デザインは決して社会システムの契機とは決別できない
いかにその内部で帰納が行われようともそれ自身では存在し得ない
デザインを志す人間は必ずその壁につきあたる
制作者はファインか社会システムかの二択を迫られていると勘違いをする
そこでデザインは空洞化されるかもしくは欲望の対象に吸収される
それを解消できるのはデザインが昇華しデザインでなくなるときのみ
だからこそデザインを学び実践することには意義がある
欲望を超越し社会システムとの共存を提案できる可能性があるから

つまり就職、商業と別物でもなければ、同カテゴリーで論じられるものでも
ない
真理は中世の神の世界(宗教)で終焉しているし、
真理に着眼点を絞ってなんかない、酷い話だ
もっと人間主体となれる可能性を秘めている

以上