昔の東武バスを語ろうよ!4
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
あと付けで冷房車に改造したのに、機械が不調で使用停止、窓全開。日野のバス窓。群馬の営業所。 え、6983が新座の5Eだよね?
とか言って良いの? いま一度、貸切高速系のリヤウインドウステッカーの営業所別の一覧表が欲しい。
川越・熊谷・越谷・西柏の略号が未だにこんがらがってる件について 新座って7Eボディー車配属された事ないよね?
草加には日野シャーシの7E車とかいた。 >>32
新座はいすゞ車時代でも7Eは配属されないで日野車化された気がする >>32
短期間でかつ転属車だったけど、2000年代中頃にいすゞの7Eがいたような
新座だと8EのLRとRNは結構記憶に残っているよ 越生出張所って坂戸に移転するまで埼玉自動車時代と同じ黒岩バス停付近にあったんですかね?
昭和50年の航空写真を見ると田舎の町でよく見かける敷地いっぱいに屋根付き車庫らしきものがありますが
これだと数台しか入らなそう >>34
新座にLRいたんですか。
中型車はRJオンリーのイメージだったんで。 >>36
いたよ
ツーステかワンステかは記憶が曖昧だけど、中4枚扉の車両だった
今新座にいるエルガミオに置き換えられて消えたはず
RJがいたのは覚えているけど、個人的にはRJの方があまり記憶に残ってないな >>37
ツーステップで中扉なら基本的に都内配置車の玉突きだね
ワンステップだとメーカーで後扉の設定がなかったから後乗り地区でも中扉(4枚扉)仕様だったけど ツーステLRなのに4枚折戸の車もいたよな。
そこまでワイドドアにこだわるかと >>40
一応ツーステは前のり路線がある営業所向けに新車投入してたから、まだ良しとして・・・
あとから転属したりしたのもあったかもしれないけど
ワンステ・ノンステの4枚折戸は、後のり路線の営業所にも新車投入したから
新車時から廃車まで4枚折戸の半分しか開かないようにしてまで入れる意味あったのかねぇ・・・ >>40
他にもHTとRJで中4折戸ツーステのタイプがあって、どちらも最初から埼玉県内に配属だったな
>>41
ノンステ中4折戸は存在しないような
たしかに東武の中4折戸車はなぜか半分しか開けてなかったね
スロープを付けずに、真ん中に手すりを付けていたからなのかね 大宮の前のリ運賃申告制というと、日野のブルーリボンHTの3ドア車を思い出すな。
まだ、バスカードが出る前は紙の回数券だったし。
メジカルセンター行きを思い出すな。
バスカードができて、3ドア車は中ドアを締め切りにして、前後ドア車と同様に後ろのリ前降り運賃後払い整理券方式になったな。
大宮の3ドア車は前橋営業所に移籍して、そのあと関越交通に引き継がれたものもあったし。 3扉も東武らしい無駄の極みよな
前中扉車で十分だっただろうに、後乗り区間のためにわざわざ後扉つけるんだから
なんであんなに頑なに後扉に拘っていたのか >>45
>3扉も東武らしい無駄の極みよな
関東バス激怒 >>46
関東バスは降車時間の短縮にのために入れてたから東武と事情が異なるのでは 側面方向幕の照明は同じ物2個装備してるから?白熱灯で倹約してます。という謎のアピールw
中引戸車や後折戸車のそれは、蛍光灯だった。 東武系はやる気を無くす企業体質
テキトーに休んで楽な仕事して長く務めるのが得策
よく潰れないなと感心する >>45
ガードレールの切り口に合わせてたんでないの知らんけど ガードレールの問題もあるのかも知れませんが、その割に新車導入で余剰が出た都内配置の古い前中扉車を
後乗りの熊谷、行田、本庄、小川町、幸手、加須、菖蒲、群馬に大量に送って前後扉車と混用運用させたり謎w 都内で使っていた、前中ドアのバスを群馬県や埼玉県の営業所に異動させても、東武バスは側面方向幕の位置を改造せずに、前ドアの右側のままだった。
それだけ長くつかうわけでもないとか、改造費節約したんだろうな。
