【元・オリエント貿易】エイチ・エス・フューチャーズ【現・澤田HD傘下】
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(判決の要旨)
1、適合性原則違反を認定
原告の属性、資産状況からして、取引開始時においては、不適格者であるとは
認めなかった。しかし、取引途中から原告が借金してまで証拠金を入金しており
(原告はその旨を被告の担当者に告げていた)、それ以降は原告が適合性を欠くとして、
その後の個別取引の勧誘については適合性原則違反を認定した。
2、説明義務違反を認定
取引を始めるにあたっては、被告担当者は原告の理解力に応じた説明義務を尽くしたと認定した。
しかし、その後の取引継続中に、@取引拡大のために原告に証拠金の入金を求める際、
追証1回分程度の証拠金は被告に留保したままで建玉をするとの説明をしながら、
実際は全ての証拠金を建玉に回した、A追証がかかった事実がないのに追証が必要との
虚偽説明を行って証拠金を入金させた、B証拠金の準備金(委託証拠金額と必要証拠金額の差額)が
未だ十分に残っているのに、これを説明しないで、追証がかかったので証拠金が必要だと告げて
原告に入金させた、としてこれらの行為につき説明義務違反を認定した。
3、断定的判断の提供を認定
被告担当者において、値動きが確実であるかのような言辞(「間違いなく上がる」
「これ以上下がることはない」「絶対に儲かります」)があったため、これらが顧客に対し、
利益を生ずることが確実であると誤信させ、あるいは商品先物取引の危険性に対する警戒心を
弛緩させる言辞であるとして、断定的判断の提供にあたると認定した。 4、新規委託者保護義務違反を認定
被告会社内の内規に反する取引は特段の事情がない限り新規委託者保護義務違反として
違法性を帯びると判示した上で、本件では、内規を超えた建玉を行っており、
原告は委託証拠金を借入金で賄い、しかも先物取引未経験者であるから、
原告の申出書があり、被告の社内審査を経ていたとしても、原告が先物取引の危険性を
十分に体感したとは言えず、十分な資金を有していたとも認められないため、
新規委託者保護義務違反として違法性を認定した。
5、両建の勧誘を違法と認定
両建は損失を固定するばかりか、新たな手数料負担を伴い、両建をはずした後の
その後の相場の動向によってはさらに損失を拡大するリスクがある。しかしながら、
委託者の心理としては、追証を迫られた局面では、損切りを嫌って上記のような
両建のリスクを十分理解しないまま安易に両建をして様子を見る方法をとりがちで、
合理的な相場予測を持たないままに予期せぬ多大な損害を被ることがある。
したがって商品取引員は委託者が損切りを避けようとするからといって、
単なる様子見のために安易に両建を勧誘することは委託者の利益を擁護する
信義則上の義務に反すると判示した。
その上で、本件では、原告が損切りと対比した両建のリスクにつき十分に理解した上で
両建を希望したとは認められないとして両建の勧誘を違法と認定した。
6、仕切拒否を認定
@原告が妻から先物取引を中止しないと離婚するとまで言われたという
看過し難い事情を知りながら、被告担当者は、それを回避する手段を
講じさせてまで取引を継続させたこと、A原告が借金をしてまで資金調達
していたという事情を知りながら、被告担当者は取引継続を説得したこと、
Bしかもこれらの各時点で手仕舞えば利益を得て取引を終了できたことを
考慮すると、被告担当者の仕切拒否は違法であると認定した。 7、差玉向いシフト(取組高均衡仕法)の開示・説明義務違反を認定
本件においては、全委託者との関係では、売玉と買玉がほぼ均衡するように
自己玉が建てられていた(取組高均衡仕法)。ただ、このことから直ちに
商品取引員において委託者の利益を無視して損失を加える傾向を有していたとは
推認できない。しかし、商品取引員が委託者に勧める建玉と反対の売買を
自己取引として行うことが常態であることを委託者が知れば、委託者は
商品取引員による相場予測の合理性、信頼性に疑問を抱くなど、商品先物取引が
ハイリスクであることをより深く理解し、取引の勧誘に応じず、継続・拡大を
思いとどまったであろうことが考えられる。したがって、委託者にとって、
商品取引員が取組高均衡仕法を採用していることは、委託者が取引をするに
当たっての重要な判断材料である。それ故、商品取引員には、取組高均衡仕法を
採用する旨を委託者に事前に開示すべき信義則上の義務があると判示し、
本件では、そのような開示をせずに、勧誘・受託をしているので違法であると判示した。
(コメント)
本件は、商品取引員による両建の勧誘において、委託者に両建のリスクを
十分に理解させる信義則上の義務があり、単なる様子見のために両建を
勧誘することは違法であると判示し、また、取組高均衡仕法を採用する
商品取引員においてはその旨を事前に委託者に開示すべき信義則上の義務が
あると判示した、非常に意義深い判決である。原告代理人らの努力の賜であろう。
本件判決では容れられるところとならなかったが、安易に過失相殺すべきでないとの
原告の主張内容は非常に説得的であり、この点も含めて、本件判決は、先物取引裁判例集などで
是非一読をおすすめしたい。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれて溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人 もうじきあの先物悪徳業者コムテックスも廃業になる日は近い
浄土宗に5億円早く払えよ、ゴミ業者が!!!! 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
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07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
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09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
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12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
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10年 1月:本社を銀座に移転
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10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
