愛知県立芸術大学
大学で学べるアカデミックな芸術なんて たかが知れてる
そういう意味では どこいこうが大差ない
ずっと独学で ひきこっもるのもいいと思う
自分の中にある宇宙と対話することが真の芸術だと思うよ
それは学校のレベル といyか地球のレベルを超えてる ネット見てたら、大学時代の油絵の友人が唐澤弁護士関連で炎上してたんだな
全然知らなかった >>25
五芸祭で行った印象しかないけど、あの学校に松井冬子来た可能性あったのか 教授の募集で松井冬子を蹴らずに取ってたら
関東でも愛知県芸のネームバリュー上がってただろうにね。
日本画専攻だけが強い学校からも脱却出来ただろうに なつかしい
ここ受験したわ
落ちたけどw
美大は諦めて浪人して理系に行ったわ
でも今デザイン業やれてるから人生わからんね みんな元気そうで、ぼかあね涙が出そうです。
一緒に世界を制服しましょう。 『日本の芸術』
ゴッホの死がしばしばヒロイックに語られるように
破滅的な人生を送った芸術家が礼賛されるのは
キリスト教的な信仰に身を捧げた殉教者への礼賛に近い
今でいうところの、いわゆる「芸術」の概念は19世紀頃から広まったもので
Artの本来的な意味は「技術」であり
ダ・ヴィンチが軍事技術者を自称していたように、ルネサンス時代のいわゆる「芸術家」は、優れた技術者という認識であった
西欧における政教分離の歴史的過程で、近代国家が民を纏める宗教の代替物として体系化していったものの一例が歴史や芸術であり、その芸術宗教の教会や神殿が美術館にあたる
芸術崇拝は、近代国家にとって国民教育の使える道具として出てきたのである
そしてそれは日本にも、西欧の近代国家の体系を模倣する過程で伝わった
今なお義務教育の美術科目でなぜか西欧美術の歴史を学ぶのはその名残である
敗戦を経て近代国家への役割が薄れつつあった日本の芸術は、
その本来の宗教構造により、同時期の新興宗教に似ていく
世俗にも権力にも反発し、芸術に身を捧げ、生きる
そういう自由な生き方ができるかもしれないという
甘い香りに当時の若者は吸い寄せられていった そして21世紀に入り、ネットの発達で情報共有されるようになり、
上から降りてくる公金を既得権益で確保しつつ、
一方で絵画教室や美大生などの新しい信者を獲得し、教職という牧師となり布教し、
下から会費を徴収して生計を保つ業界だということが露呈し始めた
個展の年一回開催や、公募展や表彰制度等の、身内内部での芸術家認証制度が、業界において当たり前になるなど、
芸術家としての信仰に身を捧げた死を期待するような、盲目な信仰は今の時代ではほぼ冷めた
芸術は西欧の啓蒙主義に根差しており、権威には対抗的であるが、一方で近代国家に守られている矛盾をはらんでいる
今なお続く近代国家としてのシステム、とりわけ美術館・ミュージアムによる収蔵や、消して売りには出さない国宝指定が芸術の価値を吊り上げ、
芸術崇拝を生み出す根本的な仕組みである
芸術は太古からあるものではなく、近代国家による制度によって神秘が生じている
日本の現代芸術はもしかしたら粗大ゴミなのかもしれない、という疑いを
この先さらに多くの人が持つことになるのだろう 自然に認知していくものになるんだよ。
京都の芸術大学と言えば、京都芸術大学、、、、京都の芸大、、、京 芸 大(KUA)
というように やっと卒業したイケメンの先輩がサイコパスだった。
座間事件の白石死刑囚みたいになる可能性大。 管楽器の教授・准教授がやばい。
専任が居ない楽器の学生かなり冷遇。
成績優秀者が出演するコンサートはいつも専任の生徒ばかり。。。
自分達が着任する以前の卒業生も冷遇。
自分達に利益のある者ばかりを学校へ集める。