0074作者不詳
2018/09/01(土) 12:35:02.95夏休みに母からモデルになってもいいと言われ、母をモデルにして裸婦の絵を描かせてもらった。
小学生の頃は時々お風呂で母の裸を見ていたが、中学生になってからは一度も見ていなかった。
母に全裸になってもらい、リクライニングの椅子の両肘に母の両脚を開いて掛けさせたポーズをとらせると
母のワレメはパックリと開き、ワレメの中の膣口も丸見えになっていた。
そのポーズで1日1時間くらい4日間かけて母の絵を完成させた。
その時の衝撃的な出来事が忘れられなくなり、その後も母のワレメが見たくなると油絵のモデルという口実の元に
母に全裸になってもらい母のワレメをたっぷり観賞させてもらった。
母のワレメはクリトリスより上の部分には薄くて少なめの陰毛が生えていたが、
クリトリスより下の部分はパイパンであった。
またワレメはクリトリスに近い部分は直径3センチ半径1.5センチくらいの
小陰唇のひだがワレメの中から2枚通常閉じた状態で出ていた。
それより下の部分のワレメはスジマンに近い感じだった。
また母の両脚を左右に大きく開くとワレメが半開き(全開に近い半開き)になり、
淡いピンク色のワレメの内部と直径1センチくらい開いている膣口がきれいに見えていた。
中一より大学を卒業するまで毎年夏休みには母に裸婦のモデルになってもらい、ひと夏に
最低2枚は裸婦の絵を描かせてもらった。
母をモデルにして裸婦の絵を描かせてもらったのは母が34歳くらいから44歳くらいまで
のことであった。
母は貧乳ではあったが、今のタレントで例えると太っている時に山本梓に似ており、僕としては
申し分のないモデルだった。