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05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
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10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
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12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
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04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
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06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
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11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
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05年 6月:澤田が会社を買収
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06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
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09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
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09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
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12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 残ってる38人の従業員ってwwww
恥ずかしすぎて町歩けないよねぇ
いや、羞恥心などないから先物会社にいたんだから、堂々と町歩きそう
だな
まぁどっちにしろ、悪あがきをするだけして廃業ってwwww
さすが馬鹿しかいない先物会社
やはりゴミクズと馬鹿の集団だな、先物会社は 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
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06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
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08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
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10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
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10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 金融コングロマリットを構築すべく、グループ企業の拡充を図るHS証券。
「世界を相手に勝負したい」と壮大な夢を語る澤田秀雄の下に、野村證券、
三菱商事、国際証券などから日本を代表する金融のスペシャリストたちが
集まった。澤田の右腕として辣腕を振るう副社長の野口をはじめ、澤田が
絶対的な信頼を寄せる5人の精鋭がHS証券グループの未来を担っている。
(文中敬称略) 澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。
この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を
再構築するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の
上場主幹事を担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも
対応できる力を示した。「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が
必ず経営者の面談をして、その資質を確かめるようにしている」
澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。 二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。 第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は
非業の死を遂げたのだった。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。 この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は
非業の死を遂げたのだった。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。
この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は
非業の死を遂げたのだった。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に 第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。 この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は非業の死を
