いや、違った。記憶が違っていた。発言を訂正する自分のことについてまず、大きな苦痛があったのだ。
それに対処した。それで条件を解除した。 今はその続きで諸々発言している。
今のこの流れは、ニセ摂家の起こした波紋として表れてそれだけだが、そんなこと言っとる場合か。
おれの最近の口癖は、「それどころじゃない」そういうことだ。
関与する人々がいるが、そのあたりが変化していることを示している。
つまり書いてきてそんな気分ではなかったが、今は違う気分だろう。
数ヵ月前の北欧の条件の変化から、私は思った。
北欧は、20倍、そして、今の条件を維持している。いろいろ手出ししている人もいる。
ゆるがないっぽい状態も白人は、白人も罠であった。 
そう思ったので書いていわばビラコチャが白いのならば、欧州人は北にいて白いだけで、それは偽白人といえるのかもしれないね。
これは白人が神的だと考える層がいるので書いたまで。
そういう順番だった20年前ぐらいのことだ。 
その時に条件やらを意識した確か。
詳しく書くことは後でもできるが、取り合えず訂正。さてこういう条件の規模だけど、
条件によってはそれだけでもう生活が少なくなってしまうらしい。
なぜ書きにくい運命でもあるのだろうか。
内容は、かけない性質があるのならば、対策になりにくい。問題点はここで読むより察するしかない。
察するものは救われて善き生き方をしていたならば、おのずから問題に対して動いていると言えるはずだ。 
善きとは、神の秩序にとって善きであるから。
私はがっちり生活しているので生活時間がある。どうですか、一部の人にとって違うでしょう?
そのぐらいの規模になると、「これが普通じゃないか?みんなそうでは?」と感じてしまうかもしれないが、
それは普通ではなく、ハードなつまりひどく変な条件の中にいますよ。