予備校講師に嫌われている人
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↑まじめに一日も通ってても受からなきゃ意味ない
サボりまくりでも受かったやつのほうが価値あるよ 392だけど
まだ受験まで年単位で時間あるし
受験のための絵の意味がわからなくなってしまったのと
予備校だらけの高校生活に嫌気がさしてなんとなく行くのやめてしまった
二か月半、美術史勉強したり画集ひたすら見たりひたすら映画見たり本読んだり遠出したり色々出来たので
まったく無駄だとは思ってない
お金ははらいっぱだったので親不孝なのは確か
まあ美大目指し始めた時点で自分んちの家計じゃ
かなりの親不幸だけど
しばらく行ってなくて行きずらかったけど
少なくとも嫌われてはないみたいなんで
明日ちょっと勇気だして行ってみる
毎日行ってた奴に技術追い抜かされてそうでこわいwwwまあ仕方ないけど あーあるね。悪循環
サボる→久々に行くと周りと差がついてるのに気付くor何日かかけてやる課題の最終日に来てしまう→当然ろくに評価されない。落ちこぼれる→嫌になる→サボる
のループで来なくなる人多いよね 自分も悪循環スパイラルだorz
授業料は自分で払ってるから親不孝とは思わないけど
入学時言われた「働きながら来れる?大丈夫?」って学長が心配してくれたのに
(昼間は事務で働いてる。お金ないし)
申し訳ないやら自分が情けないやら行き辛いやら(´;ω;`)
予備校内の人間関係は年齢離れすぎてるのもあって全然気にしないけど、
講師の信頼を完全に失ってしまった様でそれが気になる。 私は貧乏だから予備校行けなかった
予備校行きたくて仕方なかった
サボるなんて贅沢だよ
親のありがたみを知って下さい
エラソーにすいません 人体解剖学で全裸のモデルをおもちゃのように生徒の前で
差し棒でいじくる。
足の付け根の説明の時は、完全に丸出しで性器の説明もあったが
これも俺たちの実習費からでいいるのだと思うと真剣に観察してしまった。
ちなみに女性器の講義は20分強でした。 予備校変えた
こっちでもうまくいかなかったらどうしよ…('∀`)'`'` >>412
前の予備校はどううまくいかなかったの? 今日久しぶりに見たあのちびデブと天パ野郎。。。反吐が出るぜ!!
早く地獄へ落ちろ!! みんな頑張れ!!
おれは予備講師に嫌われてるってわかってたから
1年の内半分近く休んだが運よく受かって今ものすごく楽しい 別に嫌われてはないけど、
信用されてないんだって思った
講師の言動になんかすごくカチンとすることがあって・・・・−m−
でも絵描くんだい
いつかすんばらしいの描いて、あっと言わせてやる。
後輩にも舐められてる。
いろいろ悔しいことばっか・・・・・
負けない。 田舎の予備校に行ってたけど、どの生徒にも同じように接していたな。
指導歴が長いのせいなのか知らないが。 いろいろあって講師のこと信用できなくなってしまった なんかこの板みて反省。。申し訳なくなった。生徒はみんな大事に思ってるんだけどね 先生に自分の考えとかを伝えるのが恥ずかしい
やっぱりあんまり変なこと言ったら
え?って思うのかな 講師が言ってたが、「言ってくれなきゃ何悩んでるかわかんない」だそうだ 優しかったり冷たかったり
なに考えてるかわかんない ていうか 落ち込んで、中途半端な暗くて悲しい絵描いて、もっと枚数重ねようてなって 本当に落ち込んでるけどでも描いて暗い絵しか浮かばなくて描いて中途半端で、何か画材がかわいそうで。
絵はセラピーじゃない、講師はカウンセラーでも何でもないのに私はこの場で画面とも師ともクラスメートともどう向き合えばいいかわからない。違う向き合い方を知りたい。
多分むしろ嫌われてはない
とても申し訳ない… 自分が嫌われてるわけじゃないけど、お気に入りの子が分かりやすい講師ばかりでイライラする 生徒の才能に嫉妬して、アドバイスしない講師っているかな?‥ >>435
嫉妬する程のモノ作られた時点でもうオレから言える事がないんです
いつもいつもスルーされる…。
あーあと3ヶ月なのにな。だいたい一人は親身になってくれてる講師が生徒一人につき居るけど私は誰もいないや。
嫌われてんだろうな。はあ。
ちょっと愚痴らせてもらいました。 デッサン講評にて
「要は見たままのものをそのまま描けばいいんだよ。わかる?」
それが出来ていたら予備校通ってないんで… 講師と仲良くしようと思うな。
講師の入っている事など信じるな。
結局良いデッサン描く人は自分を信じている。 自分だけを信じてデッサンが上達するのは天才のみ。
自分と他人、二つの視点を意識して初めて主観、客観を押さえた良いデッサンになる。
勿論講師も人間だから間違う事もあるだろう。自分の判断で、成長できそうな意見だけを
聞けばいい。 見たままそのままかけばいいんだよ。
とか
そんなクソ講評しかできない講師なんている意味ないだろ >>441はちょいけなし過ぎた部分があるけど
見たまま、そのまま描いたら立体表現にはなかなかならないと思う。
よく観察して明暗を追うのは大事だけどね。 そういうこと。
絵の中でモチーフの立体や空間が見やすくなる明暗を自分で考えてつじつまが合うようにかく
あとは、丁寧に、描写力を上げる >>8
今現在では、そのパターンのほうが増えてるよ
大人しい性格の生徒は才能の有無に関わらず標的にされやすい 首都圏もチェルノブイリ並みに汚染されている(日刊ゲンダイ)2011年8月9日
医師の土井里紗氏はこう言った。
「首都圏はチェルノブイリ事故のような汚染はない、とされてきたが、(調査結果は)それを否定するもの。
降り積もった(高濃度汚染の)砂塵(さじん)が風などで吹き上がれば、皮膚や粘膜に吸着される可能性もあります」 予備校サボって意味あんの?タダじゃないんだよ?
予備校の先生からどう思われてるか悩む前に、親に謝りなさい。
社会最底辺のやつに嫌われるって事は、
才能があって教授になれるとか、
上場会社に就職できることじゃ無い?
良いじゃない。 ヨビコウコウシってさあ、てめえは画家でも、デザイナーでも、教授でもないくせに、
威張ってね? 馬鹿じゃね? 糞じゃね? 予備校講師の嫌いな人。笑
多摩美職員教授生徒全部。
造形職員教授生徒全部。
専門学校職員教授生徒全部。
芸大職員教授生徒全部。
プロのデザイナー全部。
サラリーマン全部。
大人の女性全部。
金持ち全部。
デザイン事務所経営者全部。 女性から軽蔑されるヨビコウコウシ(本人は気づかない)
・低収入
・低学歴
・不細工
・女性恐怖症
・女性慣れしてない
・彼女いない歴=年齢
・高齢童貞
・持病がある
・家族がいない
・自殺願望あり、失敗歴あり。
で女性からは軽蔑の対象であるでしょう。
女性から軽蔑されるヨビコウコウシ(本人は気づかない)
・低収入
・低学歴
・不細工
・女性恐怖症
・女性慣れしてない
・彼女いない歴=年齢
・高齢童貞
・持病がある
・家族がいない
・自殺願望あり、失敗歴あり。
で女性からは軽蔑の対象であるでしょう。
おま◯んこって、言っちゃいけないって、教えてやれよムサビ生に〜
明日は我が身。美大卒業後の展望も受験生のうちに視野に入れておかないと、同じ道を歩むよ。 自分は贔屓にされてる気がするがどうなんだろう…
変わった子が好かれるってのは当ってるとオモ
見た目に変人だったり、ワケありの子ほど構ってもらってる感あり 大手にいかず小さい所いって正解な気がするわ
親身になってくれていい なんて言うか自分は見捨てられてる気がする。
何度も同じとこぐるぐるまわって試行錯誤してもいつも空回りして……
贔屓される人が隣に居たときは贔屓される人は先生がよく見てるけど隣に居る自分はいつもスルー
講評の時も自分だけ言われることが少ない
見学に来た人がデッサンを見せて帰ってった後、二人の講師がその人のデッサンが下手だったって言ってて怖くなった
自分も、聞いてないところでこいつ見込みないなあって言われてるんじゃないかって。
今さらだけど塾変えようかな、なんて…… 馬鹿予備校講師の典型だね?
例えば自分の子を教育する場合
「才能が無い」「努力不足」「自分でやれ」「自己責任」
うそつけ〜!
良い先生はだいたい「勉強の面白さを見せてくれる」
解りやすく、簡単に、楽しく
でんじろう先生もそうだよな?
予備校講師は糞
学校変えるしか無いし、絵の書き方の面白い先生に会うしかない 予備校講師だけど生徒に手を出しまくってます。
毎年1人〜数人。
バージンも結構いただきました。 そこが彼の人生の目標であり
絶頂であり
自慢なんだ
女の数でしか自慢出来ない
年収も低いし
将来もないし
出世もしない
金もない
かわいい子が一人居て
彼女から奥さんに変われば最高なのにね
不細工白痴女ばかり相手にしている 昔の娘は、煙草も吸わない、酒も飲まない、処女率多し、薄化粧、門限あり、真剣な恋人経験が数人
今の娘ってさ、昔より馬鹿、化粧化け物、整形、喫煙率高し、酒タバコはやる、薬もやる、Hガンガン
戦後の売春婦みたいだよな(パンパンっていうのか)
ガーリーファッションてストリートガールから来てんだろ? 煙草は吸う、酒は飲むわ、処女はとっくに喪失のヤリマン(Hガンガン)
(犯され放題、レイプの標的にされ放題)だわで、頭も白痴、おまけに薬もやる。
それでもヤリたくなる、独占したくなるのが、バック・トゥ・ザ・ヒューチャー(1巻)
のヒロインの"リー・トンプソン"だろう。
google検索欄で英語で名前入れて、スペース入れて卑猥な英語を片っ端から
入れれば、いっぱい画像が集まったw
てか、ドラマや映画で出てくるブッチギリ系も、経歴調べてみたら、
案外にみんな白痴だよ。じゃなきゃ、演劇なんか仕事にしない。
学校に、"リー・トンプソン"のアジア版みたいなのが居るが、個人的に言わせれば、
ああいうブッチギリ系は、大抵は 自分が平均以上であることを ちゃっかり
自覚しているから、男に対する理想が超高い。その上八方美人で、誰から見ても
色目バラ撒いてるように目に映ってしまうから、余計に叶わん。
リー・トンプソンのレイプシーン(特に椅子に尻もちついて地声が呻き出るところ)
とエマ・ワトソン(ハーマイオニー)の拷問シーン(シリウスを殺った女に
犯られるシーン)は最高のオカズ。世界中の男(紳士)がチンチンを出した。 予備校講師が生徒を嫌っているのではなくて、生徒が予備校講師を嫌ってるの!! 嫌われるようなことばっかするからだ。嘘ばっかりついて。証拠を何1つよこさず、
能書きばかり垂れて。自己紹介の時点で、自分のキャリアを話す時は、証明書のカラーコピー
を持参して来るってのが礼儀なのに。なお、教育とは 広義には、ライフキャリアそのものを指す。
大学に入っても、結局、(副)専攻を全て被らせれば、やることは今までと全く一緒で、
むしろそれが、民間の入社試験で通用する形にまでブラッシュ・アップされる
ってだけだったのに、「今ここで頑張れなかった(要するに落ちた)奴は、死ぬまで永遠に
這い上がれない、死ぬまで負け犬」みたいなことを吐き捨て出して、学歴とか職歴とか、
あらゆるもので、どこぞやの誰かを連れてきて、いちいち生徒たちを脅しつけて、それで自分に従わせようとするし。
やり方がいちいち邪道だ。
自分に都合のいいように ヒエラルキーを仮構に物語って、自分たちが世の中の
一番の職業人であるかのようにハッタリかましたがる。現実は180度逆であり、