東武バスだけでなく、前のり中降りのバスを中古で購入した地方のバス会社でも、側面方向幕を中ドアの近くに移設する改造をしないでつかっているところが、最近多いし。
宮城交通とか名古屋市バスの前のり使用のばすとか側面方向幕は前ドアの右側だし、静岡の秋葉バスにも、日野の中型ロング(もやし)で元名鉄でない方が側面方向幕が前ドアの右側だし。 >>53
前中扉は特に熊谷に多かったね
埼玉県内だと熊谷、行田、本庄、加須、菖蒲、小川町あたりに都内からの前中扉車がいた
北部地区は新車配置が基本的になかったから、こういう玉突きで置き換えが進んでた
しかも前中扉に統一するわけでもなく、
千葉や埼玉県内の営業所から転属させた前後扉も併行して入れてたから統一感がなかった
平成にはいった頃は観光バス格下げ改造したゲテモノもいたっけ
廃車発生品の中扉新設、後部方向幕も車体組み込み改造、
行灯とグリルを外して路線車の廃車発生品のヘッドライトを付けた車とか
同じ改造内容の車両は1台もなかったんじゃないか 菖蒲の北本団地線は
前乗り先払いだったから
都内からのバスそのまま
使ってたな
後ドアのバスもいたけど 群馬県内だと貸切バスの改造で中ドアをつけたり、オデコに正面方向幕をつけたりと、前橋、桐生、あと沼田、渋川と山間部の路線を持つところが多かった。
平野部だと、太田営業所が熊谷にのりいれるので、一台だけ前中ドアの日野車がいた。
貸切り格下げはもっ桐生ボート専用になっていたな。
ただ、ある日一台だけ、いすゞのCJMの純正車体(川重)がはいって、日野指定の太田営業所ではめだった。
まさか、その数年後太田営業所が前橋営業所の管轄から熊谷営業所の管轄にかわりバスも日野からいすゞに変わった。
それをみこして、一台だけ入れたのか、たまたま、移籍できる日野車がなかったのか?今でも謎。 >>56
太田のCJMってあの整ったフォームの後期型のやつかな
一度妻沼で見かけた記憶が
群馬の営業所だともう晩年はどこもいすゞ日野混合状態だったからあまり考えず入れたんじゃないですかね
昭和末期から分社化までやってた新座、東松山、沼南と続いた、いすゞ車→日野車入れ替えで、
全体的にいすゞ車のほうが車齢が若いのが余ってたので、転属車が入る営業所だといすゞ車を入れやすかったかと >>57一度だけ熊谷駅→太田駅で太田営業所の前後ドアのCJM に乗った。
熊谷営業所にいた川重のBUと顔が違ったからCJMとわかった。
日野車でしかも富士重ボディもいた太田営業所ではめずらしかったし、東松山方面の東武バスはいすゞでも富士重だったし。1990年頃だったかな? 群馬県の平野部は1970年代後半から路線廃止とかでてきて、運賃が高くてバス離れも起きたり、元々車社会だからバスは弱かったのか。特に太田市はスバルの企業城下町だったし。
細谷駅近くにある私立大学も、東武伊勢崎線が少ないので車通学を認めていたし。
あの当時、太田駅〜東毛病院線のルートを下浜田交差点を直進せず、右折し、関東学園大学、太田就業高校、細谷駅、冠稲荷を通るコースにすれば良かったと思う。
対東毛病院だと、すこし寄り道するルートだけど、過去に太田駅〜冠稲荷〜細谷駅を1970年代に運行していたし、東毛病院線はナロー車(今の中型バス)限定路線だったけど、雨の日とか学生の利用が見こめた。
中小私鉄なら増収のためのルート変更はするけど、当時東武バスは大手私鉄を良いことに危機感がなかった、乗らないなら廃止に。とか。
1990年代に入って太田市がコミュニティバスを運転するようになって、やっと大学前によって、宝団地に行く路線ができたけど、路線再編で廃止になった。
長文失礼。 行先さえあってればいいだろ、とばかりに
系統番号の表示が適当だったり。
かと思えば「東武」だけだったり。
結局どこ行くのよ…と。 >>60
東武は行き先と系統番号は同じ幕だから手抜きしようがなくね? >>60
系統番号の付番の仕方がって事ですかね?
