https://diamond.jp/articles/-/181088?page=2

 訪ねて回ること国内外11社。手応えはゼロ。全滅だった。2002年、大阪に本社を置く中堅製薬会社の小野薬品工業は同業に抗がん剤を共同開発してくれるよう提携を申し入れたが
けんもほろろ、「全社から断られた」と粟田浩副社長は苦々しい表情で当時を振り返る。

 小野は他の医療用医薬品と同様に、有効性と安全性を確かめる臨床試験を実施して、まともな薬として開発するつもりだった。しかし、提携の申し入れに行った先で
、「そんなものをやっていると会社がつぶれますよ」「信頼を失いますよ」と逆に説教される始末。



両社は05年に共同開発の契約を締結し、06年に米国、08年に日本でヒトに投与する臨床試験を開始した
。国内で臨床試験を実施してもらうよう医師を説得するのも、やはり困難を極めた。がん免疫療法に懐疑的な医師も必死の説得で引き受けてはくれたが、他の新薬候補の試験が優先され、後回し状態だった。

 が、その後に状況は変わっていった。懐疑的だった医師たちは、試験に参加した余命数カ月の患者が生き続ける著効例を目の当たりにしたのである