの発注が殆どで営業はただ配達屋と金額弾くだけの仕事だったな。
当時の同僚が今では取締役とかだもんなw 押し入れを片付けていたら、MK-10の文字配列表が出てきた。 最近、映画字幕書体のフォント化されたものをテレビでよく見かけるね。
昔いた会社にかつてあの映画字幕を書いていた人がいて、あの書体を目の前で書いて見せてくれた。
あれと同じ書体を一筆で書き上げたんだよ、手書きテロップと同じ先の丸い筆で。
ちょっとクセのある字体だが、あれはすごいスピードで書けることを意識したデザインで、
書く人が変わっても、同じになるように工夫されている。 そうそう、ナールを初めて見たとき、テレビのテロップに似ていると思ったものだ。
はたして、作者の中村氏はテレビのテロップ出身だった。
テレビは丸筆を使うので、おのずと丸ゴシックが多くなるのさ。 ちゃんとした会社のデザイナーになるには専門学校出は相手にされない。 専門出で小さなデザイン会社入って、
スキル上げて良い作品いっぱい作って有名どころに移れる奴もいる
まあ遠回りにはなるけれども 中学生でもできる確実稼げるガイダンス
時間がある方はみてもいいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
839R1 「全角・半角」の「角」って将棋の「角行」だし、相撲の「角界」だし、
意外といろいろに使われる文字だね。 少し前から生活保護を受けているんですが、新年度からCWが交代になりました。
CWは老若男女いろいろな人がいるみたいですが、今度はかなり若い。
私は写植という仕事をやっていたんだが、写植って知ってます?と聞いたら、
前やっていた仕事の関係上、よく知っているとか。
「20代で写植とか写研なんて言葉を知っている人は、あまりいないかも」とも。
年の差40歳もあるのに、70年代の音楽も知っていて、年の差を感じさせない
不思議な会話でした。 中国の山村がテレビで紹介される番組で、
店の看板にスーボを使ったものを何度か見た。
意外な出会いなので、見入ってしまった。
中国の山村なら楷書・行書・隷書という先入観があるが。
勘亭流も見るが、勘亭流は日本のオリジナルだよね。 そんな書体置いてねーよ。
やって欲しかったら、ウチにある書体の範囲内でデザインして来なよ。
あの社長、尤もな事言ってたなー。
懐かしい。 文字盤を盗まれた写植屋さんがあった。なんでも電源ONしないと外せないとか。
同業者の仕業だと言う事で、「最近書体が増えた写植屋さんがあったら知らせて欲しい」
と電話が架かって来た。(当時はネットが無かった)
今思うと、のどかな話しだ。 >>449
文字盤代を出してくれれば導入するってことにしていたが、
欧文1枚だけ希望があった。
メインプレートは10万円の半額、サブプレートは5,000円の半額だったっけ? >>449
写植屋あるある
ん.ナール?ウチのナールはイカレてるわ。中ゴにしときなさいよ。
よく言うわと思ったが、逆らえなかった。打ってもらえなかったらそれこそ大変だ。
印刷屋の営業部長が年末に分厚い封筒渡して「来年もよろしく」って深々と
お辞儀していた時代だった。 出稿から下版迄のプロセスの中で、エライかどうかは知らんが、一番威張っていたのが
写植屋だったね。
DTPが来なかったら今でも威張ってただろうね。
殿様商売がDTPに足掬われて真っ逆さま。これだけギャップの大きな業種は
写植屋がトップだね。勿論、写植屋にいじめられた連中は大喜びだった。
当時の機械は今頃溶かされてフォークリフトになっているかな。 写植オペの女性と、版下描いてた男性が結婚して独立した途端に
業界に写植版下が不要になって、「お前が、アンタが」未来が
明るいなんて言うから…と罵り合いになって
離婚したカップルが居た。 >>455
「途端に」は無いだろ。現場にいて気付いていないわけない。 「途端」の受け取り方は人によって幅があるけど、
