風、から逸れてしまった。話を戻そう。

本庄の飛行機をみて二郎「ああこれは飛ぶ、風が立っている」
これはなんじゃろ。職人、設計士の直感の言葉だ。
飛ぶイメージ、飛ぶ未来を確信できる、
奇跡 創造 の領域とつながっているインスピレーションも、
見えない力で、風と呼べるってことか。

そして
風が立つ、生きようと試みなくてはならない、

この詩の、風の意味だ。
これは漫画ナウシカの、
私達の命は風のようなもの、生まれ、響きあい、消えていく
というセリフに近い。

命は、どこから来たのか。
なぜ、自分たちは生まれたのか。

そういうことを言いたい、風という言葉だ。
自分たちの命は、奇跡 創造 の領域から生まれたが、
生まれるとそのことを忘れる。

忘れているから、なぜ生まれたのか、なぜ生きるのか、と疑問に思う。苦しむ。

考えることで至るような答えはない。
思いだし、ただ感じることが、その苦しみを消してくれるとしか言えない。

風が立つ、とは
見えない力 奇跡 創造 から、命が湧き、運ばれてきた。

まるで風が起こることと同じように、命は生まれてきた。

風が吹いていれば、それは肌に感じられる、
木の葉を揺らしていれば、それは見える
でも風の生まれた瞬間、
自然現象の、起きるその瞬間をどう観測できるだろうか。
その瞬間は確かにあったはずだが、観測する方法はなく、
想像することしかできない。

自分たちの命もそうだ。
生きているのは確かなのに、
その始まりの瞬間はいつなのか想像するしかなく、
命が存在することに、通常の知性が納得できるような理由もない。


くらいが更に言葉にできる限界かな・・・。
そんな無粋な表現にしていくくらいなら、
原文のまま感じたほうがいいと思ってしまう。