行先別に細分化された付番も枝番も設定せず一定方向はすべて同じ系統番号だったりそうでなかったりって事?
もしくは駅の東西発着を分けなかったりとかですかね?
>>61
同じ幕でもこういうのもあったり
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/94/6df107fa4c8065ea5e170aedfceb0b08.jpg >>62
「系統番号の表示が適当」であって「系統番号が適当」じゃないから違うだろ
本来
何ちゃら01系統何ちゃら駅前行なのに「何ちゃら02 何ちゃら駅」って表示出して走ってたってことじゃね? >>62昔、桐生営業所にいたバスのリアの方向幕と系統幕が別れていて、実際は一本の幕なので、系統幕は白、方向幕部分に桐生天神町だった。
窓枠のことを考えて、方向幕を作らないと、系統番号か窓枠に隠れて見えないとこうなるんだ。 そうじゃなくて、もともと系統と行先の間に間仕切りがある幕だったけど、間仕切り無しの車が増えてそれらと幕を共通化した結果じゃないの? そんな簡単に共用出来るもんじゃない
中身の機械全部入れ替えるぐらいしないと無理なんだよなあ 外野だけど東武の幕は系統と行先の幕が一枚物なんですね
地元のバスは別々だったので>>60や>>63のようなことがありました 他社の話だけど、国際興業バスは一本化する前は、正面は系統幕と行き先の方向幕が別れていた。
いすゞBUの時代かな。そのバスが岩手県交通に行くと、系統幕は幕も入れずそのまま、横の幕もそのままで、旧岩手中央バスエリアの盛岡市内のバスは鉄板のサボの経路図が入口についていたな。(1986年頃) いわき線で30分前に出ていた前便のJRバスを煽っていたのは懐かしい思い出 今では分けたけど
みーんな岩02だったなあって
岩槻駅には日に数本しか行かないけど
川越06はまだ同じみたいね あの路線は上尾担当に川越担当の区間便が混じってるから難しいんじゃね? 鴻巣駅〜免許センター
昔は全部東武鉄道だったのに、今や朝日加須がメインで次点国際。
東武バスは辛うじて来てるけど川越から平日の数本だけになっちゃったね
今や鴻巣なんて北の方で見る東武バスに違和感さえ覚える始末 大宮発の深夜急行バスに国際興業のなかったっけ?
それ以外だと朝日中心で東武と川観がちょっぴり顔出すってかんじだな >>75 >>76 国際十王のつもりで書いたんだが、そもそも間違ってたw
川越観光な
ちなみに今の鴻巣駅〜免許センター間て定期券はどういう扱いなんだろう
まさか3社共通ではないだろうし YouTubeで昔の白黒のニュース映像のに東武バスが出ていた。
タイトルが「バスに乗りません」
綾瀬駅〜東綾瀬団地の東武バスが20円から30円の運賃値上げに反対した団地の自治会が、タクシーの中型車で駅まで五人あい乗りすれば20円でゆけるからと、団地内に自治会がタクシー乗り場を作り、自治会が持ち回りで係員までおいている。
時間通りにくる東武バスは誰も乗らず、運転士さんだけのワンマンバスに。
東武バスの担当者のインタビューは、乗る乗らないはお客さんの判断ですからと。
シマシマカラーだから1960〜70年代の話ですが、結局路線は廃止になったかどうかは不明。
自治会が折れて、今でも走っているのだろうか?