PC時代到来で写植屋が消滅したのは「途端に」と言う程の速さだったね。
自分は早めにMacを入れて失敗したデザだけど、写植屋が文章のコピーを
持って来て「これ、PCで出力したものかどうか見て欲しい」って言って来た事があったよ。
その頃はフォントも数える程しかなくて、写植屋が消えるなんて夢にも思わなかった。 スピカまだウチにあります。
タオルを干すのに使ってます。 パボ スピカの触れ込みは印刷革命が始まった。だったが、
確かに革命だがそれらを無用の長物にしてしまった。 パボ スピカの触れ込みは印刷革命が始まった。だったが、
確かに革命だが,数年後に登場の
PCの革命はそれらを無用の長物にしてしまった。 写植のノウハウはPCに於いて、無用の長物だった。
写植やタイポグラフィでタブーなことも、
PCに於いては無法地帯だった。
無免許のドライバーが公道を乗り回した。 オアシスやプレーンテキストをコンバートして電算に持っていくってのやってた。 物置にしていた以前の暗室。
探し物をしようと開けたら。
酢の臭いが充満していて悲しかった。 文京区白山にあったバラ打ち屋、何てとこだったっけ? >>463
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼 物置の酢の臭い >>467
ほら、駅前のマンション(一階が昔は文具屋で、今はファミマんとこ)脇の坂を登った途中のところ。 バラ打ち屋ってなに?組み物を一切やらずに、修正用とか、見出しだけやるの? 私はPAVO-KYだったから組打ち主義だったが、
モニターのない機種だとバラ打ちかも。
本文は打てるだろう。 昔、モニターなんて想像もできない時代に、組み打ちやってた人がいた。
あれが職人芸なんだな。
右上の辺りに配置された金属板にインクの跡が点々と並んで。
打ち上がるとタオルで拭き取っていた。
写植屋さんを尊敬したよ。 モニターのないPAVO-JPで楽譜を打ったことがある。
文字盤はサブ3枚のみ。 >>471
自分は写植屋じゃないけど、あの金属板とインクの跡だけで組み打ち出来るのは
スゴい技術だよね。実際にきれいに打ち上がるし。和風総本家に紹介したいくらいだよ。
ご健在なら今いくつ位だろう。
消滅直前のオペは使えなかった。本文に間違いが出ると横っちょに、修正用を打って、
これ、ここへ貼って下さい。なんてやってた。 他社に組打ちの天才がいて、私も影響を受けた。
障害者なので、直しや貼り込みができなくて他の人を煩わせていた。
だから極力組打ちするよう努力したのだと。 >これ、ここへ貼って下さい。なんてやってた。
オレが発注していたところは、酷かったよ。
個人で頼んでいたから、クズ扱いだった。出来上がりを取りに行くと、
社長さんが、見てないよ(校正してないよ)と、はじき飛ばしてくれた。
機械が無いと出来ない職種とは言え、異常だったねー。個人でも客だよ。
AppleのMacさん。ありがとう。すぐつぶれたよ。 >>476
横からでアレだけど、これくらい分かるだろ。。。 取り敢えず打っといた。誤植があったらまたバラ打ち頼んでね。
ってことかな? 曙橋にあったDNPアートの仕事してた
アドピエロはご存知かな? 暇になってくると、猫なで声で、【この前のあの仕事、やったげるから持ってらっしゃいよ】
繁忙期になると【この時期にそんな仕事かぁ、3日後に取りに来い!】だってさ。 俺が昔いた写植屋さんは今はDTP屋さんになってるらしい 写植屋は印刷工程の中でも一番責任が無い職種
製版 印刷はミス事故ミスペナルティが 発生する事が多い デザイン屋が口座を作るのが難しい企業に、
当時は売り手市場だった写植屋として入り込んで、
デザイン屋に転向して、伸びている写植屋があった。
でも写植オペはデザじゃないから、衰退して行った。 >>488
誤植は責任転嫁できるからな、校正者に。 みんなアノ頃は幾ら貰ってたの?