学部入試で落ちて泣いてた奴も、大学卒業間近になって、教育界の消費者面での
全体構造(全貌)が見えてくるに連れて、何のことは無かったんだと知るようになる。
そして、高校生までは、知的エリートか何かだと思いこまされていた
塾/予備校という仕事も、所詮はただの、大卒にもなれば 誰でも出来るような、
ただの パート/アルバイト か何かの人間たちに過ぎなかったと完全に悟るようになる。
ここは、就職から外れた人間たちが来る所だから。
企業会計の構造を知れば、年収だって大凡の予想はつくようになるし、
大学の専攻レベルで、バカみたいに その1科目ばっかりやってりゃ、
誰だって教えられるようになる。要するに学部入試でくぐるか、
学位と資格で くぐるかの 形の違い であって。 自分は「(個別)科学 的思考力」なんて まるで持ち合わせていないくせに、
都合の悪い奴には「あいつは魔法使いだ」「あいつはビジネス本・ライターの
類の人間だ」とレッテルを貼りつけて吹聴される。
教育学部も出てやしなければ、進路アドバイザー でも キャリア・アドバイザー
ない人間に、教育を語られる。DVDなんかで、間違えまくったことをペラペラと嘘八百並べ立てて。
教科書を読む時、やっぱりそこ(そのスキーマ)には、歴史の教科書で求められる
独特の読み方もあれば、地理学の教科書で求められる独特の読み方がある。
そして、すべての教科書に通底する、編集の構造、日本語表現法が絶対に存在する。
大人たちは何より、それを教えられなければならないし、授業には授業で、
あれにはあれで、また教育学だのプレゼンテーション実務士だの、色んな大元がある。
高校生なんか、人によっては 日本語表現法すら知らなければ、付箋すら使わないし、
地域によっては、ブックオフすら知りやしない。だから いちいいち、参考書を
定価で買って、資産を無駄にし、落ちてから「大損をした」と悔恨の念に苛まれる。
ネット通販もロクに使えやしないから、定価で買わされたものを 売り捌き直す ことも出来やしないし。
失敗してもリセット出来ない。やり直しが効かない。これが一番怖い。
教育と学問は違うと言う利権塗れの教授がよくいる。しかし、高校までの教育内容は、
教える側がルールを知らないだけで、きちんとした正規のルールに則ってやれば、
あれは立派な学問分野だ。学問とは問を学ぶこと。世の中の全ての基底には学問が流れている。
学問でないものなど、そもそも1つもない。ましてや本(テキスト)を使うデスクワークである。 何気ない1冊の教科書や参考書も、使いようによっては、立派な学問になる。参考文献になる。
参考書を用いた大学入学試験までの勉強は、その基礎を養うところ。
旧帝大卒や国立理系卒でもない限り、大学に入ってからきちんと間口を
確保しておかなければ、一度落ちこぼれたら二度と這い上がれない。
社会は、博士に都合のいいようには回っていない。大臣に都合のいいように回っている。
その限りで、大学(学部)では「狭く深い」勉強をするべきか、それとも「広く浅い」
勉強をするべきかに関しては、こんなもんは、後者に決まっているのだ。何故なら、
社会全体が、明らかに後者の方を支援してくれる、キャリアをいつでも積み上げていける
ようになっているから。
専門の勉強がしたけりゃ、専門の業界に就いて、専門職業人になっていけば
いい話だし、今や(少なくともホワイトカラーは)どこの企業でも、大卒であること、
その能力があることが、雇用対象の前提になっている。高卒でも出来るような仕事は、
みんな外人にやらせた方が低コストで済むからだ。そして、生涯学習/インパルス的自我
という概念も忘れてはいけない。残業がどうのこうのの現実論の脅しは抜きで。
実際、安月給でも、土/日はみんな遊んでるし。 生徒たちを井戸に閉じ込めて、自分の都合のいいように皆して洗脳する。
それが講師個人のケースであったり、あるいは会社ぐるみのケースであったり。
それをまずやめて戴かなきゃ。しかもそれを、社会全体の公理であるかのように
一般化して、社会一般で通用する まともな人間であること を気取ったり。 毎日が不安で仕方が無い
今日夕方からの予備校に備えて荷物と課題の整理でもして心を整える アニメーターと
デザイナーと
アイドルは
騙されてることに気がつかないんだな? つーか美術予備校に通う人間が騙されている事に気付くべき 社会は需要があり供給がある。この世の中に美術予備校が一校もなくなったら明らかに日本の芸術学校乗ればるは下がるだろう。
例えば金持ちだけが家庭教師として有能な講師を独り占めにしてそういうボンボンがのうのうと芸術やるのが理想なのかな? >>478
1行目ちょっと何言ってるのかわからない 田舎の学生を騙して平気な予備校講師
その心の病は傷ついたから
昔先生に騙された→俺も騙してやろう
心を傷つけられた→俺も傷つけてやろう
女に裏切られた→俺も裏切ってやろう
女に馬鹿にされた→俺も馬鹿にしてやろう
心の病気持ち 現在リチャード・コシミズ氏をはじめ多くの人が、不正選挙の裁判をおこしていますが、
これが不正選挙を行なった人々を怯えさせ悩ましているようです。
不正選挙はなかった事にされるというのが、これまでの彼らのやり方のようです。
ところが今回の不正選挙の裁判はリチャード・コシミズ氏が相手なので、
どうもこれまでのようにはうまく行かないようです。氏は大変頭の良い人なので、
裁判長であった斉藤隆氏に女装癖があり、その筋では"ビクトリア"あるいは"ヴィッキー"と