今、路線を廃止にしますといったら、逆に泣きつかれて廃止しないでとなる。 >>80
それ見た記憶があります
東綾瀬団地〜綾瀬駅は現在バスで210円ですが、2kmなのでタクシーだと初乗り区間内
740円を5人で割ると148円で確かにタクシーの方が割安ですね・・・ 実際相乗りするとしても4人まででしょうから、そうなると185円
それでもバスより割安ですか >>80 そこは朝日自動車のはるかぜが通ってるね。
あれも越谷から何台も回送してくるんだからすごいよな >>81
近いのね
近すぎて定期代出ない会社が多かったのかな? 武里駅で「武03せんげん台駅行」を待ってる。
やってきたのは「千01せんげん台駅」の表示をしたやつだった。 北関東.埼玉県北の東武バスといえばこれからの季節が一番似合ってると思う
刈り取り後の田畑を灯油ヒーター効かせながら走る姿が好きだ
そして足立区や越谷あたりの団地路線との対比も好きだった。
今東武バスでこの雰囲気を味わえるのは川越〜鴻巣線くらいかな 「この先、踏切のため一旦停車します」というアナウンスが昔、あったな、熊谷駅〜太田駅の路線で、廃止になった東武熊谷線の踏切を渡るまえに流れた。
いまでも、踏切を渡る路線にはこのアナウンスがはいついるのでしょうか。 >>87
踏切アナウンスは多分営業所による
深谷駅〜寄居車庫線が東武バスだった頃そのアナウンス聞いた記憶がある
でも熊谷駅〜東松山駅が上熊谷駅前の踏切経由だった時代にそのアナウンスはなかった >>↑↑昭和30年代の全国のバスの写真を集めた写真集にグランドハイツの行き先表示をした東武バスが載っていたよ。 東武も練馬出張所があったらしいな
今は国際興業の縄張りだが。 さよなら、朝日自動車。
こんにちは、あさひ自動車。 都内の昔の路線図どこかにないですかね?北千住ー皿沼循環があった頃よりもう少し前、
たしかよくわからん西新井ー江北あたり?循環もあったような・・・ >>94
昭和50年代末には冊子で配っていた国際興業とは違って純正の路線図は車内に掲示されていたものくらいしかありません
倒産した人文社という地図出版社が発行していた広域道路地図にはバス停留所名が記載されているので
古いバージョンのものを(1980年代中盤くらいまでは市場に出ることがある)古本屋で探し出しましょう
あとはこのサイトはお薦めです↓
http://www.tsune-file.net/coach/246/index2.html あとは昔出してた雑誌サイズの東武時刻表にバスも全部じゃないけど載ってるね 自己レスですが
>古いバージョンのものを(1980年代中盤くらいまでは市場に出ることがある)古本屋で探し出しましょう
地図の場合数年に一度のバージョンアップがあるのは当然であくまで指定した時期のものを探さなくてはなりません
そしてネット通販の場合大体出版時期が非表示か間違っているケースもあります
ここら辺を充分ご注意の上お探しください
神保町の古本街でも中々手に入れにくいものですがバージョン関係なければネットには結構出ているものなんですね〜 昔の東武バスといえば群馬県内の営業所にいた、貸し切り落としで中ドア増設のバス。
入口脇の方向幕が縦長で、「回送」表示が縦。
普通は横長で、右から左に途中バス停が書かれていて、一番左に大きく終点が書いてある。
縦長の場合は、上から下だったきがする。
桐生営業所の貸し切り落としに、足利両毛駅から足利東武駅まで乗ったことがある。
正面はもちろんおでこに方向幕。 >>99
本庄にも配置されていたが、客側からは冷房付き、
座席数も多く乗り心地も良く好評だった。
運転手と、昔は貸切でこんな車でスキー場まで行った
などと車内で会話も弾んだ。
当時の路線車と比べて、パワステなので運転は楽だが、
通路が狭く通学時間帯は遅れ気味になると言っていた。
車号は5千番台、ちょっと流線型?のような顔立ちで
窓の上端と下端が前後方向に対して斜めになっている車だった。 貸切格下げ車は埼玉県内だと本庄、小川町、行田、幸手には所属してた
加須にはいたか記憶がない
熊谷にはいなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています