ヌードを描くって、誰も言わないけど「ヌード慣れ」することも大事なんかな。
極端な話、医者や看護婦が異性の裸見てそのたびに興奮してたらしょうがないでしょ。
人体を対象に作品をつくるのであれば、特に彫刻だったらやっぱり人の骨格って
頭に「焼き付けておく」必要があると思う。となれば、やはりヌードを
見ることは必須でしょう。そのためには恥ずかしがってはいられない。
その訓練の場が、学校のヌード勉強かなとも思う。

希望者が集うデッサン会と違って学校なんかの場合は、学校にいる誰もが
「ヌードを学ばないと」という切迫感があるわけでなし、
ある意味強制的に学ばすことで「慣れさせ」、知らず知らずのうちに
素養を身に付けさせるという、そういう側面もあると思う。

建築においてはやっぱり3次元的にデッサンをし、ミニチュアモデルをつくりあげて
検討するという作業をする。それと同じで3次元的に人体をじっくり
観察し、それを覚えるという作業は必要なのかと思う。
ただ、一般的に異性の裸を見ればなにかしらの感情がわくのが
「普通」なわけで、この「普通」に従えばじっくりヌード、ましてや赤の他人の
それを観察するなんて出来ないだろう。だから、ある意味で「普通じゃない」
状況に慣れるということが学校でのヌードデッサン等に実はあるのでは?とも思う。

ただ、ここで言う「恥ずかしがる」っていうのは何もモデルさんが
スタイル抜群で若い、という事ばかりではない。
ご存知のようにいろんなモデルさんがいるわけで、そうしたモデルさんに対しても
「慣れる」・・・言い換えれば「鈍感になる=恥ずかしがらない」訓練をするのが
ヌードを学ぶってことかなと。

私はそう思う一方で、男性も女性も水着じゃだめなの?とも思う。
骨格はどうしても見たいから、たとえばおなかまわりは露出(つまりビキニ)
してほしいけれども、たとえばクロッキーなんかで
全露出までする必要があるかどうか。超ベーシックに美術を学ぶ(恥ずかしがらなくなる
という修行も含め)というのであれば必要なのだろうけど、水着着用であっても
骨格、人体のつくりってほとんど学べるんじゃないかと思う。甘いかなあ?