例えば平成元年とか。
ひたすら儲かってたよね。 元号改元で大儲けだったアノ年を。
ホントにその時、業界いたのか?w
まあ22歳だとしてもう52歳の筈なので、ゆとり世代には理解は無理か。 超儲かってたろw
平成元年。
翌年のイラクのクゥェート侵攻まで。
IGASの時、JAGATのパーティーの司会はフジテレビの八木亜希子だったなあ。
元号改元
→印刷物が全部入れ変わる
→印刷業界が真っ先に儲かる
→不動産・ゴルフ権買いまくる
単純な構図だよ。
今は物流はほとんど伝票レスだが、昔は手書きの複写伝票だったからなあ。
4枚複写の日付欄の「平成」は結構大事。
とにかく凄かったわw
PC9801→写研SAPTRON-Gimmy出力可能な編集ソフト「秀嶺レベル3」を売ってたんだが、
写研サザンナがOPフォント込みで800万、
サイバートが1,000万超えだった時に
( http://ryougetsu.net/sayounara2.html )
300Dpiゲラ出しプリンタ込みで300万だったから、営業1人で年間100本とかフツーに売れてた。
ただ無借金経営をうたっていた会社が、銀行から借金を始めて営業所がドンドン増えて行くので、固定費増が怖くなって辞めた。
ただ今は当時PCやらせてくれた社長に感謝だな。
あれからまあまあ上手く行ったから。 なぜ、モテる男とモテない男が存在するのか?
http://pata.cocotte.jp/hiketu.htm
モテない男の特徴
チビ・ブサイク・デブ・ハゲ・ダサいファッション・低学歴・低収入・非正社員・口下手・運動音痴・清潔感がない・性格が暗い・優柔不断
モテる男の特徴
イケメン・高身長・ファッションセンス良し・高学歴・高収入・一流企業・公務員・コミュニケーション能力が高い・スポーツマン・爽やかな笑顔・
明るい性格・やさしい・面白い・頼りがいがある 所詮人間は1が見た目、2が金、内面なんてものは後回し >>496
当時、パボKYを買って、慣れてさて稼ごうかなという頃になって、
仕事がなくなった。 写植機ナシの版下屋さんとかいたね。
TBSのダイコー企画みたいにポジだけ作る会社もあった。 この業界って性格悪いの多かったな。
写植屋、写研、富士フィルム。
特権か何かのよーな振る舞いが。
早めにPC使い始めたから90年代中頃に IT業界に行ったら、この業界ゴミに見えたわw 元号が平成になった時と、電話番号が一桁増えた時の稼ぎが凄かったわ 平成バブルに沸いた30年前。
今回は陛下の記者会見の時にすかさず凸版とDNPの株買ったが、
まあ一時上がって頭打ち。
一昨年売り払ったわw リスマチックが会社の裏にあったのに出力機は買わんでしょw
とっくにバブル弾けてる平成3年に買うわけないでしょw 秀嶺のおかげでキーパンチ出来たのと多少のコーディング覚えたので、印刷製版業界に早々に見切りを付けて、90年代の半ばにインターンシップ契約から社員採用ルートで外資超大手ソフトウェアに入って9年仕事した。
日本の職場で一番使われてるブラウザ作ってるメーカーだから退職後も数回転職して稼がせて貰ったよ。
住宅ローンも4年前に終わった。
5年前だったか三田線の千石のみずほ総研に仕事で行ったら白山通りの向かいの雑居ビルの2階に秀嶺売ってた当時の会社のロゴを見つけた。
懐かしくなって行ったんだが社長に「会いたくない」と言われちまったよ。
この業界の人達は栄光からの挫折の傷が相当深いんだなと思われる。 昔、現像液だか定着液だかの廃液を処理してもらう話があったが、
お金をもらえたの?