遂げることになる。この人には、オーナーの資質を見抜く能力がとことん
無かったようだな。
第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。
この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は非業の死を
遂げることになる。この人には、オーナーの資質を見抜く能力がとことん
無かったようだな。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 前オーナー加藤の勝ち逃げっぷりは絶妙だったな。
でも長年寝たきりになってるみたいだから、因果応報かもな。
第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。
この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は非業の死を
遂げることになる。この人には、オーナーの資質を見抜く能力がとことん
無かったようだな。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 今までどれだけの被害者が人生を破滅させられたのだろう 第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。 この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は非業の死を遂げた。
澤田はこの事件について、本当に真相を知らないのだろうか!? 株価イクイク♪
700円で仕入れて1000円超え♪ http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2003/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益150億6千万円
営業利益42億1千万円
当期利益19億円
苦情・紛争受付17件→大半を隠蔽
訴訟35件(うち係争中24件) http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2004/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益152億4千万円
営業利益44億2千万円
当期利益20億7千万円
苦情・紛争受付51件(苦情4件+紛争47件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟43件(うち係争中33件) http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2005/100.pdf
18拠点
社員802人
社長 白鳥忠志
営業収益128億4千万円
営業利益9億9千万円
当期利益6億1千万円
苦情・紛争受付19件(苦情7件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟55件(うち係争中15件) http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2006/100.pdf
15拠点
社員690人
社長 白鳥忠志
営業収益104億6千万円
営業利益−5億6千万円
当期利益−7億6千万円
苦情・紛争受付26件(苦情14件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟31件(うち係争中18件)
※ 平成17年6月に、澤田秀雄(旅行代理店HISのオーナー)が会社を買収 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2007/100.pdf
14拠点
社員363人
社長 福田國幹
営業収益43億6千万円
営業利益−27億6千万円
当期利益−43億8千万円
苦情・紛争受付261件(苦情258件+紛争3件)→実数公表
訴訟28件(うち係争中9件)
※ 平成18年6月に社長交代。それまでの苦情隠蔽を、主務省に申告 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2008/100.pdf
9拠点
社員202人
社長 福田國幹
営業収益25億9千万円
営業利益−12億4千万円
当期利益−11億4千万円
苦情・紛争受付137件(苦情121件+紛争16件)
訴訟24件(うち係争中15件)
※ 平成19年9月に、商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
※ 平成20年4月に社名変更 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2009/100.pdf
1拠点
社員86人
社長 中西貞夫
営業収益13億7千万円
営業利益−13億6千万円
当期利益−5億4千万円
苦情・紛争受付69件(苦情20件+紛争49件)
訴訟21件(うち係争中10件)
※ 平成20年6月に社長交代。
※ 平成20年12月に、再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
※ 平成21年2月に対面営業を廃止。1〜3月に全支店閉鎖 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2010/100.pdf
1拠点
社員39人
社長 定村雅文
営業収益2億円
営業利益−6億9千万円
当期利益3億3千万円
苦情・紛争受付5件(苦情5件+紛争0件)
訴訟20件(うち係争中10件)
※ 平成21年10月に社長交代。
※ 平成22年3月に、過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分 03年 3月:売上151億、営業利益42億(純利益19億)社員数783人
04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業
13年 3月:売上 1億、営業損失 3億 オリエント貿易・成績優秀女性社員が津波で死亡(2005.1〜2008.3)
http://unkar.org/r/deal/1104510214
オリエント貿易被害者救済(2006.11〜2008.4)
http://unkar.org/r/deal/1163747169 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2003/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益150億6千万円
営業利益42億1千万円
当期利益19億円
苦情・紛争受付17件→大半を隠蔽
訴訟35件(うち係争中24件) http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2004/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益152億4千万円
営業利益44億2千万円
当期利益20億7千万円
苦情・紛争受付51件(苦情4件+紛争47件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟43件(うち係争中33件) 18拠点
社員802人
社長 白鳥忠志
営業収益128億4千万円
営業利益9億9千万円
当期利益6億1千万円
苦情・紛争受付19件(苦情7件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟55件(うち係争中15件) 15拠点
社員690人
社長 白鳥忠志
営業収益104億6千万円
営業利益−5億6千万円
当期利益−7億6千万円
苦情・紛争受付26件(苦情14件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟31件(うち係争中18件)
※ 平成17年6月に、澤田秀雄(旅行代理店HISのオーナー)が会社を買収 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2007/100.pdf
14拠点
社員363人
社長 福田國幹
営業収益43億6千万円
営業利益−27億6千万円
当期利益−43億8千万円
苦情・紛争受付261件(苦情258件+紛争3件)→実数公表
訴訟28件(うち係争中9件)
※ 平成18年6月に社長交代。それまでの苦情隠蔽を、主務省に申告 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2008/100.pdf
9拠点
社員202人
社長 福田國幹
営業収益25億9千万円
営業利益−12億4千万円
当期利益−11億4千万円
苦情・紛争受付137件(苦情121件+紛争16件)
訴訟24件(うち係争中15件)
※ 平成19年9月に、商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
※ 平成20年4月に社名変更 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2009/100.pdf
1拠点
社員86人
社長 中西貞夫
営業収益13億7千万円
営業利益−13億6千万円
当期利益−5億4千万円
苦情・紛争受付69件(苦情20件+紛争49件)
訴訟21件(うち係争中10件)
※ 平成20年6月に社長交代。
※ 平成20年12月に、再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
※ 平成21年2月に対面営業を廃止。1〜3月に全支店閉鎖 http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2010/100.pdf
1拠点
社員39人
社長 定村雅文
営業収益2億円
営業利益−6億9千万円
当期利益3億3千万円
苦情・紛争受付5件(苦情5件+紛争0件)
訴訟20件(うち係争中10件)
※ 平成21年10月に社長交代。
※ 平成22年3月に、過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分 03年 3月:売上151億、営業利益42億(純利益19億)社員数783人
04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 第4部 澤田秀雄を支えるスタッフ
金融のスペシャリスト集団がHS証券グループの未来を担う
[2005-12-21 18:52:15]
http://kigyoka.com/kigyoka/public/article/article.jsp?id=1682
澤田の右腕として
HS証券の未来を担う
HS証券副社長 野口英昭
国際証券(現三菱証券)では、公開引き受けを担当、一貫して未公開企業に
対する公開支援業務に従事していた野口は二〇〇〇年、当時社員数十七名の
オン・ザ・エッヂ(現ライブドア)に転職する。上場準備を取り仕切り、
同年四月には同社を東証マザーズに上場させた後、投資事業を行う
キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)を設立し、社長に就任する。
国際証券時代にスカイマークエアラインズに関わったこともあり、
澤田とは面識があった。そうした縁もあり、外部からHS証券の
立ち上げを支援していた野口だが、「やはり証券会社でこそ自分の力が
発揮できるはず」と考え、二〇〇二年にHS証券と共同で
HSインベストメントを設立、社長に就任するとともに、HS証券の
主幹事業務を立ち上げた。そして最初に担当したのが、ビービーネット。
幹事団の証券会社五社が直前になって降りるというトラブルもあったが、
強行突破でこの案件を成功させたことで、翌年四社、二〇〇四年には
十四社の主幹事実績を残すことができた。
「〇五年を含めて合計で二十四社の主幹事を担当したことで、HS証券は
きちんとやれるというブランド力と安心感につながった」と野口は話す。
平坦な道のりだったわけではない。二〇〇四年十月、HS証券の
東証マザーズ第一号案件だったアソシエント・テクノロジーの粉飾決算が
発覚した際には、審査の甘さを指摘される。「審査は一年半にわたって
取り組んでおり、審査対象となる直前期までは粉飾はなかった。ただし
オーナーの資質を見抜けなかったことは反省しています」と野口。 この事件がきっかけとなり、審査体制を強化、外部との協力体制を再構築
するなど信頼回復に努めた。二〇〇四年八月にはシコー技研の 上場主幹事を
担当、ディールサイズで四十五億円となり、大型案件にも 対応できる力を示した。
「これまで千人単位で経営者を見てきた澤田が必ず経営者の面談をして、その資質を
確かめるようにしている」澤田の存在がHS証券のリスクヘッジにもなっている。
二〇〇五年六月、野口は投資銀行部門での実績を評価され、副社長に昇任した。
旧協立証券時代は、特徴もない一介の証券会社に過ぎなかったが、主幹事証券、
投資銀行として存在力を見せる今のHS証券に脱皮させたのは野口の力が大きい。
「この三年間で陣容は八倍になっている。公開引き受けに加え、M&A仲介会社や
VCを子会社としてもっており、九州産業交通の買収では大きなファンドを組成
しました。上場企業のファイナンスの支援もできる。ハーン銀行やオリエント貿易も
グループに加わりました。これらを連携していけば大きな収益を生むことができる
と思います」
野口にとって澤田はとても大きな存在だ。その優れているところは、判断力
だという。「企業規模のステップによってマネジメント手法を変えている。
判断の手法とタイミングはほとんど間違いがない。本当に頼りになります」
と野口。「HISという巨大企業を率いる総帥が、HS証券という小さな器に
精力を注いでくれているだけで十分です。HISでは澤田社長に話もできない
社員が大半なのに、HS証券では常に身近にいる存在で、誰でも話をすることが
できる」
九州産業交通の再建、ネット取引の強化、海外進出、主幹事業務の拡大と
やるべきことは山積している。「先行する主幹事業務を核に、将来的には
SBIホールディングスに匹敵する企業体にしていきたい」と話す野口、
澤田の右腕としてHS証券の未来を担う三十八歳の若きリーダーである。
…この記事が掲載されてから1ヶ月もしないうちに、野口氏は非業の死を
遂げたのだった。 オリエント貿易 情報開示資料(平成15年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2003/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益150億6千万円
営業利益42億1千万円
当期利益19億円
苦情・紛争受付17件→大半を隠蔽
訴訟35件(うち係争中24件)
オリエント貿易 情報開示資料(平成16年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2004/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益152億4千万円
営業利益44億2千万円
当期利益20億7千万円
苦情・紛争受付51件(苦情4件+紛争47件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟43件(うち係争中33件) オリエント貿易 情報開示資料(平成17年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2005/100.pdf
18拠点
社員802人
社長 白鳥忠志
営業収益128億4千万円
営業利益9億9千万円
当期利益6億1千万円
苦情・紛争受付19件(苦情7件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟55件(うち係争中15件)
オリエント貿易 情報開示資料(平成18年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2006/100.pdf
15拠点
社員690人
社長 白鳥忠志
営業収益104億6千万円
営業利益−5億6千万円
当期利益−7億6千万円
苦情・紛争受付26件(苦情14件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟31件(うち係争中18件)
※ 平成17年6月に、澤田秀雄(旅行代理店HISのオーナー)が会社を買収 オリエント貿易 情報開示資料(平成19年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2007/100.pdf
14拠点
社員363人
社長 福田國幹
営業収益43億6千万円
営業利益−27億6千万円
当期利益−43億8千万円
苦情・紛争受付261件(苦情258件+紛争3件)→実数公表
訴訟28件(うち係争中9件)
※ 平成18年6月に社長交代。それまでの苦情隠蔽を、主務省に申告
エイチ・エス・フューチャーズ 情報開示資料(平成20年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2008/100.pdf
9拠点
社員202人
社長 福田國幹
営業収益25億9千万円
営業利益−12億4千万円
当期利益−11億4千万円
苦情・紛争受付137件(苦情121件+紛争16件)
訴訟24件(うち係争中15件)
※ 平成19年9月に、商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
※ 平成20年4月に社名変更 エイチ・エス・フューチャーズ 情報開示資料(平成21年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2009/100.pdf
1拠点
社員86人
社長 中西貞夫
営業収益13億7千万円
営業利益−13億6千万円
当期利益−5億4千万円
苦情・紛争受付69件(苦情20件+紛争49件)
訴訟21件(うち係争中10件)
※ 平成20年6月に社長交代。
※ 平成20年12月に、再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
※ 平成21年2月に対面営業を廃止。1〜3月に全支店閉鎖
エイチ・エス・フューチャーズ 情報開示資料(平成22年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2010/100.pdf
1拠点
社員39人
社長 定村雅文
営業収益2億円
営業利益−6億9千万円
当期利益3億3千万円
苦情・紛争受付5件(苦情5件+紛争0件)
訴訟20件(うち係争中10件)
※ 平成21年10月に社長交代。
※ 平成22年3月に、過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分 03年 3月:売上151億、営業利益42億(純利益19億)社員数783人
04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 オリエント貿易 情報開示資料(平成15年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2003/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益150億6千万円
営業利益42億1千万円
当期利益19億円
苦情・紛争受付17件→大半を隠蔽
訴訟35件(うち係争中24件)
オリエント貿易 情報開示資料(平成16年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2004/100.pdf
16拠点
社員783人
社長 白鳥忠志
営業収益152億4千万円
営業利益44億2千万円
当期利益20億7千万円
苦情・紛争受付51件(苦情4件+紛争47件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟43件(うち係争中33件) オリエント貿易 情報開示資料(平成17年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2005/100.pdf
18拠点
社員802人
社長 白鳥忠志
営業収益128億4千万円
営業利益9億9千万円
当期利益6億1千万円
苦情・紛争受付19件(苦情7件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟55件(うち係争中15件)
オリエント貿易 情報開示資料(平成18年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2006/100.pdf
15拠点
社員690人
社長 白鳥忠志
営業収益104億6千万円
営業利益−5億6千万円
当期利益−7億6千万円
苦情・紛争受付26件(苦情14件+紛争12件)→苦情の大半を隠蔽
訴訟31件(うち係争中18件)
※ 平成17年6月に、澤田秀雄(旅行代理店HISのオーナー)が会社を買収 オリエント貿易 情報開示資料(平成19年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2007/100.pdf
14拠点
社員363人
社長 福田國幹
営業収益43億6千万円
営業利益−27億6千万円
当期利益−43億8千万円
苦情・紛争受付261件(苦情258件+紛争3件)→実数公表
訴訟28件(うち係争中9件)
※ 平成18年6月に社長交代。それまでの苦情隠蔽を、主務省に申告
エイチ・エス・フューチャーズ 情報開示資料(平成20年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2008/100.pdf
9拠点
社員202人
社長 福田國幹
営業収益25億9千万円
営業利益−12億4千万円
当期利益−11億4千万円
苦情・紛争受付137件(苦情121件+紛争16件)
訴訟24件(うち係争中15件)
※ 平成19年9月に、商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
※ 平成20年4月に社名変更 エイチ・エス・フューチャーズ 情報開示資料(平成21年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2009/100.pdf
1拠点
社員86人
社長 中西貞夫
営業収益13億7千万円
営業利益−13億6千万円
当期利益−5億4千万円
苦情・紛争受付69件(苦情20件+紛争49件)
訴訟21件(うち係争中10件)
※ 平成20年6月に社長交代。
※ 平成20年12月に、再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
※ 平成21年2月に対面営業を廃止。1〜3月に全支店閉鎖
エイチ・エス・フューチャーズ 情報開示資料(平成22年3月)
http://www.nisshokyo.jp/disclosure/2010/100.pdf
1拠点
社員39人
社長 定村雅文
営業収益2億円
営業利益−6億9千万円
当期利益3億3千万円
苦情・紛争受付5件(苦情5件+紛争0件)
訴訟20件(うち係争中10件)
※ 平成21年10月に社長交代。
※ 平成22年3月に、過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分 03年 3月:売上151億、営業利益42億(純利益19億)社員数783人
04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業 最低の人間による、最低の会社。
廃業しようとも、恨みが消える事は無い。 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業
13年 3月:売上 1億、営業損失 3億 与謝野もそうだが、オリ暴から金もらってた時点で、まともな政治家とは言えない。
もう、みんなの党は終わりだな。
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/343.html 04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業
13年 3月:売上 1億、営業損失 3億 ぶっ潰れてからもう2年か。
元社員は不遇の人生を送るが良い。 神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em 03年 3月:売上151億、営業利益42億(純利益19億)社員数783人
04年 3月:売上152億、営業利益44億(純利益21億)社員数783人
04年12月:会社の報奨旅行で、女性社員が津波に呑み込まれ溺死
05年 3月:売上128億、営業利益10億(純利益 6億)社員数802人
05年 4月:法規制強化
05年 6月:澤田が会社を買収
06年 3月:売上105億、営業損失 6億(純損失 8億)社員数690人
06年 6月:白鳥と馬見塚を解任、福田が社長になり大リストラ開始
07年 3月:売上 44億、営業損失28億(純損失44億)社員数363人
07年 9月:商品取引事故の多発・隠蔽により、業務停止(34営業日)の行政処分
08年 3月:売上 26億、営業損失12億(純損失11億)社員数202人
08年 4月:エイチ・エス・フューチャーズに社名変更
08年 6月:福田を解任し、中西が社長に
08年12月:再勧誘などの法令違反多発により、業務停止(43営業日)の行政処分
09年 1月:全支店閉鎖を発表
09年 2月:対面営業廃止、コールセンター取引開始
09年 3月:売上 14億、営業損失14億(純損失 5億)社員数86人
09年10月:中西を解任し、定村が社長に
10年 1月:本社を銀座に移転
10年 3月:過去の商品取引事故多発により、業務改善命令の行政処分
10年 3月:売上 2億、営業損失 7億(純利益 3億)社員数39人
10年11月:対面営業を再開
11年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 6億)社員数38人
11年 9月:海外商品先物取引サービス開始
12年 3月:売上 3億、営業損失 4億(純損失 4億)社員数38人
12年 6月:9月限りでの廃業を発表、定村を解任し小野が社長に
12年 9月:廃業
13年 3月:売上 1億、営業損失 3億 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています