モコモコの第二の青春〜3人の少女

モコモコは地方の名門高校を出て、現役で慶応大学の看板学部で当時最難関だった経済学部に入学した秀才だった。
しかし、経済を学びながら、常に満たされないものを感じていた。
自分の全力を出し切れないこと、そして予測科学としての経済学の限界を感じていたこと。
さらに彼の鋭い動物的な勘は自分自身が現在の希望と欲望に支配されて理論を失った経済学を塗り替えるほどの逸材でもないことを理解していた。
頭が良すぎるために大学は容易に上位で卒業したものの、官庁や大企業の一員になることを拒み、資質を無駄に費やすことになった。
医学部再受験をして臨床医として目の前の患者のために、そして研究医として世界中の患者達のために力を尽くすのもいいかも知れない。
ならば、国立大学、それも一番の難関を突破しよう。
そうして10年が経過した。
その10年間は実に鬱々としたものであった、彼が「かかってこい」「再チャレンジ掲示板」の常連コメンターになるまでは。
長年芽が出ずにニートでいなければならなかったことへの恥の意識から多大なストレスを抱えた彼は、自己をことさらに誇大に、他をことさらに矮小に表現することで精神のバランスを保とうとした。
彼の書き込みに対しては多数の反感のレスが書き込まれ、彼の精神の支柱となるべき軽蔑と憎悪の引き取り手は何人も現れた。
ブログと掲示板の主催者である長谷川という10浪東大再入学者もその1人だった。
長谷川もまたモコモコと同じストレスを抱えた人間であり、反発しながらも惹かれていた。
モコモコは長谷川の元で心を慰めるだけの3年をそこで過ごした。

だがしかし、モコモコは跳んだ。

モコモコはネット断ちをして本気を出す、という決断にようやく至ったのだ。
書き込みではなく結果で見返したいという当たり前の感情が彼に芽生えた。
敵意が本物の意欲に昇華し、彼のポテンシャルが覚醒した瞬間だった。

その後もネットには作風を真似た書き込みが多発していたが、それを彼の知る由はない。

そして、2015年、モコモコは19年遅れで東京大学理科三類に入学した。
覚醒してからわずか半年。脳の機能としては現役合格も可能な逸材だったのだろう。
(続く)