下水汚染対策だったと思うが、個人経営の写植屋は対象外だったのかな。 久々に現像液と定着液の在庫が切れて慌てる夢を見た
もう20年以上も前に転職しているのに 現像液は劣化して印字に支障をきたすが、定着液は使い古しでもOKじゃん。
廃業近くなると、結晶ができるまで使ったものだ。 小石川の全林野会館、代理店・デザイン屋・写植屋が入ってたな
あれはグループ会社だったのかね >>516
昔、製版 & フィニッシュワーク機材 ・材料会社に勤めてたんだが。
会社で夜8時くらいに仕事終わってビール飲んでたら、キチガイみたいに喚いて電話掛かって来た。
普段は写研やTOOやレターやプロ資から買ってるクセに「現像液、今日持って来たら、今後お前のとこからずっと買う」とか抜かして。
飲酒運転で配達したが、以後は音沙汰無し。
おまけにスポットの伝票取引で支払いは集金5回目でやっと。
で、半年後、懲りずにまた同じ電話。
「はーい、すぐにお届けしますよー」
行くわけねーしw
夜の11時過ぎまで催促の電話で。
そのまま飲んでて「あー、すみません。もう配達(出前)はとっくに出ましたんで」でと何度も答えて飲酒運転で帰ったw 写研とモリサワの両刀使いだったがもはや何の価値もない
結婚したタイミングで業界からもサヨナラした 今のコロナに比べたらバブル崩壊なんざスローだったわな 版下で業界入った時に、写植の先輩が鬼のように威張ってた
こっちがそこそこのモテ顔だったせいか目の敵にされてたなあ
先輩が狙ってた女の子と仲良くしてたら「社内恋愛は絶対禁止だぞ」って言われて
こっちも社会人なりたてだったから、あーそういうものかって思って
その後先輩、その子に告白して思い切り振られて
その腹いせだろうけど、その後さらに俺への当たりが強くなってたわ
会社潰れて
転職先でデザインも覚えてもらいたいって事で勉強させてもらって
そこにいる間にアナログからMacへの移行を体験して
今は独立してデザインの仕事で食っていけてる
その先輩は写植の仕事が無くなり、
新潟の実家帰って家業の酒屋継いで、店潰したって聞いた
あの人間性で客商売ムリだろって当時の同僚達と久々に飲んで笑った 写研の出力センター兼ねて写植屋やってたところ
午後8時半まで営業の案内
午後7時頃にデータ渡すともっと早くデータ持って来いと文句を言う
出力担当者は社長の姉妹のババアだから苦情言っても改善されない
他社が年末に出力依頼した時も、年末年始の案内配ってきて営業してるはずの日に余裕持って依頼したのにすでに会社休んで閉めてて、他社の人、隣の県までデータ持って走って出力してもらったと言ってた 世間が土曜休み導入し始めてるのに土曜休み無し
それでもきついのに日曜は朝8時に会社に集合して社員みんなで日帰り旅行へ行くと
費用も会社負担じゃ無く1人5000円必要
参加拒否したら協調性無いとかボロクソ言われた
金もらっても行きたくないのに金払ってまでなんて行きたくない
昭和時代じゃ無く平成になって数年経ってからの話 白い紙にトンボ書かされて台紙延々作ってたわ
コンパスと定規で垂直取って トンボ付き台紙買って来て、これは便利なんて喜んでいたけど、
ロットリングの線が方眼紙の青の上で弾かれてしまって、
破線しか描けなかった。Orz >>529
そういう理由もあったのかな、厳しい先輩は台紙はトンボから手書きでって徹底してた
作らされるのは後輩の俺なんだけども
途中で作図機の『完版くん』ってのが導入されてその作業から解放された
X軸Y軸の数値入れてってトンボとか写真のアタリケイとかはスミで、写植貼るスペースは青のインクでとかなかなか優秀だった
直線だけじゃなく単純な曲線も可能で、
暇な時にドラえもん(絵描き歌風じゃなくて藤子不二雄F先生タッチの)を入力して描いてみたら、メンテナンスにきたメーカーの人がそれ見て腰抜かしてたw
どういう入力でこれが可能なのか凄い聞かれたなあ
俺の人生で一番輝いた瞬間
くだらない人生だわwww >>530
やり始めると止まらなくなるんだろうけど、暇すぎるでそw >>532
アナログ末期で仕事激減してたからw
社長も上手いねーと言ってたけど目が笑ってなかった。。 >>533
凄いとは思ったんだろうが、
それを仕事に取り入れるのは無理だと分かってるから
苦笑いしかないね お股の緩い子が多かった印象がある
でもさせてもらったどの子も今はもうすっかりいいおばさんなんだろうな 昔いた写植屋さん の 人たちは 今 仕事なにしてるの? タクシー? 路上で棒振り? マジであれだけ居た人間 どうしてるか 知りたくて。 写植繋がりで アナログのレタッチマンとかさ・・・
マジであれだけ居た人間 どうしてるか 知りたくて。 当時の社長がデザイン覚えさせてくれたので、仕事にあぶれることなく今はグラフィックデザイナーとして食っていけてる アナログレタッチマン達がDTPに移行しなかったのが意外だった。
あれだけの人海戦術にかかわっていた人員がほとんど業界から消えた事。 手動機やってたヒゲの中村さんはまだ共同印刷にいるのだろうか 当時、富士山の麓で写植打ちませんかとか誘われてたら、ついて行ったかな? 紙焼きの暗室で実は俺ホモなんだ、と打ち明けられたあの恐怖 >>541
そういう人とか写植手動機やってた人は当時30代、40代でもPCやデジタルが苦手な人多く、写植はMacの少し前の時代に電算写植でさえ使いこなせなかった人が結構いた
版下やってた人は40代前半で作図機教えられてたけど覚えられなかった >>552
作図機は座標計算して入力するだけだから簡単だったけどなあ
まあ新しいことが覚えられない年齢ってのは確かにあるか 昔いた写植屋がデザインやDTPに切り替えてなんとか続いてて、広告代理店との付き合いで他社と一緒に新聞広告載せてた
URL載ってたからHP作ったんだと思って見たら社長の趣味の写真のHP
40代半ばの息子が後継ぐ予定で一緒に働いてるのに、広告に社長や息子の名前は載せず個人の趣味のHP載せるって、昔社員がそれなりにいた時から今でもずっと個人商店の感覚が抜けないんだろう 大昔 2年くらい働いてたとこ
やや昔 ホームページできてて見たら随分業種変え スタッフ紹介に知ってた人皆無
ちょっと昔 社長の息子さん登場 大昔だけど白山の白井写植社(だったかな?)を訪ねたことがある
立派な名物女社長さんがいたけど今どうしたかな
PCの普及でだいぶあの辺の会社なくなったもんな 白山は写植屋さん多かったね
片腕が手首から先がなかった社長さんとか、見た目ほぼそっち系だったけど無茶苦茶良い人だった >>552
自分以外に手動写植機OPからDTPに転向できて今も続いている人は一人しか知らない。 ネオスタジオにいた中村さん大塚さん和田ちゃん元気かな もうウン十年前、デザインプロダクションでデザイナーやってた頃
写植チームが一斉にデザイナー名乗り始めたけど
志がめっちゃ低くて心底軽蔑してた
あいつらまだ生き残ってるのかなあ? >>516
久々に悪夢を見て来たら3年半でレスが50も進んでなくて笑った このスレまだあったんだ
>>547
おぬし、元同僚か?
いや、そうじゃなくてもみんなそんなこと言ってたかな 不倫で離婚したのもいたなあ
子供いるのによくやるよなババアが 今日の朝日新聞別刷り(be)に、キャンディ・ミルキーさんが出てる! >>565
フランス書院の写植って女の人が多かった
下請け会社名忘れたが リスマチックから届いた電算の印画紙を見ながら「このフォント本当に良いよね」って素で言ってハッと気付き顔真っ赤になった同僚が今の嫁 リスマの社長死んだだろうな
出力待ちでレストラン鳴海で飯食った思い出 印画紙はリスマや香月で出してもらってたけど普通紙は社内でプリントしてた 面倒臭いコーディングするとサゴメスがなかなか印字してくれないから、いまこの箱の中でコビトが文字盤担いで取り替えてるとか、しょうもない実況中継しながら出てくるの待った 切った貼った
版下やってた
バラ写植を四角に切り抜くのが常だけど
最後の会社は
印画紙上に目印があってそこを切ると
写植の間を1度切るだけで済むようになってて
前の会社より残業がかなり減った
マッキントッシュ以降とかで2年くらいで無職になったけど Macは版下屋も写植屋も一気に薙ぎ払ったからなあ
そこでDTPに移行できなかった老人達が廃業してったよね 印刷屋も製版屋も版下屋も写植屋も上から目線だったし
Macだって所詮は印刷物のもの
世の中のWebの大半はWindows上で作成されているんだし結局誰が勝ったのかは判らない
あの業界から当時ゴミ扱いされた身としてはザマアとしか言えないな
あれからWebデータベースの道に行って若さを武器に学生インターンに混じってMicrosoftでバイトを始めて90年代から2000年代はスキル積みかさね
今は都内にマンション買って定年の70歳まで10年超残してローンも終了したし老後預金始めて早や5年
都内駅近大手デベロッパーの物件だと築18年でも億出さないと買えんから、これから千葉か足立区辺りに物件探して余生送るつもり
中央省庁、自動車本社、電機本社、不動産本社、金融本店、三大商社などにもコネ出来て何でこんなに上手く転がったのかな?と思うけど
当時の関係、職から私的な物から全部断ち切って一から始めたのが良かったんだなとしみじみ思う今日この頃
マジであの業界の倫理観に染まらないで良かったよ
逆らって仕事関係では半目と喧嘩の毎日だったな
イジメられた相手どんどん死んでるし気が晴れたよ 相変わらずの頑固業界資質っぷりが草
仕事順調過ぎてたまに成功の実感味わう為にここに来る
相変わらずのスラムだからねここは
見てると凄く楽しいよ 過去に戻って伝えたい事
電算導入を考えてる零細の社長
最低限サゴメス必須
写植経験者が担当しないと話になりません
電算経験で転職する人
サゴメス・出力機が
あるかないか面接前の電話で確認すると無駄な手間がはぶけます
20年後には電算写植は消滅します まあ写植屋さんになった時点で無理だろうねえ
凸版辺りに勤めてたらまだFelica事業で延命出来たかな 俺は写植・版下スタートでデザイナーの無茶振りをこなしていくうちに「デザインなんて誰でもできるだろ」と思いアナログ絶滅期少し前にに見よう見まねでデザインを始めた
案の定簡単なもんでそのままスキルアップと転職を繰り返していくうちに気に入ってくれたクライアントも増えてきたので独立
太めの客3社の仕事だけでも余裕で暮らせるので週休3日ペースでのんびり
版下時代にいびってくれたデザイナーが仕事少ないって泣きついてくるから、スケジュールも予算もキツい仕事が入ってきたら回してやってる
お前よくこんなクソみたいな職業で偉そうにふんぞり返ってたな、と思いながらね 電算が主な写植屋泣かせの注文
ゴシック系のI(アイ)は全部単なる棒なのに
明朝系同様
上下にひげがある I にしろ >>586
一括変換で I だけ書体変えるかな
場合によっては送調整かますかも 電算といえど思いの外めんどくさかったんですね
無理な注文してごめんな
でもめちゃくちゃ高かったからおあいこだよな でもオバサン社長は支払い悪かったよな
2ヶ月遅れ平気
おまけに手形だよ
仕事の時だけ頭下げて来るから切られてた
客なのに切られるとか草だったなあ 縦書きの見出し
全然入らないのに常に長体指定するデザイナー
バカジャネーノ 最近「奇跡のフォント」って本を買ってしまった
プリプレス業界からはずーっと前に足を洗ったはずなのに