【順天堂大学応援専用】第94回箱根駅伝part5
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ゲルマン人の中にはローマ領内に移住するものもあり、ちょうどローマ市民だけで軍隊を維持できなくなっていたローマは、ゲルマン人からの防衛をゲルマン人傭兵に依存するようになった。 ゲルマン人のローマ帝国領内への本格的な移動は、376年の西ゴート人のドナウ渡河に始まり、それ以後、6世紀まで続いたので、一般にゲルマン人の民族大移動といわれている。 406年の大晦日には、現在のマインツあたりで、おそらく凍結していたであろうライン川を渡って、ヴァンダル人、スエウェ人、アラニ人らの諸集団が属州ガリアに侵入した。 彼らはすでに定住しローマの同盟者となっていたフランク人を退けて西進し、一部は北へ、一部は南へと向かった。 これがローマ帝国西部のがリアで始まった「大侵入」の始まりであった。しかし現在までの研究ではこの時の侵入は大軍の軍事侵攻といったイメージではなかったことが明らかになっている。 しかしこの時、多くの都市や農園が破壊されたことも事実である。また、409年にはブリタニアのローマ兵も撤退し、帝国の西半分は事実上崩壊が始まっていた。 東南部に広がった東ゲルマン系では、東ゴート人・西ゴート人・ヴァンダル人・ブルグンド人など、西部に広がった西ゲルマン系では、フランク人・アングロ=サクソン人などが大移動を開始した。 ヴァンダル人はイベリア半島から北アフリカに入り、カルタゴの故地に建国し、アングロ=サクソン人は大ブリテン島に侵入し、七王国を形成した。 彼らは4世紀末のローマ帝国の衰退・分裂、西ローマ帝国の衰退という混乱に乗じて、次々とローマ領内に移住して建国していった。 教科書に出てこないゲルマン諸国にライン川・ドナウ川上流地位のアラマン王国、イスパニアの西北のスウェビ王国などがある。
これらのゲルマン人の侵入を受けて、476年に西ローマ帝国は滅亡するが、そのゲルマン人の移動の直接の被害を受けることが少なかった東ローマ帝国はその後も存続する。 これらのゲルマン人は476年の西ローマ帝国滅亡の前後に、その領土にそれぞれ国を建てていったが、これらゲルマン諸国の多くはローマ文化を受容してローマ化し、また東ローマ皇帝の権威を認め、その同盟国となることで存続を可能にしていた。 6世紀には東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝によって東ゴート王国、ヴァンダル王国が滅ぼされ、一時ローマ帝国の地中海支配が復活する。しかし、大帝の死後、ランゴバルド人が南下を開始してイタリア半島に入り、568年に建国する。 これが第1次民族大移動の最後の動きとされている。このランゴバルト王国はフランク王国に併合され、安定したヨーロッパ世界の段階に入る。 なお、現住地に残った北ゲルマン系のノルマン人であり、彼らは11世紀にヴァイキングとして活発な海上活動を開始し、第2次の民族移動期を現出させることとなる。 これらゲルマン人諸国は、政治的にはローマ人を支配したが、文化的にはローマ文化を取り入れざるを得ず、独自の社会を維持しながら、ローマ文化を同化いていった。 東ローマ帝国の要請でイタリア半島に入り、オドアケルの国を滅ぼして493年にイタリアに東ゴート王国を建国したテオドリックも、みずからもローマ風のフラヴィウスという名を名乗り、率先してローマ化を進めた。 このあたり、ほぼ同じ時期に東方の中国で華北に侵入して国を建てた五胡の諸国や北魏が漢化政策をとったのと非常によく似ている。 北アフリカに建国されたヴァンダル王国も、征服者のゲルマン人は全体の1%台にすぎず、大部分のローマ人を支配していたが、役人にはローマ人を用い、その文化力を利用せざるを得なかった。 ローマ化はゲルマン諸国に共通の傾向であった。ゲルマンらしさを失うとともに弱体化し、東ゴートとヴァンダルは東ローマ帝国のユスティニアヌス大帝によって滅ぼされてしまう。西ゴートとフランクは比較的ゲルマン的な特質を維持していたので、独立を保った。 しかしゲルマン人は宗教の面では独自性を貫いた。それはゲルマン人の多くがいずれもキリスト教アリウス派を信仰したことである。アリウス派はニケーア宗教会議で異端とされ、ローマ領内での布教が出来なくなったので、北方のゲルマン人への布教に努めたのである。 その契機は、4世紀の中ごろ、西ゴート人のウルフィラという人がコンスタンティノープルでアリウス派に改宗し、聖書のゴート語訳をつくってゴート人に布教したことに始まる。 アリウス派の信仰はゲルマン人の土俗的信仰と結びついて、特にゴート人に近い東ゲルマン系の間に広がったが、西ゲルマン系のフランク人とアングロ=サクソン人はその影響を受けなかった。 ゲルマン人のアリウス派とローマ人のアタナシウス派(ローマ=カトリック)との信仰は相容れなかったので、両者が結婚することを妨げ、両者の同化は表面にとどまり、結局多くのゲルマン諸国が短命に終わった理由である。 自炊は安いっていうけど、自炊で節約レシピを作れば安いっていうだけだもんな
外食で節約すれば同じくらいにできるし お菓子とか食わないで節約するならいいけど
飯食う量を減らしたり安もんばっかで偏らせるような食事はやめた方がいい 天候に左右される野菜は高いと買えないし、安定のモヤシ位か
きのこ類気候に左右されない筈が結構高いし
鶏肉も鳥インフルからちょっと高くなったままだな 清水ー藤曲ー西澤ー橋本ー矢野
?ー?ー?ー小鼻ー鈴木
三浦ー西澤ー清水ー内山ー矢野
野口ー石井ー沢藤ー野村ー牧瀬
野口は甲佐の結果から「さいころ選手だから箱根は良い方の目が出るかも」と妄想を挟まずに外した
妄想で長期的に成功したプロジェクトは私が知る限りない
今回うまく言っても必ずその後揺れ戻しがやってきてまさかの悪夢が待っている
ハーフ68分台換算だし強豪なら16人漏れする結果
来年は5区は内山かもしれない 復路の順天堂をたまには見せてくれよ
いい加減25キロ走まで縛りやめて競技継続しない選手は30キロ走らせてもいいと思うだよね
青学は距離走すごいから箱根で強いわけで
昔中央の徳地が月間1200キロ以上走って2区で活躍したけどそういう選手が復路にいてもいい 去年の吉岡なんてスピードタイプの選手でスタミナ不安から9区でぱっとしなかったけど
彼なんか30キロ以上走らせれば3年から9区一桁でいけたと思う
まぁ卒業後も競技やるから25キロまでしか走らせないのは仕方なかったけど
金原なんかはなぁ 藤本4区ならむしろ良かった
5区なら区間5位くらいだろうし日体のシードが濃厚になってしまう
4年連続5区は過去にほぼいないから1年は無理はさせない方針か
岸本も4年間2区は無理
1995年以降で二人しかいない大偉業だからな
1年2区だとほとんどは3回すら走れてないし1度のみってのもかなり多い 野口4区とか小判じゃない限りだめだろう
彼は中距離選手 区間一桁が1人(しかも9位)とかどうしようもない。
しかし来年の予選会勝てるのかね。下手すりゃ来年走れんぞw とりあえず秋のナイター記録会でオナニーしないでほしい
記録の出にくい春夏の記録会でしっかり強さを見せないと往路はついていけない 確定しました
1着 青山学院(2番人気)
2着 東海大学(1番人気)
3着 國學院大(5番人気)
4着 帝京大学(6番人気)
5着 東京国際(9番人気)
6着 明治大学(7番人気)
7着 早稲田大(16番人気)
8着 駒澤大学(4番人気)
9着 創価大学(17番人気)
10着 東洋大学(3番人気) 11着 中央学院(12番人気)
12着 中央大学(20番人気)
13着 拓殖大学(13番人気)
14着 順天堂大(10番人気)
15着 法政大学(8番人気)
16着 神奈川大(11番人気)
17着 日体育大(14番人気)
18着 日本大学(15番人気)
19着 国士舘大(18番人気)
20着 筑波大学(19番人気) ヴェイパーは1区3区で1分て感覚だから2区なら1分ちょいだな
2区を30キロとか28キロレベルのきつさと言ってる過去走った選手の言葉から計算すると1分半くらい
藤曲も田中孝レベルだったのは確か
体ができてなくスタミナもそこまでない1年の塩尻(ヴェイパーなら67分20秒、1区上位からの小判なら66分台)を超える順大生は
今後もほとんど出てこないだろう
順大の選手らしくスタミナはあまりなく後半ペースアップなんてできるわけもなかった
走力高くマラソンのスタミナもあった三代なら今回なら65分半出してる 広中が男だったらイサハヤが廃部しなければ順大に来てたんだよな
そしたらシードだったろうな
復路の9,10は完全に忖度出場だからそれなければ10位まで4分くらいか
藤曲ー広中ー野口ー小畠ー橋本かな往路は
広中5区なら柏原になってシードは堅い 塩尻バブルなければ8年でシードは1度取れたかどうかだからな
三浦は佐藤以来15年ぶりの強豪校出身の大物
石井は強豪校出身では佐藤以来の強い高校生で地元枠史上最強
いちいち強豪校と書くのはその間に塩尻を挟むから
強豪校出身者の大物からは低迷入りしてからは見向きもされてこなかった
このバブルで3年連続シード取れないようならその後は終了だと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています