>>428
あーなるほど、ありがとうございます。

復習に使わせていただいてよろしいでしょうか。

執着を手放し、知性を得たい。素晴らしい動機、原動力です。
ぜひそれをご自分に許してさしあげて下さい。
それだけでいわゆる引き寄せが始まります。

おそらく「自分にはできない」とか
「自分はバカだから」といったガラクタの思考パターンを
持っていると思いますので、それを解放してください。
否定、対立ではなく、解除、解放するのがポイントです。
「できない」「いや、できる」というような二重の信念体系、
葛藤を生まず、奇跡 創造 の領域へとそれを還してください。

自分は「支配を憎む」「支配を愛する」で葛藤しましたが、
支配 そのものにまつわる全てをクリーニングすることにしました。

つまりですね、なんていうか、
耳が痛い、戒め、というこれは葛藤の言葉です。
「痩せたい」「いや食べたい」
「体を労わりたい」「いや、体を痛めつけてストレスを解消したい」というような。

体を痛めつける事には快感が伴います。
カルシファーはかわいいけど、ちょっと不憫で無抵抗だから、いじめたくなるというか。

体を痛めつける快感というのは、
なにか体を鍛える時などに必要だったりもしますが、
意識のレベルが下がっていると、
リスカとか過食、拒食もそうですが、自分を傷つけることで安心したり、
傷ついているとアピールすることで、他者の関心をひこうとしたりします。

これも自分にも覚えがあります・・・。
体壊していたとき「こんなに傷ついている、苦しんでいる」
「誰かに大丈夫かと声をかけてほしい、心配してほしい救ってほしい」
なんだったら、自分が傷ついていることで、
自分を大切に思っているはずの人が傷つけばいいんだ、くらい思ってました。
まあ無駄でしたが、というかこれは大概は無駄に終わります、
自らを傷つける他者を救う事は困難極まりないですから。

からくりサーカスでしろがねも言っていました、どんなに助けたくても、
「自ら死に向かうものを、助けることはできません」と。

そういうループでは意識のレベルが下がりっぱなしです。
支配するものの思惑どおり、自分を守らない社畜になってしまいます。

心を完全性へと近づけたいと願いつつ、
耳が痛い、戒めなくては、という葛藤を感じたらチャンスです。
その感覚の根っこを捕まえてください。引っこ抜いて、クリーニングするとイメージしてください。
葛藤を生んでいるガラクタの思考パターンの、根本を探しながらクリーニングを続けると、
なにか非常に面白い、いくつかの普遍性のある抑圧に辿りつくんじゃないかと思います。
それは人類全体が抱えているテーマ、越えていく時がきているテーマです。