呼ばれていることをつきとめ、ブログ上で暴露してしまいました。
くわしくはリチャード・コシミズ氏のブログでご覧下さい。大変盛り上がっています。 反社会性人格障害=ネンチャクヨビコウコウシ
学生の感情や権利やお金を平気で詐欺無視して侵害する発想を持っている人格障害になります。
衝動的な感情を持っており、自分が取る行動によってどのような結果を引き起こすかという能力に欠けているため、
我慢をすることができなかったり人に対して暴力的になったりします。
しかしそれが悪いことや他人を傷つけることという認識がないため、罪の意識を感じたり後悔することはありません。
さらにその行動を正当化させようとしたり、他人に罪をなすりつけようとします。
反社会性人格障害の原因としては、小さいころに育った環境が大きく影響しているものとも考えられています。
両親からのネグレクトや虐待を経験していることもあり、社会的な基準や常識を得るべき時期に得られなかったということになります。
http://www.officiallodown.com/sub/e2.php 別に平気なのでも人格障害児なのでもなく、生きるために仕方無くやってるんだと最近思うようになった。
社会人生活の基本は、ピンハネ。そして、如何に周りの村の人間から、資源を奪取して来れるかにある。
だから、これは別に予備校に限らず、大学にしても、あらゆる会社において、そこはHP(広報)という
レベルで、根幹から嘘八百であるという 当たり前の常識 を、まずは学生たちは悟らなければならない。
「win-win」なんて余ったれた事を言ってられるのは、よっぽどボンクラな企業だけだ。
で、もっと憶測して言えば、そのバレバレの嘘を装飾するために、一般企業は一次資料無しで、
何かと統計を自分で取ってデータを偽造する訳なんだが、それにワザと、他の企業にお金を払うことで、
一次資料という名のお墨付き、その判を、他企業から頂くために依頼している会社(要するにグル、
賄賂みたいなもの)の代表例が、たとえば、電通だったり、博報堂だったりするんだと思う。
いわゆる、学生たちが、文系的な技術が問われるからと、何も理解せずに志望する業界の1つ、
広告代理店というやつだ。下請けがどうのこうのってやつだろうか。よく意味わかってないけど。 下請け→請負
予備校講師にとっての「学生の頑張り」っては、「授業をたくさん受ける」ことを指す。
受かりもしない、出来もしないことを、「受かる、出来る、頑張れ」と励ますことによって、
彼らが希望をもち、授業を取れば取るほど、浪人を繰り返せば繰り返すほど、予備校は儲かる
システムになっている。これは予備校だけではなく、大学の資格サポート室でも同じ。
企業は、浪人生よりも、22歳-第一新卒 を何よりも好むし、高度専門職でもない限りは、実務能力なんて
ある訳が無いこと、そもそも習ってないこと が前提なので、「石の上にも三年=どんな仕事も、三年間、三年契約以上で
フルタイムで詰めてやれば、25歳にはコンピテンシーという名の盤石な試金石が出来上がっている」というのが、
採用考課の前提にある。だから、企業が一番多く雇うのは、中途採用などではなく、何よりも丸腰の第一新卒な訳だ。
「石の上にも三年」というのは、何も「22歳〜25歳の20代新卒」に限った話ではなく、大学3回生までの勉強にも言えること。
文系に限れば、どんな学問分野も、24単位を3年間、即ち144単位(丁度、卒業必須の単位として、カリキュラムが
組まれてたって気づいてたか?)修了すれば、誰だって、その個別分野に精通したマインド、コンピテンシーを有つようになる。 一般企業は、高学歴よりも、スッピンの若者を好む。何故なら、運命共同体、家族として、村の住民として、
その制度や慣行に染めて行きたいからだ。さっさと馴染ませたい。怒ると叱るを、内心、混同だってしたい。
そして、企業は、あれもこれもと資格を持ってるようなマニア君よりも、企業内特殊熟練者にそいつ(正社員)
を育てて行きたい。会社独自の言葉、制度、PCソフト、ジョブサイクルだとか、社内アイドルだとか、
老害だとか、禁忌な事だとか、流行だとか、ナビゲーターだとか、新聞/雑誌とか、そういう事を熟知させたい。
愛社精神、学校で言う校歌みたいなやつ、経営理念、社長の朝会などがそのいい例。組織文化、ピア(チャム)グループ。
本当に必要なものは、会社側から 自己啓発だか何だかで、取れって後で言ってくる。そういうのを
ビジネス用語で何て呼ぶかまでは覚えていないが。むしろ、何でも知ってるような面する奴は、逆に敬遠もされる。
(「どこかのマニュアル書に書いてたんだね? でも、我々の感覚では〜」って。)
企業は、浪人高学歴よりも現役低学歴を好み、学校の勉強よりも大学での専攻を好み、あるいは一人で論文を
読みまくったり 書きまくったり している奴よりも、アルバイトや部活動に打ち込んで来た奴を好む。何より22歳の
スッピンが一番だ。あとは、3年間、耐え抜く上での、大学3年間+就活1年分の4年のコンピテンシーがあれば、それで十分らしい。 浪人高学歴よりも、現役低学歴。二浪生よりも、院卒(専攻や採用条件にも因るが)。
文学部の教養人よりも、経営学部や商学部の活動家。読書よりも新聞。流行追いのミーハー。
受験勉強よりもスポーツ。特に集団競技。サークルから受け入れられる、インサイダーに居られる
ための技法を体得して来たような奴。そして、一人であることに慰安を見出したりしない奴。
現代の企業社会が、どういう人材を欲しがっているかなんて、25歳ぐらいにもなれば、
誰だって滔々と語れるようになるものだ。三年契約以上の職階の者も、あるいはアウトサイダーの
派遣社員にしても。しかし、こういった事を 予め全部知っていて、浪人を平気で生徒に勧めたり
(修士課程を犠牲にしてまで)、受験中に本なんざ読ませたり(しかも定価)、やれ読書だ教養だと、
学部入試突破後の生活にまで口を突っ込んで来る所などは、やはり彼(女)らは、相当惨い商売してるなあとも思う。
社格にしたって、別に大企業だからって それが高くて優れている訳でもなく、アナリストというか、
企業分析の専門家なら、そんなもんは簡単に看破しちゃうし、中小企業にしたって、一寸法師の船のような、
人生の 気持ちいい お茶碗(受け皿) を提供してくれるような所なんて、幾らでも国内に在るのに。
低学歴に至っては、市場価値を貶せるから、何かとカモとして支配し易いしね。「おまえ独学で頑張れないから
ここに居るんだろ」「勝負から逃げるのか」「そうやって独学を選ぶ奴はみんな落ちて行くんだよ」などと。
バカ親も懐柔して味方に付けちゃえば、もう完全にあっちのもんだ。 「教育」とは、別名「支配」である。高校までの教育と、大学の教育は 本来違う。中等教育学校は、
躾の機関。高等教育学校は、高度な市民を育てるための、受験勉強の機関。そして、大学は、学ぶ自由、
考える自由を与え育ませるための、哲学や科学のための機関。ましてや、予備校は教育機関じゃない。
日頃から「教育がサービス業化すれば、それはもう教育にならない」なんて言っている輩がいれば、
そいつは、「教育」を「哲学」や「科学」ではなく、一方的な村的「支配」と勘違いしている証拠だ。
多分、幼い頃に、何かがあったからなんだろう。オッサンにもなってそんなクダラン事を言っているということは。
科学は、自立(自律)と不即不離の関係にある。それは、啓蒙主義というものの発端を思い出せば、誰にでも判ること。
しかし、予備校の教壇という演説場において、彼ら予備校講師は、生徒たちを自立(自律)に向かわせるような
講義は、決してしたがらない。そして、彼らは、生徒を支配するために、しばしば古の知者を利用する。 学ぶ自由、考える自由 → 自由人として、学ぶ自由、考える自由、選ぶ自由
古代の知者は、たまたま その時代の その脈絡では 受け入れられた。しかし、彼らが面と立って、聴衆の前で
ヒットラーやナポレオンのように振る舞える権力者であったか、生前において村社会から排斥されていた
アウトサイダーであったかは、別者だ。人間は誰しも、時に卑怯なことをする。もしかしたら、生前は村じゅうの
皆から 煙たがられたり 妬まれたり して、窓際で生活していただけなのかも知れないような人たちだ。
そんな人たちが、文章の中だけで、上から言っていることが、果たして正しいのだろうか。予備校講師たちは、
民衆たちが卑屈に持ち上げた彼らの名声に擦り寄っては、それを引用によって傘に着て、あたかも自分やその価値観が
偉いことであるかのように、それを権威づけようとしたがっているだけなのではないか。
科学教育や哲学教育において、最もしてはならないこと。それは、個人的な価値観の強弁、強制だ。こと文系に
於いては、結局、哲学や教育の下には、信仰(我欲、自分中心主義)がある。高等教育以上に於いて大切なことは、
自分と同じように、子どもたちにもある、その信仰(我欲、自分中心主義)を大切にしてやり、潰したり、摘んだりするのではなく、
育み伸ばしてやることだ。何故なら、予備校を卒業すれば、彼らは大学の学部生となり、大学の学部生を卒業すれば、
今度は、特定の村組織社会の住民となって行くのだから。少なくとも、文系科学が目指すのは、村同士の「WIN-WIN」相利共生。
子どもたちに酷く当たれば、そいつらが大人になって、将来、自分の首を絞めることになる。我欲だけで軽薄に行動してはならない。 そうだ、お前は自由だ。
自分で世の中を不自由に解釈せずに自由に楽しく最後まで生きろよ。
お前の嫌いな予備校講師の中にもお前と同じ考えの奴もいるぞ、忘れるな。 子どもたちは、「コンピテンシー」という概念も知らなければ、「職歴」という概念も「職務能力(職能)」という概念も「正社員」「総合職」
という概念も知らない。要するに、自分がどれほど金の卵なのか、全然判っていない。キャリアデザイン学を知らない故、そして学校(教育学)
の世界しか知らない故、それが世の中で一番の職務能力(職能)だと思い込んでるんだね。まあ、タウンワークでは3本の指に入るけど。
大学受験の時に2教科3科目に絞り、産近甲龍や大東亜帝国をくぐる。最悪Fランでもいい。英語と現代文と文系数学(今は数1A)
ばかり徹底的にやる。古文は後回しでもいい。どうせ使わない。学部を大学受験科目と被らせ、4年間、その授業ばかり、
24単位/学期で取ってゆき、中間/期末試験もたくさん受けて、レポート課題も大量にこなしてゆく。そうやってしていく内に、
気が付いたら、3年間の月日が経過/修了し、基礎はほとんど完璧な状態になっている。そして、最後の追い込みの4回生の1年間は、
もう応用レベルの授業を受けられるし、教授にも論議で対抗出来るようになっている。レポートで教授を伸せられる位になれば、
もう学部生としてはイッチョマエだ。卒論なんて別に無くていい。どうせ使わない。
さすれば、たかが時給1000円〜2000円の予備校講師如き、学士と検定資格さえ持っていれば、誰だって雇ってくれるでしょ。
「汚いことでもやれるか? 組織に忠誠を誓えるか?偽証だってちゃんとやるか? 守秘義務をちゃんと守れるか?」の絶対条件さえ満たせばね。
予備校講師が受験勉強の知識あるのは当たり前。だって、それが職能だから。でも、それは決して、18歳の段階で既にあった訳ではない。
「石の上にも三年」で、誰だって、大学時代に3年間、人並みに勉強して、新卒後も22歳〜25歳にかけて勉強してきた。それだけの話。
「人間は時間をかけると必要以上の仕事をつくり始め、ややもすると本末転倒の仕事が増えて行く。そして、本末転倒であることに
誰も気づかないまま、仕事量が多くて大変だから人を増やして欲しいと言い始める。」(セブン-イレブン(イトーヨーカ堂)代表 鈴木敏文) 塾(予備校)講師の中にも、大学教員の中にも、本物も居れば、偽物も居る。
今井や吉野や宗や林が偽物ってだけで、板野とかいう人はまだ調べが足りないが、
出口先生や箕曲先生や神崎先生、野島先生や荒巻先生は、本物だと信じたい。
自分はおそらく、他の誰よりも、本当は、この職業を 内心気に入っていて、真だと信じていた。
嘗て、この職業は、自分の中では絶対だった。だからこそ、それを裏切られた時のショックが半端無く、
大学を卒業してアイデンティティ・シフトを遂げるまでは、なかなか立ち直ることが出来なかった。
塾(予備校)講師は、今の自分の中では、単なるパチンコ未満の中毒屑商売人たちの溜まり場というイメージになり下がっている。
でも、本当は、これは正義の職業なんだって、信じたいんだと思う。教育は、下の世代を滅するために在るのではなく、
若者たち、下の世代たちの 秘められたコンピテンシーを 開花させ、特定の業界にコミットさせて行くために在るのだと。
教育学は、本来は実証主義のバリバリの学術(キャリアデザイン)なのであって、生徒指導を名目に、村組織の不文律を教えたり、
搾取を教えるために在るのでは無いのだと。包括的歴史論然り。戦後歴史論然り。教育学然り。文化論然り。文明論然りで。 予備校の授業は、1コマ3000円。対して、TSUTAYAビジネス-カレッジのゲオのレンタルDVDは、1本100円。
DVD講演の30倍の金額だ。あのペテン講師の授業を1コマ(90分)受けただけで、1時間半で 千円札が一気に 3枚も飛んだ。
1コマ1000円とかならまだ納得できる。施設代に、テキスト代に、講師やチューター(事務員)の人件費にって。
4コマで\12,000/月。@基礎英文法/A英文法・語法/B基礎力完成-英語総合/C志望校対策-英語総合って。
でも、1コマ3万円ってのは、いくら何でも、明らかに異常なボッタクリ金額だ。人の弱みに付け込んで。
「先生、僕、偏差値30台なんですけど、こんな僕でも阪大行けますか?」とかホザいてる高2生に「大丈夫/それは君のやる気次第だ、
必死こいて勉強やれば、必ず合格出来る!」じゃなくて、「絶対無理。それは今まで遊んできたツケだからね。てか、どっち道、
やってもあんまり人生に支障出ないから、これ。むしろ人生の足枷になるぐらいだし、あとあと邪魔になるだけだよ。それよりも、
どうせ大学に入っても、どうせやる事(情報チャンネル数)はみんな一緒なんだし、社会に出たら経営学と心理学(人事)で人格測られる事に
なるんだから、今は謙虚に韜晦して、常用漢字や諺・慣用句の読み書きと並行し、学校の情報の授業の復習を、たとえばMOS資格の勉強なんかを通して
やっておく事に徹した方が、大学に入ってから周りの人間片端から追いぬいて行けるし、大卒後に一気に大きなリターンになって返って来るよ。 みんな、情報学に ノーマークだけど、大学の卒業論文では Wordも Excelも 使うし、プレゼンテーションでPowerPointだって使うんだよ。
就職する時にだって、MOSの資格を持ってる人間と持ってない人間とでは、社会的信頼にかなり差が出てくる。目先の無謀な利益に拘るんじゃなくて、
もっと何年も先の、より確実に勝利を掴み取りに行けるような脈絡を狙ったら?」とハッキリ言ってやるべきだ。
「ジョブカフェ勤務などのプロのアドバイザーを育てるキャリア・カウンセリングの教室だって、そこでは、別に教育学なんかやっていない。
キャリア-カウンセリング学ってのは、経営学×心理学のダブルメジャー(専攻)のことを指すのであって、その中に教育学は含まれていない。
本当に余裕のある人だけ、経営学×心理学×情報学のトリプル・メジャー。でも、そういう人は、いわゆる、クラウドがどうのこうの、
D言語がどうのこうのなどと、意味のわからん会話をしている階層の人たちだけ。ハローワークの職員だって、あそこは もともと企業で人事を
勤めていた人などから、その人たちをプロとしてヘッドバンティングして来ているのであって、誰もこんな、高校までの教育学なんか 相手にしてないよ」って。 TSUTAYAビジネス-カレッジのゲオのレンタルDVDは → ゲオのレンタルDVDは 恋人も、特に子どもも、所詮は他人などではない。制度的には、自分の分身である。
あるいは、それがもっと敷衍されれば、たとえば友だちや会社や同志ですら、仲間になる。
ひったくり、泥棒、強盗、詐欺。そしてカツアゲ。殺人。相手が一人であったら、或いは弱者であったら、
無防備であったなら、どんな非行だって許されるのだろうか。経歴さえ高ければ。或いは自分たちさえ好ければ。
俺は、いつまで経っても、自分の育ってきた村民たちが主張していた道徳的判断が理解出来ない。
富を分配するためならば、あるいは他人のためにそれを尽くすのならば、カツアゲは複数人でやれば許されるのだろうか。
仲間とは、英語で人称を付けるならば、所謂「一人称」だ。いわゆる「We」。それは「俺ら」などといった
言い方で表現されるのであって、その限りで、「家族」だの「村の皆」だのは、そのニュアンス上では、決して他人ではないのである。
ましてや、同籍をした時点で、恋人、子どもは、どう見たって、それは戸主からすれば、少なくとも表面上は、自分の分身だ。 誰からも財産を巻き上げることなく、資格商法のようにボッタクルことなく、もっと言えば、嘗て、「穢れの多い仕事」
「穢れ多い者(罪人)が行う生業者が"業"(自己責任)でしているもの」なんて言われていた、生き物の死に直接に
関わるような、皮剥ぎ系、或いはそれと同じような仕事にさえ関わらないならば、質素に暮らしているのが一番ではないか。
法律の最低賃金ギリギリではなく、せめて1000円以上は貰えるもので、それで30時間なり40時間なり働いていれば。
要らんものを作らない。ただでさえ罪人なくせに、ヤケクソになって、自分の分身を作らない。それを「他人のため」
だとか「犠牲になってる」だとか「守るべきものがある」だとか「財産分配」だとか、意味不明なこと言わない。
そして、周りの村民にも迷惑をかけない。なぜ、こういった、「高邁な精神の(権威は無いが)化身」のような生き方が、
世人からは支持されないのか。なぜあんな、「頭の中に水銀でも沸いてる」ような、逝っちゃってる系のキャリア-パスに、みんな行っちまうのだろうか。
大人たちの頭の中は、一体どうしたと言うのか。なぜ、村組織社会の人間たちの頭は、あんなんになっちまってるのか。ピンハネという名の
資源の取り合いの所為? 見栄の張り合いで自分を失ってしまった所為? 資本主義が帝国主義に化けてしまった所為? 何だよ"言い訳"って。何の言い訳だよ。
子どもや学生は、犯罪者よりも下だとでも言うのだろうか。フリーターは、犯罪者よりも下だとでも言うのだろうか。
だって、どう見ても犯罪でしょ。塾講師や予備校の契約社員がやってることも、大学の資格サポート室がやってることも、一部の企業がやってることも。
何がコンプライアンスの精神だよ。法律守るのは義務だろ。法律を守ってないことが自然なのか。何だ、あの「守ってやってる」な外様に対する態度の本音は。
あれだから、人間は大嫌いなんだ。社会の辺境で、そういうのと関わり合いたくないって人たちの集落に落ちついて、そこで受け入れられて、ゆっくり生きてみたい。
自分は何故か、「外様」「お客様」という言葉が大好きだ。しかし反面、「村」とか そういう系の言葉は、それを目耳にする度に、寒気や吐き気のようなものを起こさせられる。 多感な時期に、予備校の教室内に閉じ込められ、周りを取り巻く大人たちを片端から貶される。挙句、
原子爆弾-開発がどうのこうのと、悪者礼賛の自慢話をされると、生徒たちはどうなるか。力の強い者こそ
が悪い、力の強い者は皆悪いと、勘違いするようになる。これを心理学では「般化」「転嫁」と呼ぶ。
電気通信大学は、原子爆弾の開発をしていると言う。しかし、そんなものは、インターネット中の
どこを探しても出て来ない。つまり、嘘である確率、口先からの誤魔化しである確率が大だ。
Fランク大学は学生を抑圧する。しかし、それは、Fランク大学の学生の方にこそ、そもそもの原因が
あるのであって、その地位に転落したのは、そもそも誰が悪いか。そして、逆に言えば、そこの教職員は、
Fランク大学だからこそ、学費に全く見合わない詐欺を働いているのであって、国立大学はしていると言うのだろうか。
世間は、塾/予備校 講師や、Fランク大学の教員が言っている以上に、案外クリーンなのかも知れない。
それは、あいつらが勝手に腐ったからであり、世間を僻み妬んでいるからであり、そして自分が、そんな詐欺師の
屑たちに囲まれて育ったからだ。実際、本当に何もしていないというのに、そこら辺の普通の、正直な商売をしている
サービス業者が、「あんた詐欺してんでしょう?」なんて言われたら、たまったもんじゃない。中小零細の経営者も。
世界は暗黒(悪)によって成り立っている。上層に居る者が屑で、下層に居る者が、無実の罪で虐げられている。
そんな思い込みの囚われから、いつか完全に解き放たれて、「嘘つけえww!」「実際、全然違ったやないかww!」
と灰色の心が完全に青色に晴れる日が、完全に来ると、信じたい。塾/予備校 講師とFラン講師が、嘘ついてるだけだったと。
ホワイトカラーは、本当にホワイトな商売してたと。詐欺師のサークルの中に居るから、いつまでもそういう
偏屈で幼稚な世界観に心を支配されていただけなのだと。世界のトップは、やはり好い人たちだったと。
破壊的物造りの悪 こそが世界の超点などではなく、その悪の上には、必ず常に、文系ホワイトカラーの正義が君臨しているのだと。 就職してみれば解る。あるいは、転職してみれば解る。要は、それだけの話。就職してみないと解らない。
何事も、自分の好き嫌いで破壊してしまうのではなく、建学の精神を大切にして生きてゆきたいものだ。 地位に余裕のある者ほど、子ども相手に嘘をつかない。何故なら、自分が絶対的に上だと、
抜かれる心配が無いと、解りきっているからである。他方、地位に余裕の無い者ほど、嘘をつく傾向にある。
そして怒鳴る。恐喝する。言う事を効けと、あるいは異見するなと、脅す。心に余裕が無い。必死。血眼。
本物の京大卒は嘘をつかない。西洋史の講師も、考古学の准教授も、俺に嘘はつかなかった。何故か。
それは、大学専任教員という、安泰の地位が保障されていたからである。しかし他方、本物の京大卒も、
ごくごく稀に、嘘八百をこく奴も混じっていた。何故か。それは、そいつが、30代をとおに迎えていても、
万年非常勤で、フリーター身分だったからである。つまり、子どもたちを恐れていたからである。
事実、西洋史の講師も、「(下の世代が)脅威です」と、正直に、その本音を表白していた事があった。
嘘をつくのは、だいたいは予備校講師や教職出身者。あと心理学者。そして低学歴。何故だかは知らないが、
生徒を支配したくて堪らない、権勢症候群を発症しているからである。低学歴・低職歴は、決まって嘘つきなのである。
父は、京都光華女子大学で働いている親戚を、京大で働いていると偽り、京大卒の万年非常勤フリーターのデブは、
自身を京大で非常勤講師をしていると偽っていた。予備校講師出の日本史の常勤教員は、自分は韓国で会議なんか
していないのに、韓国に飛行機で飛んで行って、世界会議をしに行くと嘘をついていた。どこで知ったのかは忘れたが、
小学校か中学校で、社会科の講師だか教諭をしていた地理学の常勤教員も、自分は高校で働いていたと、嘘をついていた。
もしかしたら、子ども相手の職業人たちほど、嘘をつく習慣が身にこびり着いているのかも知れない。世間知らずに
ガラパゴス化しちまって、社会から取り残されたかのように。普通、企業組織で嘘をつけば、後々、一緒に働いている
人とも、あるいはお客さんにも、トラブルを招聘することになるから。そのために卒論があるのだから。 自分たちは、子どもたちを支配することでこそ、その村の秩序、安泰が成り立っている。しかし、
この支配のあり方が崩れれば、村は崩壊する。学級も。威信を失う。信頼を失う。畏敬の念を失う。
敬わなくなる。畏れなくなる。むしろ、畏れていて欲しいと、人格障害者たちは願っている。
だから、それを恐れて、もしかしたら、塾/予備校 講師たちも、Fランク教員たちも、その多くが、みな必死になって、
嘘をつくのかも知れない。能力の無い者、自分に自信の無い者ほど、大人だとか、社会だとか、そんなもんに縋って。
やり込むのは、究極の解決にはならないのに。それはいずれ、トラブルや悪評となって、より大きくなって
自分に返って来るというのに。そして、それが続けば、最後はとんでもない問題にまで発展するというのに。 世界は、決して村的規範のみでなんか成り立っていない。そんなものは、本当に小さなものだ。
理系のキャリアデザイン
ttp://www.youtube.com/watch?v=I974jKrR4VQ
ttp://www.youtube.com/watch?v=9C6HJfeBkno#aid=P-TCvgcCwO0
文系のキャリアデザイン
ttp://www.youtube.com/watch?v=Wq6e8Njw9m8
ttp://www.youtube.com/watch?v=--0IxXyi2Bs
こういう動画を偶々にでも観た際に、やれ編集業がどうのこうのと、屁理屈を垂れたり、理学部生や歴史専攻生を
僻んだりすることなく、純粋にその世界、その景色に感動出来れば、即ちそれだけの、キャリア自己概念に裏づけられた、
キャリア・コンフィデンスがあれば、そいつは、相当の器を有した者に違いない。
覚えなくてもいい。独占しようとしなくていい。手に入れようとしなくていい。自我にしようとしなくていい。
「へぇ〜、そういう世界があるんだ〜」と、感動しながら眺め浸るだけでいい。やましいことは考えなくていい。
純粋にエクスタシーに浸れる余裕のある人間(大人)かどうか。世界を正視できるかどうか。黙って受け止める。曲解しない。
しかし、これが出来ない人間が、俺の周りには、本当に多い。ほぼ全員と言っても過言ではない位だ。 とても簡単な自宅で稼げる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
AUVFW 【何もしない人=年がら年中授業中寝るか漫画を読んだりして遊び呆ける事しか能がなく
肝心のテストの時等は全て人に尻拭いさせても平気な人間のクズ
筆記用具すら持ってこない小学生レベルの学力の池沼の分際で
結局不正がバレて平塚学園高卒の資格を剥奪された"自称一生芸大志望"(笑)とぬかす
自分のケツもろくに拭けない所詮は口先だけの身の程知らずの出来損ないwwwwwwwwww
鎌倉市由比ヶ浜在住のこいつん家をけんまするのは大歓迎!!www『大場雄太』ほど批評家になる】
自分がバカにされないことに意識を集中する。
これが劣等意識がもたらす「引き下げの心理」なのです。
部下の行動、妻の言動、何かのコラムに批評することで
「自分の方が偉いんだ!凄いんだ!」と自分で確認しなければ、気がおさまらない。
だから、良いところより、批判することにのみ、すぐに意識が向く。
なぜ、人を誉めること、よい所を認めることにこれほど、ある人は抵抗感を持つのか。
誉めないまでも、一つの考え方としてとらえる事ができないのでしょう。
演劇や舞台の批評文ばかりを見て、あの舞台はキャスティングミスさ、
台本の流れが問題さと、退屈と苛立ちにアグラをかいて、人を批判するより、
一生懸命作っている演出家や出演者の方が人生を楽しんでいるし、心からの友達も多いはず。
何もしない人ほど批判精神ばかりを育てて、人生を孤独にする傾向があるのです。
批判ばかりがクセになると、自分の小さな行動に対しても「くだらない」「意味がない」
と自分にも批判精神は向いてしまい、自分の前向きなエネルギーまでもが枯渇します♥ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています