48歳契約社員の女性が"独身でボロ家住まいの猫ババア"と思われても、「保護猫活動はやめられない」と話すワケ

都内のメーカーで契約社員をしている美代さん(48歳)は、8年前に保護猫活動に心血を注いでいた当時を振り返る。
現在は猫を8匹飼っているが、一時期は20匹以上いたという。美代さんのように、保護猫活動にのめり込む人は多い。
美代さんの場合、その背景には幼少期のトラウマがある。

「幼いころから動物を飼いたかったのですが、親が厳しくてダメだったんです。特に父が動物に対して憎しみを持っていました。
捨て猫が入っていた箱を、川に投げ入れたり、散歩中の犬を蹴ろうとしたりする変な人だったんです」
当時は昭和50年代で、今とはペットに対する常識や空気感は全く違っていた。犬はあくまで“犬”であり、家の外で飼うことが“当たり前”だった。
街には野良猫が多く、飼い猫は首輪をつけて家の内外を行き来していた。去勢をすることは「かわいそう」と言われていた時代でもあった。

社会的にも動物の命は今よりも軽く扱われていたが、父の行動は行き過ぎている。
「父はおそらく精神の病を抱えていたんだと思います。私や母もずいぶん殴られました。
特に母に対しては情け容赦ない暴力を振るい、その後、母は家出してしまい音信不通です。
母が家を出ると、父は別の女性の家に行き、帰ってこなくなりました」



そんなある日、孤独に耐えかねて、幼い頃に生活していた埼玉県と東京都の県境にある埼玉県側の街に引っ越した。
自分が生まれ育った家のような小さな中古住宅を購入したのだ。それが40歳のことだった。
あるとき散歩中に、血まみれになっている猫を見つけました。あのときの衝撃はすごかったです。
死んだ父が蹴り飛ばした猫が生き返ったのかと思いました。

幼い頃に父の乱暴を見ていたので、ドラマや映画でも暴力シーンは苦手です。
血が流れると目をつぶってやり過ごしているのに、猫を見たときに体が反射的に動きました。
その猫はケガをしているのに抱こうとすると暴れた。そのとき、美代さんはショールを巻いていた。
それは4万円もするものだったが、ためらいなく猫をくるみ、近くの動物病院に連れていった。獣医の診断では、人間に虐待された跡があるという。

その獣医は、「動物は法律上はモノなので、いたぶって楽しむ人は意外と多い」と語っていた。
「すぐにスマホで検索すると、いろんなかわいそうな猫が出てきました。個別の虐待もひどいけれど、それよりも恐ろしいのは多頭崩壊。
猫は繁殖力が高く、1回の妊娠で3~7匹産んでしまう。不幸な猫を増やさないためにも、猫を保護する活動を始めようと奮起する。

「最初は保護猫活動を行う団体のお手伝いをしたのですが、スタッフ間の微妙な空気感と、マウントの取り合いに疲れてしまったんですよね。
私はどうも人とうまくできない。あと、年上の男性に無意識に甘えてしまい、その男性からナメられてマウントを取られるのです。
ある男性から、『かわいそうという気持ちで活動をしているのは不誠実だ』と怒鳴られたこともありました。
活動家の多くは、“猫が中心”で、人間を信じていないことを隠さない人が多い。
譲渡のときの猫の里親さんとの交渉なども疲れてしまい、団体での活動をフェードアウトしました」

でも、その団体で、野良猫の捕獲ノウハウ、活動を支援してくれる動物病院などを知ることができた。そして、できる範囲で、個人で活動をしようと決意する。
野良猫に無責任にえさを与える人に対しても、面と向かって忠告したという。
相手から「バカ野郎」とか「クソババア」と面罵されたり、ペットボトルを投げつけられたこともあったという。

「猫は際限なく繁殖します。去勢手術をしてあげずに、えさをあげて繁殖させる罪深さを知らないんです。
寒い日、暑い日など厳しい環境に猫は生き、カラスに攻撃されたり、人にいたぶられたり、交通事故などで死んでしまう。
猫が街にいることが不幸なのです。それに、この世の中には猫が嫌いな人も多くいます」
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